富士川游著述選 第二巻  科学と宗教  東京 中山文化研究所発行  刊行の辞  回顧すれば、不可思議なる因縁で約三十年前私は図らずも富士川先生に面晤の機を得、それ以来多年大いなる力の下に指導啓発せられたのである。偶々、大正十三年中山文化研究所の綜合機関創設と共に児童教養研究所、女性文化研究所其他の各分科機関整備充実に当り、先生は私の希望を容れられて、特に女性文化研究所々長として、女性の文化生活上科学知識の普及並に精神生活の信念確立に関する重要問題の研究指導に当られ、其後文化研究所長として之を主宰せられ、昨昭和十五年十一月六日高齢七十六歳を以つて逝去せられる時まで、その該博なる科学的知識と、深遠なる宗教的思索とを以つて、本所創設の使命遂行のために熱心尽瘁せられたのであつた。  先生は常に、真の文化の根帯に欠くべからざるものは宗教的信念なりと唱道せられた。然るに宗教に就いての一般的理解が識者の間に於いてすら皆無に近いか、或は極めて幼稚であり、又甚だ歪曲せられて居ることを遺憾とせられ、先生の後半生は殆どその全力を真の宗教的信念の普及に傾到せられたのであつた。就中、文化研究所に於いて婦人精神文化等の講座を順次に開催せられ、宗教の本質に就いて、或は科学と宗教、或は哲学と宗教との関係について諄々と記述せられ、以つて宗教の真髄を闡明することに力められたのであつた。さうして一面「釈尊の教」「親鸞聖人の宗教」「弥陀教」「倫理と宗教」「宗教生活」「迷信の研究」等の論著を公にせられ、又雑誌「精神文化」及び「法爾」等には毎月その宗教的思索と体驗とを載せられたのである。  今や曠古未曾有の難局に際會し、国民思想の昏迷は識者の最も深き憂とするところ、殊に、大東亞建設の重責を有する我が国民の精神生活にゆるぎなき信念を確立しなければならぬといふことは、心あるものの齊しく考へてゐるところである。この時に方り、真実なる宗教的信念を確立し、正しき情操の涵養に力めて国民の感情を醇化することは蓋し最も喫緊の要務である。今こそまことに富士川先生の如き透徹せる宗教的信念に生くる指導者を要望すること最も大なるの秋である。隨つて私は常に先生の矍鑠《かくしやく》さと其の高潔なる風格とを以つて更に長く後進を薫陶せられむことを切に願つてゐたのであるが、今やその希望は空しくなつた次第である。仍つて其の遺稿遺文を輯めて之を世に公にすることは本研究所本来の目的達成に資する所以なりと信ずる。幸にして、深遠なる教義を平易に開明せられたる先生の珠玉の文字は累積してあるので、夫等の内から代表的なりと思はるるものを選びて上梓し、其の芳躅を永へに遺し、千載の後なほ真実の道を伝へ、これを求むるものの指針たらしめむとし、敢て之を公刊して江湖に薦むる所以である。  昭和十六年四月下浣  中山文化研究所所主  科学と宗教 本稿は表題の下に、大正十五年九月より昭和三年三月まで、東京科学と宗教講座に於いて十八回に亙つて講義せられたものの速記録を編者が軽理修正したものである。各回の講義の標題並に小見出しは、原の講義には附けられてないのであるが、繙読に便する為に編者が私に仮にこれを附けたのである。  目次  科学と宗教  第一講 科学と宗教  序言  科学  認識  科学と宗教の矛盾  感覚の世界  超感覚の世界  本質の世界  宗教の形式  科学と兩立  個人差  宗教心  学ぶ心  感情のはたらき  宗教と学術  宗教性  自然的宗教  精神的宗教  真実の宗教  第二講 宗教の発達  功利的宗教  宗教の説明  教義と言葉  学と解  構神の発達  前生気主義時代  生気主義時代  精靈崇拝時代  内省時代  約説原理  精神的宗教  宗教無用論  道徳  道徳の力  宗教の力  内省の不徹底  似而非宗教  法句経  第三講 甚深の法  心を本とす  因縁和合  十二因縁  苦  道徳教に非ず  小乗と大乗  宗教と宗学  否定  祇園精舎  舎衛国王  浄飯王  甚深の法  邪見驕慢  内省  第四講 汝自らの燈を以て汝自らの道を照らせ  三法印  涅槃  釈尊と他の宗教家  仏教の形式  涅槃寂靜  智慧と感情  感情の調和  自己を師となす。  自己を調へる。  五蘊  自己の否定  第五講 人智と仏智  精神と肉体  業  業の諸説  業の相続  まこと  馬子の改心  仏智  宗教上科学知識  阿難  自分の相  善悪  第六講 信心と仏身  思索  信仰  実在の顕現  善神と悪神  自在天  三仏身  法身仏  報身仏、応身仏  仏となる道  法性法身  方便法身  南無阿弥陀仏  第七講 現身仏と法身仏  世寧と法  理仏  事仏  法身、報身、応身  仏の相  六字名號  念仏  安心決定鈔  浄土真宗  文宗皇帝  願力不思議  第八講 現実と理想  私を導くもの  人格的仏  願  永遠の理想  真実と虚仮  言葉の吟味  罪悪感  懺悔  仏を観る  現実と理想  自力と他力  廻向と来迎  真実の宗教  第九講 八正道  仏の観念  八正道  正見  正思正語正業  正命正精進  正念正定  釈迦教  弥陀教  地獄必定  第十講法  大乗起信論  内薫力  釈迦教  即身成仏  見性成仏  真実の感情  覚り難し  外薫力  自力の念仏  真の弥陀教  親鸞聖人の釈尊観  第十一講 業  輪廻  仏教以前の業と釈尊の業  業の種々  仏力の三不能  諦め  目前見  前業の所感  運命  流転  出離  業に堪へる。  第十二講 宗教心  宗教の領分  人情  宗教の欲求  純粋主観  真実の我  慎独  主観の悩み  我即ち煩悩  信仰  宗教と文化  宗教意識  第十三講 無我の念仏  因縁和合  至愚の人  自ら覚る  人間の思考  死後の生活  人智を捨てる  苦を抜く  宗教無用論  信頼の感情  感情の宗教  無我の感情  求道  明遍僧都  無我の念仏  道徳と宗教  宗教の心  第十四講 我  三種の我  我の意識  魂  科学て考へる我  弥蘭と那先  仏と凡夫  誓願不思議  煩悩即菩提  現在の我  仏の発見  如実の相  法の聞き方  第十五講 道  法の真実  法即真如  子思と老子  誠  如来  信心  大経和讃  第十八願  第十九願  第二十願  三願転入  我を仏の中に見出す  庄松の話  第十六講 親鸞聖人の宗教  無量壽経  至心信樂欲生  仏のはからひ  よしあしのはからひ  教は宗教に非ず  宿善開発  相談的  真実の道  第十七講 宗教の表現  表現の形式  自然的宗教  道徳的宗教  精神的宗教  刹那生滅  制度的宗教と人格的宗教  形式の善し悪し  予想  不思議  勝手な喜び  喜ばざるを得ぬ喜び  生きた仏  私一人のため  行くべき道  第十八講 苦界厭離  樂しみと苦しみ  外界の改造  心の反応  心の改造  仏の心  冷暖自知  自力と他力  義なきを義とす。  妙好人  一切が助けられる  宗教の味ひ  道徳と宗教  序言  与へられたる生命  生命の保存  生命の尊重  倫理の心  道徳と規範  倫理と宗教  恩  仁  愛  自然の法則  父母の恩  衆生の恩  国家の恩  三寶の恩  恩の意義  不思議  報恩  感謝  恩愛  摂取不捨  愛せむとする心  慈悲  慈善  妄執の情  四無量心  三種縁慈  平等大悲  聖道の慈悲  難行  慈悲を感ずる  諫言を聴く  我かしこ  身のひいき  浄土の慈悲  菩薩の行  四弘誓願  報恩の道  善御  浄土の菩提心  他力  勇猛精進  急ぎ仏になる  一切を包容す  忠恕  我身の吟味  空心尼  短を以て短を攻む  心の外  無我  我心に任せぬこと  我慢  餅屋市五郎  卯右衛門  他律道徳  罪悪  善と悪  倫理的批判  善悪の価値  五悪  一の悪  三の悪  四の悪  五の悪  五常と五戒  舊約全書  智慧と罪悪  罪悪の華  良心の呵責  法律と刑罰  心と罪  結  愛結  恚結  慢結  無明結  見結  取結  疑結  嫉結  慳結  三道  心の相  本心  私案  明徳  性善心悪  滅罪  念仏滅罪  滅罪の利益  報謝の念仏  罪業消滅  善悪を知らぬ  慚愧の言葉  真の善悪  塞翁馬  功利的  反省生活  善悪の思考  自然法嗣  罪に泣く  三途の業  慚愧の心  罪福心  差別の現実  宗教的の慚愧  述懷和讃  無慚無愧  如水の廻向  履蔵  阿闍世王  耆婆大臣  宗教の心情  道徳の規範  価値の判断  良心の呵責  内省の極致  自我意識  苦悩と宗教  悪を畏れず  仏智信受  非道徳の譏  懈慢の心  宿業の感  第一講 科学と宗教  序言  科学と宗教という極めて大きな問題について述べます。これはこれまでいろいろの学者からいろいろの説明が加へられた問題でありますが、私の述べる趣旨は宗教といはれるのが如何なる性質のものであるか、どういふ本質を持つべきものであるか、而してそれが我々の実際生活の上に如何なるはたらきを持つて居るのであるかを主として話さうと思ひますから、科学との関係についてその点に止めて置かうと思ひます。  先づ総論として、科学と宗教はどんな関係にあるかについて述べます。  科学  自然の現象は、例へば花が咲いて居る、或は鳥が歌ふ、それは誰にでも見えることで、又、誰にでも判ることでありますけれども、然しながらさういふ自然の事実を探り究めるためには、それ相当の知識をはたらかさなければならぬ、或はいろいろな専門の知識を要する、例へば生物学といふ專門の知識を応用して、さうして自然を見ると、花が咲いて鳥が歌つて居るという極めて平和に見えるやうな世の中にも、角のあるものは他の者のを突くことを頻《しき》りに考へて居る、歯のあるものは他のものを噛むことに努めて居る、針のあるものは刺す、爪のあるものは引つ掻く、皆それぞれ武器を具へて居て、その武器をはたらかして以て自分を保存して行かう(自己保存)、生きて行かうとします。謂はば自己を保存しやうといふものが集つて世の中をなして居る以上、その中の強いものが勝ち、弱いものが負けるといふ現象を呈して居る。それも意識を以てさういふ積りでやつて居るばかりでなく、自ら強いものが勝ち、弱いものが負ける事実があつて、これは全く遺伝学でいふところの適応といふはたらきである。意識するとしないとに拘らず強いものが勝ち、弱いものが負ける現象がある。生物学の眼を以て見ると明かにさういふ風に認められるのであります。  又物理学や化学の知識を以て世の中を見渡す時には、総てのものは分子が集つて出来てゐる、けれどもその分子は又細かい原子といふもので出来てゐる。その原子は更に又細かい電子といふものが集つて存へて居る。斯様にして出来上つたものが、どんなはたらきをするかといふと、反応といふはたらきをして居る。即ち生物学から見れば、一切のものは自分を保つて行くはたらきをして居るのであるが、化学の方面から考へて見ると一切は周囲に対して反応をして居る。物理学の方面から考へればそこに力といふものを認めて、その力が引きつけたり又は引き合つたりして、結局世の中は力のお互に引くのとはねるのと二つの力で造つて居るやうに見える。それ故に花が咲いて鳥が歌つて居る、外面的には極めて平和な自然の世界も、色々の知識を以て考へれば実に複雑なものであることは言ふまでもない。その複雑な世の中のいろいろの現象に共通な一とつの法則があるべき筈であります。その法則を求めて即ち複雑なものを単簡にまとめて考へやうとするのが科学であります。結局科学とはさういふ心のはたらきであります。  認識  ところでさういふはたらきをするにはどんな力を用ひるか、いふまでもなくものを認めるといふ力を使はなければならぬ。ものを認める力を使つて複雑な現象を極めて単簡に認識することが出来る。この認識といふ力がなかつたなら、科学はないのであります。ものを認めてその中にある真理を発見しやうと考へて科学をやつて居る以上、その認めるはたらきが第一の問題であります。  然らばどうして認めるか、いふまでもなく目や耳や鼻や口や皮膚や内臓などの感覚のはたらきによつて、目ではものを見、鼻ではものを嗅ぎ、口では味ひ、耳では聞き、皮膚では觸れ、内臓では身体感覚、筋や骨では運動感覚を感ずる。それが認識の初めでありまして、それに依つてものを認識して、真理を発見して行かうといふのであります。それ故に科学は全く認識のはたらきを本として、宇宙の根本であるところの法則を見て行かうといふのであります。  世の中の現象は複雑であつてそれが別々に別れてゐるのであつたら実に仕方のないものであります。どうしても統一をしなければならぬものでありますから、その中に法則を認めなくてはならない、そのはたらきが科学であります。それ故に科学とは要するに自然を対象として認識して行くところのはたらきをいふのであります。  科学と宗教の矛盾  この科学と宗教とは衝突すると、我が国でも西洋でも昔から言はれてゐる。しかしそれは考へが少し間違つて居ると私は考へるのであります。宗教というのは一とつの心のはたらきでありますが、それは上述の様にものを考へて行くところの科学ではない。単簡に言へば、科学は我々の認識のはたらきに依つてものを認める、そのはたらきに依つて宇宙萬物一切に通じて行はれておる法則、又は真理を見て行かうとするのであります。宗教はそんなことを考へてゐるのではない。随つて宗教と科学とが衝突するといふことは実際にあるべきことではない。それにも拘らず西洋でもキリスト教が科学のために非常に權威を失つたといふことをよくいはれるのでありますが、科学がだんだんと進んで来ると、キリスト教を信ずる人の数がだんだん減つて来ることは確かに事実でありますが、それは宗教の形式であります。それは宗教の形式が科学のために破壊されたのであります。宗教が破壊されたのではない。  宗教の形式といふものは宗教といふ心のはたらきを形の上に出す時に、人間が智慧を使つてそれに相当した形を作りますから、この人間の智慧のはたらきで作つた宗教の形式は人間の智慧のはたらきで以て何時でも壊すことが出来る。又これまでも度々破壊されているこれから後に必ず破壊されるのでありませうが、それは宗教の形式が破壊されるのみであります。  宗教はそんな認識や智識のはたらきを以て法則を認めて行くことではない。それとは全く性質の違つたものである。それ故に幾ら科学が進歩しても、亦我々の知識が進んでも、宗教そのものには増減はない。宗教はそれとは全く関係なく我々の心の中にはたらいて居るものである。それ故に、宗教が科学のために壊されたといふならば、それは宗教の形式を指しているのであることは明かであります。  私がこれから述べやうとする宗教とは後には形式に及びますけれども、先づ宗教の本質、即ち宗教といふ心のはたらきについて述べやうとするのであります。  感覚の世界  宗教と科学とはどんなに異るか、といふことを考へて見る。科学は上述の通ほり、感覚のはたらきによつてものを認識してその認識したところに真理を認める、法則を知つて行くのであります。ところが、我々は感覚を使つてものを認めるといふ、例へ目で光を見、色を見る、耳で音を聴く、それは我々の認識であることは無論でありますけれども、それは自然界のただ一部分であります。常識で考へてみても我々がここに坐つてねてこの目を以ていろいろのものを見るけれども、大阪のことを見ることは出来ない。今耳に聞えるのは私の話か、極く近くのことしか聞えない。しかし自然といふものは我々から遠く離れたところにある。それ故に感覚に依つて認識するといふけれども、それは全部の世界ではない、自然界の極めて一部分であります。而して殘つて居る自然は我々の感覚に入らないで、しかも我々の心に出て来る、そんなものが澤山ある筈であります。宗教はその方の心のはたらきの部分でありまして、科学とは全く違つた方面のことであります。  これを平易に説明するために現在我々の住んで居るこの世界を「感覚の世界」と名づけませう。その故は我々にはものを見なければ我々の国はない、私が聞かなければ私の音はない。私が味はなければ私の味ひはない。私が觸れなければ私の觸れる世界はない。即ち私の感覚がはたらく限りが、或は我々の感覚に入るだけが我々の世界を作つておる。それ故にこれを感覚の世界といふべきであります。  超感覚の世界  けれども世間には私の感覚に入らないものも澤山ある、理屈で考へればどうしても我の感覚に入らぬものが存在すると誰でも考へることでありませう。それは我々の感覚が十分にはたらかないから、世の中のことを一切感覚することが出来ないが、その我々の感覚に入らないその他の世界がある。これは感覚に入らない故に好い言葉ではないのですが、他に適当な言葉がないから、仮に「超感覚の世界」と名づける。この超感覚の世界とは我々の感覚に入らない世界であります。哲学の言葉を使へば本質の世界であります。  本質の世界とはどんなものであるか、それは判らぬ。何故判らぬか、我々が判る判らぬといふのは認識のはたらきを以ていることである。その認識に入らぬ以上我々には判らぬ。我々は認識のはたらきがあつてものを知り、ものを考へる、その根本になる認識に入らぬのをば、我々は考へることも知ることも出来ない。しかしこの感覚を超越したものがなくてはならぬ、そこに所謂不可思議の世界がある。本質の世界とはこの不可思議の世界であります。この世界は遠いものでありますから、これを知るのでもなく、考へるのでもなく、証明するのでもない。しかしかかる世界がなくてはならぬことは、感覚を離れた自然のことが我々に判るからであります。  例へば、今日が過ぎると明日といふ時間が来るが、明日は我々の感覚には入らない。今、明日を見ることも、聞くことも、觸れることも、味はふことも出来ないけれども、我々は明日が必ず来るといふことを心の中に浮べるのは、いまでもなく一昨日の次に昨日があり、昨日の次に今日があつたから、明日来るだらうといふ一とつの推測である。それ以上に我々はこれをどうすることも出来ない。今不可思議の世界というのはかくの如く論理的に推測するのであります。それ故にそんなものが確かにあるか否か、今そんなことを論ずるのではない。又、そんなことを考へることが確かであるか否かを今論ずる要はない。所謂本質の世界だからこれを考へることも知ることも出来ない。昨日の次に今日があつたと同様に、今日の次に明日がなくては困る、生きて行く上に於て、自分を考へた時に、昨日の次に今日があつたと同様に、今日の次に明日がなくては困るのでありますから、我々には明日が必ずあると推測する。かくの如く論理的に考へたらそこに精神的には実在する、即ち明日といふことは一とつの精神的の実在であります。不可思議の世界その意味に於て精神的実在であります。我々が考へることも知ることもどうすることも出来ない世界であるが、しかしながら私共にとつては精神的な実在であります。  本質の世界  かくの如く、感覚のはたらきに依らないで、不可思議の世界を自分の心の中に出すことが出来たならば、そこに宗教といふはたらきが起きて来る、故にこれは科学とは全く別ものであります。宗教といふのは感覚に依らない、認識に依らないものである。而してその論理的の推測が正しいか、正しくないか、そんなことは論じない。我々に判らぬから不可思議の世界である、それを考へるのでは決してない。たとへそれが正しいことであらうとも、正しくないことであらうとも、どちらにしても精神的実在として自分の心の中に出て来なければならぬものでありますから、その世界を認めて、その世界に觸れるところに、我々の宗教といふものが起きて来るのであります。  それ故に科学は智慧のはたらきでありますけれども、宗教は智慧を離れたものであります。科学は努力してだんだん、と知識を増して行けば進歩するものでありますけれども、宗教は智慧のはたらきを使へば使ふだけ離れて来るものであります。考へれば考へるだけ宗教でなくなつてしまふものであります。もつとそれを判り易く私の考へを言へば、智慧を離れなければ宗教といふはたらきになることは難しいのであります。  かかる世界は我々の智慧のはたらきを十分につくしても判らぬから、不可思議と考へなくてはならぬとか、又は智慧のはたらきで考へては不可思議とならないから、それを離れねばならないと、多くの人がいふのでありますが、それはやはり人間の智慧のはたらきに依つているところの不可思議であります。つまり不可思議と考へて居るのであります。自分の考へて居る不可思議であります。そんな不可思議は今私のいる不可思議ではない、今私のいる不可思議とは本質であります。それは人間の考へることも知ることもどうすることも出来ない。カントの哲学に「物自体」とあるのでありますが、物自体といふものは我々の心に出て来るものではない、我々の心のはたらきは空間と時間とを離れてはどうすることも出来ないものでありますから、物自体が空間と時間の形式を以て我々の心に出て来たら、それは物自体ではない、カントの哲学にそのことが明瞭に書いてある、私のいふ不可思議とは即ちこの「物目体」であります。仏教では「真如」といふ、これは最もよい名でありませう。この仏教でいふ真如は我々が考へることも言ふことも出来ない本体であります。親鸞聖人はそのことを「心も及ばず言葉も絶えたり」と説明して居られる。これはいふことも出来ない、知ることも出来ないと私のいふ意味であります。つまり我々の言葉と考へとの一切を超越した、真に不可思議のことであります。さういふ世界が我々の心に触れた時にそれを宗教というのでありますから、それは科学とは全く異つたものであります。  それ故に互に方面の異つた科学と宗教とが衝突する訳は決してない、衝突しやうにも衝突する関係がないのであります。  宗教の形式  実際に科学が進歩すれば、昔説かれた教へが多くの人に判らぬやうになつて来たり、又新しい考へを持つて居る人にそれが馬鹿らしく感じられたり、或は道理に背いて居ると思はれるのは、宗教を人間の言葉や考へで以て説き示すからであります。即ち理屈に囚はれて宗教を説いたならば、それは必ず科学の進歩と衝突するのであります。何しろ今から二千年も前の人の説いたことを、そのままの言葉で、さつしてそのままの考へ方で、二千年の長い間勉強をして知識が非常に進歩した今日、それを説いたのでは昔噺をきくやうな心持がするのが当然であると思ふ。それは宗教を説く人が宗教でないもの、即ち宗教の形式を説くからであります。宗教の形式は人間の知識を以て拵へたものでありますから、人間の智慧が進歩すればその形式は自ら変るのであつて、二千年程前に印度で出来た仏教が、支那、朝鮮を経て日本に来て、日本で一千有余年を経過した間に、印度の仏教と日本の仏教とはその形式はまるで異つてゐる筈です。先年ダンマバラ僧正といふ印度で有名な坊さんが日本に来て、鎌倉その他方々でお寺を見た感想の中に「日本には仏教はない」と。如何にもありますまい。我々が見てるセイロン辺りに居る坊さんがお寺で行をして居るところと、日本のお寺で坊さんが行をして居るのとは、どうしても同じものとは思へない。セイロン辺りではお寺の中に木像が座つて居ると思つて行つてみると、それが目をパチリチリして居る木像ではない、人間です。ところが日本のお寺でそんな風に座つて居るものは必ず木像でありまして、生きた坊さんがそんなことをして居ない。元来日本の仏教は概ね大乗仏教でありまして、印度のやうな所謂阿含の教へに説いてあるやうな仏教はやつて居らぬ、それが又一千有余年の長い月日を経る間にその形式が人間の智慧に相当して非常に変つて居りますから、仏教といふ名は同じでありますけれども実は非常に異つて居るのであります。  近頃西洋から日本へ来た学者でダールケといふ人がありますが、これはドイツのベルリンの郊外にお寺を拵へて盛んに活動して居る人であります。その人や鎌倉の円覚寺に一寸居て、ドイツに帰つて何といふかと思へば、「日本には仏教はない、日本にあるものはあれは仏教ではない」と、多分さういはれるだらうと思つたのであります。それは宗教の形式を論ずるからであります。宗教の形式は智慧のはたらきに相当して如何様にも変へることも出来れば又変へても差支ないし、宗教の本質から見れば末の末のことであります。  科学と兩立  宗教は前述の通ほり、感覚のはたらきに依つて我々がものを認めるといふ風な精神のはたらきではなくて単簡に言へばそんなはたらきをなした時に起つて来るところの一とつの心持であるといつた方が適当であらうと思ふ。それ故に、科学と衝突する訳なく、亦我々の智慧と衝突することもない。智慧があつてもなくても、学問があつてもなくてもそれらとは更に関係はなく、それとは別のはたらきとして心の中に起きて来るものであります。学問のあるなしに少しも関係はない、考へる智慧のあるなしに拘らない、それらとは全く異つた心のはたらきでありますから、同時に兩者が存在してもお互に少しも妨げはしないのであります。  個人差  かやうに考へれば宗教といふはたらきは誰にでも皆ある筈である。誰にでも感覚の世界があつて、同時に感覚を超えた世界がなくてはならぬ。隨つて誰でも宗教といふものが自ら起きて然るべきものである。然るに世の中の実際を見ると必ずしもさうでない。非常に宗教のはたらきの強い人と、宗教のはたらきの弱い人とがあるのはどうした訳かといふ質問が起きて来るだらうと思ふ。  これは極めて容易に説明されることでありまして、それは心のはたらきに就いてみると、人間の一人一人に特有な傾向がある、それは人間の身体に相当した傾向である。そこでものを考へる人もあり、考へない人もある。ものをひどく樂観的に見る人もあり、悲観的に見る人もある、或はものをよく了解する人もあり、了解しない人もある。いろいろな心の傾向があつて、その傾向が人に依つて異るから、感覚の世界より他には何物もないやうに考へて、世の中をすべて見尽したやうに考へて居る人もあれば、又それに反してどうも世の中は判らない、不思議なことが多いと考へて居る人もあるのであります。それ故に、そこに今私が宗教という心のはたらきが人々に依つて異つて出て来ることは当然であります。  しかしこの心は直に宗教ではない。むしろそれは宗教の本になる心のはたらきといふべきで、それから宗教といふのが次いで現れて来るのであります。それ故にこれを宗教心と名づければ可い。その宗教心が人々に依つて異るのであります。そこで世の中には極めて宗教的な人があり、又極めて非宗教的の人があるのであります。  宗教心  如何なる人と雖も上述の感覚世界に我々が住んで居るといふことの道理はよく判る、その感覚が極めて不十分であるといふことが判つたならば、論理的に考へて理屈の上からどうしても感覚が世の中のもの一切を認識することは出来ないといふことが判るのでありますから、その世界の外にどうしても我々の感覚だけでは判らぬ、他に言う一とつの世界が心の奥にあることに気がつけば、それから宗教といふものが出て来るのでありますから、誰にでも宗教を起す下地はあるのであります。如何なる人と雖も宗教の本質となるべきものは心の中に備へて居るのでありますから、その素質を出せばよい。そこでその素質をどういふ風にして現すか、その方法を説くより他には宗教を説く道はないと私は思ふ。即ち銘々の心の中にあるところの宗教心といふものをだんだんと引き出して、それを真実の宗教に育てることが宗教を説く道である。それ以上に宗教といふものは決して説けるものではない。宗教は不可思議の世界である、本質の世界である。我々の考へることも知ることも出来ない世界である。故に人間の言葉ではどうすることも出来ないものであるけれども、さういふ心持が如何にして出来るかといふことは人間の智慧で判ることでありますから、それが如何にして出て来るか、その筋道を尋ねてそれに依つて本質の世界に我々の心を向けて行くことは確かに出来る。宗教を説くにはこの道より他に仕方がないのであります。  学ぶ心  ところが今日普通多くの人の考へて居る宗教といふものは、或一とつの形ち造られたものがあつて、その形ち造られた宗教を自分の心の中に取り込むこと、恰度、学問をするのと同じやうに思つてゐる。而してそれを自分の心の中に取り込みさへすれば、それで宗教といふものが出るやうに考へる人がありますが、それでは徹底した宗教の心持が出ることは容易でないのであります。  例へば仏のお慈悲が有難いといふ、かういふ説教をきけばその仏のお慈悲を知らうといふことを努めなければならぬ。仏のお慈悲が有難い、その仏のお慈悲を先づ知らなければならぬ、それだからして仏のお慈悲といふものは如何なるのであるか、その仏はどういふ風に慈悲といふものを与へるのか、そこを知らなければならいと多くの人はそれを知ることを努めて、それに依つて宗教といふものが得られるやうに考へて居るのでありませうが、それは大きな間違ひであります。そんなことで宗教というのは決して出て来るものではない。宗教はそんなことを知る智慧のはたらきではない。仏は如何なるものであるかといふのは、それは人間の智慧のはたらきで、人間の考へであります。仏のお慈悲が如何なるものであるかといふのは、それは人間の智慧で以て知るので、人間の智慧で以て幾ら考へても、知つても、それは人間の世界である、感覚の世界である、感覚の世界に宗教といふものは決して出て来るものではない。宗教は超感覚の世界に出て来る、不可思議の世界に始めて出て来る。それは誰でもさうであらうと思ふ。  どうも宗教といふのを認めなくてはならぬといふ心持が起きても、その所謂宗教とは、何か一とつの学問のやうなものと考へて、それを知つて而してそれに依つて何か得やうとするのであつたり、或は又、宗教の話をきいたならば、自分のこの胸のムシャクシャして居るものがまるで綺麗に取れてしまつて、胸が実にさつぱりとするやうな心持になるのであらうと考へて居るが、なかなかどうもさういふ風にはならぬ、何かを掴まうと思うのに何も掴まれぬといふことをよく聞きますが、そんなことを宗教で説く訳もなけらねば、又宗教でそんなことを考へる訳ないのであります。  我々の考へに力に及ばぬ不可思議の世界が掴めるものではない。又それを掴んだところでそれは人間が人間の欲望で考へてゐる、その欲望の中の世界である。本質の世界は我々には判らぬ。判らぬものを自分の欲望で以て判らさうとするところに非常な無理があるのでありますから、結局宗教からは益々離れることになる。その苦しみから離れやうとすれば益々苦しみを拵へる訳でありませう。  感情のはたらき  宗教は一とつの心のはたらきである。その心のはたらきとは、極めて単簡な言葉を使へば、現在の自分の心の有様であるといつた方が最も明瞭であらうと思ふ。現在我々の心がどういふ有様であるかといふことを考へた時に、そこに湧いて来るところの心持、即ち感情、その感情を指して我々は宗教と言つて居るのであります。それだからして仏といふことも、仏の慈悲といふことも、又助けられるといふことも、救はれるといふことも、皆その心持を指していふのであります。その心持を言葉に出している時にさうなるのであります。それ故にさういう心持の上からいうところの仏といふものが何ものであらうとも少しも差支ない。さういふ風なものがあつてもなくても少しも差支ない。さういふ風なお慈悲がどうして出て来たかといふことを知らなくても少しも差支ない、知つて居ても少しも差支ない。知つても知らなくても少しも影響はない。どうしてもそんな風に感じなくてはならぬ感情がそこに湧いて来るのであります。我々の感覚の世界を超越した世界がそこに出て来るのでありますから、これは我々の智慧のはたらきとは一切関係がないのであります。  宗教と学術  以上述べたことで、科学と宗教とは全く別の心のはたらきであつて、互に少しも妨げないものであることを言つたのでありますが、その宗教といふものを形の上に出した時には何時でも智慧のはたらきが加はつて居る。即ちその形は智慧に相当して居なければそれを受取ることが出来ない。昔の古い話を聞いたところで、話としては面白いが自分の生活には関係がない、遠い風の話を聞いたところで、興味を感ずることは出来ませうけれども自分の実際の生活の上に影響のない事柄である以上、それは宗教のはたらきをする訳はないのであります。それらのものは一とつの話として、又は一とつの考へとして、若しくは、一とつの伝説として味ふには無論意味のあることでありますけれども、それによつて宗教といふ超感覚の世界に出て来る訳にならない。それ故に宗教の形式といふものは、それによつて宗教の本質を味はふとする人々にとつては、その知識に相当してゐなくてはならぬことは明瞭であります。  今日この世界に生れて、普通の学問からだんだん専門の学問をして、一定のものの考へ方にちやんと頭を養成してある人々の大多数といふものは、一般にその考へが自然科学的の考へ方になつて居るのであります。今日では自然科学を学んだ学ばないに関係なく、多くの人々は自然科学的の考へ方になつて居るのであるから、その住んで居る世界は、自然科学の知識の結果を集めた世界であります。例へばマッチの箱一とつでも自然科学の研究の結果に依つて出来たものである。電話でも電信でも鐵道でもすべてのものが自然科学の研究の結果に依つて出来たものである。その世界の中に我々が住んで居るのであるから、今日の我々の考へ方は、自然科学の学問をしたとしないとに拘らず、皆自然科学的の考へ方をして居るのであります。  さういふ考へ方をして行く人々に宗教の形式を説く場合には、その知識に背かないところの形式でなければ、それを受取ることが容易でない。宗教の本質は宗教の形式には拠らないのでありますけれども、形式に拠らなければ宗教の本質に觸れることは容易でない。実際人間といふものは形式に拠らなければ何ごとをすることは出来ない。カントのいふ空間と時間とにはめなければどうすることも出来ない。人間はもの自体を見ることは出来ないので、それを心に出した時には必ず形式を持つて居るから、形式は智慧に相当して出たければ受取ることが容易でないのであります。  それ故に科学と宗教とはまるで領分の異つたものでありますけれども、しかしながら宗教の形式を説くには現代の科学の知識によらなければならぬ。十年ばかり前にはその宗教の形式を排斥したのでありますが、それでは宗教の本質に入る道がだんだんと遠くなるのであります。科学は全く別の方面を説いて宗教と衝突はしませぬけれども、しかし宗教の形式を説く場合、その形式は科学の説くところと同じやうな考へ方でなければ、それに依つて宗教に入ることは先づ容易でないと思はなければならぬ。  以上を序論と致しまして、これから本論に入つて宗教の本質を述べ、次で仏教について系統的に仏教といふものの精神について述べやうと思ふのです。無論私は仏教の学問をお話しするのでもなければ、仏教の歴史をお話しするのでもない。宗教としての仏教がどういふ精神であるかといふことをお話しする積りであります。  宗教性  これから宗教というのは如何なる本質のものであるかといふ本論に入るのでありますが、その第一歩として宗教性について説明致したいと思ふ。  次の表はドイツのアレキサンデル・バイエルといふ人の書きましたものから抜いたのであります。宗教性というのはかういふ心のはたらきからしてだんだんと宗教の心が現れて来るといふ意味であります。バイエル氏自身はこれを「信心性」といつてゐますが、しかし信心性というよりも宗教性といつた方がよからうと思ふ。 [参照] 宗教性 女性的宗教性 斯土肯定、保守的、感傷的、個人ノ幸福ニ著目ス、感覚世界ニ成長ス。 美的ニ向フ。 被土宗教。 他律的。 神子タルコトヲ意識シテ幸福ヲ享受ス。 感情的宗教。 気分ニ傾ク。 私…………ナラズ。 神ニ從属スル感情、生物学的価値ノ絶対化及ビ、安価ノ理想化。 芸術的。 男性的宗教性 斯土否定、絶対価値ヲ憧憬シ、個人ノ幸幅ヲ期待セズ、精神的実在ヲ知リ、解センコトヲ要求ス。 倫理的ニ向フ。 斯土宗教。 自律的。 自己ノ力ヲ意識ス、自負ス。 意識的宗教。 行為ニ傾ク。 私…………欲ス。 自己ノ意識上ニ神性ヲ得ル。精神生活ヲ理想的価値ノ上ニ置カントス。 道徳的。  上が女性的宗教性で、下が男性的宗教性、これはもちろん男、女といふ意味ではない。男で女性的の人もあり、女で男性的の人もある。これは男女の別ではなく、一方を男性的とし他方を女性的としたまでで、つまりこの二通ほりの宗教性が多くの人々の中にあるといふ意味であります。宗教性といふのはそれから宗教といふものが形を現して出て来るというその心の傾きを指すのであつて、それは誰にであるといふのであります。それがこの二通ほりあるその上の方と下の方とを較べて読んで見ると、上の方は此の世界を肯定する、この現在のこの国に執著する、保守的である、さうして感傷的でひどくセンチメンタルで、個人の幸福といふものに何時でも著目してこれを考へる。さうして感覚の世界に成長している。さうして美的な方向へ向ふといふのは、物事を考へるのに美とか醜とかといふ点を考へる。下の男性的の方はこの土を否定する、現在のこの国に執著しない、さうして絶対価値に憧れて、自己の幸福を余り期待しないで、精神的な実在を知らうとする、例へば明日があるといふことを、さういふことを知らうとする、さうして解脱をしやうとする。かやうな人の考へは申すまでもなく倫理的である。女性的の方は美的に向ふが、男性的の方は倫理的に傾く。それだからして女性的宗教性といふものは未来の宗教であります、彼上の宗教であります。男性的宗教性は現在の宗教、斯土の宗教である。女性的のそれは他律的であり、男性的のは自律的であります。それだから女性的の方は神の子であるということを意識して、さうして幸福を受けるといふことを考へる。これは西洋の人だから神としましたが、日本風に書きますならば、仏の慈悲を意識して、さうして喜びの心を起すといふことになる。男性的の方は自分の力を意識して、自分で一生懸命努力するといふ自負心が強い。それだから女性的宗教性は感情的宗教になり、男性的宗教性は意識的宗教になる。女性的の方は気分に傾く、何でも彼で気分に傾くが、男性的の方は行ひに傾く、仏の教へをきいて非常に有難いと感じて、喜びの心が起き法悦の行いに傾く。それだからして女性的の方のものは私がどういふ風にならなければならぬといふ心持になる。下の男性的の方は自分の欲するという心持になる、又女性的の方は神に従属する感情、つまり仏の家来になる、神の家来にならうとする、男性的の方は自分の意識の上に神の性質を見出す。それで女性的の方では生物学的価値の絶対化及び安価な理想化、生物学的価値といふのは、例へばこの世は苦しいからとの苦しい世界から離れて極樂に行つて樂をしやう、全く現在の生活を絶対化しやう、現在の生活は苦しいからその苦しみの多い世界を離れて絶対の世界へ行かう、この世は苦しいから極樂へ行つて樂をしやうと思ふ、それが生物学的絶対化であります。未来は理想でありますから、安価の理想化、安い理想化を作る。男性的の方は精神生活を理想的価値の上に置かうとする。それだから女性的のものは全く芸術的であり、男性的のものは全く道徳的であります。  かういふ心持は一人の人にでも、亦一とつの宗教にでも両方あるのでありまして、キリスト教は明かにこの両方を混淆し、カトリック教は女性的の系統であり、新教は男性的の系統である。仏教でも矢帳りこの両傾向を備へて居る、又、人の心持も矢張りこのどちらかに分れて居る。それから又同じ人の心の中にも両方混つてあるのであります。  自然的宗教  しかしこのバイエル氏の表に書いてあるものは、宗教の形式を現してゐるが、それは決して真実の宗教ではない、全く自然的宗教であります。それ故に人間は誰でも自分といふものを真正面に見た時、その相が判つたら、例へば自分が弱いものであるといふことが判つたら、強いものに縋る。自分が力が足らぬといふことが判つたら力を増して行かう、かう考へるから如何なる人でも自分の相に目が醒めた場合には、所謂女性的か男性的かのいづれかの形を以てこんな心が出るのであります。しかしそれは自然的宗教であつて、所謂苦しい時の神だのみといふ種類のものであります。  我々が今宗教といつているのはそんな自然的宗教ではなくして、精神的宗教を指すのであります。その精神的宗教と、こんな風に自ら出て来る自然的な心のはたらきとの間には著しい区別がある。それは自分を見つめた時にかういふ心持が起るといひましたが、その認めたところの自分といふものは、自然的宗教にあつては人間の自分であつて、自分の自分ではない。即ち人間全体に通じていふところの考へであつて、個人としての考へではない。そこでかういふ宗教性といふものは、どの人にもあるのでありますけれども、その宗教性を磨いて精練をして、それを導くことをしたければ自然的宗教に終つてしまふ。それ故に法を説くことが必要である。法聴くことがもう一層必要なのであります。  精神的宗教  宗教といふものは心の中から湧いて出るものである以上、放つていても出るから、いい加減にしていてよいではないかといふ考へもありませう。けれどもそれは、自然的宗教であります。自然的宗教といふものは自分の心に判つたやうに出て来るものでありますから、結局自分の心のままに決める故に、宗教の主なる目的として考へられる安心立命といふはたらきがなくなる。どこまで行つても苦しい考へであります。どこまで行つても解脱することは出来るものではない。  それ故に必ず精神的宗教でなくてはいけないのでありますが、その精神的宗教は訓練を要する。何故ならばそれは人間の認識の世界を離れなくては出て来ないからそこを説明する必要があり、聴く必要がある、その道理を判らす必要がある。即ち法を説く必要があるのであります。  釈尊の言はれた言葉に「自分はただ法を説くのである。その法を進めて行くのは銘々自分自分でやらなければならぬ」といふのはこの意味であります。それ故に宗教といふものは自ら持つて居る心のはたらきであるから、宗教性は誰にでも大なり小なり出て来る。所謂苦しい時の神頼みということは如何なる人でもやるのでありますが、しかしそれは精神的宗教ではない。  精神的宗教とは、自分といふものを本当に見た時に、即ち自分の自分を見た時に、人間一般の自分ではなくして、私の自分を見た時に何時でも起きて来る心のはたらきであります。そのはたらきは自分の智慧から出るものでもなければ、自分の考へから出るものでもない。我々の感覚や認識のはたらきを離れた、所謂本質の世界でありますから、我々はそれに絶対に服従し、絶対に信頼するやうな心持が湧いて来るのであります。それは功利的な考へで以てそれを尊敬するのでない、どうしてそれを信頼しなければならぬ、どうしてもそれを仰がなければならぬ、さういふ心持が起きてそこに現れて来るものをいふのであります。それでバイエル氏もこの表を書いた後に「宗教といふものは或一定の神聖事項を承認することで出来るものでは決してない。カントの観念で極樂といふことの観念が十分に出来たからといつて、それで宗教が出来るものではない。又信仰論を幾ら喧しくいつてもその信仰論の体系の上に宗教は出来るものではない。何れかの観念によつて知つたところの神や仏を信じたからといつて、それで宗教が成立するのではない。思想体系によつて成立するものでもない、神とか神の徳とか、或はさういふ風なものを理解して、それに服従をしたとても、それで宗教とはならない。宗教といふのは決して我々の智慧のはたらきに依つて認識するものではない」といふ意味のことを繰返し書いてある。それ故に宗教の形式は宗教の心には問題でないのであります。  真実の宗教  これまで澤山の宗教が世の中に存在して居るが、それらが正しいか正しくないか、その形式上の説が正しいか、正しくないか、そんなことは問題ではない。その説を信ずるか、信じないかといふ、銘々の心が問題なのであります。  それ故に宗教といふものは、自分の心を真正面に見て行くところに値打があるのであります。いかがはしい教といつたやうなものが、多くの人々に信ぜられるといふのは、宗教にはその説くところが正しいか正しくないかといふことは少し問題でない証拠であります。少し智慧のあるものが考へれば、直ぐ判る筈のつまらぬ理屈をいふやうな宗教でも多くの人がそれを信ずるのは、その論説が正しいか正しくないかは問題ではない、それを信ずるか信じないかが問題であります。それ故に自分の心の中に出て来た宗教性だけによつては必ず間違ふ、聞いてみて成程尤もだと思つてやつても必ず間違ふ。そんなことには関係はないのであります。  かくの如きこと一切を超越して自分の心の奥底から湧いて出る感情に動かされてどうしてもそれを信じて行かなければならぬ。一切の考慮を離れ、一切の功利的考へを離れて、それに我々が導いて行かれるその心持が宗教であります。世の邪教といはれるのは、上記の表にある女性的宗教であります。その女性的宗教では精神的宗教にはならぬ。又男性的宗教性としてあげてあるものも、そのままでは高等の宗教、即ち精神的宗教にはならぬ。誰でもこんな宗教性というものは持つて居るのであります。それを訓練してそれに一とつの形式を与へて行くところに我々が精神的宗教と名をつけなければならぬ宗教が出て来るのであります。仏教は明かにその精神的宗教であります。而してそれとしての形式をもつてゐるのでありますから、それによつて説明しなければならないのであります。  第二講 宗教の発達  功利的宗教  前講に於いて、バイエル氏が二、三年前に書いたものの中から、その宗教性又は信心性について二種の別のあることを挙げて説明しました。その一は男性的、他は女性的と名をつけてあるのでありますが、私は寧ろこれは他の名前にした方がよいと思ひます。  その女性市の宗教性といふのは全く感情的なのでありまして芸術的であります。男性的の方は意識的であり、道徳的であります。かういふ宗教性は人々の生れつきの傾向でありますから、自らにして女性的の宗教性を出す人もあれば、自らにして男性的宗教性を出す人もあるといふのであります。而してこの二つの宗教性があつて、その宗教性からして宗教といふものが出て来るといふのであります。もつと単前に言へば、宗教という心のはたらきは自らにして湧いて来る心のはたらきであるといふ意味であります。これは同じ一人の人でこの兩方が出て来ることがある。又同じ一とつの宗教でもこの二様に出て来ることは、前に述べた通ほりであります。  しかしその宗教性といふものが直ちに宗教になるのではありませぬ、これはただ精神の一とつの傾向であつて、その傾向が凡そ二つに分れておるといふだけであります。而してこれは全く自然的宗教と名づけるものでありまして、我々が今精神的宗教と名をつけているのとは違ふのであります。この自然的宗教は全く功利的なものであります。得手勝手なものであります。自分に都合のよいやうに考へて行くものであります。それ故に真実に我々の心を平安の状態に置くものではないのであります。  我々の心が平常平安の状態に居ないのは、そこに功利的な考へが始終あるからでありますから、功利的宗教が幾ら形を変へて現れたところがそれによつて精神が平和の状態になることはない筈であります。それ故この自然的宗教といふものは我々の宗教ではないのであります。我々の宗教はどうしても精神的宗教と名をつけらるるその宗教でなくてはならぬ。  その精神的宗教と、この宗教性から自ら出て来るところの自然的宗教との差異は、どうい風に違ふかと申せば、バイエル氏が極めて単前に言つて居る通りに、自然的宗教で見るところの我は人間の我であつて自分の我ではない。勿論自然的宗教でも自分といふものに気がついて、そこにさういふ宗教のはたらきが起きるには違ひないけれども、しかしながらその場合見るところの我といふものは全く人間の我であります。人間全体に通じての我であつて、自分一人に持つてゐる我ではないのであります。それ故に、それから起きて来る宗教のはたらきは、兩者非常に異つて来るのであります。ここに私が述べるのは、その精神的宗教に就ての話であります。  宗教の説明  前述の通ほり、宗教と科学とは全く異つた性質のものでありまして、互に代用することは出来ないのではありますけれども、しかしながらその宗教という心のはたらきを分解し、分析をして研究し、若しくはそれを味つて行かうとするためには、知識のはたらきを用ひなくてはならないのであります。  又宗教そのものは我々の言葉にも、考へにものらないものでありますから、それを我々の考へにのせ、我々の心の中に出さうとするには形式を以てしなくてはならない。我々はその形式に現れて来る宗教だけを考へ及ぶことが出来るのでありますから、それを説明するには宗教の形式を用ひなくてはならないのです。その宗教の形式は全く我々の智慧に拠るものでありますから、智慧に従つて度々変る筈であります。智慧が進めば進んだ智慧に相当した形式をもつて来なくてはならぬ。それ故に宗教は科学と全く領分の異つたものでありますけれど者、しかし宗教の話をする場合には智慧のはたらきを使はなくてはならぬのです。而もそれがその時代の智慧に相当してをらなくてはいけないのです。それ故にこれから述べるところは、智慧の方面に渉つて宗教を分解して行かうといふのであります。それ故に極めて抽象的な、又は客観的のことになりまして、いはば科学の考へ方によつて宗教を見て行かうといふのであります。これは今日のやうに、科学が非常に進歩をしてそれが我々の生活の殆ど全体を支配するといふ世の中では極めて必要なことであります。朝から晩まで科学の結果によつて現れたところの一切の事物の中に生活をしている我々は何といつても科学の考へ方に支配されてゐる。科学の力に導かれてゐるのでありますから、宗教はもとより智慧のはたらきや科学によつて出て来るものではないけれども、それを味つて行くためにはどうしてもその智慧に相当した見方をしなくてはならぬ。  ところが西洋の学者の中にも、宗教といふものは丸樂のやうなものでこれを噛んで飲むべきものではない、丸呑みにすべきものであると言つてゐる人がありますが、どういふ意味か私どもにははつきりしませぬけれども、例へば宗教の経典に書いてあるものはこれをすべて鵜呑みにしなくてはならぬといふのならばそれは大きな間違であります。丸樂のやうなものだから噛んで呑むべきものでないといふ意味が、智慧を使つていろんな詮索をすべきものでないといふ意味ならば全くその通ほりであります。宗教といふものは智慧のはたらきによつて詮索すべきものでなく、しかもそれによつて結果の得らるべきものでもないのであります。しかしながら宗教の話をする場合や、宗教を伝へる場合、又それによつて自分が宗教を味つて行かうといふ場合には、我々は言葉を使はなければならぬ、言葉を使ふ以上はそれは智慧のはたらきでなくてはならぬ。所謂概念を以て伝へなくてはならないのであります。  教義と言葉  しかし丸呑みにすべきものだといふ意味が、昔の書物に書いてある通ほりをそのままに伝へなければ宗教でないといふ風に考へるならば、それは確かに大きな誤りであります。  釈尊が大分年を取られてから、或婆羅門の弟子が釈尊にむかつて、自分がこれまで仕へて居りました婆羅門の方の教へでは、昔の歌や詩を一般に信仰いたして居りまして、それから後に出来たものは正しいものとしないのでありますが、あなたの方の教へでも、聖典とすべきものがあつてそれを一同が奉じて行くやうになつてをりますかと聞いた。今でもよくあることでありまして、一とつの経典を金科玉條としてそれを丸呑みにして行かうといふのであります。ところが釈尊が言はれるのに、お前の師匠の名が判つてゐるか、それは判つてをります。その師匠がついた師匠の名が判つてゐるか、それも判つてをります。その前の師匠は、その前は、とだんだんに押して聞かれるともう判らぬ。自分の先生の先生位までは判るが、それから先は名前も皆目判らぬ。そこで釈尊がいはれるのに、それでは盲者が手を引つ張り合ふて繋いでゐると同じではないか、確かに手と手は繋がつているが、誰の手と繋つておるか判らぬ。昔の聖典が正しくて、それから後のものが嘘だといつたところで、盲者が手を引つ張り合ふて居るのと同じではないか。自分の教へではそんなことは決していはない。何も教義とすべきものもなければ経典とすべきものもない。自分の心の中を見て正しい道へ進んで行くことをただ説くのみであつて、経典を説くのではないと、上述の意味のことを詳細に言つて居られる。如何にもさうでなくてはならぬ。宗教は学問でもなければ、物事を知ることでもない。ただ自分の心を不安な状態に導いて行くはたらきでありますからさういふ訳のものではないのであります。  昔の心学の本に面白いことが書いてあります。或家の奥さんが晝飯の前に用事があつて外に出られた時に女中に言いつけて、晝飯の仕度に料理をしつつあつた魚を鉢に入れてあるからよく見て居て呉れと頼んで用足しに外に出られた。用がすんで家に帰つてみるとその魚が皿の中にない、どうしたのかと聞くと、猫が来て取りましたと女中が言つておる。成程言葉の上から言へば、この点をよく見て居つて呉れといふのでありますから、猫が来て取るまで確かに見て居つた、それだから言葉に間違はない、又、その言葉を信ずる点にも間違はないけれども、言葉といふものはもつと意味のあるものですから、その点を見て居て呉れといはれれば、猫が取らうとすればそれを防げといふこともその中に確かに含んでいる筈です。常識から考へて見ても確かにさうでなければならぬ。けれどもこの魚をよく見て居つて呉れといはれるから、その魚を猫が来て取るところまで見て居つた。  釈尊がかういはれるからそれを信ずる、昔のお経にかう書いてあるからこれを信ずる、恰度よく見て居つて呉れと同じことであります。例へば昔のお経には燈火といふことが非常に澤山出て来る。燈火を非常に澤山使つてある。その言葉の内容は、今から二千年程前のことですから確かに油の燈であつたに相違ない。今日では燈火の中には電気燈もアセチレン燈台も含んでゐる。といつてお経の燈火は油だけだと考へてはいけない。宗教は学問ではないのでありますから、燈火といふ言葉があれば、それは暗いところを照すために使ふ一切のものを含んでゐると考へねばならないのであります。で宗教は、これを言葉の上に現すに於ては余程注意しなくてはならぬ。説く場合にもさうでありますが聴く場合にも亦さうであります。  学と解  今私がここに述べやうとするのは、今日宗教の世界といひますか、宗教を求めつつある人の集りといいますか、そんな集りに心を寄せている人々の多くの心持が、何かかう自分の心に理解をしてそれを會得して、而してそれによつて宗教といふものを自分の心に出して行かう、或は取込んで行かう、つまり、宗教の学問をしやうといふ心持が尠からず見えるやうでありますから、私はその心持に対して反対しておるのであります。  宗教をそんな風に考へたのでは、宗教の学問は出来ませうけれども、宗教といふ心のはたらきがそこに出て来ることはないと私は思ふのであります。私は宗教の学問をいたしたものでもありませんし、又いたさうとも思はぬ。さういふことは更に私の念頭にない。仏教の書物を読んで仏教の学問をしやうとお思はなければ、宗教の書物を読んで宗教学を理解しやうとも思はない。私が始終考へて居りますことは、仏教といふ一とつの宗教を釈尊の精神を通じて、それを自分の精神に出してみたいと思ふのであります。即ち仏教といふものを学問として研究をするのは、これは他の專門の人々の努力に譲つておいて、私が希望するところは、仏教を宗教としてみたもの、即ち宗教としての仏教といふものを、研究といふと少しいひ過ぎますけれども、それを調べてさうしてそれによつて自分の心に仏教と名をつけて差支ない宗教のはたらきを起すやうにしてみたいと考へてをります。私の述べるところは何時でもその方向にむかつておるのであります。  構神の発達  宗教の心を分析するまへに、先づ如何にして宗教が起きるかということについて述べなくてはならぬ。我々の精神のはたらきはだんだんと発達するものであることは言ふまでもない。昔の人の考へたやうに精神は天から授かつたものでもなく、或は神から授かつたものでもなくして、下等の精神からだんだんと上等の精神に発達をして来たものと考へなければならぬ。それには相当の理由があります、ただ漠然とさう考へなくてはならぬといふのではないのであります。今日の我々の知識の上から考へれば、人間はどうしてももと下等の動物からして発達をして来たものであるといふことは、第一に身体の上から考へてみて疑ひのないことであります。第二に精神の上から考へても疑ひのないことであります。  前生気主義時代  今身体の方は別問題として、精神の力に就てみると、人間の極めて幼稚な原始人類の精神のはたらきは、五感のはたらきを以てただ周囲を認めるだけに止まつてゐる。これは一人の人間の発達に就て考へてみれば、この原始人類の精神状態に相当するものは個人では生れてから二年位までの小児の精神状態でありまして、兩者は先づ同じことでありませう。これを前生気主義の時代と名づけ、そのはたらきは五感のはたらきによつて周囲のものを認識するだけです。赤いものがあれば赤いと認め、寒ければ寒いと感ずる、それだけに止まつて居る。恰度生れて一才乃至二才位までの赤ん坊の精神状態であります。  生気主義時代  その次は生気主義の時代であります。この時代は周囲のものを認識をする、而してその周囲のものが自分と同じやうに精神を持つてゐると感ずるのでありまして、これを一人の人間の精神の発達についていへば、二才から四、五才位までの年齢の精神状態であります。この年齢の頃には周囲のことを認めることは前と同じでありますが、少し精神が進んでをりますから、その周囲にある一切のものが自分と同じやうな生命を持つてゐる。自分と同様に生きてゐると考へることが出来るまで精神が発達してをります。而してその総てのものに存在しておると感ずる命をば、自分と相対して考へた時には、それを力と感ずるのは当然であります。而してその相手の力が非常に強ければ自分はそれに恐れる、又その力が自分に対して好意を持つてゐると感じた時には喜ぶ、さう考へた時にその力を自ら人格化するものであります。子供が明かにさういふ精神状態をしてゐる、自分の持つてゐる人形は全く自分と同じやうに考へて取扱ふ、それに向つて話をする、それを恰度自分と同じやうにさせたり起したりする、或は飯を食はしたりする。そこに力といふものを認めて、その力といふものが非常に強ければそれに対して恐れなければならぬし、それが自分に好意を持つてゐると感じた時にはそれに親しんで行くといふやうな心持が起きる。この時代を生気主義の時代といふのであります。  精神が発達してこの程度になつて来ると、宇宙の一切のものを細かに見てそれが自分に対して利益があると考へた時には必ずそれを拝むのであります。而して自分が苦しい時にその苦しいという心のはたらきを起すのは、何ものか宇宙の中にあるものがそれを起すのだと考へて、それに対して或は断りをいふか、或は頼むか、或はまいなひを使ふか、或は機嫌を取るか、或は詔ふか、何とかして自分の苦しみをのがれやうとします。そこで必ずそれを崇拝することを始めるのであります。この場合の崇拝は、それ故に自分の周囲のものに自分と同じやうに命があるといふ考へでありますから、或は動物を崇拝してみたり、石を崇拝してみたり、或は天体を崇拝してみたり、或は自分の周囲にある一切のものを悉く崇拝するのであります。これを精神発達の第二期といつてよいのであります。  精靈崇拝時代  更に一段と精神が発達して進んで来ると、精靈といふものを認める、この精靈の中で最も多いのは幽霊であります。一切のものに命があると考へた生気主義時代では、例へば「コップ」に命があり、幕に命があると考へますけれども、それがもう少し進むとその命が幕から離れ、コップから離れて中をさ迷ふて来るといふ考へが起きますから、それで精霊といふ考へが起きる。  この精霊は物から離れる。これは一とつには、人間が夜寝た時夢を見るといふ極めて奇妙な現象が経驗せられる。今一とつには人が死ぬると息をしなくなつて、ものをいはなくなつて、身体がだんだん腐れて行く、その現象が奇妙であります。この二つの奇妙なる現象を解釈するためにどうして精靈といふものを考へて、魂といふものが人間の身体にある間は生きておるが、それがどこかに行つてしまつたら人間といふものは死ぬ、死んだらその精霊が別のところに行くと考へなければならぬ。身体と心といふものを二つに考へるやうになつて来ますから、それで精靈といふものを考へ、その精靈を崇拝するやうになるのであります。これが精霊崇拝の時代であります。  それ故に自然を崇拝することも、精靈を崇拝することも、全く自然界を見る見方によるのでありまして、言ひかへれば我々が自然のものを見て行く、その智慧のはたらきに相当するものであります。  内省時代  ところが、だんだんと精神が発達して、智慧のはたらきが進んで来て、而して自然界を詳に見て行くと、自然界そのものに生気主義の時代の人の考へて居つた様に我々と同じ命のある訳はない。又精霊崇拝の時代に考へてゐるやうに魂が宙を飛んで歩くものでもない。即ち今日のやうに進んだ人間の精神状態で以て考へれば、かかる生命も認められないし、又、かかる意味の精靈も認められない。かくてだんだんと自然界の見方が変つて来て、自然といふものに対する智慧が進んで来て、その進んだ智慧を以て考へて見ると、そこに内省をするという一歩進んだはたらきが起きて来るのであります。即ち内省をする時代が初まるのであります。前の時代までは外だけを見てただ自然界の関係だけ見てをります。而してその自然に関する知識がまだ進んでゐないから、その証明が極めて幼稚であります。そこで疫病でも起ると、それを疫病の神がさういふことをするのだと、自然の方を考へて所謂精靈崇拝になつてみたり、或は山が荒れれば山の神が腹をたてたのだと、恰度人間と同じやうな心持をそこに考へて、而して強い力を現したものをと考へ、仏と考へるのであります。そこでそれに人間と同じやうな方法で対抗をして行く、人間と同じやうな方法といふのは腹をたてれば、第一機嫌を取るか、第二に詫びをいれるか、そんなことをして自分の災厄から遁がれやうとするのであります。ところが自然に関する知識がだんだんと進んで来て外に対する見方が変ると、かくの如き生気主義の考へや、精霊崇拝の考へも変つて来るのであります。  その発達した精神状態は明かに内省の時代といつて差支ない、即ち道徳的に自分の心の中を見て行かうといふ智慧がそこに加つて来るのであります。例へば何か禍がある、禍があればそれは必ずしも外だけの原因でない、自分の心にある原因も見なければならぬと、こんな風に考へて来る。人間の精神の発達の、殊に宗教に関係ある方面は大体にかくの如き階段、即ち前生気主義から生気主義、次いで精靈崇拝の時代、その次に内省の時代と、だんだんに経過して発達することは明かであります。私がここに述べる精神的宗教は、内省の時代に始めて起きるものであります。しかしながら宗教はそれ以前から起きてゐる、例へば生気主義の時代でも宗教といふのはある、精霊崇拝の時代でも宗教といふものは確かにある、あるけれどもそれは自然的宗教であつて功利的なものであります。  約説原理  人間の身体でも精神でも一代の中に人類の長い間の歴史を繰返すといふことが、今日の生物学で一とつの法則と考へられてゐます。ヘッケルの如きもこれを法則と認めて居ます。即ち人間は僅か五、六十年の一生涯の中で、これまで何十萬年かの長い間経過した過去のことをこの一生にもう一遍約して短くして繰返すといふのであります。明かにさうでありまして、今日の如く文化の進んだ人間で、生れてから死ぬるまでの七、八十年の間に、長い昔の人類の歴史を繰返している、即ち赤ん坊の時は動物の状態である、それから前生気主義の時代、生気主義の時代、精靈崇拝の時代を繰返して発達してあるのであります。それ故に今日文化の進んだ国でも、内省によりて起きるところの精神的宗教だけが存在するのではない、人間の精神が今は内省の時代まで進んでゐるのであるから、皆が精神的宗教を奉じているかといふに、決してさうでない。文化の頂点はそこまで進んで居つても、その中にこれまでの長い間の歴史を繰返すといふこの法則によつて、その文化国の中にも精靈崇拝時代の宗教が澤山にある。むしろ精神的宗教といはれる宗教の行はれている範囲は極めて少なく、自然的宗教が世の中に募つてゐることは不思議でないのであります。  人間の精神の状態は如何にもさうでなくてはならぬと思ふのであります。今日の時代に自然的宗教などはないと思つてはいけない。東京の町を一度歩いてみれば、又少し書いたものを見れば、そこに自然的宗教が実に盛んに行はれてゐることが直に判るのであります。世界の何物かを捉へてさうしてそれに大いなる力があると考へて、その大いなる力に或は神と名づけ、或は仏と名づけ、或はそれに類似した宗教的な名前をつけて、而してそれに願をかけてみる、或はまいなひをしてみる、或は機嫌を取つてみる、或は脅迫をしてみる。脅迫なども随分やつてゐるのであります、例へば本所の業平橋にある地蔵さんは縄縛り地蔵といつて、これに願をかけた時に縄で縛つておく、さうして自分の願が叶つたら縄を解いてあげる、即ち脅迫するのであります。又、日限地蔵といふのがあります、一週間の中に治して下さいと日限をきる。神や仏を歎すことは昔から例のあることでありまして、歎すか、機嫌をとるか、お願をするか、とにかく人間が自分の都合のよいことを仕遂げやうとする時に考へる一切の方法を用ひて勝手な願を達しやうとする。こんな意味のものを宗教といつて、それが非常に盛であることは全く自然的宗教の跋扈《ばつこ》であります。  精神的宗教  精神的宗教はそれとは余程かけ離れた精神のはたらきでありまして、人間がだんだん進んで来て、功利的であつたものが内省の時代に入ると、道徳を以て反省をする。この時代には自分の得手勝手な希望を達するために宗教を使はふといふことは、内省によつては出来ないことであります。内省によつて考へた場合には、神と名づけ若しくは仏と名づけらるるものは全く道徳の理想化されたものであります。そこで道徳の理想に一とつの人格でもつけたといふやうに所謂神や仏が心に出て来ます。自然的宗教の神や仏は、自分の欲望を絶対化したのといはなくてはならぬ、即ち自分の欲望を貧りの心を以て絶対化して行き詰つたところが神や仏である。この世は苦しいから死んで極樂に行かうといふけれども、死んで行くその極樂は現在の延長にすぎない。我々は仕事をするといふことを苦しみと感ずるから、仕事をしないで金の儲かるやうにしやうといふ、その心持と全く同じであります。それは結局この生活をもつと樂になりたい、死んでも命のあるやうにといふのであります。それだからそんな自然的宗教は全く我々を苦しみの世界から離すことは出来ないのであります。  我々の宗教はこんなものであつてはならない。内省によつて起きて来るところの精神的宗教でなければならない。それは自然に対する自らの考へが本となつて起つた、而かもあくまで自分を中心にして起つた得手勝手なものであつてはならぬ筈であります。内省をして道徳的に考へて、さうしてそこに自分の我といふものを見出して、さうしてこの自分の我といふものを始末をして行くところに、精神的宗教が起きて来るのであります。  かくの如く宗教が如何にして起つたかを考へてみると、それは科学の上から十分に説明し得るものであらうと思います。宗教が科学でないといふことは度々述べた通ほりでありますが、その宗教が如何にして起つたかを考へることは心理学的科学でできるのであります。即ち科学の考へ方によつてこれを考へるのであります。だから宗教と科学とは全く領分の違ふものでありますけれども、しかしその宗教を理解するに就ては、科学の力を用ひなければならぬのであります。これを要するに、宗教が如何にして起きて来るか、それは全く人間の精神の発達に伴ふて起きて来る、而して我々が今宗教として奉じて行かうとするものは明かに精神的宗教である。その精神的宗教といふものは、人間の道徳の力によつて自分自らを内省した時に起きて来る一種の感情でなくてはならないと思ふのであります。  宗教無用論  宗教を心のはたらきとして、心理学的に精神のはたらきの学問から考へて行くことが、宗教というものの本質を人間の考へによつて明かにして行く上に於て最も都合のよいことだと考へます。即ち宗教を心理学的に精神のはたらきとして見て行かうというのであります。これは宗教の本質を哲学的に説くのでもなく、又宗教の学問といふものを組み立てて、若しくは宗派を設けて世界くのでもないのであります。宗教といふものは人間の誰でもの心の中に必ず起きて来る一とつのはたらきでありますが、世の中には宗教無用であると説く人と宗教は昔の人の迷信の遺物であつて、今日ではさういふものは人間の生活の上には何の用をなさぬといふ人があります。ドイツのエーナーに居りました動物学者のヘッケル先生もその一人でありまして、その著「宇宙の謎」と称する書物や「生命の不思議」といふ書物と、特に宗教が無用であるといふことを宣伝するために拵へた小さいパンフレットが二つ三つある。私も個人的に先生は知つてをりますけれども、その宗教に関する知識は極めて粗末なものでありまして、その宗教といふ言葉ば基督教といふことであります。即ち基督教は昔の人の迷信の遺物であつて、今日の人には役に立たぬといふ意味であります。けれども隨分皮肉な悪口が書いてありまして、基督教の神は瓦斯状態の脊椎動物だと書いてある。如何にも基督教の神は瓦斯状態をして居る脊椎動物かも知れない。要するに基督教は迷信に富んでおるから、今の我々世界の人々を導く宗教としてのはたらきをしないといふのなら理解出来る。宗教といふ心のはたらきが形式を帯びて人間に出た時には、その智慧に相当しておる故に、智慧のない昔の時代に現れた宗教の形式と、智慧の進んだ時代に出る宗教の形式とは違ふ筈であります。  仏教に就て考へて見ても昔の人のいふ仏教と、今の人のいふ仏教とは非常な差異があります。昔、印度に起つた仏教と、今日の日本の仏教とを比べてみると全く種類の違つたものであると観察するのが当然であります。  上述の通ほり、印度の僧正やドイツで阿含の仏教を研究して来た人は、今の日本にあるものは仏教ではないといふ、これは誰が見てもさうである、形式がひどく変つてゐるからである。それは人間の智慧に相当して形式を変へておるのであります。それらの人々は昔の形式を持つたものが仏教だと思つておる。仏教といふものはさういふものではない。仏教といふ教へを始めたといはれる釈尊の精神を体驗すれば、どこでも仏教になり得るのであります。その形式は敢て問ふところではない。宗教そのものには形式はない訳であります。  しかしながらそれを人から人へ伝へる場合には、それを形式に現はさなければ、人間としてこれを如何ともすることが出来ないから、形式をつくるが、この形式は如何様にも作ることか出来る。又それが変つたとて何も差支ないのであります。宗教といふものは変らないといふのは、宗教といふものをお寺と思つてゐる。お寺に先祖代々墓もない、法事をしないといふ人々には寺は要らぬのでせう。しかし慣例に依つて葬式をもし、法事をするには寺は要るでせう。けれどもこの寺が要る要らぬといふことは、宗教が要る要らぬといふこととは全く別問題である。坊さんの嫌ひな人は宗教は要らぬといふけれども、坊さんが宗教ではない。あれは宗教の儀式を掌つてゐる人でありますから、それも要る人には要り、要らない人には要らないのである。  日本で宗教が要らぬといへば、仏教が要らぬといふことでありませうが、仏教が要らぬといふことはお寺が要らぬとか、坊さんが要らぬといふのなら解りますが、宗教といふものが要らぬといふのは判らぬ。何故かといふと宗教といふはたらきは、その人々の精神の傾向に基いて必ず起きて来る心のはたらきでありますから、要るとか要らないとかそんな性質のものではない。要らなくとも出て来る、要りても出て来ない。出るべき時には必ず出る、その出るべき時は如何なる時か、内省をした時に必ず出るのであります。それ故内省をしなくともよい人は宗教が要らぬといふのであります。  道徳  内省の最初は道徳であります。この道徳という内省がだんと進んで来て、道徳では如何とすることの出来ないといふ心のはたらきのその先に出て来るのが宗教であります。それ故に宗教が要らぬといふ人は、道徳が要らぬといふ人でありませう。道徳が要らぬといふ人は、今日の人間社會にはゐない筈であります。如何となれば我々の心のはたらきは、未だ道徳といふ名のつけられない前に、人間は善悪の価値判断をちやんとして、それによつて自分の心を片づけて行く力を生れつき持つて居ります。それからして道徳といふ名を人間が拵へてゐるのであります。それだから道徳といふはたらきは、苟《いやしく》も人間といふ意識のある以上必ず起きて来なくてはならぬはたらきであります。  而してそれからもつと進んで、自分は自分であるといふ自己意識が出て来て道徳は進んで行くのであります。若しこの道徳といふ価値判断で自分を修めて行かなかつたならば、人間は自滅するものでありますから、自分を保つて行く上に必ずかういふ心が起きるのでありませう。それ故に道徳といふものは人間が自分を保つて行く上に於て、必ず起きるところの自己保存のはたらきであります。道徳のはたらき進むに從つていろいろ形が変ります。 @ 上述のやうに生物学的に道徳が起つて来るその心のはたらきから、今日では甚だ進んで、心の外に一とつの規範を設けて、それを心の外に置いてその規範の通ほりに心を向けて行かうといふことを道徳と名づけてあるのであります。所謂他律的の道徳であります。けれど道徳といふものは、元来上述の通ほりに生物学的のものでありますから必ず自律的のものであります。心の中から起きて来るのであります。ただだんだんとそれが末になつて来て、今学校で教へる道徳のやうに全く規範になつて来たのであります。人に対してまことでなければならぬ親に対しては孝行でなければならぬと、すべて規範の通ほりに心を向けて行くことが道徳となつたのであります。(富士川游著述選 第二卷)  道徳の力  ところがかくの如き規範に目が醒めて、人に対してまことであらねばならぬが、自分が果してまことであるかと考へてみる。親に対しては孝でなければならぬが、自分は果して孝であるかないか、だんだんとこれらの規範について一とつづつ考へて行くと、道徳の規範はいうまでもなく理想でありますから、それを実際に行ふことは決して容易でない。一とつとして道徳の規範をすることの出来ないことを痛切に感じた場合、即ち内省がそこまで徹底した場合に、道徳が何の役にも立たぬことを知る。それは道徳が無益であるといふのではない、却つて道徳は非常に値打のあるものと考へる故に、その道徳が自分に何等役に立つものではないと考へざるを得ない。何故かといふと道徳に説く理想は、それを将来に置いてそれを規範としてやつて行く上に、前途に向つては役に立つものであります。けれども既往に対しては少くも役に立たない。善いことをしなくてはならぬといふ規範は将来に向つては役に立つけれども、悪るいことを口にした時自分にはさういふ規範は何の役にも立たぬ。悪るいことをしてはならぬといふ規範は、これから後悪るいことをしないと、将来に関しては極めて有効なものでありますけれども、昨日も悪るいことをし、一昨日も悪るいととをし、去年も悪るいことをし、一昨年も悪るいことをした自分にとつては、これらの過去に対してこの規範は何の助けにもならない。そこで道徳で以ては如何することもできない。そこに起つて来るものが宗教といふ心持であります。  宗教の力  それ故に道徳といふものは我々の罪を責めますけれども、宗教といふものは罪を赦すものであります。道徳といふものは善悪の価値判断をして善いものを取り、悪るいものを捨てるのでありますけれども、宗教は一切を抱擁するものであります。悪るいものを捨てるのではない。悪るいものも善いものも一切を抱擁して行くはたらきであります。それだから我々が自分というのを内省して、自分の悪るいことを知つた場合、若しくは悪るかつたといふことを悔悟した場合、道徳はそれを始末する上に何の役に立つものではない。即ち道徳の力は将来に対つては極めて有効でありますけれども、過去に向つては役に立つものではない。けれども我々の苦しみといふものは、未来。確かに苦しみでありますけれども、過去が著しい苦しみの種であります。それ故に道徳といふものが我々の心によく判つて、さうして道徳の値打といふものが判つて、而かも我々がそれを実行することの出来ないという内省が進んで来たならば、道徳の次にもう一とつ道徳でないはたらきが起きなければそれを始末することが出来ない。そこに起きて来るのが即ち宗教であります。それ故に世間で宗教が要らないといふ言葉は私には判らないのであります。  昔或るわからずやがあつた。正三禅師のところに行つて話をする序に、私は道徳の教へを堅固に守つてをりますから地獄などに障ちる心配はない、それ故に自分には宗教は要らない。神様に無体なことをすれば罰が当るといふが、私は或所の神社の拝殿へ小便をしましたが、まだ罰が当りませぬ、さういふことを散々に言ふた。正三禅師がそれを聞いて「人の家に上つて小便をするものは犬か猫かより他にない筈である。お前さんは人間と生れてしかも既に犬や猫と同様になつてゐるではないか、それでもまだ罰が当らぬと思つておるのか」と言はれた。道徳からだんだんと進んで宗教を内省的に考へれば、正三禅師の如く考へなくてはならぬが、その人は全く他のことを考へてをつたのであります。人間が畜生になるといふこと程大きな罰はない筈である。それを罰とも何とも考へてゐないのであります。  内省の不徹底  幕末の有名な林大学頭が京都から江戸に帰られる途中、江州で香樹院といふ大谷派の講師に會つた。香樹院講師は有名な学者であり、有名な信仰家で当時生き仏と言はれてをつた人でありました。その香樹院講師に會ふて、自分は信者の家に生れて仁義道徳の教へを守つてあるから、仏教で説かれるやうな地獄に堕ちる心配はない。しかし世の中のものは悉く道徳を知つているものではないから、それだから愚夫愚婦のためには地獄、極樂といふやうな方便で教へを説いて勘善欲悪をすることもよいであらう。自分は仏教には賛成はするが、といふやうな話でありました。その当時は多くの儒者に仏教に賛成をしなかつた。その当時京都の儒者にもひどく仏教の悪口を言つてゐたのがある。けれども林大学頭は自分は仏教に賛成する、しかし自分には仏教は要らぬ、儒学をやつて仁義道徳の教へを守つてゐるから地獄に堕ちる心配はないと言つた。すると香樹院講師は「さういふ人が地獄に堕ちるのだ」と、極めて適切な言ひ方であります。さういふ人が地獄に堕ちる、仁義道徳の教へを守つてゐるから、それだから地獄に堕ちる心配はないといふやうな道徳の反省をしない人にこそ宗教は要るのであります。道徳の反省が極めて弱い、仁義道徳の教へを守つてゐるからといつても、どの位の程度で守つてゐるのか、自分に省みぬこと夥《おびただ》しいと言はなくてはならぬ。嘘を言つてはならぬといふ道徳はよく知り乍ら、我々は朝から晩まで嘘を言つてゐる。これを心口各異といふ。内省を深くして考へたなら我々は心口各異の罪に驚かなければならぬ。自分に思つてゐることと、口でいふこととが異つてゐる、その道徳的の罪に驚かざるを得ないのであります。人間といふものは腹の中のものをすつかり外に出せるものではない、又出したら直きに大騒ぎである、それ故に出さない方がよいのであります。こんなに考へたならば自分を保つて行く上に道徳といふのがなければ自分を保つて行かれないのでありますから、第一に道徳に心を向けて行かなければならぬが、その道徳に心を向けて進んで深く考へると、その道徳が少しも守られないのにおどろくのであります。その時に道徳に代つて出て来るものが宗教であります。それ故に教は要つても要らなくとも出るのであります。どんな場合に出るかといへば、上述の通ほり、内省の極致に達した時に出るのであります。それ故に人間が道徳に心を向けてだんだんと進んでをれば、必ず宗教といふ心のはたらきに到達するのであります。  ところがその自らにして出て来たものを自然のままに放置して置けば、人間の傾向に從つて自らの宗教が出て来る。これは自然的宗教であります。例へば、この前の大震災の時に、あれだけの大事件にあふと、誰でも内省をする。その内省に程度の差がある。或は一般の人は人間の力が如何にも微弱であつたことが確かに判つたでありませう。人間が大丈夫と思つてゐたことが少し大丈夫でなかつたことも判つたでありませう。人間の当てにしたことも当てにならぬといふことも判つたでありませう。人間の智慧の極めて薄弱であつたことも判つたでありませう。あれ位の大事件が一時間以前に判つてをつてよささうなものでありますけれども、それも判らなかつたといふことをも知つたでありませう。学問といふものも精密でなかつたといふことを知つたでありませう。科学は常に進歩してをりますけれども、しかしこれも人間の心のはたらきに止まつてゐるといふことを知るのであります。斯様に誰でも大なり小なり内省をする。その内省は先づ道徳的であります。道徳的に内省をしてあの大震災を天の罰だといつた人がある。天の罰といふのは人間が悪るいことをするから、それを天が制したのである。それにしても東京附近の人だけが悪るいことをしたといふのは可笑しな話であります。東京には日本全国の人が集つてゐるから、代表的にやつたといへばいへるが、後で又但馬の城ノ崎に大地震があるから変です。しかもつと可笑しなことは、天罰といふことは自分等を始めとして一切の人間が悪るいことをしたからでありませうが、その天罰だといつた人が少しも害を蒙らないで無事に生きているといふ、これ位不思議なことはない。  即ち道徳的に内省をしたのではあるが、しかしその内省が極めてぼんやりしている。それは畢竟災難を免れた後の諦めの言葉に過ぎない。もつと道徳的に考へれば、あれは一大教訓であつたと考へねばならぬ。実際に教へて貰つたのです。金があれば何でも出来ると思つてゐたのが、一万円あつても米が一合も買へなかつたから金さへあれば何でも出来ないことはないと考へるのは間違であつたことを判つたでありませう。しかし我々のやうな、教訓には極めて頑固な、一寸教へて貰つても直き忘れるものにはあの教訓では駄目であります。もつとひどい教訓をこれから毎年々々やつて貰はねば本当の教訓にはならないのであります。しかしもう度々はお断りをするといふ、こんな心持では、教訓といつたところが何の意味をもなしてゐない。内省は少しもしてゐないと言はなければならぬのであります。  似而非宗教  以上のやうなことといふところを見ると、その宗教的意識が極めて幼稚である。あきらかに上述の精霊崇拝時代より一歩も進んでゐないやうであります。その人々の中には相当の専門の知識を持ち学問をした人もあつた、教育家で有名な人もあつた、社會上の地位の高い人もあつた、けれどもその宗教の意識は全然無いといつてよい。宗教といふものはそんなものではないのであります。自然的宗教は誰にでも起きるのであります。平素宗教は要らぬといつた人が天罰であるとか、どうしてる人間の力で出来ぬとかこんなことを言つてゐる。甚だしいのは自然科学を研究しておる人が、宇宙には法則がある、その法則の支配を免れぬのだから、法則に従つて行かなければならぬと考へる。これは全く自然科学の知識によつて、我々が推定をして拵へたところの法則を一とつの実在のやうに考へて、而してその実在を自分の心の上に絶対化して、それを宗教にしやうといふのでありますけれども、さういふ風にして作り上げた宗教が本当の宗教になるといふことは絶対にない。どんなに考へてもそれは宗教になる訳はない。結局教訓であつた、或は天罰であつた、といふのと同じことであります。  宗教といふのは人間の智慧を以て作るやうなはたらきではない。無論学問ではない。真実な精神的宗教を、ただ自ら出て来るところの、私にいはせれば宗教に近いはたらきであるところの内省をして、さうしてそこに作り上げた自然的宗教と混同してはいけない。  精神的宗教はそれ故に自然に出て来るところの宗教性から出発するのでありますけれども、それは我々の心に判るものでもなければ、言葉に現すことも出来ない。それが形式を持つて来た時に始めて判る。その形式は我々の心のはたらきによつて組み立てる。それ故に基督教は精神的宗教であります。仏教も同じく精神的宗教であります。  仏教は釈尊といふ偉大なる人物が組織したところの一とつの宗教の形式であります。釈尊がどういふ風な順序を以てこの精神的宗教を組み立てたか、私はその心のはたらきについて述べるつもりであります。  法句経  釈尊の言葉が「法句経」に集めてあるのをよく読んでみると、それだけ読んでもその精神状態がはつきり判るのであります。この「法句経」といふお経は非常に古く出来たお経の一とつでありまして、極く簡単な釈尊の言葉を抜いて偈にして、それを分類してある。例へば仏に就て、心に就て、瞋りに就て等と、釈尊の言葉が極めて短い短句に集めてあります。所謂釈尊の金言集であります。さうして支那語に翻訳されたものが我国では昔から行はれてをりましたが、その外にラテン語の翻訳もある、フランス語の翻訳もある、英国文の翻訳もある、ドイツ文の翻訳も二種あります。どの国の言葉でも読めるやうになつてをりまして広く行はれておるおりであります。我国では近頃まではただ漢訳の「法句経」だけでありましたが、近頃英語と対照した常盤さんの翻訳された英文と日本文と支那文と対照した「法句経」が出てゐる。又、パーリ文の原典から翻訳された小さい「法句経」があります。而してこれは最も古く出来たものでありますから信頼すべきものであります。かういふ経を本として、さうして釈尊がどういふ風な心のはたらきによつて、仏教といふ一とつの精神的宗教といふものを組立てられたかについてこれから述べうと思ふのであります。  第三講 甚深の法  心を本とす  「法句経」と題するお経は紀元二百二十四年、今から約千七百年前に支那の言葉に翻訳されたものでありますが、もとこの経が出来たのは釈尊滅後三百年、大徳といふ人がお経の中にある釈尊の言葉を集めて分類したものであります。私がこの経を拠りどころとして、釈尊の教を分析してみやうといふ理由は、第一にこのお経が古いお経の中でも最も古いものに属して居るからであります。釈尊滅後百年の後に出来たものであり、且つそれが漢文に翻訳されたのが紀元二百二十四年であります。これには人生の実際の相を見るやうなことが書いてある、さうして分類がしてありますから、先づこれを拠りどころとして釈尊の精神をお話致さうと考へるのであります。その初めに  「心為法本、心尊心使、中心念悪、即言即行、罪苦自追、車轢於轍。」  とあります。心を法の本とす。心尊く心に使はれ、中心に悪を念じて即ち言ひ即ち行へば、罪苦の自ら追ふこと車の轍を踏むが如し。その次に恰度これと同じ句がありまして、それは「心を法の本とす。心尊く心に使はれ、中心に善を念じて即ち言ひ即ち行へば、福樂の自から追ふこと影の形に副ふが如し」とあります。これは即ち前句と対の句でありまして、善いことをすれば幸が来る。悪るいことをすれば苦しみが来る。それは車の轍を踏むが如く、影の形に副ふが如し、かういふ意味の言葉であります。  因縁和合  今ひとつは、「法句経」と同じ書物でありますけれども、それに譬話をつけて、「法句譬喩経」といふものがあります。元来同じものでありますけれども、内容が少し違ひます。その「法句譬喩経」の中にかういふ話が書いてあります。或時釈尊が耆闍堀山の山を出て精舎に帰られる途中、古い紙の反古が落ちて居りました。それをお弟子に拾はせて、何の紙であるかと問はれたところ、そのお弟子が言うのに、これはよい香がしますから、よい香のするものを包んだ紙であります。又少し進まれた時に縄が落ちて居りました。それをお弟子に拾はせて、これは何の縄だと聞かれたところ、これは魚の臭ひがしますから魚を縛つたのでございませうと答へました。そこで釈尊曰く「それ人は本清けれども皆因に依つて罪と幸とを得る。善いものに近づけば善い道を得る、悪るいのを友とすれば罪がそこに出て来る。恰度芳ばしい香のするのを包めば紙に芳ばしい香が移り、魚を縛ればそこに魚の臭いが移ると同じやうに、もとは清いけれど因縁に依つて罪と幸とを招くものである」と話をされました。それは恰度前の言葉と同じ意味のことでありませう。  又或時、釈尊が王舎城の近傍に居られた時、お弟子の阿混婆悉多といふものが王城を托鉢して歩いて居つた。それを優波帝須といふ、その当時王舎城で有名な修行者の?闍耶といふ人の弟子であつた人が、阿混婆悉多が托鉢して歩いて居るのを見て、その態度の麗しいのにひどく感じて、阿混婆悉多に向つて、あなたは見受けるところ近頃出家をされたやうに思はれるが実に態度が麗しい、何といふ師匠に就て道を学ばれたかと尋ねたところ、阿混婆悉多がいふには、私の師匠は釈尊で、近頃出家した人である。そこで優波帝須が、その師匠はどういふことを説かれるかと聞くと、阿混婆悉多がいふには、私はまだ新しく入門したので、師匠がどういふことを言はれるか、師匠の説の全体をお話することは出来ない。ただ私が聞いたところを約めて申せば、法は因に由つて生じ、因に由つて滅ぶということを説かれた。ここに法と申すのは、一切萬物を申すのであります。一切の萬物は因に由つて生じ因に由つて滅ぶのである。かういふことを説かれると言つたところ、優波帝須はひどく感じて実に貴い教だ、自分がこれまで学んだところの道では一切のものはそれを造るのがあると教へられた。この時代の印度の考へでは、所謂自在天でありますが、それが一切のものを造り、さうしてそれを支配するといふ考へでありましたから、それを学んで居つたのであります。ところがさうでなくて、一切の萬物は原因がありて出来る。又原因がありて滅びる、即ち因縁が和合して物がそこに出来て来るといふことを聞いたのでありますからひどく驚いた。ひどく感心して、成程それは正しい道と思つたのであります。それで優波帝須はその阿混婆悉多を通じて釈尊のお弟子になつたのであります。これが後の舎利弗で、釈尊のお弟子の中で智慧第一といはれた人であります。  前の言葉やこの話を綜合して考へて見ますと、釈尊の宗教では、世の中を見ること即ち宇宙観、人生を見ること即ち人生観が初めに出来上つて居つたやうであります。これは宗教を説く上に、即ち人から人に宗教のはたらきを説明する上に必要なのでありまして、実際の宗教に於てはさほど必要のものではないのであります。釈尊が宇宙をどう見て居られたか、人生をどんなに見て居られたか、さういふことは隨分面白い問題であり、又それに就てはいろいろ材料もありますから、それを研究することも面白いことでありませう。しかし宗教としてはそれは大した問題ではない。むしろ闘係のない問題だと言つても差支ない。但し宗教を学間として説き、又宗教といふものを人から人に伝へて、聞く人に宗教といふ一種の感情を起させやうとするには、それらのことからだんだんと入つて来なければ宗教といふ一種の感情を起すことは容易でないのであります。私が科学と宗教との関係を説いてゆかうというのは、畢竟科学は知識の表現であります、宗教は感情の特別なものでありますから、そこにどんな関係があるかといふことを説明しやうといふのが趣意であります。そこで今、釈尊の宇宙観に関して、又人生観に関して一体どういふ風な考へを持つて居られたかといふことを概略お話を致すのであります。  十二因縁  この諸法因縁に由つて生ず、一切萬物が因縁に由つて出来る。即ち原因結果の関係に由つて萬物が生ずるといふ教へを釈尊が説かれたのは、歴史の伝ふるところに依ると、優留毘羅の森の中、尼蓮禅河の辺り菩提樹の下で覚りを開かれてから七日目の夜であります。その夜、縁起、即ちものの起つて来る由来に就て頼りに教へられた。その結果が後の人の言ふ十二因縁であります。これは後の人がつけた名前でありますから、釈尊が十二に限られたわけでもありますまい。ずつと後に「天台四教儀」の中に講釈してあるのを抜いて仮名交りに書けば、十二因縁とは次のとほりであります。  十二因縁 一、無明 過去世煩悩の惑、本性を覆ひ、明了するところなし。故に無明といふ。 二、行 過去世身口一切の善不善を造作す。是を名づけて行となす。 三、識 過去の或業相索くによりて此識を母胎に投托せしむるを致す。一利那の間、染愛胎をなし、納想胎を成す。是を名づけて識となす。 四、名色 名即是心、但名ありて形質なし、色は即ち色質、即是身なり。 五、六入 六根(眼耳鼻舌身意)開張して六塵(色声香味触法)を入るの用あり、是を六入と名づく。 六、觸 六根に觸ると雖も、六塵に対して苦樂を生ずる想を了知すること能はず、是を名づけて觸となす。七、受 六塵觸により六根に対し、即ち能く前境好悪等のことを納受し、能く了別すと雖も、未だ淫食の心を起すこと能はず、是を名づけて受となす。 八、 愛 種々勝妙責具及び淫欲等の境を貪り、猶ほ広福追求する能はず、是を名づけて愛となす。 九、取 食欲転、五塵境に盛にして四方に馳せ求む、是を名づけて取となす。 十、有 諸境に馳せ求むるによりて善悪の業を起し、積集当生を牽引す。 十一、生 現生善悪の業よりして、後世を六道四生の中に還り生を受く、是を名づけて生となす。 十二、老死 来世受生より以後、五陰(五蘊)の身熟し還た壊ぶる。是を老死と名づく。  これを先づ文字どほりに説明を致しますれば、昔から仏教で十二因縁と名づけられてあるものは、  第一は無明であります。無明といふものが根元であります。この「天台四教儀」の講釈に依りますと、これまでの過ぎ去つた世の中で煩悩の惑といふものがあつて、それが本性を覆ひて本性がはつきり出て来ない。即ち無明といふ。故に無明とは、いろんな説明があるけれども、要するに智慧のないことであります。釈尊の言葉に「比丘よ、人生の苦しみに就て無智なること、苦しみの熾烈なる原因に就て無智なること、苦しみからの解脱に就て無智なること、苦しみを征服する方法に就て無智なること、比丘よ、これ等を無智といふのだ」と。これ等の言葉があるのを見ると、無明といふものはいふのは我々が全く自分の相を知らない。世の中の相を知らない。智慧が十分でない。さういふことを申すのでありませう。又、上記の説明もさうでありまして、これまで過ぎ去つた世からして、煩悩といふものがあつて、その煩悩の惑のために本性が隠れてしまつて智慧が出て来ない。それを無明といふのであります。  第二の行といふのは、これまで過ぎ去つた世の過去世の身体と口と、即ち行ひと言葉、言行が一切の善不善等を造作する。これを名づけて行とするのであります。即ち我々がこれまで長いこと言つたり行つたりしたことに、善い事もあるし悪るい事もありますが、それを行と名づけるのであります。  第三に識といふのは、難しい説明がしてありますが、これは無明即ち智慧の足りないことのために我々は外の方にものが存在すると考へる。その存在から行が出て来る。これを意識する即ち自分で知ること、これを識といふのであります。無明のために行といふものを拵へて、行のために我々が心の外にひとつの存在といふ相を自分で作る。即ちそれを意識するのであります。  第四に名色といふのは、名は即是心、但し名ありて形質なし、色は即ち色質、即ちこれ身なりと。これは身体と心のことを指すのであります。意識作用が起つて来るとその意識をそこに出させるはたらきがある。それが心と身体であります。  第五に六入とは六根から六鹿が身体に入りて来る。そのはたらきをするものでありますから六入といひます。六根とは、眼と耳と鼻と舌と身体と意、それから入つて来るのが色と声と香と味と觸れることと法とである。法といふのは一切萬物であります。六根とは今の心理学の言葉で言へば感覚でありますが、この感覚から知覚が出来るといふ意味であります。  第六には觸、六根に觸るると雖も、六座に対して苦樂を生ずる想を了知すること能はず、是を名づけて觸となす。これはその心の中と心の外とを結びつけることを申すのであります。即ち主観と客観との接觸すること、即ち自分の心の中と外と觸れ合うことを觸といふのであります。  第七の受は、六塵觸により六根に対し即ち能く前境好悪等のことを納受し、能く了別すと雖も、未だ淫貪の心を起すこと能はず、これを名づけて受となすとありますが、受とは、感覚から心の中に感情を起すことをいうのであります。  第八の愛とは、種々勝妙資具及び姪欲等の境を貪り、なほ広福追求する能はず、是を名づけて愛となすと。これは愛著であります。自分の心の中に出て来た時に愛著の念が起ることを申すのであります。  第九は取であります。食欲転五塵境に盛にして四方に馳せ求む、是を名づけて取となす。これは愛著するはたらきをいふのであります。  第十の有は、諸境に馳せ求むるによりて善悪の業を起し、積集当生を牽引す。即ち前の愛や取に依つて起きて来る変化を申すので、先づ物が出来るといふ意味であります。即ち生成であります。  第十一の生は現世善悪の業より後世六道四生の中に還り生を受く、即ち生れるといふこと、次の生を拵へるということであります。  第十二の老死とは、来生受生より以後五陰の身熱し、還た壊ぶる、即ち出来るものが又壊ぶれる。壊ぶれたものが又出来る。これを老死と名づけたのであります。  苦  文字の解釈は今問題とせず、私はかの釈尊が覚りを開かれてから七日目の夜、この縁起に就て頻りに考へられ十二因縁といふものを考へ出されたのは「総てのものは皆自ら出来るものはなく、因と縁とが集つて出来る」即ち心を法の本とするという「法句経」の一番初めにあるあの言葉を詳しく説明せんとしたのであります。  心を法の本とし、心尊く心に使はれ、中心に悪を念ずれば総ての苦しみが出来る。若し中心に善を念ずれば幸ひが出来る。即ち世の中の相一切は皆自分の心から造るものだといふ唯心論であります。釈尊当時の人々は、世間のものは造物主が造つた、そしてそれを支配するものを同じく造物主である。故に造物主の意志に従つて生活してゆかなければならぬ、といふ考へであつたのを、釈尊は全く反対に考へられたのであります。  当時までの説明は哲学的に講釈するのが常でありましたから、非常に面白い説もあるのであります。しかし哲学的に解釈したら面白いだけで、宗教にはよほど縁の遠いものでありませう。宗教としてそれを考へる時には、これは全く自分の心の状態であります。所謂心理学的にこれを見れば、全く自分の心が変遷する有様を説いてあるのであります。自分の心の変遷の有様を見る時、我々は心を法の本とし、心で一切を造つて居る。そしてその心に使はれて居る。だから世の相が気に入らぬなら、自分の心の相を直さなければならぬのであります。  我々の心が苦しみを持つて居るといふことは、畢竟この十二番目の老死であります。所謂生死であります。即ち十一と十二の生老病死それが苦しみである。その苦しみはどうして出きるか、それは自分の無明から出きる。物事が判らぬためにものの道理が判らず、世の中の相が判らない。自分の相が判らず一切が判らないために、自分の言うことや行ひなどで行を作る。行を自分で作つてそれを意識する。その意識するには、この身体と心がなくてはならぬから、その身体と心のはたらきはちやんとある。その身体のはたらきは感覚から起きる。感覚から感情が起きる。感情から我々の一切の煩悩といふものが起きる。これが自分の心の相を説いてあるものだと考へた時は、哲学の問題ではない。成る程さうだと感心して見るだけの問題ではない。全く自分の心の相であると判つた時に、釈尊の言はれるやうに中心に善を生じて即ち言ひ即ち行はば極樂の自ら追ふこと影の形に添ふが如きものであります。若し中心に悪を念じて即ちいひ即ち行はば、罪苦の自ら追ふこと事の轍を踏むが如しと考へなくてはならぬでありませう。  道徳教に非ず  心が善い方へ向けば結果も必ず善い。心が悪るい方へ向けば結果も必ず悪るい。これを言葉どほりに考へたらひとつの道徳の教に過ぎないのであります。故にかういふ古い書物にある釈尊の言葉に依つて宗教を求めんとする人々は、これをひとつの道徳の言葉に過ぎないものと見て居つたか、若しくは道徳の行ひといふものが釈尊の説かれた道であると思つたのであります。  前述の合利仏と非常に仲のよい友達に日?連といふ人がありました。若い時に田舎に居つた人でありますが、二人とも村の祭に行き、山の上から見て居つたところ、どうも大勢の人が無暗に騒いで居る。その騒いで居るのを見て、ああいふやうに大勢の人が騒いで居るが必ず滅びるのである。今この町が賑かだが、町といふもの無くなるに決つて居る。人間といふものを死ぬるに決つて居る。しかしさういふことを考へずに、ただ空騒ぎに騒いだところで如何にも出来ないと二人が相談し、そこを逃げ道を求めることとなつたのであります。そしてだんだん行くうち、阿混婆悉多に會ひ、釈尊の教を聞き弟子になつたのであります。日?連もその時既に有名でありました。有名な舍利仏と有名な日?連とが弟子を二百五十人連れて釈尊のお弟子になつたのでありますから、釈尊は大分よいところの地位を二人に与へられました。すると他の弟子が大変不平であつた、自分等は大分前から釈等について居るのに、後から来た二人が上の方に坐るといふことは頗る心平かでない。ところで釈尊がその時いはれるのに  「あの二人は後から来たのだけれども、前の業に依つて所謂因縁に依つてどうしても上の方に行かなければならぬ。お前等が席次を争ふのはよろしくない。諸悪莫作、諸々の悪るいことを作すこと莫れ、衆善奉行、いろいろ善いことを奉行せよ、自らその心を浄うせよ、これ諸々の仏の教なり」  と説明されたのであります。これは有名な言葉であります。これをただ言葉だけ見れば仏教とは悪るいことをやめ心を浄くする教で全く道徳であります。どこの道徳の教でさういふ事が説いてあります。西洋の学者で、仏教は哲学と実践道徳とを混合したものだと説明する者が多い。殊にダールケは「道徳に於ける仏教」なる書物を作つて、さういふ風に主張して居るが、私はそれに反対であります。  釈尊が、心を法の本として心尊く心に使はれる、さう言はれるのはどう考へて見ても、一切の法といふものは皆自分の心が造るものだ、それは心のはたらきが恰度かういふ風になつて居るから、その因縁和合の結果、そこに何物も自分の心で造るのである。それをよく知らなければ自分の心を修めることが出来ない。自らその心を浄うせよと言はれるのは、この因縁といふものをよく知つて、さうして自分といふものの相を明かにしなくてはならぬといふ意味でありませう。だから単純な道徳で説かれるところのものとはどうしても意味が違はなくてはならぬ筈であります。  小乗と大乗  これまでよくかういふ古い時代のお経を小乗の教だといはれて居ります。つまりかういう古い書物に依つて、ひとつの宗教やひとつの宗派を拵へて、それが小乗だと言つて居る。お経では阿含であります。専門の方の言はれることを聞くと、阿含のお経などは釈尊が直きに言はれたことか若しくは釈尊に直接從つて居つた弟子の言ふことを書いてある。だからそれが先づ釈尊の一番近い教ださうであります。所謂近頃原始仏教といふ名がついて居るものであります。そして原始仏教では道徳といふものを喧しく言ふ、所謂戒律といふものを喧しく言ふ。かういふのが普通の考へであり又普通の説であつて、仏教の専門学者の説くところも明かにさうであります。  しかし私共はさういふ学問は無論知らないし、又知らうともしないし、どうでもよいと考へて居ります。小乗とは小さい乗物といふのでありませう。自分から小さい乗物といふ筈はないから、後の人が悪口を言つてさう言つたのであります。これは大乗即ち大きい乗物といふ考へがあるからそれに対して小乗といふのであります。原始仏教といふのも、古い仏教といふのでありませうが、昔の時代の仏教というのなら解りますけれども、原始といふことは幼稚といふことでありませうから、幼稚といふことは私共にはちよつと判らぬ、さういふ言葉を使はずとも釈尊の言はれることは、心を法の本とすと明かに言つておられるのでありますから、小さい乗物であらうが大きい乗物であらうが、さういふことは問題ではない。さういふことはこの言葉を聞いた人の心持がさうなるのであります。そこで前述のとほり、宗教をよく理解しなくてはならぬと申すのであります。  宗教と宗学  宗教と書きましても、これは所謂学問で伝へてゆくところの教ではない。学問であれば先生がそれを組立てて生徒に教へ、だんだんと教へてゆくべきものでありますが、宗教はさういふ意味の教ではないのであります。だから釈尊が、心を法の本となす、さう言はれてその字義を講籍してからいふ意味だ、ああいふ意味だと言つてその字義を伝へて講釈することは、決して宗教にはならぬのであります。宗教と申すものは前述のとほり、我々が知識のはたらきに依つて考へたり、判断をしたり想像したりするやうな、一切のはたらきを除いた時、自ら湧いて来るところの一種特別な感情でありますから、かういふ釈尊の文句を見て、そこに起つて来る宗教といふものは人々の主観のものであります。説明することは出来ぬ筈であります。  かういふ言葉でどういふ風な心持が起きて来るか、心といふものは法の本だから、中心に善いことを念じたならば結果必ず善い。中心に悪るいことを念じたならば結果的必ず悪るい。結果といふものは善いことを念ずれば善いし、悪るいことを念ずれば必ず悪るい、といふ風な講釈をして、成る程さうだと考へしめたなら、それは学問であります。全く知識のはたらきであります。それはそれに違ひない。自分の心で世界を造つて居るのだから、その心を改めなくてはいかぬ、かういふことは容易にさせることが出来る。さういふ講釈が判りさへすればそれで得心がゆきさへすれば、事はすつかりすんでしまうのであります。宗教とはさういふものではないから、それで心を法の本となすといふやうな言葉を聞いても、それに依つて自分の一切の考へから離れて来るやうな心持まで運ばれなければ、宗教といふ心持は起きて来る気遣いはない。だから宗教の学問は容易に出来ますけれども、宗教といふ心のはたらきが湧いて来ることは容易でないことを我々は考へなくてはなりませぬ。さうしてどういふ風にすれば湧いて来るなどといふことは教へることの出来ぬものでありますから、つまり学問ではないから、どうすればそれが湧いて来るか、それはまあ判らぬといつた方がよいのであります。  否定  判らぬといつただけでは仕方がないから、巳むを得ず宗教を説くのには否定をしなくてはならぬ。これは言葉で説明が出来ないから巳むを得ぬ。その巳むを得ぬといふことに対しては、一切を否定すればよいのであります。心尊く心に使はれるといふやうなことでも全く否定することが出来れば、そこに直ぐ宗教といふものが起きるのであります。  私の申すことが、少し言葉が足りませぬから、お判り難いことと思ひます。私は宗教といふものを説明して居るのではありませぬ。宗教といふ心のはたらきを如何にして起すべきものであるかといふ、その筋道に就ての裏道を始終お話して居るのでありますから、それ故に直きに宗教といふ心のはたらきを起される方もありませう。又いくら聞いてもいくら聞いても判らないと言はれる方もありませう。けれどもこれは巳むを得ぬことであります。かういふものが宗教だといふことを説明することが出来ぬのであり、不可思議のものでありますから、巳むを得ず廻り道をして、結局我々の知識といふものを否定するのであります。仏教の言葉で「有にあらず無にあらず」といふことをよく言ふのであります。さういふことは皆否定するのであります。非有罪無、非想非非想、有にあらず無にあらず、有るといふのではない、無いといふのでもない。空である、この空といふのは全て空つぽなことをいふのではありません。諸法空と知らなければいかぬと説くのが法相宗であります。  一切空と考へなくてはいかぬ。つまり否定をするのであります。想に非ず、想に非ざるに非ず。さういふところに宗教が出て来るといふのであります。つまり我々の思考でなく、思考でないといふのでなく、結局我々の思想を否定するのであります。我々がかういふ思想を持つて居るといふに非ず、その非ずといふに非ず、訳の判らぬことであります。結局我々の考へといふものを否定するのでありますから、浄土真宗で説くやうに、一切のはからひをやめろといふのであります。「雑行雜修自力のところをふりすてて」、一切のはからひといへば更に平易でありますから、そこに得心がゆけば直きに宗教といふはたらきが起きて来る筈であります。  祇園精舎  釈尊が舎衛城に居られた時、そこに給孤独といふ長者が居りました。金が澤山あり、その金を撒き散らして貧乏人に食物や著物などをやつて、所謂慈善を施したので、ひどく尊敬されて居りました。この給孤独が釈尊に帰依し「どうぞ含衛国に来て下されば、衣服や飲食を差出しますから」と願つた。すると釈尊が言はれるのに「お前は真諦を見て」釈尊のいはれる真諦とは、四諦、即ち世の中は苦しみの相であり、それは自分の無明が作るものであるから、その苦しみを遁れやうとするには、涅槃の境に行かねばならぬ。それは八つの正しい道を履むことであるといふことです。「その真諦を見て施すことを好む、金は常の寶ではないから速かに人に施してしまへ」体人に物を施すものの中には、五欲を求めむがために施すもの、或は小才を捨てて大きな才を求めやうとして施すもの、或は名聞のために即ち名譽のために施すもの、或は天に生れる、生天の樂しみを得やうとして施すものあり、或は貧苦を免れむとするために施すものもある。如何にもそのとほりで、人に物を施すことはまことに善いことである。しかしその心の奧を探して見ると、それに依つて自分の欲望を滿足せしめやうとする人もあれば、人を助けて置けば必ず自分もよからうといふやうな小才を捨てて、大才を求めやうとする人もあり、大慈善家といふ名が得たいために慈善する人もある。或は功徳を施して置けば必ず極樂に生れることが出来るといふやうな考へで施すものもある。「然るにお前が施すところのものは、無想、即ち何の目的なしに施して居る。これは人に施すことの中で一番よい施しである」と、ひどく褒められた。給孤独は大変喜び、舍衛国に帰つてから釈尊のためにお寺を建てた、それが有名な祇園精舎であります。  舎衛国王  そこで釈尊が大勢の門人を連れ舎衛国に来て、祇園精舎で説教せられた。当時の舎衛国の王樣は勝軍大王であります。その王様が祇園精舎に釈尊を訪ね「聞くところに依ると、あなたは自分の心の相を知つて覚りを開かれたさうであるが、如何にして覚りを開かれましたか」と聞かれた。釈尊は「心の相といふものには去来あることなく、知るべからず、説くべからず、まことに甚深の法である。自分はこの心を知つて悟りを開くことを得た」と答へられました。この言葉はまことに簡単でありますが、宗教といふものの本当の意味を説くのには、言葉としてはこれくらゐが極端でありませう。しかし勝軍大王はただその言葉だけ聞いて居りますから「心の相といふものは誰でも知つて居る。外道もそれを知つて居る。」外道とは釈尊の教でない教を奉じて居るもの、所謂婆羅門の教を奉じて居るのであります。「然るに外道のものが覚りを開かぬのに、まだ年が若いあなたが覚りを開かれたのはどうしてか」と聞いた。釈尊は又答へて「龍といふものは小さいが侮るべからざるものである。火といふものも幾ら小さくても侮るべきものでない。年が若いからといつて心の相が判らぬといふことはない。心の相が判れば覚りを開かれないといふことはない」と言はれた。  勝軍大王はその言葉の本当の意味が判つたか判らないか、とにかくそれには感心をし、直ちに釈尊の御父である浄飯王に「あなたの子供はひどく偉くなりました。今私の国に来て多くのものの済度をして居ります」といふ手紙をやられたのであります。  浄飯王  浄飯王はそこで大臣の優陀夷に、自分の息子に會ひたいから呼んで来いと言はれた。優陀夷の勧めで釈尊は自分の国に帰られ、父浄飯王に會ひ、自分の親に向つて説教されたのであります。その説教は「人の世の一切のものは皆自業の果報である。業果の身に更に業を作つて、更に新しい生を受ける。つまり十二因縁のことを言はれるのであります。「それ故に人々は業の因果を知りて、努めて身口意の業を浄め、晝夜修習して乱心をやむべきである。三界の有は海濤の如くにして、樂しと雖も近づき難いものである。」この三界の総てのものは海の濤のやうなもので、樂しいからといつても近づき難いものである。人々は常に身口意の三業を浄くして更に次の果をなす業を修めねばならぬ。我が肉体も又我が親戚のものも固より深く我を愛慕するけれども、命ひとたび終るときには、心神のみ独り行きて肉身は随はず、又親戚も従はず、ただ業のみが良友として從ひ、それによりて我々は、五道を輪廻するのである」と、十二因縁の意味を説かれたのでありす。更に「人の王様としての五欲の樂しみといふものはまことに危険で恐怖の多いこと、毒蛇と同居して居るやうなものである。それ故智慧あるものは、世間が盛なる火に囲まれて姑くも安きことなきが如くなるを知りて、速かにその苦悩を離れむことを求めるのである」と説かれた。淨飯王はその説教を聴き非常に喜び、息子に対しひどく禮物をされたのであります。  この説教も言ひ方が違い言葉が違つて居ても、同じく十二因縁であります。一切の世の中のものの本は自分の心であります。だから自分の心で世の中の一切のものを造つて居る。その自分の心といふものが無明である。故に智慧が足らないから、物事をそのまま本の相で見ることが出来ない。ために行といふものが出来、識といふものが出来、いろいろな心の迷ひといふものがそこに起つて来る。その相というものをよく見て進んで行かなけばならぬ。それには身口意の三業即ち身体の行ひ、口の言葉、心で思ふこと、総てが正しくなくてはならない。かう説いて居られるのであります。ひつくるめて言へば「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教」であります。  甚深の法  釈尊の教をその言葉のとほりに理解が出来たからといつて事が落著するわけでないことは言ふまでもありませぬ。悪るいことを止めて善いことをしなくてはならぬといふ理屈が判つても、善いことをしないで悪るいことをだんだんとやつた時には、釈尊の言はれたことは全く違ひます。自らその心を淨うするのが仏の教だといはれるけれども、心を漂うすることの出来ない場合にはどうなる。つまり釈尊のいはれることが確かであるならば、自分の心といふものが確かでないのであります。自分の心が確かであるならば、釈尊の言はれることが確かでない。どつちかでなければなりませぬ。しかし我々として釈尊の言はれることが正しくなくて自分の心の方が正しいと考へることは出来ますまい。さうすれば自分といふものが愚かで、釈尊の言はれることが行ひの上に出せないものだといふ考へになつてくるでありませう。さうすれば結局、仏教は我々に味ふことが出来ない筈であります。悪るいことを止めて善いことをしろ、さうして自分の心を浄くするのが仏の教だ、かう言はれた。そのことがちやんと判つても、さて心を善くすることが出来ない。悪るいことを止めやう、それが出来ない。さうすれば自分のすることは仏の教でないといふことは明かであります。それが出来たつもりで、出来ないものを出来たつもりで、悪るいことを止めたつもりで、善いことをしたつもりで、それがただつもりで実際さうでなかつた時には、釈尊が言はれたこととは全く反対の道に出て居るのであります。  それ故に宗教といふものは、釈尊の言葉に依つて我々がどういふ風に動かされて、どういふ風な感情を起して来るか、といふところに意味があるのであります。言葉そのままを知ることは宗教の上からは意味あるものではないのであります。「心の相は去来あることなく、知るべからず、説くべからず、まことに甚深の法である」かういはれる、全くそのとほりであります。  言葉では、我々の宗教といふ意識を、意識というよりも感情を、出すのに妨げになることを除く方法をただ説くことが出来る。即ち前に申した一切の知識を否定する、所謂はからひを止めること、我々の考へといふものを、取つてしまふこと、総てさういふ風な我々人間の得手勝手な考へを取去るための法を説くのであります。それだから宗教といふものはどうして智慧で教へられないものであります。かういふことを考へて、かういふことを実行したのが仏になると、言葉では言ふことが出来ますけれども、それが直ちに宗教にはならぬのであります。それだから決して教ではない。それを教にしやうと考へるから、道を求める人が第一にどういわけのものかその理屈を知らうとするのであります。さうしてその理屈を呑込まう。呑み込んだ理屈を考へて自分が進んで行かうとする。これは全く知識のはたらきであります。宗教はさういふ心持では決して起きるものでないことを繰返して申さなければなりませぬ。  宗教の話などを聞いて、よく判つたとか、或は判らないとか、或は難しくて判らないとか、あれはどうもへんてこだと人がよく言はれるのを聞きますけれども、それは自分の智慧相当なことがあればそれが判り、自分の考へと違へば、違ふといふ智慧のはたらきであります。間違ふ間違はぬと、さういふことは智慧のはたらきであります。だからいくらさういふことを詮索したところが何にもなりませぬ。宗教学としてはそれでよいのでありますが、宗教そのものは決してさういふものではなく、そこに起きて来る一種の感情でありますから、知るべからず、説くべからず、甚深の法だと言はなくてはなりませぬ。その甚深の法を得るために、甚深の法を得る妨げになるはたらきをやめてしまはうといふのであります。  邪見驕慢  仏教の説教をお聴きになると、驕慢といふことがいかぬと説く、邪見といふことがいかぬと説く、邪見と驕慢と申すのは人間の知識のはたらきを申すのであります。少し知つたことをよけい知つたやうに言ふのが驕慢、自分の知らないことを知つたやうに言うのが邪見で、それが妨げになるのは、それが智慧のはたらきだからであります。  それだから禅宗の講釈では悪るい智慧を捨てろといふ。浄土真宗では一切のはからひをやめよといふ。何といふ言葉を使ふにしても、人間の智慧のはたらきを否定しなくてはいかぬといふのであります。  釈尊の説教には、さういふ風な意味が言葉の上に出て居ない、ただ自分の心で世の中を造つて居るから、自分の心を浄くしなくてはと説いてあります。けれどその教といふものを、ただ教として考へた時にはそれでよいのでありますけれども、宗教として考へた時には、そこに言葉よりずつと深い意味がなくてはならぬのであります。それで釈尊の言葉が「法句経」の愚暗といふ分類のところに、  「愚者自称愚。当知善点慧」  愚かなものが自ら愚かなといふのは、善い知慧がある。愚かであると自分を知つたならば、愚かなりと雖も尚ほ樂しみがあるといふのであります。  「愚人自称智。是謂愚中甚」  愚かな人が自ら巳れが偉いといふのは甚しき馬鹿である。かう説かれたところを見ると、釈尊のお考へがその言葉の表面に出た単なる道徳の考へ以上にずつと進んで居るといふことは明かであります。言葉は今のやうな形式を用ひて居られるにしても、それを自分が自分の心の相を見る材料として自分の心の相を見た場合には、釈尊の言葉は実に深い意味のあるものと言はなくてはなりませぬ。  真宗の中興者蓮如上人の書かれたものの中に「心得たと思ふは心得ぬなり」ということがあります。それだから宗教の方から言つた時には、判つたと思うのは判つて居ないのであります。何故かといへば智慧のはたらきで判つたといふのは、自分の都合のよいことをいふのに相違ないからであります。  仏教を求めやうとする時、判つたと思つたら判つたのではない。それは仏教学者になつたのであります。仏教学者と宗教とは、さう関係のあるものではないのであります。宗教はさういふ意味からいへば判らぬといふのが本当でありませう。判らないものに動かされて、そこに特別な感情の起きて来るところに宗教といふはたらきがあるのであります。それ故に宗教は極めて力が強いものでありまして、人が何と言はうとも動かされるものでない。自分の知識を離れて、考へを離れてそこに生れて来る強い感情の力でありますから、我々の行いを支配するのは極めて強いものであります。  内省  自分の智慧で判つたら信じやう、これはよい教だからと、自分の智慧でやつて来るなら、それは必ずその智慧以下のものであります。自分の智慧で判らなければ、こいつは駄目だと排斥すれば、それも自分の智慧以下のものであります。宗教はさういふ性質のものではありませぬ。だからたとへこれが文章でなくつても差支ない。どう書いてあつても差支ない。ところが学問にしやうといふ癖があるから文章に動かされる。人の書いたものに動されるのであります。さういふ例に、親鸞聖人の宗教の感情に出て来たことをひとつお話して見ませう。  「不得外現賢善精進之相内懷虚仮」  これは善導大師の書かれたものの中にあります。「外に賢善精進の相を現し内に虚を懐くことを得ず」でありませう。かう書いてある文章は誰でもかう読みます。人間は外に立派な相を行はざるを得ぬ。さうして嘘偽りの心を持つて居つてはいかぬ内も外も立派でなければいかぬといふ文章であります。これは立派な道徳の教であります。これに越すことはない、人間はさうでなければいけませぬ。けれどもかういふだけでは自分の相を見て居ないから、親鸞聖人は深く自分の相を見て、この文章を「外に賢善精進の相を現すことを得ず、内に位を懐けばなり」と読んで居られる。現す意味が全く違ふ。自分の心の相を見れば嘘偽りに満ちて居るではないか、嘘偽りに満ちて居る自分の心の相を持つて居りながら、外に立派なことをするのは嘘ではないか、さういふところまで自分の心の相を内省することが出来たら、それは道徳ではありませぬ、宗教であります。  これは読み変へたと人が言ひますけれども、読み変へたのではない。宗教として内省をした時にはさう読めるのであります。さういふ乱暴な読方はないと言つても言はなくてもそれは問題ではない。学問をして居るのではない。訓点の学問をして居るのではない。かういふ考へに依つてそこに喜びの感情を起すところに宗教といふはたらきがあるのであります。宗教に対するいろんな誤解がこんなところにあると思ふのであります。  第四講 汝自らの燈を以て汝自らの道を照らせ  三法印  「法華玄義」の中に  「釈論云諸小乗経、若有無常無我涅槃三印、印定其説、即是仏説若無此三法印印之、即是魔説、如世公文得印可信、故名三法印。」  といふ句があります。この意味は、原始仏教の書物には、無常と、無我と、涅槃との三つの印が捺してあれば即ち仏説だ、若しさうでなかつたならそれは外道の説である、所謂魔道である。といふ意味で法印といふのであります。  その第一は、  一、無常印 「謂世間生死及一切法、皆是無常、衆生不了、於無常法中、執為常想、是故仏説無常、破其執常之倒、是名無常印。」  この意味は、生れたり死んだりすることが苦悩の初めであるから、世の中の生死は全く苦悩である、一切の法といふのは法則といふ意味もあり、規範といふ意味もあり、亦一切萬物といふ意味もあり、いろいろ意味がありますが、ここでいふ法は一切萬物の意味であります。だから世間の生死及び一切のものは、皆是無常というのであります。衆生がその意味を了解せずして、無常の法の中に執著して、常想即ち常にあるものといふ考へを起す。それだから、仏がその無常といふことを説いて、常に執著するその考へが逆しまの考へであるととを説破された。 これが無常印であります。  第二は、  二、無我印 「謂世間生死及一切法、皆是因縁和合而有虚仮不実本無有我、衆生不了於一切法、強立主宰、執之為以我、是故仏説無我、破其著我之倒、是名無我印。」  世の中の一切のものは因縁が和合して現象を現して居るのであつて、全く虚仮のものであり、実在して居ないものであり、我といふひとつのものは存在しない。衆生がその意味を了解せずして、一切萬物に強ひてそれを掌つて居るといふうなものを拵へ、それを我として執著して居る。それ故に仏が無我を説いて、我に執著して居るといふことは全く顛倒した考へであることを説かれた。それが無我印であります。  第三は  三、涅槃印 「梵語涅槃、華言滅度、謂一切衆生不知生死、是苦而更起惑造業流転三界、是故仏説涅槃之法、令其出離生死之苦、而得寂滅之樂、是名涅槃印。」 涅槃とは印度の言葉「ニルヴァナー」の翻訳であります。支那に翻訳すれば滅度といふ、滅というのは苦しみを滅する、度といふのはわたるで、苦しみの海をわたる、それだから苦しみを滅し、煩悩の海をゆたつてよいところに行く、それを涅槃といふのであります。総ての人々が生死が苦しみであるということを知らないで生死に迷ひ、身と口と心との三業を造つて三界を流転する。三界は人間が迷つて行く筋道を欲界、色界、無色界に分けたもので、欲界とは普通の心の世界、色界は形のある世界、無色界は形のない世界であります。それ故に仏は涅槃の法を説き生死の苦から脱れて真の樂を得るやうにされた、これが涅槃印であります。釈尊がかういふ風に仏教では無常、無我、涅槃が根本の考へであると極めて説かれないにしても、後のいろいろの人が、釈尊の教ではこの三つが主な部分を占めて居ると解釈したのでありますから、これを法印即ち仏教の根本の考へであると申しても差支ないことと思ひます。  涅槃  ところで無常と申すのは「我々人間の通常の認識のはたらきに入つて来る世の中の一切のものは皆現象であつて、実在して居るものではない」といふ考へでありませう。つまり自分等が見て居るものは一切のもの皆刹那刹那の変化の相であつて、持続した実在がそこにあるのではないといふのであります。一切のものは、因縁が和合して、即ちそのものを成立たせるいろいろの要素が互に集つたり離れたりして居るのであります。その現象を我我は見て居るので、これが一切事物の相であり、ただそれが我々の感覚に入つて居るに過ぎない。何も定つたものがそこに実在して居るのではないといふ考へであります。かういふ考へは西洋の哲学でも、例へばギリシャのブラトーンの説も「我々の見て居る世界は感覚の世界である、即ち現象の世界であるから、真の存在といふものは見ることが出来ない、この感覚の世界を超越したところに真の存在があり、それをイデアと名づける」といふ風にいつて居る。又近くはカントもこの真の実在を「物自体」と呼んで居ります。  この無常といひ無我といふ考へは今日の学問と衝突して居ない。殊に哲学などの考へと牴触はして居ない筈であります。自然科学も今日の我々が見て居るところの一切のものは力の変化に過ぎない、その力が或は電気になつたり、或は光線になつたり、いろいろに形を変へ品を変へて現れて来ると考へて居ります。又、化学の考へ方も、分子の集合離散、或はもつと小さく考へ原子或はエレクトロンであるといひます。何にしても、その本が集り若しくは離れる変化の現象を我々はただ見て居るのだと考へるところに、今日の自然科学とこの無常及び無我と、いふ古い釈尊時代の考へと一致したものがあると思ひます。  哲学者もさういふ風に考へ、自然科学者もさういふ風に考へる。プラトーンにしてもカントにしても「イデア」或は「物自体」は我々の認識の形式には入らぬ故、それを論ずることは出来ないことになつて居ります。然しこの考へは感覚の世界で見えぬところに真実の存在があるというけれども、その存在には觸れることが出来ないと説いてこれで終つて居ります。  然るに釈尊は更に一歩進んで涅槃を説いて居られます。この考へは哲学にも自然科学にもありませぬ。そこに宗教としての仏教と、ただ学問として記載せられてある仏教との間に差があるわけであります。常や無我を説く場合は、仏教と雖もただひとつの科学若しくは哲学のやうに見られても差支なく、又それと同じ考へでありますが、宗教として仏教を見た場合には、その先にもうひとつ涅槃といふものがあるのであります。涅槃といふものは哲学の考へでもなければ自然科学の考へでもないのであります。即ち宗教の考へでありまして、仏教はそれを以て宗教の形を備へて居るわけでありませう。  釈尊と他の宗教家  涅槃は別として、無常、無我の二つの法印が哲学や科学とどうして補突しなかつたが、それは釈尊が偉いからだといつて差支ありますまいが、偉かつたか偉くなかつたかといふことは別問題として、釈尊を他の宗教家と比較して見るとよく判ると思ひます。他の宗教家の考へは自分の心持に出た宗教的な体驗を説いてありますから、それをひとつの教義として取り立てて見ると科学と矛盾する場合がある。それは自分が味つた、即ち体驗をした宗教そのままをただ記録をして、それを教義の形に造り、人から人に伝へやうとする場合には、それがひとつの知識の内容となつて現れて来るのであります。仏教以外の宗教の教義として伝へられて居るのが、多くは今日の科学の考へと矛盾して居るのはさういふわけであらうと思ひます。  例へば基督教の如きも宗教でありませうけれども、今日我々が知つて居る宗教は確かにボーロ以後の基督教でありますから、その教義と名づけて居るものには、我々今日の知識を以てしてはとても考へ及ばないやうなことが記載されて居ります。それをどうにか我々の知識に相当するやうに改めない以上、それに依つて宗教意識を明瞭にすることは容易なことではありませぬ。我々は総てのものは無常であると考へては居りますが、片一方ではそれをちやんと決つたもののやうに説かれて居ります。我々は諸法無我と考へて居るのに、それは神が造つたと考へる。さういふやうな科学の知識に背いたことを理解するのは容易でない。それにはまだいろいろ込み入つた議論もありますから、それを批判することは短少の時間に出来ることではありませぬ。  大体に於て釈尊が仏教を起された心持は、初めは教義に依らうといふ考へもあり、又哲学のやうな冥想的な考へで物事を考へて行かうともされたのでありますが、結局さういふことは皆駄目であるとして、自分の周囲を注目する、所謂冥想を始め、その瞑想の結果世の中を見、世の中の自分を見、そうして諸法無我、諸行無常といふ真理を覚られたのであります。要するに、周囲の自然界を真正面に見られた結果、この考へが起きたのであります。  仏教の形式  釈尊以後二千有余年になつて居りますから、人間の智慧は非常に進んで居ります。釈尊の自然科学と今日の自然科学とは、無論同日に話の出来るやうなものではありませぬ。けれども釈尊時代の火も今日の火も、釈尊時代の水も今日の水も相異はないのであります。だから二千有余年前の釈尊は無論電気の学問も或は音響の学問も光線の学問も一切知つて居られなかつた筈でありますが、周囲の現象を細かに見て、それが無常であり無我であると考へられたなら、自然科学であればもつと進んでおるべき筈でありませう。しかし宗教としてはもうそれで基礎は十分であります。今日でもそれを本として明瞭な宗教意識を起すといふことは十分であります。だからその釈尊の教はこれから後どこまでも科学の知識と衝突はしないことと思ひます。  無論科学と宗教とは全く別のものでありますから、科学の進歩と宗教意識の進歩と伴はなくても、即ち科学と宗教が矛盾をしてみても差支ないことでありませう。宗教で説くところと科学で説くところと一致したくても、それも差支のないことでありませう。しかし宗教という心のはたらきは、元来感情に属するので、智力のはたらきにするものではありませぬけれども、その感情を人に伝へる場合には、ただ言葉を通じて感情の外側だけを人から人に話す以上に途はないのであります。  その言葉といふものは申すまでもなく、概念を作つて、その作られた概念を人から人に伝へるのでありますから、結局は知識のはたらきであります。それ故に宗教をこれを人から人に伝へやうとするのには知識のはたらきを要するのであります。即ち宗教の形式といふものを備へその形式を伝へなければ宗教を伝へることは出来ないのであります。それで宗教も何時でも言葉に現されて形式を備へ、その形式を備へたものが宗教といはれて居るのであります。  無論私はこの形式をお話するのではありませぬが、この形式が現在の知識に相当しない限り、それは容易に宗教として我々の意識には上らぬのであります。他の宗教のことは私どもは深く知らないことでありますから、それを論ずることも要らなければ、又論ずることは間違つて居ります。仏教に前述のとほり、その根本の考へが今日の自然科学の考へて居るやうな考へから出たのでありますから、仏教の形式は何時まで経つてもそれは我々の知識と矛盾することはありますまい。  その点に於て仏教は確かに世界的の宗教であり、何時までその精神は殘つて居るべきものだと考へます。しかしその形式が釈尊の説かれたやうな意味から離れて、智慧の足らない人々が智慧の足らないまま何等か形式を拵へると、その形式の仏教は或は今日の知識から排斥されるかも知れませぬ。  私は我が国に行はれて居る仏教の形式に就ては少しも論じませぬが、ただこれだけをお話して置きます。即ち仏教は釈尊の精神に基いてその形式が作られた筈でありますけれども、その形式を作るのは知識のはたらきでありますから、その形式を作る人々の智慧が足らないために、形式がその当時の知識に背いて居るといふことはあり勝ちであります。だから時代に応じてその形式を直すか若しくは時代に順応するやうにそれを作り更へるかのどちらかが必要であります。さうしてそれは事実やつて居るのであります。だから仏教が行はれてから二千有余年の長い歴史を辿ると、印度で行はれた仏教と、南方のビルマあたりで行はれて居る仏教と、支那で行はれて居る仏教と、日本で行はれて居る仏教と全くその形式が違つて居ることも明かであります。  日本には聖徳太子以来、大乗仏教といはるるものが入つて来、その大乗仏教にもいろいろ種類がありますが、ずつと後に出来た大乗仏教が行はれて居るのでありますから、阿含のお経に書いてあるやうな戒律を喧しく保つ、所謂精進潔斎するやうなのは初めからなかつた。鑑真といふ人が支那から来て、奈良に唐招提寺を造つて律の教を弘めましたけれども、これも「阿含経」に書いてあるやうな、戒律を喧しくいふ教ではなかつたやうであります。それも直ぐ潰れたのであります。比較的戒律を喧しくいつた宗教も間もなく潰れた。それから以後の宗教は御存じのとほり、華厳宗にしても、天台宗にしても、真言宗にしても、何れにしても大乗仏教であつて、大乗の仏教といふものは仏説ではない、釈尊の説かれたことではないといはれるほど、阿含の教とは形式の変つたものであつたことを考へなくてはなりませぬ。大乗非仏説といふことを支那でもいひ、我が国でもいつて居ります。それは形式が変つて居るからであります。その形式の変るといふことは全く智慧に依るのでありますから、だんだんと変るのであります。又変つても宗教そのものには関係は及ぼさぬ、宗教の弘まることには関係を及ぼしますけれども、宗教そのものには関係がないのであります。  この形式は知識に相当して変つて来た、又これから後や知識に相当してくる筈であり、又変つて差支ない、否変らなければならぬ筈でありませう。  涅槃寂靜  無常とは諸行無常といふことであり、諸行無常とは総てのもののはたらきは常がないということであります。世の中の現象は力の変化でありますから常がない。だから諸法無我である。さういふ考へから宇宙を見、人生を見てゆく宗教は涅槃寂靜の宗教であります。  涅槃とは梵語ニルヴァナーの音訳でありますが、それはすつかり無くなつてしまふといふことでありませう。そこでこの魂も精神も、生きてゐる間は心があるけれども死んだら無くなつてしまつて、あかりが消えたやうになる、さういふ境が涅槃寂靜の境であります。  しかし仏教がだんだん考へを深くするに從つて、釈尊の考へられた真意はさういふ風でなかつたといふことが判つたのであります。後に出来た書物に依れば、釈尊の涅槃に就ての考へは全く無くなるといふことであります。それはもう生れないことであります。生れるから死ぬ、死ぬるから生れる、そこに苦しみがあるのであります。死から全く離れるといふことは畢竟生れないといふことでなければなりませぬ。ルヴァナーといふことはそれ故に再び生れないことであります。本当の涅槃の意味は不生であり不滅であります。釈尊の説かれたことが方々に出て居るのを綜合して考へると、涅槃とは再び生れないことであります。再び生れないといふことは苦しみから離れることでありまして、それ故に、生きて居る中にも涅槃を得ることが出来ると考へて居られたのであります。自分が既に涅槃を得たといふことも言つて居られるし、必ずしも死んでから後に涅槃に入るといふわけでないと言つて居られます。故に涅槃とは再びこの苦しみの世界に生れないことであります。無論それは心を間題としていふのでありますから、自分の心が苦しみの世界に生れないことであります。それ故に通俗の言葉でいへば心が不利な状態になることであります。感情の動搖がなくなつて極めて静かになることであります。  涅槃にはいろいろな説明を加へますけれども、その中でも有余涅槃、無余涅槃、即ち余りのある涅槃と余りのない涅槃とがある。余りのある涅槃とは煩悩の障りが除かれる、即ち貪瞋痴、貪る心と瞋り腹立つ心と、愚痴の心と、この三つがなくなる、即ち煩悩がなくなるけれども尚ほ欲界の五蘊の身体が殘つて居る涅槃であります。つまり心といふものは静かになるけれども、まだこの身体が殘つて居る。故に又さういふものが出ないとも限らぬ。然るに無余涅槃とはその煩悩も除かれる、五蘊の身体も除かれる、もはや苦しみの心の起きて来ないことを申すのであります。死んでから、つまりこの身体が無くなつて無余涅槃に至ると説いてあります。涅槃とは畢竟我々の感情生活が極めて靜かになることを申すのであります。それが宗教でありませう。  智慧と感情  我々は智慧と感情と意志との三つのはたらきが十分にはたらいて始めて人間の生活が出来るのでありまして、第一に智慧のはたらきに依りて周囲のものを正しく認めることが出来なければ生活といふものは容易でない。周囲の気候に対し、周囲の事柄に対し、周囲の人に対し、周囲の一切のものに対して相当な正しい観察が出来なければならぬ。故に智慧のはたらきが第一に大切なものであります。しかしものを知つたからといつてそれだけで行ひも生活も十分にゆかないことは当然であります。知ることは容易に知るけれども、しかし行ふことを容易にしたい限り、人間の生活は十分に出来るものではありませぬ。ところがその行ふといふことは、智慧さへあれば出来ると考へるのは実際を知らない人で、我々人間は感情というものが伴はなければ行ひに移るものではありませぬ。つまり我々の意志といふものは、感情のはたらきを除いては行ふか行はないかを決することにはたらかないものであります。西に行かうか東に行かうかといふ意志の方向が決るだけで、西に向いて行かうか行くまいかといふ実行には感情が伴はなければなりませぬ。その感情は全く智慧と違つたはたらきでありますけれども、智慧を離れては出て来ない。さうして智慧の大小と感情の大小といふものは何時でも同じことではありませぬ。智慧が一寸になれば感情も一寸といふことはない、時とすれば智慧が一寸で感情が二寸の時があります。時とすれば智慧が一寸で感情が五分のこともあります。同じことではない。限定することも出来なければ測ることも出来ませぬ。智慧はものを認めていくはたらきでありますから、だんだんと積んでゆきますが、感情はそれに対する反応でありますから決して積むものではない、どういふ反応が起きて来るか判らぬのであります。それ故に我々はものを知れば知るだけ感情を多く使ふと同時に、知れば知るだけ感情が多くなる。その多くなる感情がだんだんと始末がつかなくなるのであります。感情を鎮めるのに智慧のはたらきでどうかしやうとあせりますけれども、幾らあせつても感情といふものが平穏になるものではありませぬ。  世間の人がよくいふ、御尤もというのは智慧のはたらきで認めることをいうのであります。尤もだけれどさうはいかぬ。即ち実行の方になるとさうはいかぬ。自分はかういふ風にしたいけれどもしないといふのであります。余り多くを知らない、即ち感情の少い子供の時は仏に近いものでありますけれども、だんだんと大きくなるに従つて罪をよけい作ると昔からいふのであります。しかし仏というのを本当の宗義の意味から考れば反対の考へであつて、子供の方が仏に遠くて我々の方が近いのであります。しかしながら、今のやうに感情の始末のつかないことから申せば、子供が近くて我々が仏に遠いと申すのであります。  たつた一人居ればさう腹を立てることも少いのに、大勢の人と交際すれば腹の立つことが多くなり、一人で居れば癇癪を起すこともありますまいけれども、いろいろなことをして居れば癇癪を起すことも多くなるのであります。  感情の調和  道徳さへ守つて居れば人間はそれでことが尽きて居る、悪るいことをしなければ地獄も要らず、何もさういふことを心配することはない、と口では言つて居りますが、実際それで道徳といふものが守れるか、又悪るいことをしないで居るかと考へると、それは駄目であつて、実際を離れて、ただ言ふだけのことであります。そこで世の中に道徳があり、その他をしへといふものがいろいろ、あつて、意志といふものの力を強くして実行をよい方にしやうと努めて居るのであります。しかし今日の倫理学にしても、実践道徳にしても、これでよいとは決して思はれないのであります。倫理を説く人が非倫理的であつたり、人に道徳を強ひる人が道徳に背いて居たり、自分の心の悪るいことはまるで棚に上げて、人の心が悪るくなつたと批評してみたり、或は人民をよくしなくてはいかぬと言つて、いい加減なことをただ考へるといふやうな人がだんだん殖えて来ます。これ等は一切智慧のはたらきであり、ひとつの規範といふものを示してそれを教へてゆく教でありますから、それが徹底するかしないかといふことが問題になるのは当然であります。どうすれば感情が鎮まるか、それが今日の我々の智慧ではいかぬとした時には、感情を鎮めるのは感情を以つてするより他に仕方がないといふことになります。  宗教はその特別な感情のはたらきであります。その特別な感情のはたらきの起ることによつて所謂煩悩その他いろいろの感情を鎮めることが出来る筈であります。又出来なくてはなりませぬ。他の言葉で申せば、感情が出た場合にその出た感情の方向を転じさすか、或はその性質を変へることは、同じ感情を感情で以てやれば確かに出来る筈であります。もつとそれを理論的に言へば、同じ感情がぶつ突かつたら必ず消える筈であります。マイナスとプラスが一緒になつたらプラスマイナスで抹消されるわけであります。そこで宗教といふものは我々の生活を導く主なはたらきをすべきものであります。だからその宗教を本当の意味に於て理解することは、人間の生活を進める上に於て必要なものであらうと思ふのであります。  自己を師となす。  前述のとほり宗教に対する理解の仕方はいろいろありまして、私から申せば宗教でないものを宗教の中に入れてみたり、即ち自分の心を分析し考へてゆくところに宗教といふ感情が起るべき筈であるのに、その自分といふものを隠し包んで働けないやうにして、外に宗教といふ袋を著せやうと考へてみたり、或は自分の悪るいことの避難所にしやうとしてみたりするところに、宗教と名のつくやうな一種のはたらきを考へますことは間違つたことと思ふのであります。若しそれが宗教であるなら、さういふ宗教は私には何ら意味のないことであります。私の宗教は、私の心持を、私の感情を、平穩にするやうな感情、即ちそれによつて私が正しい道を履んでゆきたいといふ念願に相当して出て来る、私の精神のはたらきでなければならぬと思ふのであります。で釈尊は宗教といふものの講釈をしては居られませんけれども、私の今申したやうな意味のことを度々言つておられるのであります。そのひとつは「法句経」の第百六十番目に、  「自己ノ心ノ為師、不随他為師、自己ヲ為師者、獲真智人ノ法」  この意味は調へられた自分が自分の師である、自分の心が師である。それは調へられた自分でただの自分ではない。これは漢訳の「法句経」でありますが、漢訳でない方のパーリ語の原典から翻訳されたものを読んでみると、調へられた自己と書いてある。又他のところに「汝自らの燈火を以て汝自らの道を照せ」と。これは自分の燈火で自分の道を照して行くので、それも調へられた自分であります。つまり感情が静かになつて、自分を中心に得手勝手に考へて自分の都合のよい時に喜び、自分の都合の悪るい時に悲しむといふやうな調へられぬ自分でなしに調へられた自分が師だ、それを師として他のものを師としない人が本当の偉い人の法を獲たものであるというのであります。  「法句経」の第三百八十番目に  「我自為我、計無有我、故当損我、調乃為賢。」  この意味は、我が即ちわがあるじにして、我より他に頼むものはない。それだから自分をよく調へさへすれば、そこに立派な智慧が出て来るといふのであります。つまり自分をよく見て、その心の乱れた有様、即ち感情の動くことの非常に盛であることを見て、それを調へることが大切であるといふ意味であります。  「法句経」の第三百七十九番目に  「当自勅身、内興心浄。護身念諦、比丘惟安」 この意味は、自分を責めて心の奥に尋ね入らなくてはならぬ。自分自らを守り真理といふものを思ふことが出来たならば世に住むことは安かなものだといふのであります。釈尊がかういふ風に考へて居られたところを見ると、私は今私の申したやうなことを考へて居られたのであらうと思ふのであります。  自己を調へる。  我々は智慧のはたらきと、感情のはたらきと、意志のはたらきとで生活して居りますけれども、人間は智慧がつけばつくだけ煩悩も多くなるのであります。それで意志というものも立派にそこに現すことは容易でないから、そこで調へなければいかぬ。即ち自分を調へてそれを師として進まなければならといふのであります。このためには結局、感情がかく静かになつてゆく状態を有余涅槃といひ、その身体が全く無くなつたならば無余涅槃であるといつて、精神状態の平静になつてゆく状態を釈尊は示されたものではないかと思ふのであります。かういふ風なことを釈尊が説かれたのではありませぬが、釈尊は十二因縁を説かれた。十二因縁とは三法印の無我のところに書いてあるやうに、一切のものは皆因縁が和合して出来たのである、虚仮不実なもので何も固まつたものはないといふあの考へであります。  これまでの仏教の専門の学者は、それを專門の立場から論ずるので、十二因縁は哲学的であります。さうしてちやんと時代を追つて来て居る。私共の考へるところに依れば、十二因縁とは今の心理状態であるから、無明といふものが前にあつてそれからだんだん起きて来るといふ歴史的のものでないといふことは明かであると思ひます。学問として考へたならば、それは学問的のものであり論理的のものでありませう。しかし学問と宗教とはどこまでも別でありますから、宗教としてあの十二因縁を考へて見ると、前述のとほり全く心の状態であります。我我の心といふものに智慧がないので、無明といふところからいろんな間違つた考へを起して始末のつかないやうな苦しみの状態を造る。それを無我といふことがはつきり判らぬから迷ひを起し苦しみを起す。それを離れなければいかぬからそとに宗教が必要なのであります。釈尊の宗教は涅槃に至るといふところで出来るのでありますから、さういふ無常であり無我であるといふことを世の中のことに就て眺め、或は人間全体のことに就て眺めて居る間は宗教にならぬ。なるほど諸行は無常である、なるほど世の中は力の変化だ、さういふことをいくら言つても宗教ではありませぬ。そこでそれを宗教にして自分のものとして考へるには、どうしても自分といふものを見つけなければならぬ。自分といふものを考へなければならぬ。そのために、釈尊の説教には十二因縁が説かれてゐるのであります。  五蘊  その後には五蘊を説いて居られます。この五蘊の考へがはつきり起るところに我々が真理を知つたといふことが出来ます。それは自分の心の有様を考へて見ればよいのであります。諸行が無常であり諸法は無我である。自分の心が無常であり自分の心が無我であり自分の心が涅槃寂靜の境に入るところに宗教があるのであります。  [参照]  五蘊  蘊は積聚の義、此の五法によりて積聚身を成す。また此の身によりて有為煩悩等の法を積聚して無量に生死を受く。  色蘊 質礙の義、眼耳鼻舌身諸根和合積聚す。  受蘊 領納の義、六識と六塵と相応して六受の積聚あり。  想蘊 思想の義、意識と六塵と相応して六想の積聚を成す。  行蘊 遍流造作の義、意識によりて諸塵を思想し、善悪諸行を造作す。  識蘊 了別の義、眼耳舌鼻身意六種の識を以て諸塵境を照して分別す。 (大乗広五蘊論)  蘊は積聚の義、積るといふ義で、積つて身体が出来るから五蘊といふ。身体と精神が出来るから五つの積りといふので、色蘊、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊、この五つをいふのであります。 鐵眼禅師の仮名法語に「五蘊といふは色受想行識の五つなり、五つのしなことなりと雖もただ身と心とのことなり。はじめに色といふは身なり」それ故に身と心を五蘊といふ、我々の身体と我々の心とは、この五蘊から成立つておるのであります。「この五蘊の色心のまよひゆへに凡夫となりて、三界に流浪するなり、五蘊といひ、色心の二つといへども、すべてはただひとつのまよひのことなり」でこれは結局迷ひといふことであります。第一に色といふは物質のことで、仏教で色といふのは形のこと、形式のことをいふのであります。具体的にいへば目と耳と鼻と舌と身体とを色といふのであります。受というのは納めるといふ義でありますから、今の言葉に直せば感覚であります。受蘊といふのは仏教で六識といふものを考へ、即ち目と耳と鼻と舌と身体との五識、それに意といふものを考へて六識、その意識が六塵と相応じて六受の積聚あり、といふことは六塵といふのは恰度その六つの機関に相当して、外から悪るいはたらきをするものをいふのであります。即ち我々が色に迷はされ、金が欲しいとか、さういふ悪るいはたらきをする、耳に聞く音がさういふはたらきをする、結局受蘊とは感覚のはたらきをいふのであります。想蘊とは思想のこと、考へであります。行蘊というのは遷流造作の義で、これは我々の心の中にいろいろなものを考へて、これから行はうといふ精神のはたらきをいうのであります。識蘊とはものを分別するはたらきをいうのであります。結局、受想行識といふのが我々の精神のはたらき、色蘊といふのが身体のはたらき、その身体と精神とが集つて人間といふものは出来て居るのであります。即ち五蘊が集つて人間といふものは出来る、その五蘊が離れれば元の蘊に帰つて人間ではなくなる。集つたら生といへるが離れたら死といふのであります。  それを鐵眼禅師の法語に  「第一に色といふは我々の身なり」  「この身はもとより法身の体なれども、法身なることを知らずして我が身と思へるは、法身を見かくして我身と思ひ、我が身にまよひて貪瞋煩悩をつくり、ふかく悪道にしづむなり。」  「第二に受といふは納領を義とすとて、ものをうけおさむる事なり。」  「この受といふには苦、樂、捨の三受といふことあり、まづ苦受といふは、眼耳鼻舌身の上にこのまざる苦しきことを受くるをいふ。樂受とは、眼耳鼻舌身において、こころよくたのしみなることを受くるをいふ捨受とは、苦にもあらす樂にあらざることを受くるをいう。」  「この苦と思ひ樂と思ふことは、もとより苦も苦にてはなく、樂も樂にてはなけれども、まよひてみづから樂と思へり。その故はいかにといふに、とび、からす、いぬなどは、牛馬などの死してくさるるを見るか、また人などの死してただるるを見ては、これをたぐひもなきものだと思ふ故に、まづ眼にこれを見てよろこび、鼻に嗅ぎ口にあぢはひ、手足につかみてはますますよろこびてこれを第一の樂とおもへり。人の上よりこれを見れば、むさくけがらはしきことかぎりなし。もしかかるくされものを人に強いて食はしめば、そのくるしきことたぐひなかるべし云々。」  と書いて  「第三に想といふは、思想とて、人々の心中に日々夜々に起る妄想なり、ひるは妄想となり夜は夢となる。みな人、夜の夢ばかりまことなきいつはりのものにて、ひるおもふことは皆まことなりとおもへるなり。これ大いなるあやまりなり。まよへる人のおもふことは、ひるおもふことも夢に同じくしてすべてあとなき妄想なるを知らずして実とおもへるなり。」  「第四に行といふは、行は遷流を義とすとて、我心の生滅してうつりかはるをいふなり。ところに妄想のおもひあれば、その心刹那もとどまることなくして、しきりにうつりかはるなり、たとへば水のながれてしばらくもとどまらざるがごとく、燈火の刹那刹那にきえてまたたきの間をとどまらざるににたり。」  「一切有為のまよひの法は、みなこれ行蘊の遷流なれば、無常にして念々にうつり、生滅時々におかしてしばらくもとどまらず。」  「第五に識といふは、是すなはち色受想行の四つのもとひとなりて、三界六道を生じて人々の身より森羅萬象、天地虚空までを生ずるまよひの根本なり、この識は全体本心にて云々」  これは受想行識といふ心のはたらきが集りて、それが基となつて世の中のこと一切を識で造る、天地萬物のことをみな自分の心で造る、三界はただひとつの心だといふのであります。  自己の否定  生とは五蘊の集つた時、死とは五蘊の散つた時といふ。故に自分といふものはただその五蘊の集つただけで、そこに自分といふ名をつけて居るのであります。諸行無常である、諸法無我である、釈尊はこのことを例を挙げて盛に説いて居られます。この考へは自分を分析して、自分といふものの考へを深く深く考へて自分といふものに徹底したならば、全く自分といふものが無くなるところまで進んで来るのであります。自分といふものが全く無くなるところまで来た時に、度々いふ宗教の感情といふものが自ら湧いて来るのであります。釈尊は宗教の感情の湧いて来る方はあまり説かないで、湧いて来るもとについて頻りに説いて居られます。だから我々も或は十二因縁を自分として考へ、五蘊を自分の心として考へ及ぼすことが出来たら、その考へに伴つて起る感情は即ち宗教的の感情であるべき筈であります。そこに釈尊と同じやうな心持の宗教が起きてくる筈であります。  ドイツ人の医者で仏教のことを研究して居るウォルフガング・ボーンといふ人の書いた「仏教の心理学」といふ小さい本の中に、釈尊の宗教は全く心理学から始つて居ると書いてあります。即ち我といふものの心理学的分析から始つて居る。この我を分析したら、我というものは無くなつてしまふ。哲学上の言葉でいへば、我を否定することである。さうなつた時に釈尊のいはるる無我といふ状態になるといふのであります。  我々の精神のはたらきは、感覚が観念になり、聯想とか、注意とか、記憶とか、感情とか、意志とかいふはたらきは実際存在して居りますが、我といふものは存在して居るのではなく、それ等を集めてそれに名前をつけたのであります。それをあるものの如く考へて居るから間違ふのであります。物を注意するといふことも、記憶するといふことも、人間の精神といふものは無常でありますから、始終遷り変つて居るのであります。恰度水が流れて始終変つて居るけれども、外から見ると同じ水が流れて居ると見えるやうに、ただ外から見るだけであります。  仏教の話を聞いて、それが宗教になるかならぬかは、各々方の心のはたらきであります。宗教といふ心持の起きるのは如何なる時にも起きる、判らぬといふその言葉を聞いても起きて来る。難しいお説教を聞いても起きて来る。どんなものを聞いても、その人が無我といふ状態にさへなれば、即ち法を聞くといふ態度がちやんと決つて居りさへすれば、自分といふものを無くして法をそこに受取るといふことは何時でも出来ることであらうと思ふのであります。  第五講 人智と仏智  精神と肉体  前に五蘊に就て述べましたが、その最初の色蘊は身体、後の受、想、行、識の四つは精神のはたらきであつて、結局肉体と精神とがひとつのものであるといふ意味に帰著するのであります。肉体と精神とが一緒になつた時に我が出て来るので、自分といふものは肉体と精神のはたらきが同じ時に同じやうに現れて来るといふ意味であります。昔から西洋、或は仏教以前の印度で考へて居つたやうな、精神が肉体に宿るといふ意味では決してないのであります。魂と名づける特別の品物が身体の中に宿つて居るのでなければ、人間の身体に精神といふものがあつて、それが出たり入つたりするのでもありませぬ。  今日の生理学、心理学でも御承知のとほり、精神は身体の機能の下にある、即ち身体殊に神経中枢系統のひとつのはたらきであると考へて居ります。精神の機能の中でも、我々が最も直接に知つて居るのは意識であります。この意識も身体がはたらきを止めたならば出て来ないことは実際によつて判ります。  それに就て面白い例があります。世界大戦よりずつと前のこと、ドイツのライブチヒ大学の学用患者に全身の皮膚感覚が無くなつた者が居りました。これは病気で末梢神経の知覚が麻痺したのであります。ところがその患者は別の病気で兩方の目が潰れて居りました。つまり盲人で全身の皮膚の知覚神経がはたらきをして居ない。その上に耳が片一方よく聞えないのであります。そこでその患者の耳に綿の栓をし、骨を伝つて来る音は聞えるが空気を伝つて来る普通の音は聞くことの出来ない状態に置いた、つまりその患者は鼻の感覚と口の感覚だけ殘つたわけでありますが、この鼻や口の感覚は低級の感覚でありまして、意識の上に出るのは強くない、感覚の中で意識の上によく出るのは目と耳であります、所謂高等の感覚であります。その高等の感覚を取つてしまつたこの患者は殆ど意識が無くなつてしまいました。偶然さういふやうな患者が居つたのでありますが、明かにわかることが証明出来ました。この外、クロロホルムか何か麻酔薬で脳のはたらきを麻酔さすと、意識が無くなることは誰でも知つて居ります。総て脳の細胞のはたらきが止んだからであります。故に全く身体を離れたなら意識といふものが無くなるのは当然であります。  業  仏教では「五蘊が散乱して元素に還つたなら、我といふ形をしたものは無くなるが、五蘊の元はやはり存在して居るので、それが又結合すれば生が出来る」といふことを説明するために業といふ考が出て来ます。業は歴史を持つた言葉でありますから、釈尊がそれをどういふ意味にとられたかは前からの歴史を調べなくては判りませぬ。但しそれは傍道に入りますからここでは大体を申します。  業とは、我々の思つたこと、喋つたこと、行つたこと、これ等が消えないで何時までも殘つて居り、そのためにはたらきを某所に保つて居る、そのはたらきを指していふので、この考へは釈尊以前からあつたのであります。この業というものに道徳の意味をつけ、悪るい業を造れば悪るい結果を得る、善い業を造れば善い結果を得ると教へました。これは道徳の上にも、宗教の上に必要であります。  釈尊もこの教へを仏教に採用されたのであります。然し業といふ言葉は同じであつても内容はだんだん変つて居り、今日ではこれに就ていろいろの説明があり、又書物にもいろいろの考へが書いてあるやうであります。しかし昔の仏教でいつた業とは、身と言葉と意の所謂三業であります。初は身業、語業、意業となつて居りますが、後には口となつて、今は身口意の三業と言つて居ります。 「析去記」に  三 業  一、身業 二、語業、 三、意業、身業即身所作之業也。有善有悪、若殺生、?盗、邪淫、即身悪業也。若不殺、不盗、不淫、即身善業也、語業即口所説之業也、有善有悪、若妄言、綺語、悪口、兩舌、即口悪業也、若不安言、不綺語、不悪口、不兩舌、即口善業也。意業即意所作之業也。有善有悪、若食欲、瞋恚、邪見、即意悪業也。若不貪欲、不瞋恚、不邪見、即意善業也」とあります。身業は即ち身に作るところの、即ち身体で作るところの業で、これには善いのと悪るいのとあります。殺生するとか、盗むとか、邪淫の戒を犯すとかは身体で作るところのわるい業であり、其の反対に殺生もせず盗みをせず邪淫の戒も犯さないといふ時は身体で作るところの善業であります。第二の語業は口で泣くところの業、お喋りするところの業で、それにも善いのと悪るいのとあります。妄言(嘘を云ふ、綺語(いらざる事を言ふ)、悪口(人の悪口を言ふ)、兩舌(二枚舌を使ふ)等は口の悪業であり、妄言せず、綺語せず、悪口せず、兩舌せず、即ちその反対は口で作るところの善い業であります。第三番目は意業即ち心で作るところの業で、それにも善いのと悪るいのとある。食欲(貪り)、瞋恚(怒り腹立ち)、邪見(正常でない考へを持つこと)等は意の悪業である。若し貪欲せず、瞋恚せず、邪見ならざるは即ち意の善業である。かういふ風に具体的に説いてあります。五蘊が散つてしまふと死ぬる、しかし五蘊それぞれが消えないから又集つた時には生れる。この生れたり死んだりするはたらきをするものは業であるといふ仏教の考へは、宗教の考へを進める上に於て大切なものであります。  自分の行為、意志、所作、喋つたこと等が業として消えないで又集つて新たな生を生ずる、故に我々は業の綱に縛られ、生死の苦界を流転し、それから出で離るるところの縁、即ち出離の縁はなしと考へなくてはならぬのであります。これは全く宗教的の考へであつて、他の学問のやうに、さういふことがあるかないか、さういふことが理屈にかなふかどうかを研究する必要はないのであります。さう考へることによつて宗教といふ感情が起きて来て我々の心持が宗教的になるので、これを認めなければ宗教的にならないのであります。  業の諸説  そこで問題になるのはこの業といふものが果して何物であるかといふことで、これに就ては西洋でも我が国でも昔からいろいろ説かれてあります。禅宗などでは、業という力が其所にあつて、其の力が自分に加り、其のために自分の心持に所譜業の影響が出て来ると説いてあるやうに思はれます。例へば今この世の中で一生懸命に働いて居るけれども、大変苦しい、それに反し悪るい事をし通して居るがこれが名譽の位地を占め、財産を持ち、世の中を樂に暮して居る。かういふ事は業が今出ることもあれば、又先になつて出ることもあり、其の又先に出ることもあり、順次に先に出ることもあるからで、今榮耀栄華な贅澤な生活をし、悪るいことを始終して居るやうなものは、其の悪業の結果が先の世で出て来ると、禅宗の書物などにはしばしば書いてあり、又さういふ風な説明が広く行はれて居るやうであります。さういふ風なことを聞けば確かに業といふものはひとつの力であります。つまり自分の行ひ、自分の言葉、自分の心持によつて作られた力、即ちひとつのエネルギーといふものがあつて、我々はそのエネルギーの影響を受けて居るといふことになります。  又禅宗と全く反対だといはれる浄土真宗の同行の考へも、今自分が苦しい生活をして居る、それは前世の業即ち前の世に悪るいことをした其の結果であるから仕方がない、かういふ風に片附けて居る。これもやはり業といふやうなものがあつてそれに縛られて、自分では如何ともすることの出来ないといふやうな、一見西洋の宗教家の言ふ運命によく似たものであります。ただ自分の作つた業だから仕方がないといふところが変つて居るだけであります。  要するに何所かに業といふものがあつて、我々は其の支配を受けて居ると考へるのであります。若しさうなら宗教的の意味は極めて少く、仏教としては殆ど値打がありませぬ。  何故ならば前述のとほり、仏教のみならず総ての宗教は自分の心を問題としておる。自分の心の外に神や業があらうとも、さういふことは問題でない。釈尊は明かにそれを言つて居られます「汝自らの燈を以て汝自らの道を照せ」と。自分の心の外に何物かを考へては宗教になるわけはない、かかる客観的に出たことは智慧の働きにもなり、学問にもなり、話にはなりますけれども、宗教にはならない。若し業をかく客観的に考へたら、基督教でゴットを考へるやうな心持に近いものでありませう。  業の相続  業がひとつの力であるといふやうな考へを離れて、五蘊が集つて我となり、其の五蘊が分れたら我は無くなつてしまふといふ考へを基礎として、五蘊が又集まるといふことを考へ、又集つたといふものが道徳的にどうであらうかといふことを考へた時に、其のどちらの方面でも業といふものを考へなければ其の始末がつかない。その時に起きて来る其の心持が業であると考へる、例へば自分の現在の有様を見て、如何にもあさましいと感じ、それは自分の業であると責任を負つた時に出て来る心持だと考へなければ、この業といふものの宗教的意味はないと思ふのであります。悪業を作るから其の結果この悪るい精神状態を持つたものが又生れるのであります。即ち悪業煩悩に縛られて生死の苦界を流転するのであります。  さう考へるとこれは徹底した内省だと私は思います。自分の心を内省して道徳的に考へ、其所に全責任を負いたる時にかういふやうな心持が起きるので、そこに強い宗教の力があるのであらうと思うのであります。しかしこれは宗教意識の上に出て来る考へでありますから、さういふ所まで内省が進まなければ、宗教といふ感情が起きて来ることはないとなるのであります。  しかし宗教は全く特別な感情であり、其の感情はおのづから出て来、しかも其のおのづから出て来るのに機會があり、唯はつと出て来るといふわけではありませぬ。其の機會は繰返し述べたとほり、一切の智慧を離れた時に出て来るのであります。この一切の智慧を離れるといふことを換言すれば業と申すので、言葉がまるで異る故、内容も全く異つたやうに思はれますが全く同じなのであります。一切の責任を自分の業に帰するところに、釈尊の言はれる業の相織があり、業の相続者であると考へる時に、自分の内省というものは始めて徹底するのであります。  昔、有名な坊さんが居て、其の坊さんに或人が「あなたのやうな徳の高いお方がお説教をなさると、多くの人人が莫大な功徳を受けることでありませう。導かれて仏法に入る人が極めてたくさんなことでありませう」とお世辞を言つた、すると其の坊さんは「自分等のすることは皆仏様の邪魔をして居るのである。宗教は法であり、この法は不可思議にして思慮分別のよく解するところに非ず、釈尊の言はるるやうに、説くところのないのが真に説くところであり、黙つて居るのが真に法を説いて居るのだ。喋れば喋るだけ嘘を言つて居る、説教をする其の説教が仏法の邪魔だ」と答へました。  考へたり喋つたり行つたりするところにひとつづつ業を作ることを考へると、何所までも人間は愚悪なものである。これに気がついた時、人間のはからひは止む筈であり、其のはからひの止むだ時に起きて来る心持が宗教であります。故に業の考へは、宗教として仏教を見る時には極めて大切な考へだと思うのであります。  まこと  垂井專精寺の住職の僧純師が書かれた「妙好人伝」の中に、播州の太田村に右衛門といふ人があつて、その人は二十歳位の時から仏法に入つて大変評判の人であつた。仏教に「觸光柔歎」即ち阿弥陀仏の光に觸れて心が歎かになるといふ意味の言葉がありますが、其の言葉の如く、この人は仮りにも人と争ふことはなかつた。或年息子に嫁を貰つたところ、其の嫁が甚だ怪貪邪見なので、舅の卵右衛門に対し不孝なことばかりした。けれど卵右衛門は一言も咎むるところがなく、何事も約束事と諦めて日を送つたと書いてあります。又かの震災のあと、或僧侶が前世の約束と諦めなくてはならぬと説教したら、深川の方で聴いた人の中に私は前世でさういふ約束はしないと言つた人がある。成程ああいう大地震をして貰ふという約束はしなかつた。ひよつとやつて来たのだから約束ではない、僧純師の書かれて居る約束といふのも普通の人のいうのと言葉は同じでありますが、この約束事といふのは業であり、業報と諦めるといふのであります。前の世にさういふ悪るいことをして置いたから、其の報ひとして今嫁に虐められるといふのであります。  或時、舅のものの言ひやうが己れが心に叶はぬとて、庭にあり合ふ横槌を取つて舅に投げつけた。其の槌が卵右衞門の額に当つて血が流れた。息子ははからずこれを見て大いに憤り、速かに追出さんと欲して女房を引立て門口に出かけた。ところが卯右衛門大いに驚き、我が子の袖を引止め詫言をした、息子が、これ程の不孝者、切り刻んでもらぬものを何故に止め給ふやと言つたところ卵右衛門が言ふのに、さればこそ、あのやうな心得違ひの者を貰ふたは其の方の不幸、己れが宿業のなすところであるから業感と諦めなければならぬと言つたのであります。ここでも前の約束事と諦めると言つて居る。それならば前述の如くに何か其処に業といふものを置いて其の業の結果だから仕方がないと考へて居るやうでありますが、若しさうなら宗教の意味はない。業をさういふ風に使ふなら恐らく善いところには使ひますまい。自分が大変金持になるか、非常な名誉の地位になつた時に、これは業の致すところであるとは言はないでありませう。自分の心が苦しくて、仕方がない、他にやり場がないから前業の致すところであるとして、自分が悪るいといふ責任を負はず、悪るいことだけ人に譲らうといふのであります。即ち自分が作つた業とはいつても、自分と切離した業だから、それはもう自分のものではない、結局自分の苦しいことを通るるために業を持つて来て其処に隠れてゆかうという心持でありませう。  この卯右衛門のしたことも、この文章ではどうしてもさういふ風に感ぜられるのでありますが、若しさうなら宗教の心持にはならぬのであります。業感と諦めよといひなだめて、御内仏へ燈明を上げ血を拭きながら「さてもさても地獄一定の愚痴のこのおやぢめが浅間しき心より嫁を叱りし故、嫁が腹を立てました。これ全く私が悪しきなり、お許し下され」と繰言を言ひながら称名を喜むだといふことであります。  言葉が同じ言葉でありますから、業といふものを其処に置いてそれに自分が隠れて居るやうであります。けれどもさういふことを言いながら仏様に燈明を上げて自分が悪るいといふことを詫びて居る。その心持を見ればこの卵右衛門の約束事といふのも皆自分が責任を負ふてをる、これなれば宗教的の心持といはれるのであります。即ち一切の責任を自分に負ふた時に出て来る心持であります。  自分の責任をひとつも人に譲らぬ態度は「まこと」であります。まことに觸れて「まこと」を感じないものは恐らくありますまい。自分が腹を立てて浅間しい心から嫁を叱つた。そのために嫁が腹を立てて私に怪我をさせました。全く私が悪るかつたからと言つて仏に対して詫びて居る、そのまことを見ては邪見の嫁も感動せざるを得ぬのであります。  「さすがに邪見の嫁もまことに後悔して只管に謝りければ、夫もやうやく納得して無事に納まりしとなり。所謂朱に交れば赤くなるといふが如く、彼の嫁の慳貪《けんどん》なる心も遂に卯右衛門の信徳に砕かれて、後には孝行の嫁となりて御法義に入つた」といふのであります。この話は「鳩翁道話」にも出て居りますから、よほどその頃有名な話であつたと見えます。  馬子の改心  或時卯右衛門が姫路の町から帰る途中、隣村の馬方が追ひついているのに  「太田の阿弥陀殿、今晩わしがところにて報恩講をつとめるから、初夜時分に參つて下され」 卯右衛門はあまりに阿弥陀仏を信仰して居るから太田の阿弥陀殿といはれて居つたのであります。卵右衛門大いに喜び  「それは有難いことだ、さやうならお辞儀なしに參詣致しませう」  と約束して別れました。この馬子は性来悪るい心の者で、卵右衛門があまり法義を喜ぶと聞いて片腹痛く思ひ、欺して迷惑をかけやうとしたのであります。そこで我が家に帰り馬を洗ひ片付けて初夜頃に門の戸を閉ぢて寝てしまひました。卵右衛門は約束だからそれが偽りとも知らず、我が家に帰つて刻限を計り馬方のところへ出かけました。その節は暮れ方から雪が降つて顔出しもならぬほどの景色でありましたが、約束を違へてはならぬといふので、蓑笠を著、草鞋を履き、杖に縋つて二十丁もあるところを辿り辿り馬子の家へ行きました。ところが戸をしめて馬子は寝て居る。戸を叩いて卯右衛門が參りましたと言つたけれども、彼の馬子は寝ながらこの声を聞き、今夜の雪にはよもや来ないと思つたに、さてもさても片意地の爺だと膽を潰し、息を呑んで空寝入して様子を窺つて居つた。卯右衛門は家の中から何も答がなく又燈火も消えて居るから、今宵は用事でも出来て他所に行かれたのではあるまいか、或は刻限が違つたか、何にせよ帰つては約束に背くことであるから、軒下でなりとも暫く帰りを待たうと、蓑笠を脱いでそれを敷きそこに坐つて居つた。ところが折節西の風が強く雪がひどく吹きつけてまことに寒い。卯右衛門は竹の小笠を前に当て御恩を喜んで居た。野も山も白地となり、寒気身を割くやうに覚え思はず声を上げて  「さてもさても忝けなや、今夜我が家に居たら御恩も忘れて暮すべきに、ここのあるじのお蔭にて、ここに来ればこそ、御開山の御苦労のほどこの身に知らせ給へることの有難や、南無阿弥陀仏」 と涙を流して喜んで居る、実に馬鹿気て居る。とても普通の心持では出来ることではない。欺されて雪が降るのにそこにしやがんで有難い有難いと言つて居る。何が有難い。然しこの実に馬鹿気たところに人間のはからひのないことが明かであり、何となくそれが貴い。家に寝て居つた馬子が耐へ切れず戸を開けて卯右衛門を家に入れ、実は私はあなたを欺したと言つたけれども卯右衛門は何とも言はない。ここでこの馬子も卯右衛門の勧めによつて有難い同行となりました。  卯右衛門の女房が或時、自分で織り上げた木綿を三反ほど姫路に行く序でに売つてくれと頼んだ。卯右衛門がその反物を持つて姫路に行き、用事が済んだから御坊に參詣し説教を聞いて居る中、有難くなつてその木綿三反を上げてしまつた。売つてくれと頼まれた反物を女房に相談せずに納めてしまつたのだからどういふ風に言はうかと思ひ、家に帰つても中に入り兼ねて門口に佇んで居つた。女房がその姿を見て、何故家に入らぬかと尋ねた。それでかういふ次第だと言つたところ女房は涙を流して「よくこそ上げて下さつた、若し私に相談をされたら私は嫌だと止めるのが必定であります。よく相談せずに上げて下すつた、それ仏の方便であります」と言つて夫婦とも、喜んだといふのであります。  或年の夏、日照りが続いて卯右衛門が田の水を引きに行つたところ、丁度そこへ川下の人が水を引きに来た。卯右衛門が言ふのに「自分は川上である、それだからお前さん先に水を引きなさい」、又川上の人と出會つた、さうすると卯右衞門は又いふのに「私は川下だから先づあなたからお引きなさい」。さうして人に譲るものですから川上の人も川下の人も卵右衛門が来ては逃げてしまふ。百姓は水が大切であるから我が田に水を引かうと思つて居る。ところが卵右衛門は、川下の人に會つたら私は川上だからあなたの方がお先に、又川上の人に合つたら、私は川下だからあなたの方がお先にといふ工合にされると、される方が堪へ難い。それで卵右衛門が水を引きに出る時は誰も出て来なくなつたのであります。  仏智  我々は何事も智慧でやつてゆく世の中に住んで居るのでありますから、かういふ話を聞いても何でもなく、昔は馬鹿気た人が居つた。さうまで馬鹿になれるのかくらゐにしか思はないでありませう。しかし人間の智慧は、我我が考へて居るほど我々の生活を導いては居ない。勿論今日学問もだんだん進み、智慧もだんだん増して居ることは明かであります。しかし生活の上からいふと、大した進歩をして居ないことは明かであります。  人間の智慧は無から有を決して作らないから、あるものを発見するに止り、しかもその有るものの発見さへ十分出来ない。自分が一番よく知つて居る自分の身体がこれから何時間持てるか、何日この身体が持てるか、それくらゐ容易に判る筈のものが判らぬ。さういふ智慧で我々の生活を導いて行くといふことは容易ではありますまい。そこに智慧の世界から、智慧を離れた世界が開けねばなりませぬ。その智慧を離れた世界が即ち宗教の世界でありますから、宗教の世界では吾々の智慧は何の必要もないことなのであります。  我々のいふ智慧は科学的の智慧、ものをだんだんと知つてゆく智慧、あるものの発見をだんだんとしてゆく智慧であります。卯右衛門の心に現れた智慧は、さういふ知識の世界の智慧ではなく、自分といふものを、或は自分の生活を導いてゆく智慧、即ち宗教上でいふ智慧、所謂仏智であります。卯右衛門は、釈尊が智慧を磨いて偉くなれ、仏になれと言はるる、その智慧を持つて居るものでありませう。  仏智不思議にたすけられるというのを普通の言葉に直したら、仏智に依つて自分の生活を導いてゆくことの出来る人で、それが所謂たすけられたといふのであります。その仏智とは不可思議のもので、我々には判らない。我々に判るものは仏智と名づけられて居るところの感情であります。その感情に動かされて生活が導いて行かれて居るのであります。宗教といふもののはたらきは、実にそこにあるのであります。その点から申すと、卯右衛門は如何なる場合でもそこに宗教的の感情を起し得るやうな、所謂仏智不思議といふものを得て居ります。難しいことを申せば、五蘊とか業とかといふやうなその考へが徹底して居るのであります。業とか五蘊とか、十二因縁とか、因果の法則などといろいろ考へますけれども、それは結局人間の智慧の世界で説くので、宗教といふものをひとつの学問としてお互に話をし合つて居るのであります。それだからその話からは結局、宗教といふ感情が起きて来ることはないと思ふのであります。  宗教上科学知識  宗教そのものは、言葉を以て説明することの出来ない感情でありますが、それを説明するには科学の力を要し、言葉のたすけを要するのであります。人間は概念で生活をし、概念で以て人と人との意志を通じて居る、だから人間の世界から概念を省くわけにはゆかぬ。その概念を明瞭にするためには知識を必要とする。そこに科学といふものと宗教といふものとが何時でも並んで居るのであります。即ち宗教の形式を出したなら、それは何時でも智慧のはたらきに依つて居る。お寺を建てたらそのお寺はその当時の人々の知識に相当して居る。宗派といふものを拵へたらそれを拵へた人々の知識に相当して居る。宗教にひとつの教義といふものを拵へたら、それもそれを拵へた人の知識に相当して居る。宗派を信ずる人々はその人々の知識に相当したものを信ずる。決して知識を離れては居ない。ただ問題となるのはさういふことが宗教でないといふことであります。お寺が、教義が、宗派が、宗教でなく、これ等は皆人間の智慧の方の世界に出て来て居る宗教の説明、宗教の理論、若しくは宗教の学問であり、特別に名をつければ宗教の哲学であり、宗教の心理学であり、若しくは宗教学であります。  私は仏教の哲学や仏教の心理学や、或は仏教といふ学問を系統的にお話するのでもなく、宗派のことを説くのでもありませぬ。釈尊の教を味つて行かうとするのであります。それ故に、仏教を科学的に説明しやうといふのでもなければ、仏教が科学と同じやうなものであるといふのでもなく、又仏教が科学であるといふやうなことを言ふのでもありませぬ。  科学と宗教と題して私がお話するのは、言葉では説明することの出来ない宗教そのものを話す時には、科学の知識に基いた言葉でなければ、今日のやうに科学といふもので多くの人々の思想が出来て居る世界に通用せぬのであります。時代とかけ離れた思想と言葉を用ひ、時代とかけ離れた考へ方をしては、容易に宗教そのものを味ふことが出来ないからであります。  釈尊も、智慧がないから人間は迷ふ、だから智慧をよく磨いて、ものの道理をよく辨へなければいかぬと度々説いて居られます。勿論宗教は自分の心を問題として居る故、智慧といつても、これは自分の相を明かにするということであります。  阿難  これは有名な話でありますが、マートャといふ女が釈尊のお弟子阿難に恋をし、どうか婿にしたいと母親に頼んだ。母親は魔法使いでありましたので魔法で以て阿難を引きつけた。釈尊がそれを見られ、阿難を非常に気の毒がられ阿難を披出してしまはれた。するとその女が阿難の後をくつついて来てなかなか離れない。阿難が非常に困り釈尊にどうかして下さいと頼んだ、すると釈尊はその女に向ひ、お前は阿難が好きか、阿難を亭主にするつもりか、若し阿難を亭主にするつもりなら頭を剃つてぐるぐる坊主になつて来い、さうしたら阿難の妻君にしてやらうと言はれた。女は喜んで家に帰り母に相談したところ、母はそれは困る、お前は或身分のある立派なところから嫁に懇望されて居る、それに頭を剃つてぐるぐる坊主になつてくれては困る、よそにやるわけにゆかぬ、それはやめてくれと頻りに止めた。けれど娘は阿難に添ひ遂げたいという一心から頭を剃つてしまひ釈尊のところに行つた、すると釈尊は、お前は阿難のどこがよいのか、阿難の顔がよいのか、手がよいのか、髪がよいのか、よく考へて見なさい、眼には眼の脂がある、穢いではないか、鼻には鼻汁がある、穢いではないか、口の中には唾気がある、穢いではないか、身体中どこに綺麗なところはないではないか、夫婦になれば子か出来る、子供が出来たら死ぬるではないか、死ねば悲しいではないか、一体どこがよくて阿難を好くか、かういふ風にだんだんと身体は穢い穢い、と悪口を言つたところ、その女は私の考へが間違つて居りましたと言つて釈尊のお弟子になつたといふのであります。  これは釈尊の始終いはれる筆法で、普通の人ならそんなことをしてはいかぬ、そんな阿難など慕ふてはいかぬ、かういつて抑へつけますが、釈尊は其の反対に妻君にしてやる、頭を剃つて来いといひ、さてさうして来るとだんだん人間の相の浅間しいことを説明する、総てものの道理が判れば迷ひがなくなるのでありますから、そんなことをしてはいかぬとは決して言はない。その考へて居ることの浅間しいことをだんだんと説明し、浅間しいといふ本当の相が判つた時にその希望が無くなるやうに説いて居られる。宗教といふものは必ずさういふ風にして導かれるものでありませう。  自分の相  有難くならう有難くならうと考へては決して有難くならぬ。有難くないといふ心持をだんだんと考へて行つたら有難いといふ心持になれる。有難くならうと自分の心に蓋をした時には有難くなるわけはない。作つて有難くなることは出来ませうけれども、それは自分を欺すのであります。自己を欺すといふことは決して宗教でない。釈尊はこのことを左のやうな例を奉げて説明して居られます。  或戦争の時、敵の兵隊が逃げた後に乗り込んで或家に入つたところ、そこに酒徳利が置いてあつた。そこに入つた人は酒が非常に好きで、飲みたいといふ食欲の心が起きた。然し敵の地に入り込んだのだから若しこの酒の中に毒でも入れてあると忽ち死ななくてはならぬからうつかり飲めない。その酒を檢査してみたところが、果して毒があつたのであります。それで酒を飲みたいといふ貪欲の心は全く無くなつたといふのであります。  我々が貪欲とか何とかいろんなことで迷ふといふけれども、それは元の相がはつきり判らぬからであります。酒の中に毒があるといふことが判つたら飲みはしない。飲みたいといふ心が無くなつてしまふ。だから我々は本当の相をよく見なければならぬ。自分といふものの相をよく見なければならぬのであります。相をよく見るといふことは結局内省であります。人間が内省すれば愚かであり悪るいのであるというよりほかない筈であります。尤もこれはさう単純に片附くべきものではありませぬ。そこには順序もあります。  我々は自分の相を見ず、悪るいものとは決して思はぬ。そこでいろんな計ひをする、いろんな智慧を出す、そこで宗教から離れるのであります。お説教を聴いても自分に都合がよければ有難いと言ひ、自分の心に合はない時は有難くないといふのであります。  近頃死なれた九州博多の萬行寺の七里和上といふ人は、ちよつと変つた人であります。或人が和上のところへ行つて「浄土真宗の話を聴きたい」と言つたところ和上は「仏様がたすけてやると言はれた」と言つただけで何も言はぬ。この同行は浄土真宗の信仰が強いといふ評判の人で、遠方からわざわざ来たのでありますから、もつと精しく、浄土真宗といふものは、仏の本願といふのはかういふもので、なんとかかんとか説明して貰ひたかつたので「もう少し精しく何とか説明して頂きたい」と言ひました。すると和上は「お前さんは仏様にたすけて貰ひたいのではないか」と。同行は「そのとほり、私は仏様にたすけて貰ひたいと思ひます」すると和上は「お前さんは仏様にたすけて貰ひたいと考へて居るのではないか、そして仏様がたすけてやると言はれる、それで落著して居るではないか、あとに何も用はないではないか」と言はれた。これは所謂禅宗の問答のやうで何だか判らぬ。全くお互に他のことを考へて居るから、言葉の数をよけいにすればするだけ判らぬのは最も簡単な言葉でありますから、なほ判らぬ。精しく言へばなほ判らぬ。自分の考へなどをそこに挟むとなほ判らむのであります。  真宗大谷派の講師に、実成院といふ人がありました。その実成院に「仏様は我々のやうな温かな者をたすけてやると言はれるさうでありますが、有難いとお受けしてよろしうございますかときいた。実成院がいかぬ」と言ふ。「さうすれば私のやうな罪の深い者はただ仏のお慈悲を喜んで居ればよろしいのでございませうか」ときいた。「いかぬ」と言ふ。これでは手も足も出ない。もう仕方がない、もうそれきりである。このそれきりというところがたすけられて居るのであり、そこに宗教が存するのであります。実際我々は、仏のお慈悲を知つたものでもなく、仏を有難いと思ふ人間でもなく、実に仏に接したものでもなく、さうかといつてものの道理をよく辨へたものでもなく、又十間。二十間も天の方に昇るだけの力もなく、地面を掘つて下に入る力もなければ、どうすることも出来ないのであります。それをどうかして、仕方のないことを仕方のあるやうに自分の力でしやうといふところにその人の力はあります。けれども宗教はない。心のはからひは確かにあるが、心のはからひは宗教を妨げる、自分のはからひは捨てなければならぬのに、その妨げになることをどしどしやつてゆくところに宗教から益々離れる、仏がたすけてやると言はれるからたすけて貰へばよい筈であるが、却つてさうはいかぬ。それはたすけて貰ひたいといふことを人に向つて頼むからであります。たすかるといふことは、自分が自分の心の相を知つたことであるということが判れば、何も不安心なことはないのに、頼むものを向ふに置いて、何処かその辺に居られる仏さんがたすけてやると言はれ、それでたすかると思ふから、いくらたすけてやると言はれてもなかなか安心が出来ないのであります。  自分が悪るいと思つたら、人間といふものは必ず自由の世界に出て居るものであり、喜びの心が起きてくるのであります。他人が悪るいと思つたら、決して自由の世界に出て居らず、又よろこびの心が起きるものではない。一体人が悪くて自分の方がよいのだから、喜びの心が起きさうなものですが、決して起きるものではない。責任といふものを自分がすつかり負つた時、人間といふものはたすけられるものであります。  善悪  よくあることでありますが、間違へられて迷惑を蒙る場合に、間違つた入が悪るく自分はよいのだから心持がよい筈であります。がこの場合は必ず心持が悪るい。反対に自分が悪るいといふことを知つた場合には何時でも心持がよい。それは世の中によいとか悪るいとかといふことが自然の状態に於てはない筈であり、即ち宇宙の現象としては善いとか悪るいとかといふことはない筈であります。それを善いとか悪るいとかと二つに分けて考へるのは人間の考へであり、即ち人間の心に善いとか悪るいとかといふ二つがあるのであります。善いといへば悪るいの反対、悪るいといへば良いの反対であります。だから自分がよいと考へた時には、自分の周囲のものは皆悪るいのであります。だから心持が悪るい。自分が悪るいと思つたら、周囲は皆善いのでありますから、確かに心持がよいのであります。  けれどもそれは皆自分の心から起きてくるのでありますから、釈尊の教では心を法の本とすといひ、その心を始末してゆくことが大切で、宗教とは全く自分の心を始末してゆくものであると言つても差支ないと思ひます。  第六講 信心と仏身  思索  我々が思索分別をやめた時、自ら現れて来る感情が宗教でありますが、それが如何なる要素から起きて来るかというと、第一は思索であり、第二は信仰であります。この二つの要素の他にもう一つ崇高かな実在の顕現といふ難しい言葉でいはなくてはならぬはたらきがあります。この三つの要素がはたらきを十分に現した時、宗教意識が我々の心の中に起きて来るのであります。  普通思索といへばいろいろなことを考へる、所謂哲学上の思索のこともありますが、今とこで申すのは知識のはたらきを使つていろんなことを考へて、研究をするという意味ではなく、自分といふものの相をよく見て、自分といふものの本当の有樣に心を向けて行くことを申すのであります。  信仰  信仰も普通には自分の智慧が足りなくて解決のつかぬことは何でもそれを信ずるより他仕方がないといはれてゐますが、ここで云ふ意味はそれとは違ふのであります。若しこの様な考へ方なら智慧の足らぬところだけを信ずるのでありますから、智慧がだんだんと進んで来れば信ずる領分は減るでせう。幾ら考へてもわからぬ心から信ずるより他仕方がないというのは極めて漠然としている。それから考へてわかつたら信じないか。又わからぬから何故信ずるか、わからぬことが信じられるか。これを極くわかり易く申せば、二と五と合して七になるといふ事実が信じられないか、若しくは信じられるか、又さういふ風なことを議論する必要があるか、人間の考へてゐる事実は二と五と合せて七であつても、人間の考へられない世界では、二と五と合せて八になるといふ事実があるかも知れない。さういふことを信仰だといふ人もありますけれども、私はさうではないと思ふ。基督教の著書に、不合理であるから、理屈に合はぬから信じなくてはならぬ、二と五と合して八になるから、理屈に合つてゐるから信じなくてもよい、二と五と合せて八になれば理屈に合はぬから信じなくてはならぬと説いてある。然しさういふことは我々には出来るものではない。二と五と合せて八になるといふことを信じなくてはならぬといふ心が起きて来るか。コップを見て座布団だと信じられるか、若しさうなら信仰とは人間の得手勝手のはたらきである。都合のよい時には座布團と信じ、又都合が悪るければコップと信ずる、全く都合がよいところに自分の都合のよい対象を出すのであります。宗教の信仰とはかかるのではありません。  我々の世の中を見て行くはたらきは認識のはたらきである。その認識のはたらきは、目や、耳や、鼻や、口やその他の感覚のはたらきでなされる。然し感覚には限りがある。即ち目と雖も遠方のものは見えず、又明りがなければ見えない、耳遠方のものは聞えないし、又近くでもまかり間違へば聞えない。世の中には日々の感覚が鈍くて認められぬ所に尚是非共認めなければならぬものがあります。それを認めやうとするところに信仰といふはたらきが起きて来るのであります。即ち信仰は認識の最高級のものであります。  人間の得手勝手な想像に過ぎないやうな、人間がよい加減なことを考へてそれを推定するに過ぎないやうな宗教は役に立つわけはありませぬ。本当の宗教は我々の感覚を使ひきつた時に起きる自然のはたらきであります。感覚を使ひきつた先はもう不可思議だというより他に言葉はないのであります。  信仰とは不可思議を信ずるのであります。二と五と合せて七になるといふ、これ位不思議なことはない、而もそれは我々の世界では事実であります。恐らくこれを疑つておる人はありますまい、そこに宗教の信仰があるのであります。これは数字で例をあげましたからよくわかりますが、宗教の問題になつたら多くの人が迷つて来ます。この迷ひは考へが足りないからであります。いひ換へれば不可思議を凝はぬことであります。それが宗教の要素であります。  実在の顕現  もう一とつの要素である崇高なる実在とは、我々人間が考へてゐる実在の中で最も高尚なものをいふので、宗教の意味からは神であり、仏教の言葉では仏であります。仏が顕現して来なければ宗教にはならない。我々の宗教意識の中にはどうしても仏といふのがなくてはならない故に、仏といものが実在の形を以て出て来るのであります。平易な言葉でいへば明日というものは我々にはなくてはならないものでありますから、我々は明日といふものの実在を信じて疑はないのであります。仏もそれと同じ意味であります。それを逆に仏といふものが別にあり、その別にある仏を自分の心の中に取り入れやうと考へたなら、その仏は自分の心の中に容易に入るものではない。故に宗教の心持にどうしても出て来なくてはならぬ仏とは精神上の実在性のものであります。  基督教では、神は世界を造つてそれを支配してをり、我々は神の子で神の意志に従つて生活しているといふ。これはどこかに我々を超越した神があるといふ考へですが、さういふ考へを持つて居つても、宗教意識といふことになつた場合には、神は内在すると説くのであります。  仏教で仏と申すのは、仏陀即ちインドの言葉のブッダハの略であります。ブッダハは菩提を獲得したものといふ意であります。菩提とはインドの言葉で「阿緑多羅三藐三菩提」といひ、その阿緑多羅とは無上といふこと、三藐三菩提とは正偏知といふのであつて、結局無上正偏知を得たといふことであります。無上正偏知とはこの上もない立派な智慧であります。支那の翻訳では、覚者といひ、無上正偏知を得たものとは、覚りを開いたもの、覚つたもの、つまり智慧のすぐれたものが仏陀なのであります。この仏を精神上の実在として智慧を無上のところまで進めたら、その精神が現れて来ると説くのであります。故に仏教で仏といふのは、我々が人間として到ることの出来る智慧と道徳との全く完全な理想境であります。その境まで行つた時に仏といはれ、仏となる。故にその仏になる道を説く仏教は少しも神秘的なことを考へてゐるのではない。わからないから信じよと、そんなことを説くのではない。又かういふ風に信じなくてはいかぬと説くのでもないのであります。  他の宗旨では到底人間の力ではわからぬから、かういふことを信じなくてはならぬと説く。西洋の学者は、宗教とは丸薬だから噛んではいかぬ、丸のみにするものであるといふ。しかし仏教は丸薬ではなく、あくまでの噛んで噛んで行くべきところの我々の精神の食物であります。  善神と悪神  仏陀とは菩提を獲得したものだ、覚りを開いたものだと単簡に片づけましたが、仏教で説く仏はさう単簡なものではありません。そこでこれから仏といふものの分析をして見ませう。一体かういふことをするのは私としては無益のことでありますが、科学と宗教のお話を続けて行くため、而も今日の人々は大なり小なり科学の考へで世の中を見て居りますから、どうしてもこんな廻り道を要するのです。先づ我々の心のはたらきにつきて考へて見るに、人間といふものは智慧相当に世の中を見るもので、自分の智慧で判つた時にはわかる、自分の智慧でわからぬ時にはわからぬと、物事を二つに分けて進んで行きます。而もそのわからぬことをわからぬですます訳には行かぬ心持をもつています。わからぬことはどうしてもわからせなければならぬ、そこで想像したり、得手勝手な考へをして見る。さうして自分の都合のよいことを考へて見る、而も片一方では智慧が足らぬから、恰度子供がものを考へるのと同じく、自分の周囲のものは大抵自分と同じやうな心持を持つてゐると考へます。そこで自分の周囲のものがいろんなことをして、それが自分に都合の悪るい時は不快であるから、その相手のものを恨む。例へば厄病が流行る、さうするとそれは厄病の神がその病気を拵へるのだと恨む。智慧が少し進んで来ると厄病が流行るといつても強ち厄病の神がするのではなく、自分の不養生が関係してゐると考へる。すると神に善い神が出て来る、それだから人間の智慧のはたらきとしては初めに悪るい神を必ず考へる、次で自分といふものを内省することが出来たら善い神を持つて来る、善いことをするのは善い神、悪るいことをするのは悪るい神とする。而も我々は自分のよいことを希望するから善い神を希望し、善い神の機嫌を取り、悪るい神を叩きつけて自分の思ふ通ほりにして行かうといふのが順序であります。神や仏が自分の心の中にあるのではなく、自分の心を攪乱するものが外にをるのだから、神にも悪るい奴と、善い奴とがゐる。昔から例のある狐を神様にして油揚げをあげてみたり、竈を神様にして鹽を撒いてみたり、風が吹けば風を神にする。雨が降れば雨を神様にする。石のヘんてこな形があればそれを神様にする。何でも神様にする。それだからその神の種類は世に無数であります。それが仏教でいふ仏でないことは明かであります。こんなものは無上正偏知を獲得したものではありません。  「法句経」に、  「或多自帰 山川樹神 廟立図像 祭祠求福。自帰如是 非吉非上 彼不能来 度我衆苦。 如有自帰仏法聖衆 道徳四諦 必見正慧。」  とあります。この意味は多くのものどもは、山や川や樹を神様にし、それに帰依して神社を建てたり、箱に書いたり、像に彫つたりして、それを祀りて幸を求める、さういふものに帰依することはよいことではない。さらいふものを幾ら祀つても、さういふものが来つて自分の諸の苦しみを濟度することが出来る訳でない。若し仏と法とそれを行つておる聖衆及び苦・集・滅・道の四諦に帰依することがあつたら、正しい智慧を得ることが出来る。即ち菩提を獲得することが出来ると釈尊は説かれるのであります。  自在天  「仏所行護」といふのは、仏が行はれたところを讃するといふ意味で、つまり釈尊の伝記です。これは詩であつて、馬鳴菩薩が作られたといはれている。釈尊の伝記の中で最も古い、最も確実なもので、釈尊が死なれて後、約六百年から七百年の間に出来たのでありまして、お経としても古いものであります。その書物の中の数節をあげると、 「若し自在天の生なれば、長幼先後無く 亦五道輪無く、生者は滅せざるべく 亦災患に応ぜず、悪を作する亦過に非ず 淨と不浄業と与なる、斯れ自在天に由ればなり 若し自在天の生なれば、世間は疑ふべからず 子の父より生ずるが如く、執か其尊を識らざらん 人窮苦に遭ふの時、応に反つて天を怨むべからず 悉く応に自在を崇むべく、応に余神を奉すべからず 自在は是れ作者なれば、応に自在と名づくべからず 其れ是作を以ての故に、彼則ち応に常作たるべき 常作は即ち自ら勞す、何を名づけてか自在と為さん 若し無心にして作さば、嬰児の所作の如く 若し有心にして作さば、有心は自在に非ず 苦樂は衆生に由り、即ち自在の作に非ず 自在は苦樂を生ぜば、彼に応に愛憎有るべし 己に愛憎有るが故に、自在と称すべからず 若し復自在の作ならば、衆生は黙然すべし 彼自在力に任ぜば、何の修善をか用ふるを為さん 正に復善悪を修して、応に業報有るべからず。」  自在天とは、その頃のインドで多くの人々が信じてゐた、恰度基督教のゴッドのやうな性質のもので、世の中を創造し、人間を支配している神様である。  文の意味は若し自在天が造つたといふなら、年を取つたとか、若いとか、後先なんかといふことのある筈はない。又五道即ち、天国、人間、畜生、俄鬼、地獄、これは総て人間の心持が起したので、それ等が別々に離れてあるのではない。つまり人間の心持に善い心持と、悪るい心持の起るべき筈はない。生きた者のも滅びず、災厄もあるべき筈はない。悪るいことをしても過ちではない。自在天といふ神様がさういふことを造つたのならば、悪るいことをする人間も神様が造つたのである。そんなら清浄潔白の行為をしやうと、不潔の行ひをしやうと皆自在天がすることである。自分のすることでない。若し自在天が生ずるなれば、世界に疑ひといふものはない、あたかも自分の一人の子供が父に対し、畏敬の念を怠らぬやうに、この創造者たる自在天に対して、誰人も疑を起さぬ。若し不幸が自分の上に降りかかつて来ても、自在天に対して怨み逆らつてはならぬ筈、只管に自在天といふものを尊敬して冥福を折らなければならぬ。衆生は獣然としてただ自然の力に任して行かなければならぬ。神が造つたならば我々は何とも出来ない。それだから人間は何もよいことをしなくともよい、よいことをしても何の役にも立たぬ。皆神様がすることである。善いことをしても、悪るいことをしても、業報といふもののあるべき苦はないといふ意味です。  かういふ風に考へると、自在天といふものは我々には何でもない、これは釈尊が当時の人々が自在天を信じてゐたのを理屈で打ち壊したのであります。神や仏が我々を支配して、我々をどうかして下さるといふのであれば、我々は神の命令のままにして行けばよい、甚だしい時は自分の一挙一動が皆神の思召しだと考へ、道徳も役に立たぬことになります。  如何なる仏教の学者に聞いても、又お経を見ても、仏とはこんなものではありません。  三仏身  そこで問題になるのは、仏とは無上正偏知を得たものとするなら、釈尊は何故仏であるかといふことです。仏が釈尊の前にあつて、釈尊が又仏になるのか、又釈尊の後に仏が出来ておるか、又これから先出来るか、然しこれ等は人間知識のはたらきでありますから、宗教として考へた時には無上正偏知を獲得するといふことは、結局不可思議であるといふ以上にはどうすることも出来ない筈であります。然し人間の智慧のはたらきで、それを何とか彼とか説明をするのであります。本当の宗教の意味からは、仏は不可思議のものだといへばよいのだが、さうはいひたくない、かくそれでは承知しない。そこで師の講釈がだんだんと発展をして来たのであります。釈尊の考へでは「如有自帰仏法聖衆道徳四諦必見正慧」といふので、仏といふものは法であり、正法であります。正法といふのは我々にはわからないのであります。所謂不可思議のものであります。法は不可思議にして思慮分別のよく解するところにあらずと、「法華経」に書いてある。  この釈尊の考へをだんだんと学問にして、仏といふものの学問や、仏といふものの説明が出来たのであります。この説明は「金光明経」の講釈の中にあります。  三仏身  「身即聚集之義、諸法を聚集して身を成す。所謂理法の聚るを法身と名づく、智法の聚るを報身と名づく、功徳法の聚るを応身と名づく。理法の聚るを法身と名づくとは、法性の法を聚集して、此身を成すなり。智法の聚るを報身と名づくとは、智即ち能く法性の智に契ひ、智と法性と相合して此身を成すなり。功徳法の聚るを応身と名づくとは、智に由りて理に契ひ一切功徳の法を聚集し、用を起し、他を化し、穢に随ふて応現して此身を成すなり。」(金光明釈玄義)  仏には法身、報身、応身の三つの身体があると説く、さうしてその説明がしてあるのであります。  「理法の聚るを法身と名づくとは、法性の法を聚集して此身を成すなり。」  理法とは真如である。法性というのは真如のこと、だから真如といふ法性が即ち真理が身体を成した時法身といふ。  「智法の聚るを報身と名づくとは、智即ち能く法性の智に契ひ、智と法性と相合して此身を成すなり」、即ちその法性と人間の智慧と、それが集つてそこに身体が出来た時、これを報身といふ。  「功徳法の聚るを応身と名づくとは、智に由りて理に契ひ、一切功徳の法を聚集し、用を起し、他を化し、機に随ふて応身現して此身を成すなり、」  人間の智慧のはたらきが真理に適ひ、一切の功徳がそこに現れて、それがはたらきを起して、他の人を化導し、それが相手の人に応じて形を現して来る。それを応身というのであります。  釈尊の身体には法身がちやんとある。それが釈尊の智慧に応じて出て来た時には報身になる。その釈尊が人間として他の人を化導して居られる場合には応身であります。釈尊はこの三つを備へてゐる訳です。釈尊を応身としての仏と見る人もあれば、報身としての仏と見る人もあり、法身としての仏と見る人もあります。  法身仏  釈尊の後を承け継いで、いろいろの宗派が出来、そのいろいろの宗派が説くところの仏に、この三つの違いが出来たのであります。真言宗では、正法を仏とする、それが大日如来であり、毘盧遮那仏であつて、これは法身の如来であります。仏教の言葉ではこれを理仏と名づけるのであります。  報身仏、応身仏  法性が人間の智慧と一緒になつて現れた場合には、浄土真宗で説く阿弥陀如来で、これは報身の如来である。仏教では事仏と名づける。禅宗は是心是仏、この心これ仏といふことを説く教へでありますから、釈迦何人ぞ、我何人ぞといふ心持になります。だんだん修行して汚い心をやめ、悪るい智慧を去つて、本来の面目をそこに見る時は、この心これ仏であります。けれどもそれでは宗教といふ人間の智慧を離れて自ら起きて来る感情のはたらきには決してならない。それで禅宗が宗教といふ心持をだした場合には、必ず南無仏と申してゐます。これは応身の仏であります。南無仏は、南無釈迦仏であり、南無釈迦仏とは法身の如来が釈尊の身体に現れてゐる場合で、故に釈尊が仏であります。釈尊そのものの身体に真如法性の理仏が出て来るところを見て、そこに仏といふことを感ずるのであります。  此等宗教の仏は各宗違つてあるが、もともと真如から出たものでありますから、仏の本質に於ては少しも違はないのであります。  仏となる道  さて我々が諸の苦しみを濟度せられやうといふ仏は阿弥陀如来であります。何となれば、どんな教義を学び、どんな宗派に属して居ても自分の心の内面をよく見、智慧が足りない、道徳に背いて致方がないといふ、その悪るいところが十分に判り、どうすることも出来ない、その悪るいところを直して行かうといふ心も起きませうけれども、それは十分に判つてをらぬのであるから、結局どうすることもできない。どうしても仕方がないからこのままでよいと考へたら、それはまだ考へが足らぬ、どうも仕方がない、どうかしやうといふ心持は徹底して起る心持ではない。どうも私の力に及びませぬといふものは、どうかして自分の力に及ぼさうといふ考へがあるからです。しかし全くどうすることも出来ないといふところまで思索が進んで来たなら、生死の縁を離れることはないと考へた時に、初めて自分の心の相が本当にわかつたといへるのであります。そこに起きて来るのが正法であり、そこに真如がはたらきを起すので、さういふ風に心を運ばした時、阿弥陀如来といふ所謂報身の如来を心の中に感じなくてはならぬ筈でありませう。正法が不思議であるから、その正法がそこに出て来るその不思議を信じて疑はないといふ心持になつて、初めて人間として無上正偏知を獲得するといふことがいへるのであります。そこに仏となる道が開けるのでありませう。  親鸞聖人はその意味を明瞭に、「唯信鈔文意」といふ書物の中に次のやうに書いてをられる。この書物は死なれる五年前、八十五歳の円熟した精神状態の時書かれたのであります。その中に「涅槃をば滅度といふ、無為といふ、安樂といふ、常樂といふ、実相といふ、法身といふ、法性といふ、真如といふ、一如といふ、仏性といふ、」即ち親鸞聖人にありては涅槃、滅度、無為、安樂、常樂、実相、法身、法性、真如、一如、仏性、皆同じことであります。而して「仏性すなはち如来なり」といつてゐられる、これは法身の仏のことをいふのであります。「この如来微塵世界にみちみちたまへり。すなはち一切群生海のところなり。草木国土ことごとくみな成仏すととけり。」この法身の如来即ち真理といふものは世の中にみちみちてゐる、どんなものの中にもみちてゐる。それ故に草木国土悉く成仏すと仏教で説いておるのであります。  法性法身  親鸞聖人は続けて「この一切有情の心に方便法身の誓願を信樂するが故に、この信心すなはち仏性なり、この仏性すなはち法性なり、法性すなはち法身なり」と記して居られる、その真理である仏が我々の心のはたらきの中にちやんと出て来る場合があるから、それが出て来た場合には、「信心すなはち仏性なり、この仏性すなはち法性なり、法性すなはち法身なり」、そこで「しかれば仏について二種の法身まします」かう考へると、仏には二つの法身があると考へなければならぬ「ひとつには法性法身とまふす、ふたつには方便法身とまふす、法性法身とまふすは、いろもなし、かたちもましまさず、しかれば、こころもおよばず、ことばもたへたり。」だから真理といふもの、法といふものは、まことに不可思議なもので、我々に考へることも、言ふことも、どうすることも出来ないものであります。  方便法身  「この一如よりかたちをあらはして、方便法身とまふす」これが形をだした場合には方便法身といはれる。形を出すといふのは、自分の考へに浮んで来るのであります。「その御すがたに、法蔵比丘となのりたまひて、不可思議の四十八願をおこしあらはしたまふなり、この誓願のなかに、光明無量の本願、壽命無量の弘誓を本としてあらはれたまへる御かたちを、世観菩薩は尽十方無碍光如来となづけたてまつりたまへり。この如来すなはち誓願の業因にむくひたまひて報身如来とまふすなり」それだから衆生を助けやうといふそのはたらきに適応して出て来られたから報身といふ。「すなはち阿弥陀如来とまふすなり」即ち阿弥陀如来が方便法身の如来というのであります。「報といふは、たねにむくひたるゆへなり、此の報身より応化等の無量無数の身をあらはして、微塵世界に無碍の智慧光をはなたしめたまふゆへに、尽十方無碍光仏とまふす」即ち方便の法身の如来といふものは阿弥陀如来であるが、その阿弥陀如来は、応身化身といふやうないろんな形を現して、この世界に無碍の智慧を放ちたまふ故に尽十方無碍光仏といふ名前をつけてある「ひかりの御かたちにていろもましまさず、かたちもましまさず、すなはち法性法身におなじくして、無明のやみをはらひ、悪業にさへられず、この故に無碍光とまふすなり。無碍は有情の悪業煩悩にさへられずとなり、しかれば阿弥陀仏は光明なり。光明は智慧のかたちなりとしるべし」と記されてあります。阿弥陀仏は光明である、光明といふのは智慧のことであります。阿弥陀仏といふのは智慧のはたらきである。光明は智慧のかたちなりとしるべし、さうしてその終りに、「ゐなかのひとびとの文字のこころもしらず、あさましき愚凝きはまりなきゆへに、やすくこころえさせんとて、おなじことをたびたびとりかへしとりかへしかきつけたり、こころあらん人はおかしくおもふべし、あざけりをなすべし。しかれどもおほかたのそしりをかへりみず、ひとすぢにをろかなるものをととのえさせんとてしるせるなり。正嘉元歳了巳八月十九日」と親鸞聖人は結んでおられる。どんな愚な人にでもわかるやうに書かれたので恐らく誰にでもわかりませう。それだから仏教で仏陀といふのは、無上正偏知を獲得したものといふことに決つてゐる。  南無阿弥陀仏  釈尊が無上正偏知を説かれた時には、法に帰依しろ、仏に帰依しろと云はれる。これを以つて見れば正法を仏といつてあることは明かであります。正法とは不可思議にして我々にはわからぬものである。そのわからないものが我々にわかるのは、我々の智慧の中に光明として出て来るから、即ち真如が形を現して光りとなつて自分の心に現れて来るからである。けれどもそれは色もなく、形もない。ただ我々を照して我々を向ふに進める力となつて現れて来る。即ち正法であります。その正法を得るところに仏になる道が何時でも開けて来る。阿弥陀如来といふ方便法身の如来が自分の心に出て来たといふのであります。だから阿弥陀如来といふものが向ふの方にどこか坐つて居られ、その方に向いてお話をしているといふ風な心持ではないのであります。  お経の中に阿弥陀仏は現に西方の極樂に居られると書いてあるが、そのそばに今現にましまして説法したまふと書いてある。今現に説法せられるというならば、二千年三千年も前に仏が居つて、その仏が西方に居られるといふのではなく、今でも居られる、何時でも居るといふのであります。  この親鸞聖人の考へは至つて細かな考へでありまして、更に説明を要するのであります。この文章に書いてあるところでは、衆生が自分の浅ましいといふ心の相を知つた時に、そこに阿弥陀仏が現れて来られ、光りを放たれるといふ。すると阿弥陀仏が向ふにあり、自分がこちらにあつて、阿弥陀仏がだんだんと自分の心の中に歩いて来られるといふ風に聞える。又さういふ風に考へられる。又多くの人がさう考へてゐるでありませう。仏教の方ではこれを法といひ、機といひ、機の上に法が現れるといひます。若しさういふ考へであるなれば、阿弥陀如来が大勢居られればよいけれども、一人居られるところに大勢のものが行つてどうか来て下さいと頼んだ時には、どこに行つてよいか分らぬ、又どこに居られるかもわからぬ、又居るといつても留守のこともある、承知したとか何とかいはれないと困りませう。さういふことでは宗教にはならぬ。親鸞聖人のここに書かれたのはさういふ意味ではない。親鸞聖人のいはれるのは、自分の心の浅ましいといふことが判つた時には、そこに阿弥陀如来が光明を放つ、それを南無阿弥陀仏といふのであります。それが親鸞聖人のいはれる仏であります。それが方便法身であります。  南無とは支那の言葉で二通ほりの意味があるやうですが、多くの場合これを帰命といふのであります。帰命といふことは仰せに帰ふことで、阿弥陀仏は支那の言葉に直すと、阿弥陀とは無量壽、仏は如来であります。それで南無阿弥陀仏とは帰命無量壽如来といふのである。結局は阿弥陀仏の仰せに随ふといふのであります。阿弥陀仏の仰せに随ふその行ひであります。その態度であります。その態度が仏だといはれるところに強い宗教の意義があります。我々が阿弥陀仏に南無するといふなら、阿弥陀仏といふものがちやんと離れてをつて、それに接する。しかし我々は自分の心が浅ましいということを徹底して考へた時には、仏に南無する力もない。その南無する力も仏の方から出て来る、仏の方から我々を仏の方に引き寄せるやうなはたらきをするといふのであります。私の方は仰せに随ふといふ態度になつて来なければいけない筈であります。  第七講 現身仏と法身仏  世寧と法  釈尊が世に居られた頃は其の教へを釈尊に面謁して釈尊の言葉を釈尊の口から聞く事が出来ました。而して釈尊が非常に偉大な人格であつて、偉大な教へに感歎した人々がその周囲に集つて居つたのですから、その人々が仏と言つたのは明かに釈尊を指していつたのであります。即ち釈尊を世尊といつて居つた。これは世に尊いもの、この上のないもの、即ち仏といふ意味であります。  ところが釈尊の人滅の後、だんだんと年月が遠ざかつて最早や釈尊の顔を見ることが出来ず、釈尊と話すことが出来ないで、ただ釈尊の言葉だけが殘つて伝つて居ることとなりました。而してこの釈尊の言葉に出たのは法であります。この時代の人々は釈尊の説かれた法に依つて導かれ又進んで行くのです。そこで仏といふものが法になつてしまつたのであります。それ故に釈尊を離るることさう遠くない時代に、仏とは法のことでありました。  更に時代が進むと、その現れ方がいろいろあります。即ち法のずつと奥に真如がある。而して宇宙の根本は真如でありますから、それが仏と考へられて、そこに理仏といふものが出来たのであります。  理仏  かういふ考へは今の人にもあります。殊に自然科学では宇宙の根本が仏であるといへば容易に承認するでせう。ドイツの動物学者ヘッケルは、基督教の神を非常に悪口をいつた、ああいふ風な神はガス状態の脊椎動物だといつた、脊椎動物は骨があり、固形物でありますが、基督教の神はガス状態なのです。このヘッケルの書いた「宇宙の謎」と「生命の不可思議」といふ本は全く基督教の攻撃であり、世界中で議論された本でありますが、それ位基督教を攻撃した人でも宇宙の根本を神とするなら異論はないといつて居ます。その法則が神であるなら異論はない筈です。又実際その様な神を主張する人もある。故に真如を仏と考へるなら今日の科学の思想に背いてゐない訳です。  所が基督教で説く神では異論があります。口シャの文学者のトルストイは「吾が宗教」といふ書物に神がこの世を造つて我々を支配するといふやうなことは馬鹿らしくて信じられない、全く不合理だと、随分徹底的に悪口を書いているが、殊にこれは自然科学者にとつてはもつと馬鹿らしいことでありませう。何故なら自然科学の今日の思想から云へば、世の中は誰かが固つたものを造つたのではなく、だんだんと発達したのであります。人の身体でも人の精神でも、それが遺伝と適応とで進んで来たと考へて居るからです。  事仏  仏教では仏も衆生も皆一とつであるといふ、これは華厳宗以来明かに説いてある。真如が形を現してそこに極樂となり、地獄となり、或は仏となり、衆生となるのだから、其等は本質に於ては同じである。故に衆生が仏になることが出来る。若し本質の違つたものであれば衆生が仏になれない理窟であります。  故に法が仏であるといふ考への中にも真如そのものが仏であると考へる理仏と、真如の活動が仏であると考へる事仏との二つがだんだんと時代を経るに従つて出て来たのであります。真如とは形もなく色もなく見ることも考へることも出来ない、その真如が形を現して我々に或るはたらきを現した時それが我々にわかる。我々にわからぬ真如がわかるやうになつたといふ意味が阿弥陀仏、即ち事仏であります。事仏といふのは形を現して我々の心にはたらくといふ意味であり、他の言葉では報身の如来であります。  法身、報身、応身  その理仏と事仏とがこの世に人の身体に出て来ることをだんだんと考へなくてはならぬやうになつた。これが応身の仏であります。これは報身よりももつと人間的のものであります。それが全く人間に出て来たら化身であります。法然上人が阿弥陀如来の化身であるといふ場合には全く人間的のものである。かう考へる時には釈尊の一とつの身体に法身もあり報身もあり応身もあり化身もある。即ち釈尊の身体中に真理もあり、その真理のはたらきもある。それがだんだんと人間的のはたらきをおして来る。  斯くて考へが進んで来ると、仏を見ることも亦進んで来て、全く具体的となりました。即ち釈尊の身体に出て来たところの法身が大日如来であり、報身が阿弥陀仏であり、応身が釈迦牟尼仏と考へられるに至りました。結局我々には真理は人の身体に出て来なければ見ることが出来ないから、釈尊の身体に出て来たのを見て、法身、報身、応身といふことを知るものだと釈尊が説かれたといふことになります。  仏の相  しかしその考へはもう一層宗教的に進むべきものだと思ひます。何となれば釈尊の身体に出た法身を大日如来と見るといつても我々はさういうことを見得べきものでない、即ち我々の心に考へることも出来ない、いふことも出来ないものを、我々が考へたりいつたりする時には既に真如ではない、即ち大日如来ではないといふのであります。理屈からいへば理が即ち法身であり、法身が大日如来であるとすれば、真理が大日如来であるといはれます。しかしそれは宗教的ではない、即ち自分の心を見ての話でなく自分の心の外を見ての話であります。  カントの「物自体」は、我々は時間と空間の形式にはめて考へることが出来ない。我々の認識の中にあるべきものでない。我々が考へることが出来たら「物自体」ではない。物如ではない。それを我々が考へ得るには物如が現象を現して人間の認識に入らなければいかない、さうなればもう物如ではないのであります。 理屈からは大日如来は考へられるが、それは理窟だから間違つたものを大日如来と考へて居るかも知れない。又考へ得べきものでないかも知れない、だからもう一歩進むべきものであると思ひます。  阿弥陀仏が報身の如来であるといふことは考へることが出来ます。即ち阿弥陀仏をば考へる事が出来ます。然し阿弥陀仏が事仏であるといつても、その夢に宙ぶらりんに転つて居る仏であるとか、どこかそこらに家でも建てて居るとかは考へられぬのであります。釈迦牟尼仏などはもつと考へ易いのであります。ところがその釈迦牟尼仏を自分の身体に出さうといふことになると又問題になる。釈迦牟尼仏が仏であるとは明かでありますが、それから釈迦牟尼仏を自分の心に出し得るか、即ち我々が釈尊のやられたやうな行をやつて、釈尊のやられたやうな覚りを開いて、釈尊の行かれたところの境まで行くことが出来るか、これが問題であります。恐らくは出来ますまい。  結局、我々は大日如来を考へても、考へ得るだけ、阿弥陀仏を考へても考へ得るだけで、我々の心の中に入つて、仏の相を現すといふことは容易でありません。  六字名號  しかし仏を拝まなければならぬ、何故なら内部の要求が強く、そこに宗教的の要求が起るからそこに起つて来るのが、前述しましたが、南無阿弥陀仏であります。然し今述べた仏の名前には南無阿弥陀仏といふのはなく、大日如来、阿弥陀仏、釈迦牟尼仏の三つしかない筈であります。然しこの三つの仏は宗教のはたらきをするのには縁の遠いものであるから、我々のやうなものの心に宗教のはたらきをするのを、南無阿弥陀仏といふのであります。親鸞聖人の説かれたのがこれで、六字の名號と昔から名づけられて居ます。名號とは仏の名前であります。これを何故六字と断る必要があるかというと、阿弥陀仏も仏でありまして、これは四字の名號でありが、特にその四字の名號でないことを明かにするため、六字の名號といふのであります。或は帰命尽十方無碍光如来とも云ひます。親鸞聖人は十字の名號を自分で書いて信奉して居られたと伝へられて居る。これは親鸞聖人の宗教の考へをよく考へて見ればさうであつたらうと思うのであります。  何となれば帰命尽十方無碍光如来とは、十方に光明を放ち、我々の煩悩に障へられずに智慧のはたらきをして居るといふので、この方が南無阿弥陀仏といふより徹底して居ります。それはどちらでもよいとして、南無阿弥陀仏といふ六字の名號が仏になつて居るのであります。  私は仏教はかういふ風に仏を考へるところまで宗教として進むものだと考へて居ります。他の考へ方が間違つて居ると云ふのでなく、どうでも考へられるけれども、それは我々としてはただ考へに止まつて居り、即ち成る程さういふ仏があるのかとただ合点するに止まつて居るので、自分の心のはたらきがそこには及ばぬと云ふのであります。大日如来は真理ですが、それは我々が自分として真理と考へて居るのでなく、我々の心を離れて居るのだと考へなくてはならぬ。  そこで南無阿弥陀仏とは前述の通ほり阿弥陀仏の仰せに從ふといふ文章であります。他の大日如来仏の名前、阿弥陀仏も仏の名前、釈迦牟尼仏も仏の名前でありますが、この六字の名號は阿弥陀仏の仰せに随ふといふことをくるめて仏にしたのでありますから、これは仏の力を、或は仏のはたらきを書いたものであります。阿弥陀仏のはたらきを我々が感じた時にそれが仏と知られるのであります。前に「唯信鈔文意」にある親鸞聖人の言葉を引きましたが、それとよく似た言葉がこれも親鸞聖人八十五蔵のときに書かれた「一念多念証文」の中にもあります。「法性すなはち如来なり」つまり真如です、「この一如実海よりかたちをあらはして、法蔵菩薩となのりたまひて」、真如からはたらきを現し形を現して法蔵菩薩と名のり「無碍のちかひをおこしたまふをたねとして阿弥陀仏となりたまふが故に報身如来とまうすなり。」無碍のちかひを起し衆生を助けたまふとせられる、それをたねとして阿弥陀仏となられたのだから報身の如来といふ。「これを尽十方無碍光仏となづけたてまつるなり。この如来を南無不可思議光仏とまうすなり。この如来を方便法身とはまうすなり。方便とまうすは、かたちをあらはし、御なをしめして、衆生にしらしめたまふをまうすなり」即ち南無阿弥陀仏とは方便法身である。何となれば形を現し名前を示し、さうして衆生に知らしめたまふからである。「すなはち阿弥陀仏なり」、それは仏としては阿弥陀仏である。「この如来は光明なり、光明は智慧なり、智慧はひかりのかたちなり、智慧、またかたちなければ、不可思議光仏とまうすなり」と精しく説明せられてある。何等予定した考へを持たないでこの文章を読むと今私の述べたことが書いてあると思ふ。  念仏  この南無阿弥陀仏を誰にでもわかるやうに説明すれば親の名前であります。昔のお説教で親といふのは心の親を云ひ、肉体の親が父母、心の親が即ち南無阿弥陀仏であります。そこで我々が南無阿弥陀仏といふのは親の名を呼ぶのであつて、お母さんといふのと同じであります。誰がかういふ名前をつけたかは言語学の上から研究すれば研究も出来ませうがそんな必要はありません。誰がつけたにしても、今我々は親といふ名前に依つて内容を知つて居るから、その名前に依つて動かされるのであります。  然し南無阿弥陀仏と仏の名を呼べば丁度お母さんお母さんといつて探した様に、どこかから仏さんが出て来るだらう、といふ心持は宗教の意味でいふ南無阿弥陀仏ではない。我々が大日如来を尋ね、若しくは釈迦牟尼仏をたづね、若しくは阿弥陀仏を呼び出す心持であります。どこからかお母さんが出るだらうと一生懸命たづね歩いても出るか出ないかわからぬ。又遠方に居つたら声は聞えない筈であります。死ぬるまで尋ねあるいても逢ふか逢はぬかわからぬ。本当の南無阿弥陀仏とはこれまで知らなかつた親が突然目の前に出て来ることで、突然お母さんといつて喜ぶその声であります。目の前にお母さんが出て来たから喜んで呼ぶ声と、求める声とは違ふ。念仏とは親の名前を呼ぶことであり、南無阿弥陀仏が即ち念仏であります。  宗教の心持は、知らなかつた親が自分の心の中に出て来て「親だから自分のいふ通りなればよいやうにしてやる」といふ声が聞えた時、そこにお母さんと呼ぶ喜びの声、歓喜の声であります。お経の中に「聞其名號、信心歓喜」といふ言葉がありますが、その名號を聞いて喜ぶ心持であります。念仏によつて往生を求めるのでなく、親だといはれるからそれを信じ、そこに喜んで声を出すのである。故に念仏して地獄に堕ちるか極樂に行くかはどちらでも構はぬ訳でありませう。  安心決定鈔  念仏について講釈してあるのは「安心決定鈔」であります。この書物は親鸞聖人よりずつと後に出来たか、或は同時代であるかはつきり分らぬのでありますが、本願寺では三代覚如上人が作られたといひ、本派では真宗法要の中にも入れてあり、大谷派では仮名法語の中に入れてある。しかし内容から考へると浄土宗西山派の書物であります。けれどもこの書物は浄土真宗では広く用ひられ、連如上人は「金を掘るやうなもので、四十年読んだけれど読み厭きない、まだ読み足りない心持がする」といつて、ひどく読まれたのでありまして、上人の手紙が「御文章」となつて居りますが、それは殆んど殘らず「安心決定鈔」の講釈といつても差支へない程です。この書物に「念仏三味の領解ひらけなば、」念仏三昧とは念仏に熱中する意味であります、「身もこころも南無阿弥陀仏になりかへりて、その領解ことばにあらはるるとき、南無阿弥陀仏とまうすがうるはしき弘願の念仏にてあるなり。それだから自分の身も心も皆、南無阿弥陀仏だ、それが念仏であります。蓮如上人のいはれたやうに、「夢をたたいて南無阿弥陀仏、たたいて南無阿弥陀仏、身も心も南無阿弥陀仏」になつた時に言葉に出るのが南無阿弥陀仏であります。そこで、「安心決定鈔」には続いて「念仏といふはかならずしもくちに南無阿弥陀仏ととなふるにあらず」と断つてある。さう断らなければいかぬ。更に「阿弥陀仏の功徳、われらが南無の機において、十劫正覚の刹那より、感じいりたまひけるものをといふ信心のおこるを念仏といふなり」とある、仏のはたらきが我々の心に現れて来るわけが解つて、つまり南無阿弥陀仏といふ六字がどういふ風にして出来たかといふことがわかつた時、それを念仏といふのであります。「さてこの領解をことばにてあらはせば、南無阿弥陀仏といふにてあるなり」その心の中にわかつたことが口に出て来たらばそれが南無阿弥陀仏である。かう考へる時「自力の人の念仏は、自力の人の念仏とは功徳として念仏を称へる人、例へば浄土宗の鎮西派のやうに立つたり座つたりして十萬遍の念仏をする、そんな「自力のひとの念仏は、仏をばさしのけて、西方に置き仏を自分の心からさし除けて西の方に置いて、「わが身をば、しらじらとある凡夫にて、ときどきこころに仏の他力をおもひ、名號をとなふるゆへに、仏と衆生とうとうしくして、いささかも道心おこりたるときは往生もちかくおぼえ、仏と自分とが別々なのだから名號を唱た時は心持がよい、往生のちかくとは心持がよいといふのであります。しかし「念仏もものうく、道心もさめたるときは、往生もきわめて不定なり、」だから念仏もやめて仏の慈悲をも考へない時には全く無宗教の状態である。「凡夫のこころとしては道心をおこすこともまれなれば、我々のやうな凡夫は道心を現すことも稀であるから「つねには往生不定の身なり。もしやもしやとまてど往生は臨終までおひさだむることなきがゆへに、くちにときどき名號をとなふれども、たのみがたき往生なり。たとへばときどきひとに見參みやづかひするににたり」。人に逢つてそれに奉公するといふ意味であります。「そのゆへは、いかにしてか仏の御ところにかなはんとおもひ」、どうかして仏に気に入らうとして「仏に追從して往生の御恩をもかふむらんとするやうにおもふほどに、機の安心と仏の大悲とが」心持を安らかにするのは自分のはたらきであつて、そこに慈悲を加へるのは仏の力であるから、それで「機の安心と仏の大慈悲とがはなればなれにてつねに仏にうとき身なり、このくらゐにてはまことにきわめて往生不定なり。」仏が向ふに居られて、仏の機嫌を取り自分が助けられやうとすれば、まことに不安心なものである。自力の人の念仏はそんなのであります。「仏身をみるものは仏心を見たてまつる」仏の身を見たてまつるものは仏の心を見奉る。「仏心といふは大慈悲これなり」我々が仏を見るといふことは結局自分を見る、自分の心を見ることであります。「仏心はわれらを愍念したまふこと、骨髄にとほりてそみつきたまへり。たとへば火の炭におこりつきたるがごとし、はなたんとするともはなるべからず、摂取の心光、われらをてらして身より髄にとほる。心は三毒煩悩の心までも仏の功徳のそみつかぬところはなし。機法もとより一体なるところを南無阿弥陀仏といふなり」阿弥陀仏が法であり、南無が機でありますから、その南無と阿弥陀仏とが一体だと断つてあります。「この信心、おこりぬるうへは、口業には、たとひときどき念仏すとも常念仏の衆生にてあるべきなり、さういふ心持になつた時は口で時々念仏する人でも何時も念仏してゐる衆生と同じである。その例を挙げて「唐朝に傅大士とてゆゆしく大乗をもさとり、外典にも達してたふときひとおはしき」伝大士といふ偉い人があつて、仏教は固より仏教以外の書物にも通じて居つた。外典とは儒学の本であります。その伝大士の言葉に「そのことばにいはく、あさなあさな仏とともにおき、ゆうなゆふな仏をいだきてふすといへり」毎朝々々仏と共に起き、夜々仏を抱いて寝る、「これは聖道の通法門の、真如の理仏をさして仏といふといへども、この仏は聖道の通法門即ち聖道自力の仏教の原理からいふ教へから見た仏です、即ち真如の理仏を仏として仏と共に寝たり起きたりするといはれるのである、しかしながら「修得のかたよりおもへばすこしもたがふまじきなり」修得とは所謂弥陀教の教へをきいて我々が考へたことであり、その弥陀教の方からいつても同じことであります。「摂取の心光に照護せられたてまつらば一摂取不捨の仏の光り仏の慈悲の光明の中に我々が包まれたならば「行者もまたかくのごとし、あさなあさな報仏の功徳をもちながらおき、ゆふなゆふな弥陀の仏智とともにふす。うとからん仏の功徳は機にとをければいかがはせん、真如法性の理はちかけれども、さとりなき機にはちからおよばず、わがちからもさとりもいらぬ他力の願行を、ひさしく身にたもちながら、よしなき自力の執心にほだされて、むなしく流転の故郷にかへらんこと、かへすがへすもかなしかるべきことなり」と説いてあります。  浄土真宗  心に阿弥陀仏を考へ阿弥陀仏に向つて行くといふことは、結局、自分の考へであります。どんなことを考へたにしても真如の理仏其物は我々にはわからぬ。それをわかつたやうに、自分の心に出したらそれは結局自分の考へであります。自分が仏を感じて居る、仏を自分が作つておる、もつと徹底的にいへば自分が仏の慈悲を引つ張つて居る。だからその慈悲が気に入つた時にはよいが、気に入らぬ時には仏も無慈悲だといつたり、神も仏もないものかといつたりして、結局宗教のはたらきをしないのであります。  それ故に、我々の心の中に入つて、心の力のない、はたらきのない、考へることの出来ない、もつと近頃の言葉でいへば、自分の意識のはたらきを全々ぬきにして、即ち自分といふものを考へてゐる意識をなくした時、吾吾の心の中に浮んで出て来る大きな力を感じる。それは即ち仏のはたらきに相違ないと感じる。それが南無阿弥陀仏であります。南無阿弥陀仏は、仏の方からいへば智慧のはたらきであり、我々の方からいへば慈悲であります。だから、仏の智慧を我々は慈悲と考へるのであります。真如法性の理法は近いに相違なく、間違でないことは明かでありますが、我々としては力及ばぬ、さういふところに尋ねて行く仏は本当の仏でないと考へなければならぬ。  自分で自分の力に及ばぬと気のついた時仏教の言葉でいへば、我を捨てた時、起きて来るそのはたらきが明かに弥陀の仏智であります。それによつて我々は寝たり起きたりすると考へると、身も心も皆南無阿弥陀仏であります。「疊たたいて南無阿弥陀仏、衣たたいて南無阿弥陀仏」、一切が南無阿弥陀仏になる、この南無阿弥陀仏を教へるのが浄土真宗であります。  「安心決定鈔」の初めに「浄土真宗の行者は先づ本願のおこりを存知すべきなり」とあります。本願とは四十八願に分けてあるが、結局我々としては南無阿弥陀仏であります。 仏については仏教でいろいろに考へた歴史がありますけれども、それは考への進む順序であつて、宗教として考へた時には、どうしても仏の力が我々の心の中に現れて、それが我々の心を導いた時だけわかるのであると私は思ふ。それ故に南無阿弥陀仏とは私の仏であります。私一人の仏であります。昔の人の誓へに「月が方々の水に映る、例へば水を盛つた盃を百個置いて、それに月を映すと、その百個の盃に皆月が映る」とあるが、その月と同様、仏は、人々の心のはたらきに皆現れるのです。それだから私一人の仏であります。  親鸞聖人の言葉に「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずればひとへに親鸞一人がためなり」とある。阿弥陀仏が衆生を助けやうと四十八願を起されたのは、ひとへに親鸞一人自分一人のためであるとあります。阿弥陀仏がはたらきを現して、こちらから助けて呉れとたのまず、来て呉れと頼むのでなく、向うの方からはたらきを起して出て来られる故に他力といふ、所謂他力本願であります。  我々が助けられるといふことは仏を助けるのである。これは極端なことを云ふやうですが、一休和尚の歌に「極樂に何も用はなけれども弥陀を助けに行つてやらうか」というのがあります。  阿弥陀仏は、若し衆生が仏にならなければ自分も仏にならぬといはれるのだから我々が仏になつてやらなければ仏さんが困る。大?といふ学者は南無とはゆるす、即ち仏をゆるしてやる、仏が助けに来たのだからゆるしてやると云ふ意味だと云つて居る。それに相違ない、子供の顔に墨がついて汚いからそれを拭かして呉れといつて逃げまはる子供を追つかける母親の心持であります。そんな顔をしてその辺を廻ると母親がたまらぬからどうしてそれを拭かなければ母親の気がすまぬからで、頼まぬものを拭くのである。それと同様、仏の目から見れば我々が悪戯をしてこのまま行くと困る故、それをどうかしやうと始末せられる、即ち仏の仰せに従つてあげるのであります。自分が不幸であるから親が心配する。その不幸をやめなければ親の心配がやまぬ。そこに宗教といふことの意味があるのだと思ひます。  文宗皇帝  支那の文宗皇帝は、始終蛤を好んで食事にされた。或日膳につけられた蛤がどうしても口を開けない、つまり死んだ蛤でありました。それを料理のものが皇帝に申上げたところ皇帝は香を焚いて祈りをされた。すると蛤の中に菩薩の形を具へたものがあつた。非常に不思議だといふので有名な禅師を呼んで訳をきかれた「それはお経にこの身を現じて説法すとある通ほり、あなたの信心を聞くために仏が形を現したものであらう。」と答へた。すると皇帝は「成る程仏の形をして身体を現して居るといふことは自分の目にもよくわかる。成る程そこに仏の形が見える。しかし説法は聞かない。その形をして居る仏が説法をしない」といはれた。そこで禅師が「あなたはそれを御覧になつて、それを仏が出て居るといふことを信じられますか、或はそれを信じられませぬか」と尋ねた。皇帝は「まことにどうも不思議なものを見た。蛤の中から菩薩の形のものが出ることは珍らしい。自分はそれを深く信じる」と答へると、禅師が「あなたが既にそれを信じられるならば説法はそれですみました。説法はそれだけである」といつた。皇帝がそれで喜ばれて天下の寺院に詔を出して仏像を祭つたと歴史に書いてある。簡単な話ですが、その簡単な話の中に、仏が出て来るというのはただ力を見るより仕方がないことだといふことを示してあります。  願力不思議  故に宗教として仏のことを説く時、その仏がどうだ、かうだといふことは、結局無駄なことであります。結局、どんなに考へても人間にはわからぬ、わかつたと思つたら間違つたことを考へて居る。自然の法則が仏であつても、まことが仏であつても、それは自分の心の外にあるものである。自分の心の外にあるものが自分の心を動かす。ことは出来ず、自分の心を導くことは出来ない、それだから自分の心に出て来て自分の心を導くのは南無阿弥陀仏より他にない。即ち親鸞聖人のいはれた通ほり願力不思議に助けられるのである。本願とは我々衆生を助けやうといふ願を起して、それではたらいて居る力であります。  かういふことの説明を理屈を捏ねまはして泣いて居るのはアメリカのエマソンであります。彼の「自然論」の中に神様のことが書いてあるが、それは宇宙の大きな精神が自分の心の中にはたらきを起し、それに依つて自分が導かれて行く。即ち自分の生活の上から感ずることの出来たものを神のはたらきとして説いてある。安心立命を自分の問題として考へる宗教なら、どうしても今述べたやうなことに帰著するのが極致であり、又仏教もそこまで行くものであらうと思ふのであります。  第八講 現実と理想  私を導くもの  これまで歴史的に仏といふ観念がだんだんと発達して来たところを述べました。一体仏とはどんなものであるかは言葉では説明出来ぬことであります。しかし強ひていへば私の生命として若しくは私の光明として私を導くのでなくてはならぬ筈であります。ところで私を導くのはどうしても私の意識から出る筈のものではない。私の意識を導くものが私の意識から出る訳はないのであります。私を導くものは我としては量り知ることの出来ない全く不可思議のものであるといはなければならぬ。不可思議のものだといひましてもそれを不可思議だと思議してそれを仏だといつたのでは、さういふ仏は私を導く力のある筈はない。いくら不可思議だ不可思議だといつてもそれはその人が思ひ量つて不思議だといつて居るのであつたならば、例へば智慧の足らない人は自分の智慧が足らないために一寸したことでもすべて不可思議だといふでありませう。又智慧の十分な人でも自分の智慧で判らぬことは必ず不可思議といふでありませう。それは結局吾々が不可思議だと思議してみるにすぎない。それは真の不可思議ではないのであります。  本当の仏とは知ることもどうすることも出来ないものが、光明となり生命となりて我々を導いて行くのであります。不可思議のものが量り知られないところから現れて量り知られない力を我々に与へるといつても差支ない。我々はそれを感ずるものであります。我々にさういふ力を感ぜしむるところのものを客観に(今私の云ふ主観客観とは皆心の中のことを云つて居るのであります)出してそれが主観となつた時に客観といふものが仏だといはれるのであります。仏として仰ぐことができるのであります。  人格的仏  けれどもかかる仏は知られないものでありますから、決して人格を備へたものではないのであります。然しこれを人格的にすることは出来る。即ち仏として拝むことが出来、仏として仰ぐことが出来る。釈尊が迦葉に向つて「迦葉よ、仏を念ずるとは何か、如来は常住であつて変易することがなく、怖畏なく驚動なく、よく勝る者がない。世にその頂を見る者はない。それゆゑ人中の象王であり、人中の蓮華であり、人天の師であり、衆生の調御者である。能く煩悩を破つて諸の善法を成就し、能く諸の法を説いて諸の功徳を具へ、名は十方に遍く流れて種々と大いに恵むものである。迦葉よ、男でも女でもこの様に仏を念ずるならば、彼は行住坐臥に暗のところにでも明るいところにでも常に如来を離るることが出来ぬ、之を念仏といふのである。」といふ意味のことを言つて居られる。  又、仏を念ずるとは何かといふ問に対して釈尊は、  「法を念ずるとは何か。如来の法は妙なるものの中で最上である。斯法は心の見るところであつて肉の眼の見るところではない。生じたものでもなく、出たものでもない。住まらず滅びず、始めなく終なく、無為無数であつて、譬をもつて説くことも出来ぬ。舎なきもののためには舎となり、頼なき者のためには頼りとなり、心暗き者のためには光となり、覚の岸に至らざる者を覚の岸に到らしめ、香なき者のために何者にも礙えられぬ香を与へる。そして転ずること出来ず、長くもなく短くもない。永く諸の榮を離れて而も樂しく、一切の実を離れて而も実に、清浄無相であつて、能く一切の煩悩を断ち生死の焔を滅ぼし、常に変ることなく無量の衆生の畢竟の住処となつて、一切の諸仏の遊居したまう処である、菩薩がかやうに法を念ずるを念法といふのである。」といふ意味のことを言つて居られるのであります。か様に長くもない短くもないといつて断定がしてない、始めもない終りない長くない短くもないと一々否定をして、仏の説明をしてある。即ち如来も法も不可思議のもので我々の量り知るところでない、それ故にただ否定を以てこれを説明するに過ぎないのであります。  願  少し志のあるものが自分の心の内側を見た場合には、どうしても虚位のものであると気がつくでせう。從つてその虚仮を離れなくてはならぬといふ願を起すでせう。この願のずつと向ふに出て来る、即ち願の対象となりて出て来るのが仏でなくてはならぬのです。もつと精密にいへばさういふ願のはたらきが我々の心の中に起きた時に感ぜられるものが仏でなくてはならぬ。故に仏があるかないかを論ずるのは全く的を外れて居る。平たい言葉で云へば仏があるといふ人には仏があり、仏がないといふ人には仏はない。換言すれば願があるから仏があるのであります。願のない人が仏があるかないかを詮索して、仏があるならそれを信じて虚仮から離れやうとするならば、それは全く的の外れた考へであります。故に仏とは精神的の実在であります。  自然科学者などは自然界に存在して居ると、科学でいふエネルギーのやうなものを仏と見て、それに我々は支配されて居るから、全くそれに從はなくてはならぬといふやうに、神といふものをちやんと拵へてそれを信じやうとする。私はさういふことは科学として宗教を見た場合にいふべきことではないと思ふのであります。かかる神は自分の考へで考へて拵へたものでありますから、或程度までは自分に光明を与へ自分を導くものでありませう。けれど自分で拵へた以上、自分の気に入つて居る間はよいけれども、自分に気に食はなくなつたら、それを変へなくてはならぬ。全く科学の法則を用ひてこれまで説いて居つた仏に説明を加へ、さうすることに依つて仏を信じても、さういふ仏は自分を離れてゐることは明らかでありまして、その自分より離れたものが自分の生命になるといふことも容易のことではなく、又それに依つて我々が光明を得るといふことも容易なことではないと思ふのであります。  永遠の理想  自分の虚仮なことに気がついて、それから離れやうといふ願が起れば、虚仮の反対のもの即ち真実が現れなくてはならぬ。人間が虚仮と真実といふ様に二つを考へて居る場合、虚仮を離れやうとすれば真実が出なければならぬ。真実とは仏教では真如でありますからつまり真如がそこに現れなければならぬ。そこで前講で精しく述べた通ほり、仏教では真如を仏とし、仏は真如のはたらきだといふのであります。その真如のはたらきの仏といふものが所謂理仏即ち大日如来、原語で毘盧遮那仏であります。それが釈尊を通じて我々に来た場合には釈迦牟尼仏であり、それが一切衆生の心の中に出て来てはたらいた時には阿弥陀仏、もつと精密にいへば南無阿弥陀仏であります。  仏教の仏といふものの出来た工合、それが発達して来た工合を纏めて考へた場合には、どうして仏とは理想でなくてはならぬ、即ち人間の理想として一番上でなくてはならぬのであります。仏教でかういふものを永遠といひますから永遠の理想とも云へませう。光明無量壽命無量といふことは人間がどこまでも死なないやうな無量の命、又どこまでも明りが見えるところの光明であるから、それは永遠の理想であります。  この理想に照らされて我々の現実の相がはつきり判るところに、我々は何時でも光明を与へられ生命を与へられてそれに導かれるといふのであります。  真実と虚仮  自分の心が虚仮であると考へた場合には、自分の心でないもの、即ち自分以外のものは真実でなくてはならぬのです。しかしそれは人間が勝手に虚仮と真実とをわけたのでありますから、人間の考へを離れた世界では真実も虚仮も一とつのものであります。即ち一切空であります。空といつても何もないといふ意味ではなく、さういふ虚仮と真実とが分れて居ないといふ意味であります。人間が虚仮と考へる場合には、それに対立した真実を考へてゐる。若し自分を虚仮と考へるならば、自分以外のものはすべて真実の筈であります。即ち真貴の中に包まれておる自分が虚仮のものであるといふ所まで徹底したなら、その虚仮も全く真実の中に包まれて居るのだといふ感じが現れるでありませう。それなら真実といふものを永遠の理想として考へて居る場合には、我々はその理想に照らされて自分といふものを見ることが出来るのであります。自分を除く他の全体が皆まことであるから、そのまことに対して自分のことでないといふことが明瞭に判る筈であります。そこに真実といふものが仏であるといふことが出来る、まことが即ち仏であると言ふべきであります。  仏教の仏とは全く自分が虚仮といふことを知つて、その虚仮から離れやうといふ願が起き、その願の対象となりて出て来るものであります。さういふ願の起らない人に仏のある筈はなく、又要らないものであります。さういふことが他の宗教で説く仏と全く違ふのであります。  仏教は衆生が仏になることを説く、即ち衆生成仏の教へであります。これは西洋の宗教学者のいふ一神論ではないのであります。宇宙には真如が充ち満ちて居り、それを自分だけ取り離して考へて、人間が自分を虚仮と感じた時に、自分でないものが真実になるといふだけの話であります。  言葉の吟味  一体宗教のことを考へるには、言葉から余程吟味しないと意味がひどく反対のことがあり、考へれば考へるだけ明瞭を欠くことがあります。  例を挙げると、我々がよいことをしやうとした時にはそのことはよいことから離れてゐる。悪るいことを恐れて離れやうとすれば悪るいことの本体は判らない。人が死にたいとすぐいひますが、死にたいといふことは命の非常に惜しい心持であります。何故かといへば、この世が自分の思ふやうにならないから死にたいといふ。これはこの世を自分の思ふやうにしたいといふことであります。「成実論」の中にも「若し人苦しみを見ざればこの人は即ち我を見る、若し如実に苦しみを見る時は即ち我を見ず」とある。苦しみを見ないといふことは我を離れて居ない、即ち我を見て居る、しかし本当に苦しみを見たら我といふのはない。けれども世間の人は苦しみから離れやうといふ考へがあつて苦しみを見ないから、苦しんで居るのだ。だから本当に苦しみから脱れやうとするには、苦しみの中に入らなければならぬといふのであります。ただ一とつ二つの例でありますが、人間といふものはさういふものでありますから、仏に就て考へるのでも、余程考へ方を吟味をしなくてはならぬのであります。  罪悪感  一体我々は自分の心の相を見た時に、如何にも虚仮であるといふことがわかる。然し貪欲の心をすてることが出来ない、欲を離るることが出来ない。腹を立てる心を去ることが出来ない。愚痴の心を取り除くことが出来ない。然しその心が除かれなくともよいとは言へない、煩悩を断つてしまふことは出来ないけれども、煩悩を取らなくてもよいとは決して考へることは出来ない。取らなくてはならぬといふ願ひは非常に痛切であるけれども、現実の問題としてはどうしても取ることが出来ない。ではどうすればよいかといふと、現実に向つて厳粛な態度を取つてそれを見て行くより他に仕方がない。先づその煩悩を見つめるより仕方がない。それを罪悪観と申すのであります。罪悪観といふと罪を作つたなどといひますが、さういふ風な浅い意味ではありません。持つて生れた性質だから煩悩といふものは取れないといふのは、厳粛な態度で見て居るのではなく、それは捨て鉢の態度であります。悪るい心をやめなくてはならぬといふ願が強く働いて、煩悩具足罪悪深重の相に泣き、それを悲しむより仕方がない。即ち自分の心の動いて行く相を厳粛な態度で見つめて行くのであります。心の浅ましい相を深く見つめてこれを否定して行くのであります。即ちそれが煩悩具足罪悪深重の自覚であります。この自覚が出来るところに仏のはたらきが現れるでありませう。さういふ自覚の出来た時、量り知られないところから量り知られない光明が我々の心の中にはたらき始めるのであります。それが即ち宗教であり、仏であり、光明であり、それを感情で受取つた場合は慈悲と感ずるのであります。それによつて我々の生命が完成するのであります。  懺悔  釈尊の「汝自らの燈火を以て汝自らの道を照らせ」と言はれたのも今述べたことを説明する言葉だと思ひます。私の心が仏の心に照らされて、それに依つて私が私の道を照らすのであります。私の心が仏ではなく、仏の光明に自分が包まれて、自分の道が開けて行くのであります。前述の如く悪るいことをしてまことに悪るかつたと知つた時には、悪るいといふはたらきはなくなつてゐる。善いことをしてこれは善いことをしてゐると思つたら善いことのはたらきはなくなつてゐる。善いことをしてこれはよいことをしたと思つたらそれは驕慢であります。驕慢といふことはよいことではない。悪るいことをしてこれは悪るいといふのは懺悔であります。  自分の虚偽で固つたところへ真実が入つて来れば、自分の虚偽がそのまま真実のはたらきをするのであつて、悪るいことをやめてそれをよくするのではなく、悪るいことをよい方へ転ずるだけであります。さういふ意味に考へたなら、虚偽といふことの自覚が直ぐ仏を感ぜしめるのであります。  仏を観る  維摩が病気の時、釈尊が門人を見舞にやらうとされたが、皆「あの人は仏教を体得して難しい理屈をいつてやり込めるから」といつて誰も行かない。とうとう文珠菩薩がいつたといふ話があります。その維摩居士に向つて釈尊が  「卿は仏を観たいと願つたことがあるか、仏を観るといふことはどんなことであるか」ときかれた。すると維摩居士が  「仏を観るといふことは、我身の実の相を観ることである。仏の身は過去より来らず未来に去らず、現在にも住み終ることはない。色でもなく、色の性でもない。地水火風の四大から起つたものでなければ、また眼に見え身に觸れ心に思ひ浮べらるるものでない」 と答へた。即ち仏とは不可思議のものであるから、どこから来るといふことも判らず、形もなければ色もなく、どうすることも出来ない。結局仏を観るといふことは自身の本当の相を観ることだといふのであります。然し自分の実際の相が仏であるというのではなく、自分の真実の相を見ることをいふのであります。  現実と理想  我々が現実といひますが、我々の現実といふものを本当に見るには、理想を置いて見なければならぬ。自分が悪るいといふことは、悪るくないといふことを理想として考へなければ、悪るいということの意味はさう強くあらはれない。悪るくない理想が高くあるから悪るいことといふことを痛切に感ずるのであります。この理想は即ち光明であり、仏の光明が強くはたらくから自分の浅ましい相が判るといふのであります。だから自分の相を見ることは即ち光明を見るのであります。自分が悪るいといふことが判れば判るだけ、仏の光明は強いはたらきであることがよく判るのであります。通俗な譬を出せば、自分が悪るいことをすると親が心配をする、そこに親の慈悲のはたらきがあるので、自分が悪るいといふことを痛切に感ずるだけ、親の慈悲の深いことを感じなければならぬのであります。ただ自分の現実の相は悪るいもので、よいことをすることが出来ないといふ時は少しも理想を置いてない。さういふ現実には仏が出る訳はない、理想に照らされて初めて現実が明かになるのであります。前にも例に出しましたが、  「不得外現実善精進之相内懷虚仮」  は日本の訓点をつけると  「人間といふものは心の外に偉い風をして心の中には嘘偽りを持つて居つてはいけない」といふ意味になります。これはいふまでもなく理想でありませう。しかし我々の現実はさうではない。偉らさうなことをいつて居るけれども、道徳に背いて居つて、外も出来なければ内は尚ほ更ら出来ない。親鸞聖人はこれを「外に賢善精進の相を現すことを得ざれ、内に虚仮を懐けばなり」と読まれた。それが現実の相であります。  かういふ二つの考へ方がある。前の読み方の様にただ我々が理想としてそれに没頭した時にはかかるただの理想、現実でないただの理想は全く現実と離れて居る。かかる考へ方をする人には仏が出て来ない筈であります。後の読み方の様に、現実の相に本当に向つた時、厳粛な態度で自分を見た時に、そこに仏を見ることが出来るのであります。  自力と他力  厳粛に自分を見ない人が仏を見るのは、真如を仏としたものを永遠の理想としてそこに見出すより他仕方がないでありませう。かういふ人の出す仏は如であり、理仏でありませう。だから一生懸命に努力して仏になるのが終極の目的でありませう。即ち自力であります。自力の人々は自分の理想として居るところに更に理想を求めなければならぬ。自分の心の外に真如を尋ねなければならぬ。若しくは自分の心の中に真如を探さなければならぬ。どちらにしても自分から真如を尋ね出さなければならぬ、理解を求めなければならぬのであります。然し実際には人々は自分の力では迚も仏になることが出来ないから、仏の力にすがつて仏の功徳を考へて念仏をするのであります。これは華厳宗の人でも真言宗の人でも、天台宗の人でも乃至禅宗の人でもします。それは自分の力が足らぬのに、理想の境に行かうとするから、どうしても仏の力を頼らなければならぬ。さういふ意味での仏は自分とは離れたものであります。自分で出来る限りは自分のところに出て来るが、出し得ない時には全く出ない筈であります。「仏と衆生とが疎い」といふのは、それであります。  所が他力を信ずる人は自分の現実の相をそのままに見た場合、自分の虚仮の相は否定をされるのであります。その虚仮の否定されたことは即ち真実に帰つたのであり、若しくは空に帰つたのであります。そこに真の生命があるのであります。そこに仏といふものを見ることが出来るのであります。即ち自分に仏の心が入つて来るのであります。  これが所謂信心を獲得することであります。通俗な言葉でいへば信心を頂くといふのであります。  廻向と来迎  仏に向いて行く心を廻向といひます。即ち我々が仏に向いて行くのであります。然し他力の方からは仏が来るといはなければならぬ。即ち仏の方から自分の方に廻向をするといはなければならぬ。親鸞聖人の言葉には「廻向したまへり」とある。自力と他力では同じ言葉がまるで反対の意味になります。  来迎というのも自力の方では自分が一生懸命修行して居れば、死ぬる時に仏さんが来り迎へる、即ち三尊来迎である。他力の考へでは仏さんが来て迎へるのでなく、こちらが向ふに行くのであり、帰るのであり、帰らして貰ふのであります。来は帰るといふのであります。さういふやうに一般の用語に変りがあります。  真実の宗教  石州にお初といふ女が居つてそれがお寺に金を上げるのに頂いて上げる、それをお寺の和上が不審に思ひ「総ての人は人から物を戴いた時、ありがたいとお禮をするのに、あなたは人に物を上げる時に頂く、他の人のやることとは違ふがどういふ訳か」ときいたら、お初は「自分は慳食邪見のもので人に物を上げるといふ心を持つて居らない、その慳食邪見な、人に物を上げる心持のない私が、些かでもお寺に物を上げさせてもらふ心持は、全く仏さんから頂いたものだから、その仏さんの心に対してお禮をして居る」といつたのであります。現実の相を本当に見た時には全く仏の心に変つて居るのであります。これはその明かな例でありませう。  真実の宗教とはさういふ心持に起きるのですから「汝自らの道を照らせ」と釈尊のいはれるやうに、我々はそこに強い生命を得、明かな光明を得て、それに依つて導いて行かれるものだらうと思ふのであります。  第九講 八正道  仏の観念  仏教には仏陀或は仏といふ観念が実際に存在して居ります。然し前述の如く仏の存在を詮索するのは全く無用のことであります。唯我々がここで問題とするのは概念の上に現れて来る仏、即ち我々の心の中から強い救ひの力を出して、光明の世界に導く力を有つてゐる仏であります。観念の中に出て来る仏は、即ちこの仏の概念であります。これが如何なる性質であり、如何なる本体であるかをこれから説明いたします。然しこれを簡単に説明することは容易でありませぬから、少し廻り遠いことでありますが、かかる観念の起きて来る筋道を先づ述べねばなりません。  八正道  釈尊が成道をされた後の、第一回目の説教はベナーレスの森の中でされました。この説教は極めて簡単であつたのでありまして、即ち道を求めるものは二つの極端を避けねばならぬ、その一とつは身を苦しめる生活即ち食ふものを食はず、著るものを著ず、難行苦行をする生活である。もう一とつは榮躍榮華な贅澤な生活、品位のない生活である。この二つの生活は兩方とも極端であります。この二つの極端を避けて真中の道、即ち中道を踏んで行かなくてはならない。その中道こそ我々の眼を開き心を開き、我々をして涅槃に導くものであると、説かれました。  その中道とは八つの正しい道、所謂八正道であります。「法界次第」に説明するところによると、   八正道  正見 人、無漏道(即ち戒定慧)を修し四諦(苦、集、滅、道)を見て分明に外道、有無等種々の邪見を破斥す。  正思惟人、四諦を見るとき正念、思惟、観察、富量、観をして増長せしむ。  正語 人、無漏の智慧を以て常に口業を摂し、一切虚妄不実の語を遠離す。  正業 人、無漏の智慧を以て其心を修摂し清浄の正業に住し、一切邪妄の行を断除す。 正命 出家の人、五種邪命(詳りて異相を現はす、自ら功能を説く、吉凶を占相す、高声成を現はす、所得の利を説いて人心を動かす)利養を離れて常に乞食を以て其命を自活せしむ。  正精進 戒定慧の道を勤修して一心専精、間歎することなし。  正念 人、正道と助道の法とを思念して能く進みに涅槃に至るに堪ふ。  正定人、諸の散乱を摂して身心静正に真空の理に住して決定移らず。([法界次第」に拠る)言葉は極めて単簡でありますが、これが仏教の真髄であります。  正見  正見とは無漏道(戒定慧の三学)を修め、四諦(苦諦、集諦、滅諦、道諦)を観て、分明に種々の邪見を却けて行くことであります。つまり世の中の相は苦しみである。それは自分の無明愛著の心、渇愛の心が主となつて苦しみを積むのである、その苦しみから遁れやうとするならば、苦しみのもととなるところの渇愛の心、執著の心、無明の心を取らなくてはいかぬ、それには道を履まなくてはいかぬ、四諦の真理を明かにし戒定慧の三学を修めて行かなくてはいけない。要するに観察を正しくしなくてはいかぬと説かれるのであります。  釈尊は老人を見ては、人間が老人になることに就て非常に悲しまれ、人が死ぬる事実を見ては死ぬるといふ事実に就て非常に苦しまれて、人世の苦しみを痛感せられた。この苦しみからどうして遁れたらよいかを釈尊は学者に聞かれたのであります。無論その当時、インドに居つた学者は多く数論学派の人で、道徳の考へを強く起し哲学の考へを深くして、苦しみから遁れる道を説いて居つたのであります。釈尊は最初或仙人の所へゆかれた所、その仙人を親方として多くの人々が集り苦行をして居るのを見られた。その仙人に「あなた方はまことに殊勝な行をして居られるが、一体何のために苦しみの行をして居るか。」ときかれたところ、その仙人は「死んでから天国に生れやうと欲して(天国とは極樂である)苦行をし道を修めて居ります。」と答へた。釈尊はそこで、人間といふものは総て望むところがあつて苦しんで居る、商賣人は金が欲しいために努力して苦しんで居る。学者は学問をして、ものを知らうとして苦しんで居る。一切の仕事をして居るのは皆その望むところに苦しみを作つて居る。自分が今求めて居るのはその苦しみから遁れることである。所がこの人々はその苦しみを重ねて居る。これでは自分の望むところではないと考へられて、他の学者のところに行かれた。今度のは優陀迦といふ人で、その学者は哲学的に説明をして「人間が或る考へを起す即ち想を起す、その想を排斥しなければならぬ、それを否定しなければならぬ。即ち非想であります。更にさう考へるところの想に非ずといふ考をも亦否定しなければならぬ、これを非非相といひます。そこまで考へが進んで来なければ苦しみから遁れることが出来ない。さうして片一方ではさういふ考へに至る一とつの手段として修行をして居る」と云つたのであります。釈尊はそこで又考へられた。理窟上は成る程さうであるが、しかしさういふ心の境涯はどうして得られるかは説かない。修行に依つてそれをやることは無理である。心を苦しめ身体を苦しめて、かかる心の境地まで行かうとしても迚も行ける筈のものではないと考へられて、又その仙人の所を遁れ、もう道をきくべき人はないからとて、今度は自分一人で考へられた。自分で冥想したのであります。冥想とは、目をつむつて心の外を考へる事ではなくて、自分の心の奥に入つて考へること、所謂内観をする事であります。釈尊は、内観せられた結果初めて道を得られた。即ち苦しみは自分の心で集めて作るものである。無明と渇愛の心があるために苦しみの心を作る。外に苦しみがあつて、それが自分の心の中に入り込むのではない。その苦しみを除くのは結局自分でなくてはならぬ。」か様に、自分を救ふものは自分であり、それは本当の観察即ち正見の出来るものであると考へられたのであります。  正思正語正業  第二の正思とは、苦、集、滅、道の四諦の真理を見る時は思慮が正しくなりますから、その思慮を正しくすることであります。  第三の正語とは言葉を正しくすることであります。言葉を正しくすることは嘘をいはぬこと、ないことをあるやうにいはないこと、言葉を飾らないこと、いひたくないことをいはないこと、無用な言葉を出さぬことであります。  第四の正業とは行ひを正しくすることであります。「諸悪莫作衆善奉行、自ら其心を浄ふする、是諸の仏の教なり」と釈尊のいはれた意味であります。諸の善いことをしてもろもろの悪るいことをしないやうに努めることであります。  正命正精進  第五の正命とは生活を正しくすること、つまり職業に忠実に、すべきことを正しくすることであります。  第六の正精進とは努力すること、戒定慧の三学を正しく修めて怠らないことであります。  斯樣に正しい道を挙げてあるのは、人間の苦しみは人間の心が作り、その自分の心で作るものを除かうとするには自分の心を改めなくてはならぬといふ考へから出発して、考へを正しくし、見方を正しくし、行ひを正しくし、言葉を正しくし、職業に忠実でなくてはいかぬ、又一生懸命に努力しなくてはいかぬ。これが出来ることに依つて誰でも覚者になり得るとの結論に至るからであります。故に今迄の六つはひつくるめて道徳といはれるのであります。  正念正定  第七の正念とは念慮を正しくすることであります。「八正道と助道の法とを思念して能く進みて涅槃に至るに堪ふ」と「法界次第」に説明がしてある。第八の正定とは念慮を鎮めること、思慮の散乱せぬ様に統一することであります。  一概念慮を正しくし、念慮を鎮めるにはどうしたら出来るだらうか。或程度までは意識のはたらきで出来ますが、結局其丈けでは出来るものではありません。何となれば人間の精神のはたらきには智慧のはたらきと感情のはたらきとの二つがあります。その智力のはたらきとは自分を意識して行くはたらきが起るための、注意とか記憶とか想像とか判断とかのはたらきを集めたものである故、それが普通に現れた場合にはどうしても自己中心のものであります。即ち極めて功利的のものであります。人に親切にして置けば自分の方に将来悪るいことはない、人を助けて置けば自分を助けて貰ふこともある、人に功徳を施して置けば将来必ずよいだらう。さういふ極めて功利的にはたらくべき性質のものであります。私はそれが悪るいとは決して思はぬ、若し智慧が功利的でなかつたら恐らく人間は自分を保つて行くことが出来ますまい。しかし苦しみはそれから生ずることを考へなければならぬ。功利的であるが故に苦しむといふことを考へなければならぬのであります。  感情とは智力に伴つて出て来る反応でありますから矢張り智力と同樣功利的なものであります。だから自分の都合のよい時には心持のよい感情が起き、自分に都合が悪るい時には必ず不快の感情が起る。正しいことでも自分に都合の悪るい時には必ず不快であります。これは日常の経驗でよくわかるのでありまして、自分は人に対して嘘をいつてはいかぬといひますが、しかし自分には人から嘘をいつて貰いたい、さういふやうに感情といふのは極めて功利的なのであります。人に対して嘘をいつてはいかぬといふけれども、自分に対しては嘘をいつて貰はなければならぬ。あなたのやうに馬鹿ではいかぬとさういふことをいはれたくない。少々馬鹿でも馬鹿だといはれたくない。利巧だとか何とかいはれた方が都合がよいから気持がよい。人には嘘をいつてはいかぬと説くが自分には嘘をいつて貰ひたい。或商賣人が他所から日の暮れ方に急いで帰つて来た。座敷に入らうと思つたらそこに置いてあつた火鉢に跌いて足を痛めた、そこで誰がかういふところに火鉢を置くかとひどく叱つた。さうして座敷に坐り用事があつて番頭を呼んだ。ところがまだ火鉢がそのままにしてあつたので番頭がまた跌いた。すると主人は「気をつけて歩け、火鉢が壊れる」と云つたといふ噺があります。これは一例ですが、人間の判断や感情はとに角甚だ功利的のものであります。  故に人間が智力と感情のはたらきで正念正定をやつても、それは必ず功利的のものでありませう。正見、正思、正語、正業、正命、正精進は、たとへ功利的であつても先づ無事に通過する。何となれば嘘をいはぬことが功徳になるから嘘をいはないと功利的に考へても、嘘をいはなければ正語である。かういふ行いをすれば、将来必ずよい結果をうけるだらうと功利的の考へで行ひをよくしても、行ひをよくするといふことは成就してある。此等六つは智力のはたらきですることで、固より功利的であつたにしてもこの問題には及第するのであります。  ところが正念と正定はさうはいかぬ。初めの六つは道徳であるが、後の二つは道徳の心持から離れなければいけないのであります。そのためには全く智力なり感情のはたらきを離れねばならぬ、功利的なものを離れたら功利的でなくなるから正定を得られる、と理術の上からは確かにいはれることでありませう。即ち功利的であるところの智力のはたらき、功利的であるところの感情のはたらきを離れたら、功利的でなくなるといふことは理屈の上で必ずいはれることであります。  釈迦教  そこで如何にして智力や感情を離れるかが問題になります。釈尊はこれら八つの道を正しく履むことが出来たなら、涅槃の境に到達することが出来ると説き、自分はこの道に依つて涅槃の境に行つたのであるから、何人と雖もこの道に依つて進めば必ず菩提を獲得することが出来ると説かれました。そこで釈尊の直きのお弟子は、この道を履んで仏にならうと一生懸命に努力して居る。此等の人々を釈迦教を奉じた人々と云ひます。即ち聖道自力の教であります。そしてさういふ道を説き、その人々等を導いたのは覚者即ち仏陀である釈尊でありましたから、此等の人々は同時に釈尊を世尊といつて禮拝をして居るのであります。だからその時は仏の観念は極めて簡単であり、又極めて明瞭であつたのです。ところがもう拝まうにも釈尊の身体がない時代になるとそこに複雑な考へが起きて来ます。八つの道を履んで仏にならうとすると、仏はずつと遠方の方に行つてしまつた、さうしてその道を履めばよいが、履まなければ仏は却つて遠方に居る。多くの人々はこの道を履む積りで居つても、履んで居ないから仏になつて居ない筈であります。だから遠方にある仏と何とか交通をしなければならぬことになります。すると遠方の中でも一番近いのは釈尊の身体に出て来て居つたところの如来であります。即ち釈尊の心を通じて我々に知ることの出来た仏であります。仏を拝むところに真如を仏とし、若しくは真如が釈尊の身体に出て来たのを仏とする考へが続いて起きて来たのであります。  真如そのものを仏として拝むか、その真如が釈尊の身体に出て来たのを仏として拝むか、即ち?盧遮那仏を禮拝するか、或は釈迦牟尼仏を禮拝するかどちらかをしなくてはならぬやうになつたのであります。即ち釈迦教でも釈迦牟尼仏を禮拝するものと大日如来を禮拝するものとの二つが出て来なくてはならぬことになつたのであります。  弥陀教  釈迦教を奉じる人々がこの八つの道を正しく履めると思つてゐる中は、間違つて居りながら間違つた境をうろついて居りませう。けれどもそれが内省をして、自分のやうな愚かなものには履むことが出来ない、自分のやうな愚かなものにはこの道は当てはまらいと考へ、自分の力が足らぬことを知つた時、かういふ道に依つて仏になつたもの、即ち仏の力を借りて、自分も涅槃の境に行かうといふ心が起きる筈であります。それが念仏であります。直接には釈迦牟尼仏を念じ、遠くは大日如来その他広い意味の仏を念ずるのであります。釈迦教の中でも禅宗では南無仏或は南無釈迦牟尼仏といひ、真言宗では遮那仏であります。  此等の仏は他の宗旨で説く人格を備へた仏とか神とかでなく、自分の心の中に概念として浮いて来るものだけを考へて居るのであります。その概念がどうして出来るかはわからないといつた方がよい、不思議な力といつた方がよい、ただ不思議の力に名をつけて、仏といつて居るのであります。  ところがもつと徹底してもつと内省の度を強くしたら我々は一歩もこの道に出ることは出来ない。一部は出来るが一部は仏の力に随らうといふのではなく、何れ出来ないといふ心持に到達したなら、さういふ人々に出来るのは正念と正定である。何故となれば正念と正定は智慧のはたらきを離れて出来る。即ち不思議の力として出来るからであります。その正念と正定とが我々の心に出て来た時に、それを仏の力として我々は感ずるのであります。そこに弥陀教が成立するのであります。即ち私の言葉でいへばよしあしのはからひをやめ、自力のはからひのなくなつた時、若しくは悪るい智慧を捨てた時、出て来るのが所謂仏性即ち正念正定である、その正念正定がどうして出来るか、どうして起きて来るかわからぬけれども、わからぬ不思議の力に助けられて自分が仏になる道を得る。その時に仏の力を痛切に感ずることが出来る、それが南無阿弥陀仏即ち念仏であります。  日常生活に於て意識が或一方に傾いたら他の意識は皆なくなつてしまふ、即ち夢中になつて居る時には何もかもわからぬ、これは意識して居るが自分を中心に意識して居ないから、功利的の意識がなくなるのと同じです。この境まで行つた時が正念正定の境で、それを意識の中に出して考へた時に、不思議といはなければならぬ。此を前講であげた例を以てすれば、眼の前に出て来る何ものかがお前の親だといつたら、ああお母さんかといふ、それが弥陀教の念仏であります。釈迦教の念仏は、自分が何か頼りない時お母さんといつてお母さんを呼び出す声でせう。  地獄必定  釈迦教弥陀教と二つに分けますが、結局一人の人にも必ずこの二つの心持があります。如何なる人と雖も初めから弥陀教の心持になるのではなく、誰でも自分の心を省みた時は釈迦教の心持でありませう。  自分の力が足らないから仏の慈悲で極樂にやつて貰いたいといふ考へが浮ぶでありませう。而して全く自分の力を認めない内省の極端まで来たら、八正道の中の六つまですつかり消えて、「何れの行も及び難き身なれば地獄は一定の住家である」といふ心持が出て来る。さうなつた時に我々の心持に正念正定が出て居る、さういふ心持になつて初めて八正道が履めるのであります。  釈迦教でも弥陀教でも皆釈尊の教へを本として起きた教へでありますから、弥陀教であるからといつて、嘘をいつてもよい悪るいことをしてもよいと決して説くのではないのであります。矢張り正見も正思惟も正精進も一切しなければならぬ、即ち道を求めて居るのであります。悪るいものが助かるといふ意味は、悪るいから助かるのではなく、悪るいことが助けられなくてはならぬのであります。通俗の言葉でいへば悪るいのが好きで親が子供を可愛がるのではない、悪るいことが嫌ひだから子供にいろんなことをして悪るくないやうにするのであります。何れの宗教でも道徳から初まつて、その道徳の考へが徹底して起きて来る所までゆくのです。若し道徳を根低に置かないで、正念正定を考へたならば、それは全く得手勝手な考へでありませう。前の六つの智慧のはたらきが役に立たぬことを徹底をして考へないで、自分の智慧のはたらきで正念正定を考へたら、この世は苦しいのだから、こんな苦しい世に長く居らないで極樂に行つて晝寝でもして居らうといふ考へになるでありませう。それでは真の正念、真の正定ではないのであります。だから「極樂は樂しむときいて參らむとねがひのぞむ人は仏にならない」のであります。  第十講法  大乗起信論  仏に就ての考へは、前述したやうな順序でだんだんと変つてきたことが先づわかりました。次に問題になるのは、釈尊といふ仏の説かれた法であります。その法とはどういふものかといふことに就て後の人がいろんな考へを出しました。その中の一番古いのは「大乗起信論」でありませう。この書物が何時頃出来たか、又誰が作つたかということに就てはずゐぶん議論がありますが、それは別として、ともかく釈尊滅後約六百年ほど経つて出来たものであることは大体間違ないやうであります。従つて釈尊が死なれてから六百年の間は、かういふ経つた書物はなく、ただその説かれた説教が書物になつて居つただけであります。釈尊の説教は、相手に応じて相手の心に適ふやうに適ふやうに喩へを出して説明し、話をし、或は考へさすのであります。隨つていろいろの方法を用ひられました。故に釈尊の説教は書いたものだけ見たのでは釈尊の精神がどんなであつたかは容易にわからぬのであります。そこでこれを纏めて筋道の立つやうにし、多くの人に釈尊の精神を理解させやうとして出来たのがこの「大乗起信論」であります。著者は馬鳴菩薩だといはれて居ります。  内薫力  この書物は、心を真如と生滅との二つ、即ち心真如門と心生滅門とに分けてあります。  真如とは心の本体の方向をいふので、即ち平等一如の実体をいふといつたらよろしいでせう。我々は、常に変つて居る現象即ち差別の現象を見て居て本体を見て居るのではない。つまり自分の主観に現れたものを客観に映し出して、仮りの相を見て居るのであります。真実のものとはその主観と客観とを離れたものでなければ、即ち我我の認識の中に入らないものでなければなりませぬ。それが真如即ち宇宙の本体であつて、差別相でないものであります。ところがその差別相は、その真如から出て来るもの、真如が顕現するものであつて、それは消えたり現れたり、即ち生滅して居りますから、生滅といふ名をつけるのであります、即ち一方が実体で他方が現象であります。心にはこの実体の方面と現象の方面と二つあります。現象の方面は実体の方面の上に出て来る者のでありますから、二つとも決して離れたものが別にあるのではありませぬ。我々はこの心の本当の相を知らないで、ただその差別の相のことだけを見て居る、所謂生滅の相を見て居る、そのために主観と客観とを分け、総てのものを二つに対立させて所謂煩悩を拵へて居る、所謂苦しみをして居るのであります。  さういふ心の有様であることに気がつくと、その苦しみのために苦しみから離れなくてはならぬといふ心が起き、だんだん道を求めやうとする心が起きる、それは真如即ち実体がはたらくためであります。その実体のはたらきを内薫力といふのであります。この内薫力がだんだん強くなると、我々の煩悩の心の有様が破られて、そこに真如の本当の相が出て来る、それが仏性或は仏陀であります。これは確かに仏法を纏めた考へでありませう。真如が仏性であり生滅が煩悩であるから、我々の心の中には煩悩と仏性とがあります。煩悩と雖も仏性から出て来たものでありますが、智慧のないために、無明であるために、煩悩となつて居るのでありますから、その煩悩をだんだんと磨いて立派にすればそこに仏性が現れて来ます。又さうしなくてはいかぬのであります。かくの如く、極く明瞭に仏陀が自分の心の中に出て来ることを、この「大乗起信論」には説いてあります。  釈迦教  しかしここでいふ仏とは明かに理想であります。だからその理想が現れるやうに努力してゆくことが、この道を進む人の仕事になるのであります。仏性が実現され、即ち理想が実現された時、真如の相をそこに出して来る、だから衆生と仏とは違つたものであります。天台宗、真言宗乃至禅宗はさういふ心持でありませう。それを聖道の教、若しくは自力の教と名づけられて居ります。しかし自力とか他力とかをさういふ意味に用ひない方がよいと思ひますから、これは釈迦教と言つた方がよろしい、又昔からさう名づけられて居ります。  前講で述べたやうに釈迦教では、道を求めるには贅澤な生活と苦しみの生活との兩極端を避け、中道即ち八正道を履めば必ず涅槃の境に行くことが出来ると説く故に、「大乗起信論」に説くところと相通じるものがあります。又一方聖道の教とは、偉い人の行く道、偉くないものには出来ない道といふ意味でありますが、宗教にはかかる偉い偉くないの差別があるわけはない、宗教とは如何なるものも進んで行くべき道、一切の衆生が仏になる道だと思ひます。だから人間以上の偉いのなら別でありますが、若し人間の中で偉い偉くないをいふならば、偉くてもそれは出来ぬものであります。従つて聖道といふ言葉は用いない方がよろしいでせう。  即身成仏  「大乗起信論」の考へに依れば、萬法は皆真如の顕現であります。山でも川でも草でも木でも何でも真如であります。さうして真如は常住不変のものであり、それが仏性であります。その真如は極く単純な真理であるばかりでなく、活動すべき筈のもの、即ち生きた法として、或は生きた力としてはたらくものであります。その生きた法としてはたらくことが仏であります。「大乗起信論」の考へによつて考へれば、一切のものは真如から出て居る、その真如といふものは常住不変のものであつて、所謂宇宙の真理を指して居るのでありませうが、ただ真理だけでなしに、それが人間の心に出てはたらく時は生きた力でありますから、その生きた力が、それが即ち仏と我々が名をつけなければならないものであります。  そこでこの理屈を二とほりに考へることが出来ます。ひとつは真如は自分と同じものだと考へるところの即身成仏であります。我が心これ真如と感ずることが出来たら即身成仏であります。真言宗では、我が心、毘盧遮那仏と考へた時が即ち成仏であります。天台宗でも恵心僧都の「真如親」といふ仮名で書いた本の中に「疾く仏にならんと思ひ必ず極樂に生れんと思はば、我が心即ち真如の理なりと思ふべし。法界に遍ずる真如我体と思はば、即ち我法界にて、この外にととのふと思ふべからず、悟れば十方法界の諸仏、一切の菩薩も皆我が身の中にまします。我身を離れて外に別の仏を求めむは、我身即真如なりと知らざる時の事なり。真如と我とひとつものなりと知りぬれば、諸仏皆我身をはなれたまへるものにあらず。此思を成す時、萬法は心が所作なりければ、萬行を一心に具し、一念に一切の法をしる、此を捨てずして仏に成れば、此を即身成仏といふ」とあり、これは明かに今述べたやうな考へであります。我が煩悩の汚い心でも、もと真如だと思つた時には即身成仏であります。  見性成仏  もうひとつの考へ方は見性成仏であります。これを説くのは禅宗であります。私は禅の専門家でありませぬから、專門の方の解釈とは無論違つて居るに決つて居りませうが、それは私として問題でないのであります。私は、禅とはひとつの方法であると思ひます。その方法は生滅の心のはたらきをやめる方法であります。生滅のはたらきは悪るい智慧であり、煩悩であります。禅の方法によつてこの悪るい智慧のはたらきから離れることが出来たならば、何時でも仏性を見ることが出来る、それによつて成仏が出来ると私は考へます。禅には公案をひとつの問題としてやる禅と、黙照即ち獸想をする禅とこの二つあります。公案を問題にする方が日本で行はれて居る臨濟宗であり、黙照する方は道元禅師を始祖とする曹洞宗の一派であります。どちらにしろ長い間人間が馴れて来た智慧のはたらきをやめなければ、仏性は出て来ぬのであります。  禅宗の方では生滅を悪るい智慧、悪智と言つて居る。一体我々が世の中を見るのは、感覚のはたらきで認識をしてゆくのであります。その認識をすることが観念を作る。その観念を聯合して概念を作る、その観念と概念とに依つて自分自分の概念の世界を作つて居るのであります。神はかかる我々の観念及び概念の世界をやめてしまふ。それをやめたら忽ち真如の世界が出て来ると考へるので、それを心のはたらきからいへば、公案といふ方法で注意をその方に集中して、普通の智慧のはたらきをやめやうとするのであります。隻手に声があるといふやうなことは普通の人間の認識の世界にはないので、それは普通の考へでゆくべきものではない、だから普通の考へでない考へが出て来たら直ぐに仏性が現れて来る、これが所謂無差別の心境であります。だから観念を聯合さすのに普通の形でやらないで、恰度寝た時の観念の聯合の状態に近いものを作りさへすればよいのであります。  鐵眼禅師の「仮名法語」に「いよいよ志を深くして、退屈の心なく、ひたと坐禅する時は、坐禅の心ちと熟して、時として善念もおこらず、悪念もまたおこらず、うかうかとしたる、無記の心にてなくして、その心すみわたりて、とぎ立たる鏡のごとく、すみわたれる水のごとくなる心、すこしの間生ずる事あり、これは坐禅の心もち、露ほどあらはれたるしるしなり、即ち座禅を用ふると悪念も起らなければ善念も起らぬ。さりながら無記の心でもない。無記の心といふのは意識を喪失した場合であります。澄み渡つて磨ぎたる鏡の如く水のやうな心持がちよつと出て来る。これは坐禅の心が露程現れたものであります。次いで「かやうの事あらん時は、いよいよすすみて坐禅すべし、ひたとおこたらず坐禅すれば、はじめはしばらくの間、すめる心になりたるが漸々にその心すみわたりて、坐禅のうち、三分が一すむ事をあり、あるひは三分が二すむ事もあり、あるひは、はじめをはりすみわたりて善悪の念おこらず、無記の心にもならず、はれたる秋のそらのごとく、とぎたる鏡を臺にのせたるがごとく、心虚空にひとしくして、法界むねのうちにあるがごとくおぼえて、そのむねのうちのすずしき事、たとへていふべきやうもなくおぼゆる事あり、これははや坐禅を過半成就せるすがたなり。これを普賢の境界といふ。  この説明を読んで見ると、現象界の、即ち生滅の心の相とは、恰度水の上に大きな波や小さい波が立つて居るのと同じことで、その大きな波や小さい波が鎮つた時に、水の表が恰度ガラスの板のやうになる、実に靜かな、澄み渡つたものになつた時、現象界の生滅の相がそのまま、ありのまま心の中に映つて来ると考へるのであります。  我々の精神状態にはいろいろの要素が集つて居り、それを分析して考へると容易に説明出来ぬことであります。しかし今述べた心の有様は全く感情であります。  真実の感情  この我々の普通の智慧のはたらきにくつついて来る感情がいけないのであります。何故かといへばそれ故にそれは功利的である、例へばいといふ智慧がはたらくと、すぐその寒さに感情がくつついて来るが、その感情は何時でも功利的であります。若し寒いことが都合のよい場合は心持のよい感情がくつついて来る、寒いことが都合の悪るい時は不快の感情が起きる。智慧のはたらきは同じでもそれにくつついて来る感情は功利的でありますから、心持がよくなつたり悪るくなつたりします。けれども仏性を見ることは智慧を離れて居りますから、その感情は何時でも正しいのであります。何時でも自分を率いて行くだけの力のあるものでありませう。その感情を仮りに真実の感情と名づけるならば、それが即ち仏であります。かかるものを精神的の実在であるといふやうな考へ方もあります。例へば元良博士やアメリカのチッチェナー氏等の心理学者の考へがそれでありますが、私は実在と考へなくてもよいと思ひます。  かかる感情は外から入れ込むのでないことは明かであります。それを仏性を見る、即ち真如を現すと、はたらきの方からいふことも出来ます。又これは中から起きて来る感情でありますから、本来の面目といふことも出来ます。かく禅宗の專門の説き方に拠らないで心理学的に解釈すれば、宗教の意味は明瞭にわかると思ふのであります。  覚り難し  昔から今日まで、即身成仏をそのまました人は弘法大師ただ一人のみであると、真言宗の「秘密安心集」に書いてあります。我が心是れ真如だと思へば即身成仏は出来ませうが、さう思へない人には出来ない筈であります。宗教は一切の衆生が皆成仏しなければならぬ。従つて弘法大師一人が成仏するものならそれは人間の宗教ではありませぬ。  又、見性成仏は自分の心の中に仏性を見つけるのであり、本来の心をそこに出すのでありますから、これを最も進んだ言ひ現し方をすれば是心是仏でありませう。だから禅宗は明かに是心是仏を説く、この心これ仏でありませう。しかし修行の功を積んでかかる境に至ることは容易でありますまい。五年や十年の極く平凡の坐禅に依つて仏性を見ることが出来たら、即ち「我何人ぞ、釈迦何人ぞ」といふ人がどんどんあつたら、恐らくそれは仏性ではありますまい、所謂野狐禅でありませう。だから是心是仏の境に行くまでには八十二段の階級を継ると説く、即ちだんだんと條件を積んで菩薩の位まで行き、その菩薩の位から更に功を積んで仏になると説かなければなりませぬ。これが容易でないことは、悪るい智慧を捨てなければならぬといふ條件があるからでありませう。だから見性成仏にも、自分の心がそれに叶ふか叶はぬかが先決の問題であることになります。理屈を知つただけで宗教にはなりませぬ。そこで普通の書物などには所謂無念無想という方法が出て居ります。この無念無想とは我々の意識のはたらきを殆ど無くすることをいふのでありませう。しかし理屈ではさうでも、実際に無念無想の境に行くことはやはり容易ではありませぬ。  そこで禅といふ方法に依つて見性成仏をすることも、亦即身成仏をすることも、容易でないことになります。  外薫力  見性成仏や即身成仏は偉い人がするのだ、否、どんな偉い人でも出来ないだらうという工合に、内薫の力の足らぬことがわかつたなら、外薫の力を借らねばならなくなります。そこに念仏の教即ち浄土他力の教、自力に対し他力の教、聖道の教に対して易行の教があります。愚かであらうと賢からうと、荀くも人間であれば、内薫の力の足らぬと感じた時に外薫の力を借りて行かうと感ずる、その外薫の力を我々の心に受取る場合、即ちその外薫の力が人間の心の中にはたらく場合は、特別の仏でなければなりませぬ。それが阿弥陀仏であります。この外薫の力に縋るには、或は釈迦牟尼仏、或は毘盧遮那仏である場合もありませう。しかし結局は阿弥陀仏に帰するのだと考へなくてはなりませぬ。故に念仏は阿弥陀仏に帰依する教である、これが弥陀教であります。専門の書物に、愚かなものはとても難しい道を履めないからかういふ容易い道を示したのだと書いて、道が二つあるやうに説いてありますが、私はひとつものだと思ひます。如何なるものと雖も内薫の力を初めに使い、見性成仏、即身成仏をしやうという心があり、さうしてやつて見ていかぬと思つた時に外薫の力に縋るのであります。故に賢い人も愚かな人も一切が仏にならうというならば、かかる順序を履むべきものでありませう。  自力の念仏  しかし仏を念ずるといつてもそんなに簡単なものではありませぬ。「安心決定鈔」に記されてある如く、自力の人の念仏は仏が自分でないから、即ち自分の身体の外にある仏でありますから、仏と自分と離れて居る、離れて居る仏に自分の念願を叶へて貰はうと念ずる、だから仏の名を称へることに依つて往生させて貰はう、仏の名を称へることに依つて自分の望みが叶ふやうにするのであります。所謂念仏の功徳に依つて仏の国に行かうといふのであります。お経にも、念仏を言つたら死ぬ時に仏が来て迎へて下さると書いてあります。だから念仏を澤山して仏の気に入るやうにしなければ助けて貰はれないかも知れぬ。全く自分の心の外にはたらいて居る外薫の力に自分を寄せて行かうといふのであります。これは弥陀教としてはずつと幼稚なものでありませう。何故なら仏を今述べた意味から考へても、又仏といふ考への起る順序からしても、仏は一切を包容するものであります。それでなければ仏とはいはれない筈であります。つまり我々を助けることが仏であつて、助けるといふはたらきのないものは仏ではない筈であります。即ち仏とは大慈悲心でありませう。だからお経にも「衆生が往生しなければ自分も仏にならぬ」と書いてあります。一切を包容してゆく仏が、頼まなければ包容しないといふならば、包容する力はない。頼む頼まれぬに拘らず、包容しなければ一切を包容するといふことは出来ぬからであります。阿弥陀仏がさういふ性質のものであつては、我々の阿弥陀仏としては非常に力の弱いものであります。又阿弥陀仏が無量壽であり無量光である以上は、どうしても我々はその力に巻き込まれなければならぬものでありますから、さういふことのあるべき筈はないのであります。  真の弥陀教  かうしてだんだん考へてゆくと、本当の意味の弥陀教が見つからなければなりませぬ。我々が、我々の心持を深く考へて考へ抜いた結果、その心一切を纏めて阿弥陀仏に直接に觸れるその場合を指して、本当の意味の弥陀教であるといはなくてはならぬと思ふのであります。親鸞聖人の「教行信証」の中に  「しかればみなを称するに、よく衆生の一切の無明を破し、能く衆生の一切の志願を満てたまふ。称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなはちこれ念仏なり。念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり、南無阿弥陀仏はすなはちこれ正念なりと知るべし。」(原漢文)  とあります。短い文章でありますが、称名とは阿弥陀仏の名を呼ぶことであり、その阿弥陀仏の名を呼ぶことが一切の無明を破つて、一切の志を満てて下さるのだから、この名を呼ぶことが最よい行ひ即ち正業であります。その正業が念仏であり、念仏は南無阿弥陀仏であり、南無阿弥陀仏は即ち正業だと簡単に説いてあります。しかしこの簡単な文章をよく考へて見ると実に私は深い意味があると思ひます。  前講で述べた如く、八正道のうち初めの六つは道徳の範囲に属し、後の正念と正定が宗教であります。すると親鸞聖人はかういふ場合に、初めの六つは説かないで正念正定を説いて居られる。そこに親鸞聖人は釈尊の説かれた教の中から宗教だけを始終抽き抜いて居られるといふことが明かであると思ひます。親鸞聖人と雖も、初めの六つの正しい道が要らぬとは決して言はれぬ、悪るいことをしてよいとは決して言はれぬ、嘘を言つてよいとは決して言はれぬ、阿弥陀仏の薬があるからといつて毒を飲んではいかぬと明かに言つて居られます。だから初めの六つを排斥して居られるのではありませぬ。自分は無力である、悪るい者なのであると極端まで考へたら、我といふものの値打を否定することが出来ます。我の値打を否定する時、内薫の力が足りないから外にある外薫の力を借りやうといふ考への起るべき筈はありませぬ。所謂煩悩具足罪悪深重といふ相に目が醒めた時、内薫の力外薫の力どうすることも出来ないから、たすけられるより仕方がないのであります。我を取り去つた我でないのが殘る。我が煩悩具足であつたら、我でないものは煩悩具足でない、故にかかる境に行つた時に、この愚かな身を持ちながら、その愚かな心を持ちながらそのまま真如の中に横たはることが出来る、それが真実の弥陀教でありませう。  親鸞聖人の釈尊観  ところがこれまでの説教を開くと、弥陀教は釈尊がただ方便のために説かれた、つまり多くの愚かなものを導くために説かれたものであるといはれて居ります。しかし私は決してさうではないと思ひます。釈尊は聖道の教だと言つて説かれたのではない。又これが弥陀教だと言つて説かれたのでもない。これは難しい教だと言つて説かれたのでもなく、容易い教だと言つて説かれたのでもない。多くの人に向つて宗教の心を出すやうに説いて居られるのでありますから、教を聞いた人が今いつた心のはたらきの順序として、先づ即身成仏を考へるでありませう。それから見性成仏を考へるでありませう。見性成仏も、即身成仏も言つて居る間は大変心持がよいけれども、深く考へた時に満足出来ないことがわかつて念仏をする、真言宗でも念仏すれば禅宗でもする、殊に支那では禅と念仏とを兼ねてある、これは人間の心の行くべき道だと思ひます。だから釈尊の教はただひとつであると思ひます。それを徹底して宗教的に味つた人は、私の知る限りに於ては親鸞聖人であると思うのであります。「釈尊は我々に弥陀の方へ行けと説かれた、弥陀は自分の方へ来いと説かれる、だから我々に弥陀の教を説くのは釈尊である。けれども我々がたすかるのは弥陀である」と親鸞聖人は釈尊を見て居られます。釈尊を如何に見ても結局は同じでありませうが、親鸞聖人のやうな考へが、宗教的に仏教を味ふ上に我々にとつて一番わかり易いと思うのであります。  第十一講 業  所謂業の問題に就ては此迄色々の説が行はれてますが、此に関しては一切述べず、ここではどこまでも宗教としての意味を考へて行かうと思ひます。「?舎論」の中に、「世の別は業によつて生ずる」即ち世の別れて行くのは業によつて生ずる。「思ひ及び思ひの所作」思ひは意業であり、所作は身業と語業であります。所謂三業を説いてあるのであります。これについては前に第五講に於て「折去記」に記されてあるところによつて説明した通ほりでありまして、大体の意味は身体と心との二つの方面に於いて我々が行ひをすること即ち所作或は行為を謂ふのであります。  輪廻  この業が仏教に於て宗教的意味に使はれてゐるのは、我々の生活は決して短い間に存在が無くなるものでなく、業によつて無始無終に相続をして行くといふ場合であります。而して業の性質に応じて種々の境遇、種々の形の相違が出て来ると説明してあります。故に我々は業によつて輪廻するのであります。輪廻は即ち流転の意味であります。  印度では仏教がまだ起らない以前から、業によつて我々が流転輪廻をするといふことを説いてをつたのであります。その当時の人々の考へでは生命のあるものの将来の運命は二つの方向に決るもので、その一とつの方向はその相がそのまま長く伝つて行く所の運命、もう一とつは元の本体に帰つて行く運命で、前者を輪廻と云ひ、後者を解脱といふ。真如から迷つて来たものがどこまでも迷つたままで続いて行くのが輪廻、それが元の本体たる真如に帰つて行くのが解脱である。この二つの方向が分れるのは無明と明との関係である。無明である故に輪廻し、明であれば解脱をすると考へてをつたのであります。  解脱は別として輪廻を斯様に説明するのは確かに倫理的の考へであります。善い原因があれば必ず善い結果がある。悪るい原因があれば必ず悪るい結果があると観る。もう一とつは心理学的の考へであります。それは我々人間を始め生きてあるもののはたらきの工合が一々変つておるところを見ると、どうしても業といふやうな何物かを考へ出すことによつて説明するのが都合がよいのであります。  仏教以前の業と釈尊の業  此等の考へは仏教以前のブラーハマン時代に既に出来、ウパニシャッド哲学時代に大成したものでありますから、釈尊が世に出られた時にはこれが普通人々の常識になつて居つたのでありませう。そこへ釈尊が出て新たに仏教を説かるるに当り、矢張り業による流転を説かれたのであります。しかし仏教でいふ流転はそれ以前の流転と言葉だけは同じでも性質は全く違つたものであります。釈尊の教へでは常一主宰の我はない。ところが釈等以前の教へでは常一主宰の我が業によつて永続する。若し悪るいことを日に日にして居れば、その次は犬に生れるかも知れぬ、或は猫に生れるかも知れぬ、前の世に或は犬であつたか知らないが、よいことをしたから人間に生れた。かやうに道徳的に我といふものが続いて行くと考へた。故に仏教以前の業は我についてある何か見ることの出来ない一とつの潜んだ力であると考へても差支ないのであります。  ところが仏教は我々人間の生命の活動は総てこれまでの経驗の執著である。経驗の結果である。即ちその経驗をすつかり集めたものであつて、経驗を除いては何ものもないと説くのであります。故に仏教では前の世に犬であつたものが、後の世に人間になつたともいはなければ、今犬であるけれどもそれが人間になるともいはない。かかる常一主宰の我は全く説かぬのであります。故に一とつの清んだ力でもなく、又それに依つて生れたり死んだりするものでもないのであります。仏教の考へは経驗の集つて行く経過が我々には考へられない間に経過して行くのであり、それによつて我々の将来が規定されるのであります。その事実を指して業といふのであります。  換言すれば我の精神のはたらきがだんだんと現れて来る、それを集めて我といふ。即ち我が年々消滅して行く、それをすつかり集めたのが我であるから、我の生命をだんだんと進化させて行く、進化そのものを業といふべきでありませう。  業の種々  夢窓国師は鎌倉の円覚寺に居られて後に京都の嵯峨の天龍寺を建てられた人で禅宗の大家でありますが、その夢窓国師の「夢中問答」の中に次のことが書いてあります。  「業に種々のしなあり。現生にやがてむくふをば順現業と名づく。次の生にむくふをば順生業といふ。順生の後にむくふは順後業なり。」  因果応報の結果が生きてゐる時に来るのが順現業、この世で悪るいことをしたのが次の世にその結果が出て来たら順生業、その又次の業を順後業と名づける。  「若しこの三種よりも軽き業なるは、いつにても便宜の時にむくふべし。かやうなるをば不定業と名づけたり。」  軽いものであれば、何時出て来るかわからぬから不定業と名づける。  「軽重によりて遅速ありといへ共、つくりおける業のむくはずして、ただやむ事はあるべからず」 軽い、重いの、遅い、速いの違ひはあるけれ共、作つた業が結果を出さぬことはない。  「仏力、法力にあらずばいかでかこれを消滅せんや。仏力、法力ありといへども、衆生若し求哀懺愧の心なければ消滅することあたはず。たとへば菩婆扁鵲は名医なれども、人の病をおさへてなほすことあたはず。病者もし其の教に随ふて療治すれば、病者の苦しみ忽にやむがごとし。仏亦かくのごとし、衆生の業報をおさへて転ずること能はず。三世了達の智慧を以て、衆生の種々の業報の因縁を知見して、貧苦は慳貪《けんどん》の業因によれり、短命は殺生の業報なり、形容の醜?なるは忍辱ならざる故なり、種姓の下賤なるは他人を軽劣したりしむくひなりと説き玉へり。若し人此の教に随ふて前非を悔いて、ながくかやうの業因をやめなば、何ぞ定業とて転ぜざる事あらむや。今時の人を見れば、朝夕内には悪念をたくはへ、外には悪行をのみなして、さすがに福分もねがはしく、壽命もながらへたきままに、仏にいのり神にまうづるばかりなり。若しかやうならば、いかでかしるしもあるべきや。」 と書いて、次に自分の実驗があります。  「伊勢大神宮には幣帛をささぐることをも制し玉ふ。経呪を読誦するをゆるされず。予先年勢州に下りて、外宮の辺に一宿したることありき。其の時一の禰宜といふ人に、其の謂はれをたづねしかば、此の社に詣づる時、内外の清浄あり、外の清浄とは精進潔斎して身を穢悪にふれざるなり。内の清浄とは、胸中に名利の望みおかざるなり。よのつね幣帛をささげ法樂をなすことは、皆是れ名利の望を祈り奉らんためなれば内清淨にあらず、この故にこれを制し玉へり。たとへば政道をたすくる官人の、訴人のわいろをとらざるがごとし。貧窮下賤にして名利共にかけたることは、偏に是れ前世に名利のために悪業をつくりし故なり。しかればただ名利を求むることをやめて、内心清浄ならば名位福録おのづから満足すべし。若ししからずば日々夜々に參詣して、幣帛神馬の賄賂をささげ、経呪、法樂の追從をはげます共、其の所望をかなふる事あるべからず、神慮かくのごとし。此の事は御託宣の記に見えたりと云々。」  仏力の三不能  又、国師は  「仏は一切の事にみな自在を得玉へりといへども、其の中に三不能といへることあり、一には無縁の衆生を度することあたはず、二には衆生界をつくす事あたはず。三には定業を転ずる事あたはず。定業とは前世の善悪の業因によりて、感得したる善悪の業報なり。かやうの決定の業報をば、仏菩薩のちからも転ずる事かなはず。形容の研概、幅徳の大小、壽命の長短、種姓の貴賤、これらはみな前世の業因にこたへたる定業なり。荘子等は前世の業因によれる事をしらざるが故に、貧富貴賤はみなこれ自然なりと思へり。仏教にはしからず、前世の要因によりて悪果を得たる人、この理をしりて今生に悪業をつくらずば、当来必ず善果を得べし。転じがたき現報をとかくもちあつかふ程に、当来の善因をも修せず、これは愚人にあらずや。たとへば農夫の田をつくるがごとし。春の時耕すこともねんごろならず、草をも入れず水をもかけず、種をまき苗をうふることも疎略なりし故に、秋になりてみれば、かたのごとく稲には似たれども、藁をとるほどの得利もありがたし、いはんや米を収むることあらんや。此の時農人これを歎きて、始めて水をかけ草を入るともかなふべからず。しかるをもしやもしやと秋の稲をもちあつかふ事は愚痴なり。ただ此の西收の時得利のなきことは、偏に東作の時疎略なりしとがなりとして、明年の稲作をよくいとなまば、必ずこの秋のやうなる損亡はあるべからず。  経中に仏力、法力をあかす時、定業も亦よく転ずといへる文あり。又仏力も業力にはかたずといへり。若し人日来の凡情をひるがへして、正念にして、或は道行を成ぜんため、或は他人を利益せんために、現報を祈りかへんと思ふて、仏力、法力によりて至誠心にて修せば、定業なりとも必ず転ずべし。故に定業も亦能く転ずともいへり。若し人凡情の執著によりて、命をのべたく福をたもちたき故に祈るならば、かやうの欲心は仏心と冥合せざる故に感応あるべからず。この故に仏力を業力にかたずといへり。諸仏は大悲を体とす。故に一切衆生をあはれむこと一子のごとしと説き玉へり。仏力若したやすく業力をさへぎることあらば、悪道におつる者はあるべからず、濁世に生れて諸の苦しみを受くる人なかるべし。」  といつておられる。これによつて夢窓国師の業についての考へは想像せられるのであります。  諦め  これを読むと夢窓国師のいふ業とは別にどこかにあるやうに思はれるのです。何か業といふ力でもあつて、その力が自分を支配してあるやうに考へられます。無論夢窓国師でありますから、仏教以前の考への如き常一主宰の我にくつついておる力とは考へてをられますまい。しかし今読んだところでは、業といふ一とつの我々の目には見えない力か何かあつて、それが自分の生命の規定をしておる、前の時代に悪るかつたからそれで悪るい結果を今持ち来してある。その持ち来された力に動かされて悪るい結果を今受けてあるのであると考へてあるやうであります。それは我々の行為を道徳的にするためには必要でありませう。悪るいことをしたからそれで悪るい結果を得たとおどかせばどうもこれは前世に悪るいことをしたのだから仕方がないといふ所謂諦めの心持が起き来ませう。しかし諦めは度々繰返して述べた通ほり、宗教の心持でありません。諦めなら道徳の範囲を離れることは出来ない。諦める道徳は宗教でないと私は思ひます。又現在非常に働いてゐるが貧乏してゐる、これは普通の道理なら一生懸命努力すれば金もたまり、よい結果を得るのが当然でありますのに、如何にも気の毒な状態にゐる。この場合が前の世に悪るいことをしたからその悪るい結果が今出て来た、所謂順生業である。それをもう一歩進んで今は貧乏で困つてゐるが、後の世の順後業には立派なものになるといへば諦めの値打はもつと強くなる。しかしどちらにしても宗教のはたらきを起すことはないと思ふのであります。諦めは出来ても安心立命の境に行くといふことは容易でない。この夢窓国師の書いてをられるものを見ると、自分の行為即ち自分の身と口と心で以て行つたことが集つて業になるのであつて、それが一とつの力と感ぜられておる。さうして元自分が作つた業でもその作つた行為が、一とつの潜んだ力となつて自分から離れておるから、それによつて感応を受ける場合にはかういふ説明でなければ結末がつきますまい。  目前見  これと同じことが浄土真宗仏光寺派の大家である大行寺信曉師の書かれた「山海里」の中に「目前見」といふのがある。目の前に実見したことを書くといふ意味であります。  「冬の日雨のそぼ降る夕暮に、あはれげなる乞食の濡れたる蓑を著ながらに、人の軒にたたずみて夜を明さんとしけるを、家の主と見えたる人出あひて、此ところにおかじ、いそぎたちのけとてあうけなくいひはるをとかくわびすがりけれども、ききとどけざる故に是非なくも雨に濡れながら、あてどもなしに立ち去るを見たることあり。かかる乞食と生れにて一生をすぎぬるはいかなる前業のなしけるわざなるぞや」  乞食が人の屋根の下で一夜を明さうと思ふと、そこへ主人が出て来て、ここに居つてはいかぬから逃げろといふ、どうか置いて下さいといふけれども、置いては呉れないから、仕方なしに雨のそぼ降る中をとぼとぼと行くのを自分が見た、さうしてかかる乞食と生れて来て一生を過すことはいかなる前業の仕業であらうか、この「如何なる前業のなしけるわざぞや」といふところに少し研究を要することがある、又その次に、  「又あるとき途中にて、しかも寒かりし日に、四歳ばかりと見ゆる小児の親に捨てられたるものと見えて、なさけにひろひたまはれと書きたる札をつけたるが泣き居たるを、往来の人たちかさなりていづくのたれが子なるぞと尋ねれども、親の名をおぼへざるにや、ただ徐事なく母よ母よ、とのみいひて、わけなくさまよふを見たることあり。やがてくれゆく夜となるにいかがすべきと、おさなき小児ごころに思ふならむとその心根をおもひやりければ、他人の身にも不便さのやるかたなきに、捨てたる親の心には、いさぎよき事をしたりとも思ふまじけれども、四五歳まではいだきかかへてそだてたるものを、心強くも捨てけるは身を捨てる妻はなしの諺の道理ならんと思へば捨てる親も捨てられたるおさな子も、いかなる前業の所感なるぞや。又、あるとしの極月、雪ふりつもりたる夜に大阪の日本橋を通ほりけるに、乞食に施行の者と見えて長町の方より粥遣ろ粥遣ろと呼び来たる声あり、手代調市出入方ともいふべきもの五六人にて桶に入れたる粥をになひて北へはいるに、橋のあたりに寝て居る乞食ども起き上りてその施行を受くるその中に、雪しるの氷りたるに身を寄せてこごへながらに寝入りたる乞食の子あり、親あるものと見えたるが、あはただしくゆすり起して卵をもらいて食せよといふ、八九歳と見ゆるもの起き上りて茶碗を出すに、施行の若きもの粥をすくいてその茶碗へ山もりになるほど与へきて急ぎ通ほりて過けるに、この子供兩手こごへてありけるにやはからず茶碗をとりおとし、氷りたる大道にて茶碗割れて粥は地べたへうちあくる、親はあさましき声を出してその小児のあやまりしをしかりける、粥よりは茶碗をわらしたることいましめける、子供は泣くより外のことなく、そのこぼれた粥をすこしにてもとちいさき手にてひろい見れど詮方なく、又うづくまりていねける。いねける有様は見るにしのびがたく、われはそのあたりの夜店にて茶碗一とつ求め、薩摩芋のむしたるを二つ三つ添へて興へおきて帰りぬ。それ等は施行の善事をうらむ事の道理にもあることなり、粥遣るさへ来らねば寝入たる目をさまさず、茶碗をわらずこともなく、親の叱りもうけざるものをと思ふなるべし、これらもいかなる業因の然らしむるものとなるぞや。  又京都にて講内の法席をはり夜ふけて丸太町をかへりけるに、その席へ出たる同行のわれよりさきへざをたちたる人に寺町あたりにて追つきけるがその人のいへるに、只今境町西へ入るところにてあはれなるものにあひたり、さだめて見たまひたるならんといふ、われは何のこころもつかざりしといへば、その人のいへるに、蕎麥うどんを売るものの、おろしおく荷物のかげにつくばいて、としの方十四五なるむすめの、われは西国のものにて母と二人伊勢へ参宮せしに、このごろ母は道中にてわずらひ、つひに死なれてわれひとりになり、路銀も著物も人にとられ、このあいだ四五日さきより乞食すれども食物の施しを得ざるゆゑ、今日もいまだ食せずといふをききて、そばやあはれみて、もはや夜もふけぬればうどんそばもうりきりて、ただ一膳賣りのこりたるあり、ほどこすべしとてあたへければ、うれしげにそれを食して、財布を出して今朝より七八錢はかりおらひたるあれば、これをあたひにとりたまへとさし出す、蕎麥屋は、それにはおよばず、これは施行にするといへば、それでも売りたまふものなるをと、禮儀ただしく、あつう一禮をのべて、われことはとてもいのちはたもつまじく、今日のさむさはわけて身にこたへ、食は乞へども、なれざることゆゑ、しひても乞ふことをえせざれば、明日もいよいよ寒さのまさるならば、母のごとくに死ぬるならんといふ、そのあたりの八百屋も店をしまひながらいふに、あの娘はいかにもいやしからぬそだちにて、一兩日さきまでは身のまはりもいかさま参宮したるものと見えたりしが、著物もとられたるやらん、けふはうすきものを著てふるひ居たりといひしと、予それをききて、それは不便のことなりとおもひ、何とかすくひやらもあらんと四五丁たちかへりて見たれども、もはやそのあたりに蕎麥売も居らず、娘の行方を知れざりければ、せん方なく自坊へかへり、その次の夜及その夢に法座ありてゆきけるに、その家の主人は町用ありて出たりとて、他行のことはりをいはるるにつきて、その用事をきけば、今朝より町内にたをれるのありて、先刻七つ時分までに死きりたるやうすなり、きのふよりのさむさにて、こごえ死と見ゆるとの沙汰なり、年の頃をきけば、昨夜の娘に必せり、あはれさ不便さ今にかすれがたし、定業とはいいながら、昨夜かれに出會なば、蔵屋敷へ通じてなりとも兎角して本国までかへしやることの方便もありたるならんにとおもへども、元来親子二人參宮おもひたち遠路をまわりたる神信仰のものなれども、二人ともに他国にてたをれ死する程のやくそく、大慈悲ふかき神慮にても、すくひたまはりがたき前業の所なれば、昨夜われ等に出あはざる、よくよくこごえ死する決定業のものなるべし。大経の下の巻に悪逆無道にして後に殃罰を受くる故に、貧窮、下賤、乞食、孤独、鼻、聾、盲、唖、阿呆、憎まれなるあり、いざり、狂、ならず者の類に至ると説きたまへり、生々世々かくのごとくならんこそあさましけれ、これすなはち、経文に目前見事とあるところなり、まことに目の前に見ることにあらずや、一心に意を制し、身を端し、行を正しくして、独り諸の善をつくりて、業悪をなさざれば、身ひとり度脱して、その福徳得て、上天?道の道に至るべしとぞ教へ給はりける。」  前業の所感  大行寺信曉師は「山海里」の所々にかかることを書いて居られる。而して斯様な業の考へ方が今でも普通に行はれて居るのではないかと思ふ。多くの人々は業をこのやうな場合に用ひて居ると思うのであります。実に可哀さうだといふことを説明するのに業因の然らしむるところであるといふ。しかし業がこんな性質のものであればよい場合に名前業の所感であるといつて喜ぶか或は泣くかする筈でせう。然し少くとも「山海里」に出て居る業因は皆哀れな相である。又世間一般でいふ業も同様である。結局業とは自分のことだといふのでせうけれども、業を自分から離れたもののやうに考へ、離れた業によつて、自分等がどうかなるのだと考へて居る様に思はれる。若し、さうだとしたら、夢窓国師の考へる大行寺信曉師の考へも大体同じことでありませう。  運命  斯様に考へられて居るなら西洋の人のいふ運命、殊に基督教で説く運命と少しも変らぬのであります。出来工合は違つて居りませうが結局に於ては同じであります。故に業とは前から作つてあるのだからその人の運命は決つて居つて、どんな事をしても、皆運命でなければならぬ。だから運だから仕方がないといふ、或は人間の運命を換へたらよからう、といふ人もありませうが、それは前世の約束であるといへば変へることが出来ないことは確かであります。或は運命を開拓したらよからうといつても、改めて行くことの出来るものなら業でないことは明かであります。けれどあそこの考へがはつきりせぬから夢窓国師も困つて居られたのだと私は思ふ。仏の三つの不能の中に定業は転ずることが出来ないと書いてある。然も今述べたことを伝はうとするなら定業者転ずることが出来るといはなければならぬ。夢窓国師はそれを説明して、仏力法力で定業も転ずることが出来るやうに説かれて居る。然も定業は仏と雖も転ずることは出来ないといふ。從つて運命を開拓するといふ場合の業は定業でなく別の業であるわけであります。  流転  仏教の業は仏教を宗教として見た時に極めて大切なことであります。第五講で述べた如く我は五蘊の集つた時だけあるもので、その集つた時、我といふはたらきを自分に感ずる。五蘊が散つた時には我は感じやうと思つても感ずる事は出来ない。我々の心で感ずるのだから何時でも感ぜられさうなものですが、五種の集つた時だけでなければ感ずることが出来ない。五蘊の集つた時だけに感ずるその心持をどこまでも続けて行くのには業を考へるより他に道がないのであります。即ち業とは、自分の、身口意の三業のはたらきによつて、今五蘊を集めて居るけれども、それが或は散るかも知れぬ、死んだ時には必ず散るでせう。然し散つても業が置いてみる限りは又集まると感ずる時に、全く宗教の心持であります。それを感ずるとか感じないとかの理屈をいふのは宗教の心持ではない、それは学問であります。その業が強い力を有つて居つて、科学の引力のやうに引くのであるか、それを論ずるのではない。さういふ学問ではない。要するに業によつて仮りの我が崩れても又仮りの我が出来る。どうしてもさう感じなければならぬ心持が泛《うか》んで来るのであります。さういふ宗教感情が強く出てある時にはどうしてもさう感じなければならぬ心持が起きて来る。そこで業が全く宗教的となるのであります。我々は業によつて生死の苦界を流転するものであります。輪廻転生するものでありまして、この業のはたらきによつて、生死を離れることは出来ないものであります。  出離  從つてこの苦しみの世界に生れぬことが、仏教を宗教として見た最後の目的でなければならぬ。死の苦界を離れれば即ち出離をすればよいのであります。出離とは生死の苦界を厭ひ離れることであります。ところが我々はどうしても生死の苦界を流転しなければならぬから、出離の縁なしと説かれるのであります。かう考へると、業は如何にも我々の生命を規定して居るのであります。然しそれは運命ではなく、自分が自分の生命を規定して居るのであります。故に業がしみじみと感ぜられた場合は、この業に泣くより仕方がない、他に何も道はない、その業に泣く姿がそれが全く宗教的の態度でありませう。そこに例の慈悲もありませう、仏の法をきくといふ態度もそれで決るでありませう。さうなれば運命も何もあるのではないのです。人が貧乏しておる、あれは前世の業だと考へてもそれは前世の業であるかどうかわからぬ、人のことがわかるわけはない。又その様に方々にぶらついてゐるのなら決して宗教的のものではないのであります。  業に堪へる。  京都に菱屋了玄といふ西陣の金持が居つた。時に、摂津の摩耶山の下に或百姓が居つて、毎年京都の本願寺へ必ず參詣をする。了玄も亦金持の隠居でありますからよく本願寺に参つてその百姓の態度が非常に麗しいので途にその百姓と懇意になり往来して居つた。ところが或年參詣をしない、あの人が參詣しないことはないから必ずこれは病気であらう。もう年を取つて居ることだから恢復の出来ない病気になつて居るか知れぬ。他の人とは違うから參つて見舞をいはなければならぬといふので、京都から摩耶山の下まで行つて見ると、実に芋屋で寒いのに障子もない、雨戸もない、座るところもないやうなところに寝て居つた。百姓は「自分は今年の春から病気で最早や生が終るかと思つたが、幸ひ病気は治つたが然しまだ立つことが出来ないので、參詣出来ない、よく来て下すつた」といつて喜んで二人で御法義のお話をし徹夜した。朝になつて了玄が帰へる時「甚だ軽少だが、これで雨戸でも買つて風の入らぬやうにし身体を風に当てぬやうにして呉れ」といつて幾らかの金を出した、すると百姓がひどく驚いて「私はあなたを本当に法義を喜んで居られるお方と思つてお交際して居つた、仏も業は転ずることが出来ないといはれる。私がかやうな姿をして居るのは私の業の然らしむるところであるから、幾らあなたが偉くても私の業を転ずることは出来ないと思ふ」といつた。了玄の方は貧乏して居るから金をやらうといふ愍《あわれ》みの心持であります。しかし百姓は脇から見れば貧乏でも、その本人は貧乏して居ない。何となれば、貧乏して居つてもこれでよいといつて居る、即ち自分は自分の業に甘んじて居るのだから愚痴はない。了玄の可哀さうでたまらいというのは自分の心が可哀さうだ、それで金をやつて助けやうというのであります。対手の百姓は受取られ、自分が業の報いを受けて居るのを、仏でも転ずることが出来ないのにあなたが転ずることは出来ない。仏教をきいて本当に味つて居れば、さういふことはやらぬ筈だといふこの百姓の考へは如何にも尤もだと思ふ、その百姓は如何にも業を本当の宗教の意味で考へて居るのであります。業を少しも悲しんで居ない、所謂業に泣いて居るのであり、業に堪へて居るのであります。了玄も普通の人なら腹を立てるでせうが、道に長い間仏教を聞いて居つたのでかかる時直ぐ自分に還ることが出来るのであります。だから驚いた、「私の考へはさうまで深くなかつた。いはれて見ればまことに悪るかつた。失禮の罪はお詫びをするから、又元の通ほりに交際をして呉れ」といつて又友達になり、お互に年を取つて居るからどつちか先に行つたら待つて居りませうと約束までしたのであります。百姓は其後間もなく死んだといふことであります。この百姓は本当の宗教的意味の業を感じて居た訳であります。  第十二講 宗教心  宗教の領分  科学と宗教といふ題の下に説明を続けて来ましたが、冒頭に申しました通ほり、ここに科学と宗教との関係を如何にして説明しやうとか、或は今日の科学の知識を以て、宗教に何等か説明を加へやうとかしているのではありません。前述の通ほり科学と宗教とは心のはたらきの上からいつて五に領分を異にして居り、宗教には宗教独特の領分があり、科学には又科学独特の領分があります。故に、宗教が科学の影響を受けるわけでもない、又宗教が科学によつて破壊せられるわけでもなく、相互の間にかかる関係はない筈であります。ところが前にも云つた通ほり、宗教の形式は、人間の智慧のはたらきで表現するものでありますから、宗教が何等かの形式を以て表現された場合には、どうしても知識に相当せねばならぬのであります。だから知識の足らぬ時に表現した形式と、知識がだんだん進んで来た時の形式とは違はなければならぬ故に、野蕃人の宗教と文明人の宗教とは明らかに違ひます。又同じ民族でも、昔の形式と今のとは確かに違つて居ます。智慧が次第に進んでものを考へることが上手になり、認識の領分が広くなるのに、知識の足らないものが表現した宗教の形式に滿足出来るわけはありません。それだから宗教の形式は、人間の智慧に相当して、常に進歩するものでありませう。西洋にも科学と宗教に関する本は、フランス、ドイツ、イギリス辺りに随分ありますが、それ等は今云つた様な科学の知識に相当するさらに宗教の形式を継へて行くか、或はそれを批評してゆくかであるやうであります。  然し私はかかる方面を説明するのではなく、宗教のはたらきは精神のはたらきの中、感情の働きであるから、そこに科学は少しも手を入るべきものでなく、文科学で彼是いふべきものでもないことを云はうとするのであります。  ところが科学がだんだんと進歩するに從ひ、宗教が無視せられたり、或は宗教などは要らないといふ人も出て来るのであります。  人情  日本では江戸時代は随分厭政であり、階級制度も強く現れて居りました。地位によつて随分權利にも違ひがあつたやうであります。しかし、精神の上には明かに宗教の花が咲いて居つたやうに思ひます。少くとも多くの人人の関係には宗教的の空気が動いて居つたやうであります。武士などは儒教で頭を決められて居たが、この儒教も知識の方面に出た場合は、所謂、修身齊家の道であるが、感情の方面に出た場合には宗教となつて居ります。其上、室町時代にひどく我国民の頭に滲み込んだ禅の思想が武士間に広く行はれて居つた。従つて武士は、儒教から湧いて出る一種の感情と禅の思想とで、明らかに宗教の空気を作つて居つたのであると思ひます。一般の民衆はもつと宗教的であつたことは明かであります。故に今日のやうに、国民道徳の基礎であるとか、若しくは祖先崇拝だとかの理屈をつけなければ神仏を崇拝しないやうな人はなかつた筈であります。  其上三世因果の考へが当時隨分広く行き亘つて居りました。無論その考へが正常でなかつた場合が随分あつたでありませう。今日でも正常でないと認められることが随分ありますから、それは別問題としても、三世因果の考へは現在の命の他に過去の永遠の命を考へしめたのであります。さうして更に、前途に未来永劫の命を見出さうとすることも、確かに強かつたといへるのであります。故に、現在に深く執著して居りながら過去の永久性をみることも出来、又現在の生命を長くそこに持つて行かうとする考へのあつたことも明かであります。故に現在の命を、まるで破れ草履を脱ぎ捨てる如くに捨てた人も可成りあつた、現在の世界を超越した一種の神秘の世界に入つて、そこに新しい命を味はうとした例も澤山あります。かかることのよし悪しは別問題にしても、人情美が各方面に出て居たことは明かであります。例へば米一粒こぼしても勿体ないといふが如きであります。  ところが近頃になつて、学問、殊に科学が進歩して来て何事を人間の認識に基いて居るその考へによつて判断をするやうになりましたから、今述べたやうなことは次第に薄らいだのであります。恐らく今日の若い人に勿体ないといふやうな言葉はこうひどく使はれますまい。況や飯をこぼすと目が潰れるなどと云ふものはありますまい。そんなことは迷信だといふでありませう。故に古代の宗教とは全く迷信の遺物であつて、今日の如き科学の進歩した時代には何等必要のないものであるとまでいふ者があるのです。かうなると、科学と宗教とが如何なる関係をもつかなどといはなければならぬやうになつたのであります。しかし私は、その点を云はうとしておるのでないことは屡々述べてをきました。  宗教の欲求  私は宗教とは必要があるとか必要がないとか、自分には要る要らないとかといふ性質のものでないと思ふ。我我が今、宗教を要るから求めやうとして求められるものではありません。又自分は宗教は要らないといつても出て来るのであります。要るとか要らないとかいふ人間の考へを超越し、そんなはからひがなくなつて、初めて自ら湧いて出る一とつの感情であります。故に科学が次第に啓けて来ても、宗教の必要はないとは決していはれないのであります。  我々の現在の生命は幻のやうなもの、取りとめのつかないものであります。これに気がつけばどうしても幻でないもの、取り止めのつくもの、即ち、自由の境に行かなければならぬといふ心持は必ず起るものでありませう。死ぬことは誰も恐い、從つて病気になることは誰も悲しい、次第に年を取ることは淋しい。これは皆一様の心持でありませう。かかる心持があつてこそ、我々は宗教の麗しい世界を造ることが出来るのであります。如何なる人と雖も、学間して居るとしないとに関係なく、自分の心の内を眺めた時は何時でも宗教の心持が起きて来なくてはならぬ筈であります。否、必ず起るものであります。  一体、我々の平常物事を考へて居ることも或は言葉に出して居ることも、反対の位置になつてゐるのであります。譬へば惜む心は恰度その反対の愛する心のはたらきであります。可愛ければこそ憎む心持が起きて来る、可愛さ余つて憎さ百倍といふ如く、何等関係のない人を憎むこともしなければ、愛することもしないのであります。つまり愛することと憎むこととは同じはたらきであります。ただ反対の位置にある丈けであります。死にたいということは、この世に執著する心持であります。何故ならば、この世が自分の思ふ通ほりにならぬから死にたいので、換言すればこの世を自分の思ふままにしたい心持であります。享樂の生活をして居るのは恐らくはこの世に執著しておるものではありますまい、先のことを少し考へないで、所謂辞生夢死の生活をしてゐるものは、この世に執著しておるものではありますまい。この世に執著すれば、どうしても立派に生きて行かなければならぬ、又立派に生きて行かうとするところに執著がある。この執著があつてこそ宗教が要るのであります。若しその執著といふものがなければ宗教も何も要るものではありませぬ。  純粋主観  斯様に簡単に考へてみても、宗教は我々の世界ではなく、又我々の思惟であるわけはない、又我々の行為であるわけでもないのであります。西洋にも然う考へてゐる人があります。思惟でいへば哲学でありますが、宗教は哲学でもない。行為は道徳ですが、宗教は道徳でもありません。宗教とは屡々述べた通ほり、宇宙のはたらきに対して、我々が直感する時起きて来る感情であります。その心のはたらきに特別の名をつけるなら、純粋主観といへば先づそれに近いものでせう。これは勿論哲学的に考へて居るのではありません。  宇宙は不断に活動して、そこに存在が出来て居る、一瞬間と雖も止るものではない、それが自分の心の中にもはたらくことを自分が考へた時、宇宙の根本には我々の智慧で知ることの出来ない何ものかがあると感じた時、我々の心持は直観といはれるのであります。從つて、それに対する感情が起きて来る、それを宗教といふのでありますから、だから私のいふ宗教は寧ろ宗教意識であります。意識とは、無論感情と感情以外の精神のはたらきとがそこに出て居ることを自分に知ることの出来た時意識といふのでありますから、かういふやうに考へた時、即ち所謂純粋主観を眺めることが出来た時、そこに宗教といふはたらきが起きて来ると簡単にいふことが出来るのであります。  真実の我  純粋主観をもつと宗教的な言葉に直せば、真実の我である。ところが我々は真実の我を容易にみるものではありませぬ。大抵、我をみながら外の方に向つて動いてある我を見てあるのであります。だから誰の考へでも、我がそこにあつてそれが我でないものに始終向き合つて居る、外の方に動いて居る我を我と考へてゐる以上、世の中に我は自分一人であります。而してそれが一切のものに向き合つておる。であるから、我々のみるところはどうしても功利的であります。従つて世の中の一切を尊重してゆく心も、一切を包容して行く心も出る理窟はないのであります。一切のものを征服し、一切のものを我がものにしやうと考へるのが常でありませう。だから全く真実の我をみて居りません。そこで、世の中が嫌だから世の中を離れやうといふ。世の中がいやになつたといふのは、世の中と自分とを離して、自分が世の中にはたらきをして居るところをみて嫌だといふのであります。だから世の中から離れ、孤独になつて出て来る我をみて行くのであります。するとそれが大切であるから、それをよくしなければならぬ。従つて何事も功利的に考へねばならぬのでありませう。かかる我が何時でも蟠つて居て、我の望む通りに、色々のことをやつて居るがその目的は達せられるべき筈がないのであります。どう考へてもこれは自分一人を生かして、多くのものを殺さうとするはたらきに違ひないと思ふのであります。  慎独  かう考へると、我が生きやうとするには我でないものも生かさなければならぬ、この時の我は今述べたものとは全く違つた我でなくてはならぬ、自分だけが大切で、それでないものが大切でないといふ考へから出る我では決してないわけであります。人が痛ければ自分も痛い、人が悪るければ自分も悪るい、この心持が湧いて来る我でなければならぬと思ふ。宗教で無我といふのは明かにその意味であらうと思ふのであります。固つた我などはないのに、それをあるものの如くに考へて、その我執をどこまでも守り立てて行くことはいけない、故にこの我執をとらねばならぬ、即ち我を否定しなくてはならぬ、諸法無常であるから、諸法無我であると仏教で説くのであります。  我執をもつて居ると人間は実に孤独なものであらうと思ふ。皆自分をよいものとしてそれを守り立てて行けば何百人居ても皆淋しい孤独の我を持つて居るのであります。どうも人間の心が次第に悪るくなつたから、その悪るい心をよくしなくてはならぬとよく云はれるが、その芸人が百人居つて二百人居つても、昔他人の心をよくしやうとする時は自分の心のよくなることはない筈であります。皆が人の世話をやいて居れば自分の世話をやくものはないのであります。  前に述べたことですが、近江聖人といはれた中江藤樹先生に或人が「世の中の風俗が気の毒だ、世の中の風俗が次第に廃れ、人の心が悪るくなつたから実に慨嘆に堪へぬ」といふ手紙をやつた。すると藤樹先生は、「世の中の風俗を気の毒だと思召す心があなたの心の中にあるからさういふことをいふ、いらざる人のことを差し出口をするより、自分の心の塵をお払ひなさい、こうすれば慣独の効が現れるから、いらざる差し出ぐちをするより自分の心の中を反省した方がよいだらう」といふ意味の返事をされた。実に藤樹先生のいはれる言葉の通ほりである。世の中の道徳が次第に地に堕ちることはよいことではありますまい、然し自分のことを棚に上げて、いらざる人の世話をする人も決してよいことではないと思ふ。  又北條泰時が天下の政治に非常に力を入れた時、北條氏一代では例のない、立派といつてもよい政治をやつたことは歴史家の誰でもがいひます。その北條泰時が如何にしたら天下が治まるかを、精神上の師匠にして居た明慧上人にきいた。すると明慧上人は「立派に天下を治めやうとするには必ず欲を去るが一番よい、心の欲を去りさへすれば天下といふものは立派に治まる」といはれた。そこで秦時は、「成る程その通ほりであらう、私自身は心の欲を去らう。しかし天下は私一人ではない、私一人欲を去つても天下に多勢の人が居ります、それを治めて行くにはどうしたらよいでありませうか。」といふと、明慧上人がひどく笑はれ、「人のことを考へてはいかぬ、人をどうしやうかうしやうといふその心持がいかぬ、人を裁くといふ心持がいかぬ、自分が天下を治めやうとするには、自分の心の中をよく見て、よく慎独の効が現れたら、それで天下の政治は出来る。」と答へられた。極く簡単な理屈ですが、人間の行ひにはこれが最も大切であります。人間は言葉によつて真実に動かされることは極めて少ない、人間が真実に動かされるのは言葉を除いた後の状態であります。桃の花が何も言葉を出さぬが、その花の下は人が来て自ら運ができます。釈尊は「真実に法を説くのは説かないことが最も真実だ」といはれたのもこの意味であります。然し黙つて居つて、天下が治まるか、といふ人もありませうけれども、しかし理論的に考へればそれが一番であります。兎も角、我々が真実の我といふものを認めて行くのが必要であります。  真実の我を見るには内省をしなければならぬ、自分の心の内に入つて考へてみなければならぬ。慎独とは、儒教の言葉ですから、別の意味がありませうが、ここでは私のいふ続粋主観を立派に育てて行くことであります。  主観の悩み  我が外に出て、向ふにそれを受ける相手が居り、その相手が自分とうまくかち合はなければ何時でも苦しい。こちらでは我を膨張させやうと思ふけれども、向ふの人が膨張させなければ苦しいのであります。自分が胃病で悩んで居るその悩みを我として外に出して、その苦しみを述べる。生憎相手の人が無病健全で医者にかかつたこともなかつたら、少しも受け取らぬ、腹が痛からうが、何だらうが平気であります。するとあの人は不人情だ、人の苦しみに同情しないといひますが、不人情であらうと何であらうと、我が膨張出来なかつたら苦しみである。相手が胃病の苦しみを知つて居て、俺もさうであつた、それは苦しかつたであらうといへば非常に心持がよいのであります。それは我が外に延びたのであります。こんな苦しみはどこまで行つても宗教になることはない。「極樂はたのしむと聞て參らんと願ひのぞむひとは仏にならず」と蓮如上人が云はれた。仏教でいふ極樂とは樂しみとか苦しみとかの一切ない涅槃を指すのであります。それを此世で金が欲しい、そこで極樂にいつたら金が出来るやうにといふのは得手勝手な考へであります。  自分の境涯をよく考へて見ると、どうしても死ななくてはならぬ、これはどうすることも出来ない。このどうすることも出来ないはたらきに從つて行かなければ、結末のつくわけはないと考へがついても、尚ほ死にたくない。かかる理窟はわかつても、死にたくない。この死にたくないといふ念願と、それを打ち消すはたらきとの二つが心の中に衝突する。かかる心の中へ現れて来る悩みが、主観の悩みであります。どうすることも出来ない悩みであります。この主観の悩みが真実の私であります。この本当の私をみた時、我々はどうすることも出来ない、それから道を開いて進むことも退くことも出来ない、我の相がよくわかるのであります。この相がわかつた時に湧いて来る感情が宗教であります。  我即ち煩悩  この感情が如何なるものか、それは全く不可称不可説であります。然し不可称、不可説だからこそ大いに説かなければならぬ、大いに称へなければならぬのであります。何故ならかくして見出された我は、それは苦しみであり、煩悩であります。煩悩即ち自分であります。然るに世間の人々は、私が別にあつて、その私が煩悩をもつて居ると考へるのであります。若しさうなら煩悩を取り除けばよいのであります。すると後に立派な我が殘る筈です。これでは宗教の心持が起きないと思ふ。今私の述べた煩悩はそれ自体が自分ですから、煩悩を取つたら後に何も殘らぬのであります。仏教に限らず総ての考へ方でも、我とはただ名前であります。我といふ名前を総括して居るのは我々の心のはたらきであります。ものをみるとか、きくとか、考へるとか、覚えるとか、忘れるとか、悪口をいふとかの心のはたらきを集めて、我といふ名前をつけてあるのであります。だから我といふものはあるのでないと説くのであります。  我とはただ概念でありますから、それは煩悩と云つても、苦しみと云つても同じであります。  煩悩とは心の中の迷ひのはたらきであります。而してそれは結局生きて行きたいといふはたらきであります。例へば水が山の上から流れてだんだんと海に入る、このどうしても海の中に入らなければならぬといふ欲求のために、岩があれば岩を壊してしまひ、どこまでも邪魔になるものへ抵抗をして、波瀾を起す。人間の煩悩もこれと同じで、生きて行かうとする強い長い力に抵抗する力があつたとき起きるのであります。だから煩悩が我であり、我の本当の性質は生きて行かうとする力でありませう。目が醒めて考へてみた時に、我々は煩悩といふものが自分の相であることに気がついた時、我々には始めて真実の我といふものが、どういふものであるかといふことを理解する、そこに緒が開けるものであると思ふのであります。それ故に宗教は、自分といふものの相が煩悩具足であるといふことを知つた時、その時始めて起きるものだと思ふのであります。生きて行かうとする強い要求の満足を得られない時に、どうしても感情でそれを始末しなければならぬ、そこに宗教が起きて来るのであります。  信仰  世間では信仰といへば直ちにそれが宗教のやうにいはれる場合もありますが、信仰はしかし宗教だけでないことは明かであります。智慧のはたらきに限りがあるから、その限りの外はどうして信じなければいかぬのであるから、我々の生活は大半信仰であります。ところで我々が信ずるのは大抵智慧のはたらきで判定するから、我々の智慧のはたらきを離れて信ずるといふことは出来ませぬ。長い間の経驗によつてどうしても信じなければならぬといふ智慧のはたらきがはたらけばこそ信ずるといふはたらきが出来る、例へば明日は見ることも觸ることも出来ないし、経驗することも出来ないし、どうすることも出来ないが、これまでの経驗で明日が来るものと信ずることが出来る、これは全く人間の智慧のはたらきであります。所謂智力的信仰であります。宗教も科学の力で知り得るだけのことを信仰するのだと思つたら間違ひであると思ふ。  しかしこの点は科学を土臺にする人には隨分考へられておることで、例へば宇宙に大きな力があり、それが我我を左右して居る。どうしても大きな力に支配されなければならぬといふのは智慧のはたらきであります。それを経驗して居るから、それから類推して居るのであります。勿論それは類似性を持つて居るのであるから間違つては居ない。しかし又正しくないかを知れない、宗教とはそんな風に、有ると考へることでも、無いと考へることでもない、所謂一切空の世界であります。親鸞聖人の云はれた「自力のはからひを離れる」ことであります。だから宗教は科学の領分ではない。科学の考へからは、如何にしても壊れることも変ることもない、金剛の信心は得られません。  宗教ではからひをやめろといふのは考へをやめろといふのではなく、智慧の限りを尽すといふことであります。使うべき智慧を使はないで直ぐに人のいつたことを信じろ、といふのではありません。ありたけの智慧を搾り出して考へて見るがわからぬ、而もわからぬといつて放つて置かれない、ここに宗教の心のはたらきが起きて来なければならぬ。極めて取り止めがつかないやうですが、宗教とは取り止めのつかないのが本当でせう。取り止めのつくものは宗教ではありますまい。  宗教と文化  仏は悪るいものを助けられる慈悲の深いお方であるから、どうか助けて下さいと頼んだのでは、幾ら頼んでも宗教にならぬ。  或所に、有難屋喜助といふものが居つて、何でもありがたいといつて居つた。外から帰つて入口で額を打ち血を出しても有り難いといふ。痛くなければ死んで居るのに、痛いのはまだ生きて居るのだから有り難いといふ。普通の人なら自分の気に入つたことが有難いのですから、若し喜助のいふやうなことがありがたいなら、何遍でも頭をうちつけて見さうなものだと思ふかも知れない。しかしそんな意味の有難いではない。喜助が痛いといふのも、痛さには違ひはないが、そこに出て来る感情には余程差がある。痛い位ですんだからよかつたといふのであります。しかし宗教的には喜助のありがたいというのは、もつともつと深い意味があります。自分の愚かさをそれによつて知ることも出来る、注意をして行けば頭を打つのではないとも考へられる、結局自分の愚かさを知らしていただいたと考へることも出来る。これは宗教的感情ですから、その言葉が普通の人の言葉と同じでも内容は違ふのであります。如何なる表現の形式を採らうともその意味の分らぬものは智慧のはたらきで彼是いふべきでない、その人の創造した世界、宗教の世界であります。そこで宗教とは、どうしてさう感じなくてはならぬ、その力に動かされて、本当の我の進んで行く道が開かれることであらうと思ふ。  故に宗教があれば我々の文化は非常によい方に向つて進むでありませう。単に科学やその他の事柄だけでこの世界を造つて行くと、世の中は徐程変つたものが出来ねばならぬ。それ故にこの宗教の意味をはつきりさせるやうに努むべきであります。  宗教意識  宗教意識をはつきりさせて置きさへすれば、いろんな機會に宗教感情が現れ、それに依つて我々は導かれるものであります。けれども世間の人は、人の現した宗教感情をみて、真似をしやうとするのが多いのであります。それは恰度酒を飲んで酔つてゐる人を見て、自分もあの通ほりになりたいと真似をするのと同じであります。いくら真似をして、本当に酔つたのとは違ふのであります。真似などせずに酒さへのめばよいのであります。宗教でも同じことです。宗教感情を起さうと努力せずに、宗教意識を明かにすればよいのであります。この宗教意識が如何なるものであるかに就いては科学の力によつて究めなければならぬ。宗教と科学と領分が異ふといつてそれは出来上つた領分が異ふので、はたらきが起きて来るのは人間の心でありますから、どうしても科学の力できわめる必要があるのであります。  第十三講 無我の念仏  因縁和合  釈尊の金言を集めた「法句経」の第六十三に  「愚者自愚 当知善整慧 愚人自称智 是謂愚中甚」  といふ句があります。愚なものが自分が愚であるといへば、少くともその言葉を出すことは偉いものである、然るに愚なものが自ら偉いと言へば、これは愚中の甚だ愚なものであるといふ意味でありませう。釈尊がかういはれたのは、周利槃特といふ有名な愚な人に向つていはれたのであります。周利槃特といふ人は、その伝がはつきりわかつて居りませぬけれども、兄弟ありまして、兄は摩訶槃陀迦といつて非常に優れた賢い人であつて、経典にしばしば出ておる名であります。その人は生れた時に路傍に捨てると死なないで育つといふ迷信から親に捨てられたのですが、それが死なないでまことに健康に成長したのであります。その弟が周利槃特であります。これも路傍に捨てられ又立派に成長したのであります。これは支那の言葉で浄路辺生といひます。路傍に捨てられたものがうまく成長したのであります。その兄が年を取つて、財産を親から貰つて生活を続けて居た、ところが金を持つて見ても、又地面を持つて居つたところが、大したことでもない、うるさいのを親から譲られて、ただ迷惑するばかりであつて、自分の心持には少しも得るところがないから、これは弟に譲つて、自分は出家をしやうと考へて弟に相談したところが、弟の周利槃特がいふのに、あなたが持て余したものを自分が貰つたところで仕方がない、あなたが出家するなら自分も出家する、さういつて容易に承諾しなかつたのでありますけれども、兎も角もそれを無理に承諾させて兄の摩訶槃陀迦は修行をして偉くなつて、五百人ばかりの弟子が出来て先づ大家になつたのであります。それは無論仏教でない婆羅門の教を奉じて居つたのであります。ところが或時その摩訶槃陀迦の居る場所の附近で、多くの人が人の来るのを迎へに出て居る、大変騒がしいので、どうしたのかときくと、舍利弗と目連とを迎へるのだといふ。その舎利弗、目連といふものは何ものかときいたところが、これが釈尊の弟子で非常に偉い人である。摩訶来陀迦はそれをきいて、舎利弗にしても、目連にしても自分等と同じやうに婆羅門の教へを奉じて居つたものである、それに志を変へてもつと程度の低い人である瞿雲《くどん》の教へを奉ずるところを見ると、どうせろくなものではない。そんな人を迎へるとは実に見識の低いことであるといつて居つた。ところが、その摩訶繋陀迦の弟子の中に釈尊を信ずるのがあつて、いやさうではない、この舎利弗と目連とは非常に偉い道に達したので、あなたでもあの人の言を一度聴いて御覧になれば、更に進んでそれを聞かうといふ心が起きるに違ひないといつたので、摩訶繋陀如く普通の人ならばそれを受け容れないのでありませうが、元々偉い人でありますから、その弟子のいふのをきいて早速、舎利弗、目連のところに行つてその話を聴いたのであります。すると釈尊の説を話して呉れた、それが即ち十二因縁の説明であつたのです。婆羅門の教へでは、今の基督教などに考へて居るやうに、神といふ主宰者があつて、それが物を造り、これを主宰して居る、と考へてゐる。そこへ釈尊は世の中のものはすべて因縁が和合して出来るのであつて、誰が造つたのでもなく、縫つて初めなければ終りもない、ただ因縁が和合すれば、何時でも出来ると後の人の所謂十二因縁の説を樹てられた。それを話したのであります。  そこで摩訶槃陀迦はひどく感心して、自分の説を擲つて、早速釈尊の弟子になり、その五百人の弟子も亦皆釈尊の弟子になつたのであります。  至愚の人  ところで弟の周利槃特は兄から財産をすつかり讓られて居つたところが、もともとそれは嫌でありますから、それを持て余して、兄の摩訶繋陀迦のところに行つて、是非出家をしたいと頻《しき》りに懇談した、ところが兄は、お前のやうな愚かなものはとても仏道修行は出来ない、実際弟は愚かであつた、それで出家を止めたけれど熱心に歎願するので  「三業に悪を造らず、有情を傷めず、正念に空を観ずれば無益の苦は離るべし。」  といふ極めて簡単な一とつの偈を教へて、それを覚えろといつたところが、何日経ても覚えない、三ヶ月やつても出来ない。「三業に悪を造らず」といふことを覚えると「正念を観ずれば」といふことを忘れる。「正念を観ずれば」といふことを覚えれば「三業に悪を造らず」といふことを忘れる。それを聞いて居つた子供は皆覚えてしまつたが、周利槃特には覚えられない、それで兄がお前は駄目だ迚も出来ない、お前は愚かなものの中の愚かである、迚も出来るものではないといつて門の外に追い出した。兄に追ひ出されて門の外に立つて思案に暮れて居つた。自分は仏法を学ぶことが出来ない、さうすれば僧といふものには成ることが出来ない、さればといつて俗を離れたいのだからどうしたらよからうと全く当惑して居つた、そこへ釈尊が来られて、「どうしたか」と問はれるので、その話をした、自分は仏道修行をしたいけれども愚かで兄が迚もやらして呉れない、けれども自分はどうしても出家をしたい、と答へると、釈尊が上に記したことをいはれたのであります。「愚者自称愚、当知善点慧、愚人自称智、是謂愚中甚」と。而して阿難陀に周利槃特を教へよといはれた、そこで阿難陀はいろいろなことを教へたが一とつも覚えられない、つひに閉口して、これはとても私の手では教へることは出来ませぬと断つた。それならばその周利槃特にお前の靴を掃除させろと釈尊がいはれた。阿難陀は幾ら何でも自分の履く靴を掃除させるわけには行きませぬ、というと、いやそれも修行だからやらせろ、その靴を掃除する時に、  「塵を払はむ、垢を除かむ」  この二つの句を暗誦させろといはれたので、その通ほりやつて見ると、愚であるから、この二句を暗誦するにも却々容易のことではない、けれどもそれを始終やらせて、  「塵を拂はむ、垢を除かむ」  といつて掃除をして居る中に、塵とは何だらうとかう考へた。塵を拂はむ、その塵といふのは何か、垢といふのは何だらうと考へてゐる中に、塵といふのは自分の心の塵、垢といふのは自分の心の垢であつて、それは煩悩だといふところまで気がついた。そこで自分の心が全く開けて、所謂宗教の心持を起して来たのであります。恰度殻を破つて出た鳥のやうに、独立の生活をする程度まで行つたのであります。  自ら覚る  驚いたのはその周囲に居つた釈尊の弟子達であります。どうしてあんな覚りに達したのであらう。又婆羅門の人々に仏教の悪口をいふ材料を一とつ与へたと心配した。それでは婆羅門の人達は瞿雲《くどん》即ち釈尊は深い法を説くというけれども、あの馬鹿に出来るやうな法ならば、決して深いことはないと悪口をいふにきまつてゐる。しかし一方では驚いた、どうしてあの馬鹿が覚りを開いたのであらうと。ところが周利槃特は靴を掃除する中に、塵を拂はむ垢を除かむ塵を拂はむ垢を除かむといつて、その初めは何の気もなしにやつて居つたのでありませうけれども、だんだんとやつて居る中に、自分の相をその塵と垢との中に見出すことが出来たのであります。そこで全く宗教的な感情を起すことが出来て、喜んで釈尊のところに行つて、私は塵を拂はむ垢を除かむといふ意味がわかりましたといつたところが、それで善いとひどく釈尊が感心せられた。さうして他の多くの弟子がどうして愚かなものが覚りを開いたのであらうと驚いて居りますから、その弟子達に向つていはれるのに「覚りといふことは多く学ぶことを必要とするのではない、一とつの偈と雖も、本当にその意味を了解するならば、それでよいのである」と、この意味は前述のやうに宗教といふものは、知識のはたらきによつて出て来るものでないといふことを強くいはれたのであります。  人間の思考  宗教は知識のはたらきをやめた時、自づから起きて来る一種の感情でありますから、それを知識のはたらきと考へて、知識さへ磨けば宗教が得られやうというのは、間違ひの中でも大きな間違いだと思ふ、それは宗教といふものの本質を考へないからでありませう。私が常に引用して居る、香樹院講師の書かれたものの中に  「凡そ人々は、我心中をこしらへることにかかりて居る故、その心中は我こしらへもの也、教へる人も唯理屈のみを教へて、造ることに骨を折るなり」  我が心中というのは我が心の中です。香樹院講師がかういはれるのは、我々人間といふものは、知識のはたらきで以て生活をするものでありますから、どうしても知識のはたらきを起さなくてはならぬ。それ故に我々の心といふものは、どうしても知識でものを拵へるといふことに努めて居るのであります。故にどんなことを我が考へたにしても、その心中は皆我が拵へもの也。教へる人でも、ただ理屈のみを教へてゐる。それは結局、人間の思考であります。そこでそれが誤つて居るといふのも、亦誤つてゐないといふのも、どちらも人間の思考でありますから、どちらにしても我が心で拵へるものでありますから、それでは宗教といふはたらきの起きて来るわけはないのであります。  死後の生活  例へば人間が死んでからどうなるかということは、生理学、心理学、或は解剖学で何とか考へることは出来るのであります。今日我々の知識では人間の生活は身体がはたらいて居なければないのでありますから、その身体がはたらきをやめたら生活もないわけであります。我々の精神は脳髄を主とした神経系統のはたらきでありますからその脳髄を中心とした神経系統が瓦壊してしまつたならばそのはたらきはなくなるのでありますから、死んだ後に精神があるといふことは考へられないのであります。けれどもこれも亦人間の考へであります。さう考へることは出来ないといふの人間の考へであります。解剖や心理学や生理学などの科学の知識のない人が、全く形而上的な考へから精神は人間の身体に宿つて居るものであつて、それから離れた時には又独立して存在するといつて居るが、それも亦人間の考へに過ぎない。どちらが正しいにしても正しくないにしても、いづれも人間の考へであります。  仏教では昔から、間違つて居るといふのも間違つて居ないといふのも、皆悉く夢の世のことであるから、どちらも嘘だといふのであります。これは宗教といふものは、そんな人間の心のはたらき、即ち知識のはたらきを離れなければ、決して起きるものでないという意味であります。昔の人の言つた言葉が今日の心理学などで使つて居る言葉と違ひますから、一寸考へると相違があるやうですが、その意味は少しも違つて居ないと思ふのであります。  人智を捨てる  仏教で一番後に現れて来た思想は禅宗でありますが、禅宗の思想からいつても、我々が迷つて居るのは人間の智慧でありますから、その悪るい智慧を捨ててしまつて悪るい智慧でない仏性を我々が認めた時、そこに成仏が出来ると説くのであります。それ故に悪るい智慧を捨てるために修行をするのであります。曹洞宗でやつて居る黙想禅、或は臨濟宗でやつて居るやうな公案禅、いづれも我々人間の智慧は自分といふものを保つて行くためにはたらく悪るいものであるから、そのはたらきをやめて、心の奥から出て来る仏性に依らなければならぬ、それが本来の面目である、それが性即ち如来であります。同じく仏教では最後に出来た親鸞聖人の浄土真宗の考へもそれと同じであります。私はこれを親鸞聖人の哲学と考へますが、言葉が極めて通俗でありますから異つたことのやうでありますけれども全く同じであります。即ち自力のはからひを離れて一心に弥陀を頼めといふのであります。自力のはからひを離れるといふことは、我々の知識を捨てるといふことであります。善し悪しのはからひを離れるといふことであります。それだから悪るい智慧を捨てろというのと全く同じことをいつて居るのであります。我々がはからふ故に我私は迷ふのであります。よしあしを我々が知り過ぎて居るから迷ふのであります。若しよしあしがわからなかつたなら迷、心配はないのであります。それだから親鸞聖人は、よしあしは知らぬと、自分で告白せられてゐるのであります。何が善い事か、何が悪るい事かそれは仏の知つたことであつて自分には解らない。吾々もそれを知れば確かによいのでありますけれども、我々には一切解らないのであります。それ故世の中のことはすべてたわごとそらごとであります、といはれるところは全く人間のはからひを離れた心持でありませう。その時に自づから出るのが宗教の心持であります。即ち宗教的精神を持つて居られるのであります。  苦を抜く  それ故に釈尊が覚といはれるものは学ぶことを少しも必要としない、一とつの偈と雖もその意味がわかれば、それで道は何時でも修められるものである。或人は釈尊に向つてあなたは大変に偉いが、どんな哲学をやつておいでになるかと聞いた時、自分は何の哲学も学ばない、自分は哲学を説くのではない、自分の説くところは人間が正しく歩むべき道を説くのであると言はれた。又或人が人間が死んだ後にはどうなるか、と問ふた時、そんなことが何の役に立つか、自分はそんなことは説かないと答へられると、その人は、自分が最も苦しんで居るところはその問題であります。死んだ後にどうなるかが不安であるから、それを大きな問題として居るのである、しかしそれを説かぬといはれれば、何を説かれるのかと重ねて尋ねると、釈尊はそれは二階に上る梯子を造る様なものである。そんなことは役に立つものではない、人間が死んだ後にどうなるかが明瞭に解つても、そんな知識がいくらあつても、それによつて苦しみは決してやむものではない。自分が説くのは苦しみを除く法を説くのである、死後どんなになるかを説くことは無益である、といつて居られるところを見ても、人間がどんなことを考へたにしても、それは知識の世界のことである、知識の世界ではものを余計知れば、それに相当して役に立つものでありますから、知識を増さなければならぬことは必要でありますけれど、しかし知識を増すことと、宗教といふ心の安らかになる道とは全く領分が異ふことをはつきりさせなければならぬ。度々言つた様に、知識の世界は科学の世界であります。而して宗教は一種特別な感情の世界でありますから、それとは全く領分を異にするものであります。  宗教無用論  科学を人間の知識の全体と考へて居る人は、宗教を一種の迷信に過ぎないと論ずるのである、これは先年歿くなつたドイツの動物学者のヘツケルなどはその第一人であります。ヘッケル先生の言葉によると、宗教は古代人の考への遺物であつて、今日の世界には何等必要のないものであるといふのであります。これは確かに大きな間違ひであります。それは真の宗教ではなくて、基督教その他の形式をただ見て居られるのでありませう。宗教というのは要るとか要らないとか、そんなことをいうべき精神の状態ではない、要つても要らなくても精神のはたらきであります。それは人間にはどこまでも自分を保つて行かうという本能があります。これは知識ではない、その本能がはたらいて居る限り、どうして宗教と名のつく精神のはたらきが、それに伴つて起きて来るのであります。全く要るとか要らないとかといふ問題ではないのであります。  ヘッケル先生は動物学者でありまして宗教のことについては知識が足りないといつても差支へない、そこで斯樣なことを言ふのであります。ベルリンの大学の病理学の教授にハンゼマンといふ人があります。そのハンゼマン教授が「進化論と病理学」といふ書物を書いて居る、その中にこのヘッケル先生の言葉を批評して「これはヘツケル先生のいい方が少し過ぎる、宗教は道徳を一とつの信條として生活して居るものには要らないかも知れないが、それは心の固い人である。しかし世の中には心の固い人だけではないから、心の弱い人もあるのだから、その人々には宗教は生活に極めて重要なはたらきをするものだから必要である」といふのであります。ハンゼマン氏のこの言によつて見ると、世の中に宗教の要る人と要らない人とがある、心の固い人には要らない、心の弱い人には要るといふのでありますが、これはおかしなことをいつたものであります。私は心が固からうが軟かからうがどんな人にでも宗教といふものは必ず起きて来るものであると思ふ。  宗教は要らないといふ人は、世の中になほあるのでありますが、それは宗教が要らないのではなくして、宗教の形式を持つた既成の宗教が要らないのであります。例へば基督教は要らないと云ふ人もあるし、或は仏教は要らないといふ人もある、それは宗教が或形式をもつてゐる、それが無用だといふのでありませう。けれど「宗教そのものは要るとか要らぬとか、さういふことをいふべきことではないといふことは明かであります。宗教の要らぬといふ人が知識社會の人にありますが、その人が先祖のお祭りをしたり、墓を建てたり、死ねば告別式をしたり、矢張り宗教の形式を使つてある、しかしただ既成の宗教が気に入らぬのであります。自分が新たに形式を造るのなら好きだといふやうな極めてぼんやりした考へであります。それ等は畢竟宗教の本質をわきまへないものだと思ふのであります。  信頼の感情  宗教は知識の世界のことではなくして感情のはたらきである。その感情は人間の感覚を超越した或る大きなものに信頼して行く心持だと説かれて居るのであります。これは有名なドイツのシュライエルマッヘルの説であります。この人はカントの感化を受けた人で、百年前の人でありますが、今でもこの人の説は祖述せられて居るのであります。即ち宗教といふものは知識の世界ではない、感情の世界である。而してその感情は、人間の感覚を超越して或ものに信頼して行く心持である、信頼して行く感情である、それが宗教であるといふのであります。  私はさう考へたのでは本当の意味の宗教の本質を瞭にするには不十分であると思ひます。何故かといふと、人間の感情といふものは知識を離れては起きて来ないのであります。知識を離れた感情といふけれども、実際人間の感情は知識を離れては出て来るものではない、暑いという一とつの知識があつて、暑いといふ気候の変化がある時に、それを身体に認識した場合に、心持が良いとか悪るいとかといふ感情が起きて来るのであります。それだから人間の感情は認識が先になければ起きて来るのではないのであります。それ故に心理学者の中には感情を認識の一とつの性質として考へる人もあるのであります。性質ではない、特別の精神のはたらきでありませうけれども、それにしても先に知るといふことがなければ感情は起きて来るものではない、何事かを知る、さうするとそれについて心持のよいとか悪るいとかといふ感情が起きて来る。見るといふ知識があつてこそ気に入るとか気に入らぬとかの感情が起つて来る。それだから知識を離れたというけれども、しかし知識にくつついて来る感情であるから、矢張り知識と大体同じものでなければならぬのであります。随つてこの感情といふものは極めて得手勝手のものであります。  感情の宗教  人間の知識は自分を保つて行くためにはたらいて居る精神の作用でありますから、これは、自分を保つて行くことが中心の問題でありますから、隨つてそれにくつついて出るところの感情も亦自己中心のものであります。自分を保つて行く上に都合が悪るければ何時でも不快といふ感じが起きます、自分に都合のよい時には心持のよい感情が起きるのであります。それだから感情には快い感情と不快な感情と二つあるが、それは何時でも自分を中心として考へる感情であります。即ち快の感情が起きるのは自分の都合の良い時、不快の感情は自分に都合の悪るい時に起つて来る。それが宗教を考へるといふなら、自分に都合の良い神を考へた時に、宗教が現れて来るといはなければならぬ。更に宗教と名をつけて居るものの中には、そんな風に感情を本として自分に都合のよいことを考へて、それを神にしたり仏にしたりしてゐるのがあります。私はかくの如きものは真実の宗教ではないと思ふのであります。何故かといへば、そんな精神のはたらきでは安心立命はあるわけはない、自分の気に入つた時には仏の慈悲に頭を下げるが、自分の気に入らぬ時には仏は無慈悲だといはねばならね。自分に都合のよい時には神様の御利益だと喜ぶでせうけれど、自分の気に入らぬ時には、この神様は利益がないといはなければならぬ。それを論理的に考へれば慈悲であるから仏である、利益があるから神であるといふわけでありませう。  常にまことであるから神といふのであります。まことでなければ神とはいはない、又仏教では大慈悲を仏の心として居るのである。如何なる時にも慈悲であるから仏といふのであります。若し慈悲でなければ仏とは決していはぬのであります。それを人間の感情から考へて自分の気に入らぬ時には仏は無慈悲とし、神にまことはないとするのは、全く宗教的ではない、全く自分の得手勝手をそこに出して居るのであります。神に祈る、祈つてもしるしのないのは、自分の心が正しくないからだと昔からいはれますが、その通ほりであります。自分の心が正しくないのに、幾ら祈つても利益のあるわけはないのでありますが、神に利益がないといふ場合に自分の極めて得手勝手な考へを出して居る、極めて功利的の考へがそこに出る以上、それは決して宗教というものの本当の相はあるべきものではないと思ひます。  又そんな宗教が、若し世の中に跋扈《ばつこ》するなら、寧ろ宗教のない方が人間は安らかな道を歩んで行くことが出来る、そんなものがあつては人間は迷はなければならぬ。所謂惑溺しなければならぬ。それだからそんな所謂宗教は恐らくは惑溺状態を呈するでありませう。仏に祈れば病気が治る、神様に祈祷すれば幸福を得る、といふのは、病気が治るならば仏を拝まう、幸幅を得るなら神様を祈らうといふのです。それは少しも宗教ではない、全く得手勝手な人間の欲望を延長したに過ぎない。仮令仏教で、死んだ後に極樂に行くと説いて、そんな心持で未来の極樂を願つたところが、それは現在の延長に過ぎない。この世の中を延長して、この世では苦しいけれどもあの世へ行つて樂しみにありつかうといふに過ぎない。それでは宗教になるわけは決してないと思ふのであります。  無我の感情  そこで宗教は感情のはたらきだといいますけれども、しかし今いつたやうな感情のはたらきであれば、それは決して知識を離れたものではない。知識に伴ふて居る。けれども真実の意味でいふところの宗教はそんな風な知識に伴はないで出て来るところの感情でなければならぬ。それを私は一種の感情と名づけて居るのであります。果してそんな感情があるかといふ問題がありませうが、私は明かにあると思ふのであります。それは説明し得るものだと思ふのであります。  近頃だんだんとさういふ精神状態の研究が進んで来た、その結果今私の申したやうなことを益々明瞭にすることが出来たのであります。それは意識に上つて来ない概念のことであります。これについてはまだ色々な説がありますが、例へばフロイド教授によれば、これは意識が厭迫されて出て来ない概念だといふのでありますが、私は厭迫されて居るのではない、概念が聯合しないのだと思ふ。聯合すれば何時でも出て来るけれども聯合しないのだと思ふ。しかしそれは考へ方の相違でありまして、いづれにして意識の表面に出て来ない観念があります。極く平たく例を挙げていへば、誰にもよくあることでありますが、ものを忘れてその忘れたことを思ひ出さうと思つて努力しても却々思ひ出せない、それで思ひ出すことを断念して、しばらくして居るとひよつと思ひ出す。その観念はそれ故に二時間なり三時間なり或は一日なりの間は意識には出て居ない、けれども精神の中ではちやんとはたらいて居る。こんなに意識に上らないではたらいて居るものが人間には沢山ある、それに感情が必ずくつついてある。その感情は自分の意識して居ない概念に基く感情でありますから決して功利的でない、決して得手勝手なものではない、全く自分の得手勝手な考へを離れたものである。私は宗教の感情といふものはこの種類の感情でなければならぬと思ふのであります。又それが宗教だと思うのであります。  日常吾々に出て来る快い感情は畢竟自分に気に入つた感情でありますが、この宗教の感情はそれ故にどうしやうかうしやうといふのではなくして、禅宗の説き方を以てすれば悪るい智恵を捨てたところに、浄土真宗の説き方を以てすれば、はからひをやめる、さうした時にひよつと出て来る感情であります。而してどういふ理屈かわからぬけれども、どうしてもその感情に導かれなければならぬ心持であります。それ故に宗教というのです。人間の力では一番強いものであります。人間の考へで作るものの力強いのでありますけれどもそれは必ず変動する。しかしここに言ふ感情は決して変動するものでない、さうしてそのために導かれるものでありませう。  これは仏教で言ふ無我といふ状態の時でなければ出て来るのでないのであります。つまり我といふ意識のはたらきを取らなければ出ない、はからひをやめなければ出ない、やめれば出て来るところの特別の感情であります。私は宗教はこれでなければ、所謂似て非なる宗教と一緒になる。兩者は必ず分けなければいけない。  斯くの如くに考へると宗教は決して迷信ではない、迷信といふものは人間の考へをそこに出して、はからひをするから迷信になる。けれどもはからひを離れて行くところに出る宗教に決して迷信のあるわけはない、若し迷信が宗教にあつたら、それは他の不純な分子を混入して居るものといはなければならぬ。ヘッケル先生が宗教は迷信であつて古代の遺物に過ぎないといはれたのは、不純な形のものを見ていはれたのでありませう。宗教は決してさういふものではない、それ故に宗教といふものは、要るとか要らぬとかいふべき問題でなくして、如何なる人と雖無我といふ状態になつたならば、その時に自ら湧いて出る精神のはたらきであります。  求道  かくの如きはたらきは我々を導くのでありますから、そのはたらきをどうか出したい、何とかして自分の心の中に出したいと念願するところに、所語道を求める心がある。それが所謂求道であります。釈尊が道を修めるといはれたのはそれでありませう。我々は人間として宗教生活を営むといふことは、畢竟道を求めるという他にはない筈であります。我々の実際生活の上に、宗教といふ生活をして行かうといふには、どうすべきかといへば、全く道を求めるより他にはない筈であります。しからば道を求めるといふことはどうすることか、それは上述の通ほりに無我の状態になることであります。無我の状態になるということはどういふことか、それは自分といふものの値打を否定することであります。自我といふものの意識を離れてそこに出て来る感情であります。我といふものの値打を否定するといふことは、どうするかといへばいろいろありませうが、私は法然上人、若しくは親鸞聖人の考へて居られたやうに、自分は愚かであり、悪るいものであることを徹底的に考へることによつて、如何なる人でも無我の状態になることが出来ると思ふのであります。この道が我々に取つては最もよいことであると思うのであります。  もちろん無我といふ状態になるにはいろいろな道があることは明かであります。既に釈尊もいろいろの道を説いて居られるのであります。釈尊が初め説かれたのは我というのは五蘊の集りである、その五繍が集つたならば我といふ意識が出て来るが、散乱したら我といふものはないから、一定の主宰者として独立したものはない。我々の心の中には覚えるとか、痛みを感ずるとか、さういふはたらきだけがあるのであつて、それに我といふ名前をつけて居るのでありますから、それはないものをあるものとして考へるのです、そこに間違が起きると初めは説いて居られるのであります。  こんな考へからも無我といふ状態に達することは出来ませう。しかしそれは論理的にものを考へる人でなければ、この道によつて無我の状態に達することは容易なことではないと思ふ。多くの人はものをあまり論理的に考へぬのでありますから、そんな人々は徹底的に自分が愚で悪るいものであるといふその考へを十分にさへすれば同じく無我の状態に達することが出来るのであります。法然上人、親鸞聖人の流儀がそれでありまして、その道によつて我といふもののはからひをやめて、宗教といふはたらきをそこに起させることが出来るのであります。  法然上人がかういふ教へを説かれた時は、今から七百年も前の時代でありますから、その時代に相応して説いて居られますから、今その書かれたものを読んで見ると余程わからない点があるやうでありますが、しかし大体に於て我々にはわかるのであります。法然上人のいはれたことは、「愚かなものになつて仏に助けられる、往生をする」といふことでありますが、愚かなものになつてといふのは、愚かであるといふことを知つてという意味でありませう、自分の愚かであるといふことを知るといふことでありませう。学問したことを一切忘れてしまつて、長い間勉強をして学問をしたその知識を一切忘れてしまつて、馬鹿になることではないことは明かであります。それだから愚かになつてといふ意味は自分の愚かであるといふことをよく辨へてといふ意味であります。それは大切なことでありませう。我々は愚かであるといふことを辨へることが容易でありません。そこで「愚人自 ら智と称する」のであります、愚かであるから偉いと思ふのであります、そこで問題が何時でも複雑になるのであります。法然上人がさういふ教へを「選擇本願念仏集」といふ書物にしてこれを版にされた時、大変議論が起きたのであります。  明遍僧都  その頃高野山に明遍僧都といふ人がありまして、この人はもと三論宗の人で大変よく出来たのに世間の交りがさう好きでなかつた、その為めであつたか出世が大変遅かつた、本人はそれを苦にしたわけでありませぬけれども、そこに落ちつけなかつたためか隠遁をしやうとされたので、そこで遂に位が上りまして、僧都になられたのであります。これは傍の人から見れば隠遁するといふから遂に僧都にしたのでありませうが、本人はさうではなくてそれまでやつて居られた三論の教へでは知識は十分に出来たけれども、宗教といふはたらきが起きなかつたから、どうかして宗教のはたらきを起すやうにと、それで隠遁の志を起してその僧都の位を固辞して受けず、建久六年五十四才の時につひに高野山に籠つてしまつたのであります。ところで法然上人の「選擇集」が出たので、その「選擇集」を読んで見たところがどうも偏執の意見であります。それは我々は愚かである故に迚も修行は出来ないから、又菩提心を起すだけの力もない、故に菩提心を起すこともしない、修業することもしない、こんな愚かなものを助けるために仏の慈悲といふものがはたらくのであるから、それに信頼すればよいといふ教へでありますから、明遍僧都はそれを読まれて、それは仏教の精神に全く背いたことである。仏教は菩提心を現して精進努力するのが仏になることを説く教へであるのに、精進努力することも要らなければ菩提心を起すことが要らない、一切は仏の慈悲に任して往生するといふことは、これは全く偏執の考へである、実に間違つた考へであるといつて、それに反対をして書物も作られたのであります。ところが或夜夢に、大阪の天王寺の西門の前に病人が沢山頭を揃へて寝て居る、その枕頭に一人の気高い坊さんが立つて粥を鉢に入れて、それを匙で以て掬つては寝て居る病人の口に注ぎ込んで歩いてゐる。側の人にあの方は何といふお方かと聞いたところが、傍に居る人がいやあの人が法然上人だといつて教へて呉れた、それで夢が醒めた。醒めて明遍僧都が考へられるのに、これは自分が法然上人の「選擇集」を見て偏執の考へだと訪つて居ることがよくないのだ、そのために戒められた夢であらう、と考へついたので熱々考てみるのに、なる程病人といふものは初めには蜜相とか橋とか梨とか柿とかいふものも食ふことが出来るけれども、だんだん衰弱すればもうそんなものもいけなくなつて、僅かに重湯を吸ふ位までになるものである。自分が学んで居るところの三論法相の教へは例へていへば蜜柑や梨のやうなものである、そんな固いものを命が日夕に迫つた病人に食はすことは出来ない、それには粥を食べさすことより外にはない。そこへ気がついたから直きに法然上人の念仏の教へを信仰されるやうになつたのであります。  無我の念仏  ところがしばらくしてまだ法然上人が天王寺に居られた時に、明遍僧都が信州の善光寺に參詣せられて大阪に訪ねられて一とつの問答をされた。それが法然上人の絵伝に載つて居るのでありますが、その絵伝にかう書いてあります。  「まづ使にて案内し給ふに、上人客殿に出まふけてこれへと仰せらる。僧都さし入りて、いまだ居なほらぬほどにこのたびいかがして生死をはなれ候べきと申されければ、初対面の挨拶も何もしないで、いきなりこの度生死を離れるにはどうしたらよからうといふ質問をしたのであります。すると法然上人は  「南無阿弥陀仏と唱へて往生をとぐるにはしかずとこそ存じ候へと仰せられければ」  すると  「僧都申さるるやう、たれもさは見をよびて侍り」  それはわかつて居ります。けれども  「ただし念仏のとき心の散乱し、妄念のおこり候をばいかがし候べき」と  「上人のたまはく、欲界の散地に生をうくるもの心あに散乱せざらんや。煩悩具足の凡夫、いかでか妄念をとどむべき。その條は源空もちからをよび候はず。」  煩悩をやめなければいけないといふならばそれは私も及ばぬことであります。  「心はちりみだれ、妄念はきをひおこるといへども、口に名號をとなへば、弥陀の願力に乗じて、決定往生すべしと申されければ、これうけ給り候はんためにまいりて候つるなりとて、僧都やがて退出し給ひにければ、初対面の人、一言も世間の禮儀の詞なくして退出せられぬることよとて人々たうとびあひけり。」  帰る時にも挨拶せぬ、ただそれだけ聞きに来たといふので、そこに門人が居つたのでありませうが、まあ変つた人だと思ふた、さうすると法然上人が内に入つて、  「心をしづめ、妄念をおこさずして念仏せんとおもはんは、むまれつきの目鼻をとりはなちて念仏せんとおもはんがごとし、あなことごとしとぞ仰せられる。」  明遍僧都のいはれることは自分の顔の形を直してそれから念仏しやうといはれるのである、それはとても出来ることではない、心をよくしてするのでもなければ心を悪るくしてするのでもない、全くそのはからひをすてることを考へられて居るのでありますが、この法然上人のいはれることが多くの人にはわからない、ただ愚かになつて仏の名を唱へて往生するといふことだけを聞くから、そこで仏になるには名を唱へればよいというので、往生したいために仏になりたいという功利的の考へが出て来るから直ぐに欲張つた心持が起きるのであります。明遍僧都も明かにさういふ考へを持つて居られたので、さういふ考へを起すのはどういふのであるかそれを聞きに来られたのであるが、わかつたといつて帰られたから、法然上人の考へがわかつたのでありませうが、しかしこのことはその当時の時代の背景によつて、法然上人もさういふことをいつて居られるのでありますから、後に出た我々にはなかなかわからぬところがあるのであります。  しかし大体に於て我といふもののはからひをやめて所謂無我という状態になつた時に、そこに始めて我々は宗教といふはたらきを現し得るといふことをいはれたことは確かであります。  釈尊の精神もそれに違いないのであります。釈尊が総ての人に説かれたその説き方を見ると、一定の順序がありまして、一番初めに布施を説いて居られる、寶を施す法を施すといふことは大きな功徳であるといふことを説いて、さうしてその人の心が動いた時に、道徳即ち戒律精進の道を説く、即ち道徳を説くのであります。この道徳を説いて自分の心を省みることが出来ると思つたら次に法を説く、即ち仏の法を説かれるのであります。考へて見るにこれは明かに総ての人の宗教といふ感情を出すところの順序であります。  道徳と宗教  吾々も第一に自分といふものを考へる、この内省するのに初めはどうしても道徳的であります。道徳的に自分を省みてだんだん深入りをすると、道徳といふものは我々には到底実行の出来ない、ただ理想の項目であるといふことがわかる、悪るいことをするなといふ道徳があるが、どうしても我々は悪るいことをする、悪るいことをしなければならぬやうな状態に始終おかれてある。そのことに気がついた時、道徳といふものから全く離れなければならぬといふ心の自覚が出て来るのであります。道徳といふものはいふまでもなく、未来に関しては非常に役に立つのであります。これから後行ひをよくしやう、これから後悪るいことをすまいとするためには極めて役に立ちませう。けれど過ぎ去つたことに対しては道徳は何等値打がない、一昨日悪るいことをした、もう仕方がない、去年悪るいことをした、幾ら考へても仕方がない、仕方がないばかりではない、考へるところに悔悟の情が起きて来ますから、道徳上の苦しみがただ増す一方であります。それだからしてどうしてもその苦しみを除くために、何等かそこに精神のはたらきが起きて来なくてはならぬ。それを宗教といふのであります。それ故に真実の宗教といふものは、道徳上の苦しみがなければ決して起きるものではないと思ふ。若しその苦しみが道徳上の苦しみでなくして金が欲しいがその金がないから苦しみであつたり、病気をしたくないのに病気をする、それで苦しむという如き種類の苦しみからは真実の宗教は起きるのではないと思ふ。そんな苦しみは人間が勝手に考へて居る苦しみでありますから、そんな苦しみは人間の考へで勝手に直すより仕方がない。真実の意味の宗教はそんな苦しみからは来るものではない。真実の宗教は道徳上の苦しみから起きて来るものであります。  釈尊の説も、何時でも、道徳上の苦しみを説いてあるのであります。それを最も明瞭に最も精しく誰にでもわかるやうに説いてあるのは「大無量壽経」であります。それを読むと明かに道徳上の苦しみが宗教の出発点であつて、さうしてそれが大成をした時に仏の慈悲に助けられることになるといふことに、前段には阿弥陀仏の苦しみを説いて、後段には人間の道徳上の苦しみか説いてあるのであります。  宗教の心  今日の心理学、生理学等、科学の考へからして、人間の心のはたらきを分析して考へて見ても、宗教というものは矢張り釈尊の考へられたやうに起きて来るものであると思ふのであります。さうしてその内容がどんなものであるかはわかることではない、その人各自の宗教感情が出て来るのでありますから、それを人から人へ言葉では伝へられるべきものでないと思ふ。釈尊の説が随分澤山の経文に書いてあるのに、宗教のものについては一とつも説明してないことから考へてる瞭であります。又釈尊は説くことのないのが真に法を説くのだといはれた、それでよく説明されて居るのであります。結局宗教といふものは、言葉で説明の出来るものではないのであります。それを何か形をつけて説明するのは一とつの教へであります。これは一とつの教義を立てるとか、宗派を立てるとか、寺を建てるとか、或は檀徒を集めるといふ、別の目的をもつてせられるものであります。それは私の今申す宗教というものの本質とは異つたものであります。私は宗教の本質を考へて、世の多くの人々がそれぞれ自分の心に宗教といふ心持を起されることが、社會の生活を進める上に於て本人は無論のこと、本人以外の多くの人々もそれによつて導かれるのでありますから、これは甚だ必要であると思ふのであります。そこで釈尊が法を説かれたやうに、人々が自分で宗教の感情を起すやうに話をして行くことが、多くの人々に宗教の感情を起させる一とつの方法であると思ふ。宗教といふものは決して知識で批判するものではない、間違つて居るといつたところが間違つて居ないといつたところが、どちらも人間の考へであります、その考へを離れたところに実は宗教といふものはあるのであります。さういふ点について親鸞聖人は釈尊の精神をそのまま承け継いだ人であると思ふ。「親鸞更に珍らしき法をも広めず如来の教法を我も信じ人にも教へ聴かしむるばかりなり」と聖人はいはれて居るのであります。宗教といふものを本当に体驗した人は皆さういふやうになると思ふのであります。  第十四講 我  三種の我  今迄繰返し述べた如く、宗教の本質は我の意識を否定した時に現れる特別の感情であります。そこで何時も根本の問題になるのは我であります。  釈尊が布叱婆樓に言はれた言葉の中に、自我即ち我を認めてゐるものに次の三種がある。その一とつは四大(地、水、火、風)から造られてゐる自我であり、もう一とつは四肢を欠げなく備へてゐる心から起きて来る自我、もう一とつは物質でなく純粋の想念からなつてゐる自我を認めてゐるものであります。  第一の我は一番幼稚な考へであります。身体は四大から成つてゐるのであり、この身体を我即ち自分と考へる。つまり自我を全く物質的に考へてゐるのであります。二番目の我は、身体と精神とを合せて、それを全体の我と考へてゐるので、稍々進んだ考へであります。多くの人はこの考へでありませう。第三番目の我は抽象的の我であります。抽象的の概念であります。  何れにせよ常一主宰の我があるといふ考へであります。釈尊はかかる考へから離れることを説いて居られるのであります。  我の意識  我々は我の意識に非常に値打を置いて居る。故に我の意識は何時でも功利思想の根拠になつて居るのであります。得手勝手の考への本であります。この得手勝手の考へを本として一切のことを考へるから、総てのものを如実に見ることが出来ない、自分の都合のよいやうに物を見る。  我の本当の相を見るには我の値打をなくしなければいかぬわけでせう。釈尊はその方面を強く説明するために、所謂十二因縁を説かれた、これは前述の如く因縁が和合して一切のものが出来る、故に常一主宰の我はないと説くので、かかる考へがはつきりしなければ宗教の心のはたらきが出るわけはない。無我といふのもこの我の意識を否定することに帰著するのであります。然し無我といつても自分の心のはたらきをすつかりなくして、木や石と同じやうになるといふのでは決してない。又人間が木や石同樣になるわけはないのであります。相当に腹も立てれば可成り喧嘩をもするのであります。それをやめやうとしても、それはただ希望であつて実際は出来るものではない。だから我の意識をすつかり削つて取つてしまうことでは決してありません。  魂  釈尊以前の人々は、生きてゐる間は呼吸しているから呼吸が生活の元であると考へて居つた。この息をすることそのものをアートマン或は精神と言つてゐます。又ギリシャでも総て生きている間は呼吸をしておるが、死んだら呼吸が無くなる。だからこの呼吸が靈気でありまして、それが生活の本であると考へてゐました。ギリシャ語の精神といふ言葉は息といふ字であります。釈尊はこのアートマンに対して無我を説かれたのでありますから、前の説を靈魂とすれば、釈尊の説は無靈魂であります。  日本では精神現象を心といひます。これはコロコロといふのを約めたのであると説明してあります。西洋でも精靈といふのは海の波であります。心は始終波のやうに運動するものである。又コロコロとしてとりとめのつかないものであります。つまり精神現象を心といふのであります。さうしてその奥に魂を考へてゐる。魂とは靈火が音便で「タマシイ」となつたのであります。その魂が精神現象の本になると考へて居る。  西洋の考へは、インドでも、ギリシャでも気であります、アートマンであります。日本のは火即ち魂であります。何れもそれが精神の本であります。どちらも常識の考へで、西洋のは生きてゐる間は呼吸をしてゐるが、死んだら呼吸がなくなるから、気が生活の元といふ。日本のは生きてゐれば体温があるから火が生活の元であるといふ、どちらも今日の学問で説明出来るものではありません。  科学で考へる我  今日の科学の上から我々の目に見ることの出来るのは精神現象だけであります。腹を立てるとか、癇癪を起すとか、笑ふとか、泣くとかの現象だけであります。その奥に何物かを認めやうとすれば形而上学になり、幾ら考へて人間の考へ以上に出ることは出来ないのであります。ただ理窟がつくだけでありませう。宗教はそんな理屈を考へるのでなく、我について考へて行くのであります。それを今日の科学の上から考へて見た時、自分の認めることの出来るものは精神の現象であり、その現象に自分といふものを意識する。即ち自分の身体に起きて来た精神のはたらきを我といつてゐるのであります。故に今日の科学の上から考へても我とはただ名前であります。実際あるものは、いろいろの精神のはたらきだけであります。故に常一主宰の我などはありません。人間の身体を造つてこれをはたらかしてゐるものでは決してないのであります。これが即ち釈尊の説かれたところで、恰度今日の科学が考へておるのと同じであります。釈尊以前の人の考へ方なら、今日の科学の考へと衝突しまするのであります。  先に述べた布叱婆樓に釈尊が話をされた時に、布叱婆樓がいふのに、「自我といふのがありますか」と聞いた。すると釈尊は「お前は我を信ずるか」といはれた。布叱婆樓は「それを信じます。あの三種の我を信じます」と言つたところ釈尊は「しかしそれは考へて見なくてはいかぬ想念は出たり入つたりするものである。我は出たり入つたりしない、すると、我は仮令あつたにしても、我と想念とは違ふではないか」と言つて、いろいろ話をされた後、今、布叱婆樓のいつた三通ほりの我から離れることを説かれたのであります。そこで釈尊の無我といはれる意味がはつきりわかるやうに思はれます。  弥蘭と那先  これは有名な弥蘭の話ですが、弥蘭とは紀元前百二十年頃、ギリシャのアレキサンドル大帝がインドを攻め取りて、ギリシャ人のメナンデルを王様にした、この人のことである。支那のお経には弥蘭王と書いてある。その人と那先といふ比丘との我に就いての問答があります。弥蘭王が那先に、あなたは那先であるが、那先といふのは何物をいふのか、あなたの頭の髪が那先でありますか」と尋ねると、那先は「いや私の頭の髪が那先でありませぬ」「それではあなたの身体の上に生えておる毛が那先でありますか、「いや、さうではありませぬ」、「では那先とはあなたの爪のことですか、歯ですか、皮膚ですか、肉ですか、骨ですか、心臓ですか、何ですか、或はその一とつが那先ですか、或はそれをまるで合せたら那先になりますか」、「それとは違ひます」、「それならば那先とは外から見えるところの肉体を指していふのでありますか、或は中に働いてゐる心のはたらきを指していふのでありますか」、「さうではありませぬ」、「それならばそれを一切合せて那先といふのですか」、「さうではありませぬ」、「それなら那先とは一体何物をいふのでありますか、どうも那先が見つからない、那先とはただ名前に過ぎないではありませぬか、ただ一とつの発音に過ぎないではありませぬか、どこを見ても那先といふものはない、頭の先から足の先までよく調べて那先はない、たださういふ身体をもつてはたらいてあるものに那先といふ名前をつけたのだ」と弥蘭王がいふと、那先は「あなたは今ここに歩いて来られましたか」、「いや車で来ました」、「車で来られたなら、車とは何ですか、心棒のことを車といふのですか、輪を車といふのでありますか」、「違ひます」、「すると車とは何をいふのですか、輪と柄と心棒などが集つてゐる、そこにただ名前をつけただけのものではありませぬか。  これは有名な譬話です。我とはただ名前に過ぎない、今の言葉で云へば、ただ抽象的の概念に過ぎない、從つて何等値打のあるものではないと説かれるのであります。  斯様な我を有るものの如く考へて、この身体が我であると思ふ時に心業が出来る、言葉を出すその言葉が我であると思ふ時に、口業が起きる、との意が我であると思ふ時に意業が起きる、それによつて慳貧《けんどん》な心が起き、戒めを犯し、瞋りを起し、懈怠の心を起し、散乱の心を起し、悪しき心を起して、所謂煩悩を造り上げると「涅槃経」の中に説いてあります。  仏と凡夫  この煩悩を起したもの、即ち凡夫とは現実の我々であります。それが仏になる道を仏教といふ場合、大きな問題が出て来ます。それはかかる煩悩具足の凡夫が、凡夫でない、煩悩をもつてゐない仏になるのであれば、凡夫と仏とは何等かの意味に於て同じものであると考へなくてはならぬ。でなければ凡夫が仏になれるわけがない。石と金とは全く違つたものであるから、石が金になるわけはない。もう一とつは凡夫と仏とは何等かの意味に於て違つたものでなければならぬ。若し同じものであれば、凡夫が仏になる必要は更にない。これは昔から問題になつて居り、相当議論もあるやうですが、これは考へればわけのないことでありませう。  一体我々が物を同じだといふ時は同じでないといふことを予想しなければならぬ。全然同じものなら同じものであるかないかといふ必要はない。若し全然同じものが二つあるならば、その同じものを区別することも容易でない。又二つのものが違つてあるといふ場合には、何等かそこに同じものがあるといふことを予想しなければ出来ることではない。故に同じであるといつても異つてあるといつても少しも矛盾してゐないのであります。  恵心僧都がまだ子供の時に、穢い川で手を洗つてゐる禅宗の坊さんを見て、「こちらの方に綺麗な水があるから」と教へたところ、その坊さんは「浄穢不二」、穢いこと尚綺麗なことも覚れば全く同じことだと言つた。すると恵心僧都が「それならば何故洗ふか」と追及せられたといふ話があります。穢れたものを穢れた水で洗つて、それを浄穢不二とは言はない。穢れたものを綺麗な水で洗へばこそ浄穢といふことが言へるでありませう。  そこで凡夫と仏とが違つてゐるといふ場合には、その人は必ずこの仏と凡夫とが一体である、同じものであると強く感じているのであります。又凡夫と仏が同じものだと自覚するのは、仏と凡夫とが違つてゐるからであります。違つてゐるといふことを強く感ずれば、同じものだという感じが起きなくてはならぬ。故に仏凡一体といふのであります。恵心僧都の「真如観」の中に「仏も衆生も、地獄も極樂も皆一とつである」と詳しくこのことを書いて居られるのであります。かう考へた時、我々は所謂本当の道に出ることが出来る筈でありませう。  誓願不思議  だから我々が煩悩具足であると自分を見つめた時、仏と自力とが非常に違つてると考へる。その心持は仏と自分とは一緒であるという心持に立つてゐるのでありますから、煩悩を見つめれば見つめるだけ、そこに仏の力が現れて来、又仏の慈悲を感ずるのであります。それがよいとか悪るいとかの問題ではなく、又さうでなけならぬといふ問題でもない。ただありのままに自分の相を見出した時、仏を発見するものであります。それ有難いといふはたらきを起したら、それが宗教の感情であります。故に智慧のはたらきを以て起して来るのではない。智慧のはたらきを全く離れて、どうしてもその心のはたらきが起きて来たければならぬやうな精神の作用がそこにあるのでありす。故にそれは不思議であるといふのが一番適切であります。親鸞聖人のいはれてゐる。「誓願不思議に助けられ」るのであります。それが真実の宗教であると思ふのであります。  煩悩即菩提  そこで問題は煩悩と菩提が同じであるならば、即ち凡夫と仏とが同じであるならば、何故修行をするか、修行は要らないのではないかといふ問題と、もう一とつは仏と凡夫が同じであるならば、自分の勝手に悪るいことをしてよいではないか、思ふままに悪るいことをしても差支ないではないかの二つの問題が又出て来る。かかる考への間違つてゐることは説明するまでもありませんが、この間違は昔からあつたらしい。恵心僧都の「往生要集」の中に、  「問、煩悩与菩提若一体唯任意起惑業可歟」  若し煩悩と菩提とが同じならば、心の行くままに悪るいことをして差支ないかとの問に対し、「それは悪取空」といつて、それは同じだといふ意味を悪るく間違へて居る、悪道である。仏教をやつてゐるものの領解でない。「若し煩悩即ち菩提なるが故に恣に煩悩悪業を起すも可なりと思はば、生死即ち涅槃なるが故に、願はくば生死の猛苦を受くべし」煩悩即ち菩提であるから恣に煩悩を起してよいのならば、生死即ち涅槃であるから死んだらよからう、生死の苦しみを求めて受けたらよからう。ところが人間はそんなことをするものでない。「煩悩と菩提とは体一にして用異なり、従つて道を修むるものは本有の仏性を顕す、道を修めざるものは終に理を顕さず」と説いてある、だから煩悩と菩提とが同じだといふ場合には、それは違つてゐるから、その違つたものと同じことと伍して行くところに宗教のはたらきが起きて来るのであります。即ち煩悩が菩提であるからといつて、煩悩をどんどん起せば菩提もだんだん増すと考へるのは所謂悪道であります。悪るいといふことと、善いといふことと、もともと同じものでせうけれども、それを我々が別けて考へるところに益々同じだといふ考へが運ぶのであります。自分が悪るいと感じたならその時にはそれは悪るくない、自分を悪るいと感ずるときにはよいものを強く向ふに見ておるのであります、即ち客観的に出してゐるのであり、それを我々は仏と感ずるのであります。そこに煩悩即菩提、生死即涅槃という宗教的の心持が出て来るのであります。それを哲学的に考へて煩悩と菩提とが同じ真如から出て来たから、同じ性質のものだというのではない。これはあくまで宗教的の問題でありますから、その理屈が幾らかかつても実際に感じとして出て来なければ何にもならないことであります。  現在の我  斯く考へると釈尊の宗教は如何に徹底しておるやうに思はれます。前述の如く釈尊は仏に就て左程詳しい説明をされずに始終自分を見つめて行くことを説いて居られる。従つて時代の古いお経ほど、その中に道徳の話が多くて、殆んど悉く実践道徳であるやうな書き方のところもあります。だから西洋の聖者の中には「仏教は実践道徳と哲学とを合せたものだ」とドイツのダールケなどは考へて居ります。私はさうは考へない。仏教に無論実践道徳の部分あり、哲学の部分もあり、いろいろな部分があるが、宗教としては、実践道徳でも、哲学でもなく、それ以上のものである。  そこで釈尊の教への上から考へると、我々の精神のはたらきは「今」しかないのであります。過去も未来も問題の範囲の外で、即ち過ぎ去つたことはもう及ばず、未来はまだ来ぬのであります。  希比婆樓が釈尊に「如来は死んでどうなりますか、吾々は死んでどうなりますか」と聞いた時、「そんなことを聞いても何も役に立たぬ」といつて頭から排斥して居られるのであります。  勿論我々の精神のはたらき即ち意識の内容は、極めて広いものであります。今日の我々の意識の中には何千年も古い昔のこともあり、遠い何萬里離れた土地のこともあれば、又これから先何萬年の後をも考へ、それを心の中に出すことは出来ます。しかし宗教とはそんなことについて考へるのではない。宗教とは苦しみから離れる道である。その苦しみから離れることは瞬間の現象を本として考へなければ出来ることではない。釈尊が屡々言はれて居る、「我々はただ今瞬間に生きてゐるのだから、全く一人で何物に頼ることの出来ないものである。」  そこに宗教のはたらきが要るのであります。  仏の発見  我といふものは始終あるのではなく、発見せられた時だけあるのである。而してそれを発見さすのは我でないものでなければならぬ。故に我を発見した時、我々は我を発見させたものを発見するわけであります。即ち自分を見つめた時、始めて仏を見つめることが出来るわけであります。我を見出したそのことが仏を見出すことになるのであります。  発見されるものは、それを各々が見つけやうと見つけまいとそれに関係なく、そこになければならぬのであります。でなければ見つけることは出来ないのであります。だから我々が見つけるから始めてあるわけではない。然し我々が見つけなければそれは我々には何の関係もないものであります。仏が別にあつて我々をどうかすることが仮令あつても、それを我々が発見しなければ宗教的には何の役に立つものではない。  かやうに考へると、第一に仏を研究してその仏を発見しやうとするやり方は全く反対だと思ひます。自分の考へが強いから自分の悪るいことがわかつたと考へたのでは、そこに何等宗教の心持はない筈であります。どんなにしても吾々は我が力で真に自分を悪るいと知ることは出来ない。それ程愚なものであるのにも拘らず、自分で自分を悪るいと知つたのは仏の光明に照らされたからであると感じた時に、それは全く宗教の心持でありませう。だから宗教とは考へてそのはたらきを起すのではありませぬ。かかる感じが起つて来るやうになつたその心持の人が仏を発見するのであります。ではかかる心持にはどうすればなるのか、それは簡単です。自分の相をよく見つめる、それだけであります。  如実の相  自分の相とは今言つた如く、自分でないものを自分と見て居る相、つまり凡夫の相であります。これを如実に見れば今言つたやうな感じが起きるのであります。然るに我々は自分を如実に見やうとしない。どうかして如実でないやうに見やうとするのであります。仮令悪るいと考へた場合にでも、それを如実に出すことを嫌がり、凡夫だから仕方がないと飾りをつけ、弁護して、ありもしない我を守り立てて、それを続けて行かうとするところに、功利的な考へが湧いて来て、どんなことを考へても、皆得手勝手な自分に都合のよいことを考へるのであります。故に仮令仏の慈悲を喜んでも、結局自分の慈悲を喜んでおる以上に出て来るわけはない。極樂を願うといつたところで、若しその極樂が悪るければ願ひは取り下げてやめるのであります。そんなことでは所謂金剛の信でありません。従つて簡単に如実に自分の相を見ると云つても、それが嫌ひな我々だから、そこでその相を見るべき法を説く必要があるのであります。  しかし法を説くことは宗教そのものを説くのではない。又宗教は説かれるものではない、心から心に伝はるべきものであります。しかし自分の相を如実に見なければならぬことを知らすために、法がいろいろの点から説かれてゐるのでありませう。  法の聞き方  然したとひさういふ目的を以て説かれたのではなくても、それに向いたものが自分の愚かであり、悪るいものであることを知らしめるものだと感ずる時、宗教が何時でも起きて来るのであります。だから鳥が無心に啼く、それを自分の悪るいことや、愚かなことを知らするのだと感ずれば、その時の心持は全く宗教的でありませう。  蓮如上人の話の中に「鶯は法を聞けと啼くから、まことに尊い鳥だ」と言はれたとあるの此の意味です。又一茶の句の中に「山櫻人をも鬼と思ふべし」といふのがあります。山奥に櫻の花がしきりに吹いてゐるけれども、誰も褒めてもくれないし、御苦労とも言はないし、見てもくれない。若し人間であつたら折角咲いたのにと自慢するでありませう。誰も見てくれなければ来年から咲くのをやめやうというかも知れない。人が見てくれなければよいこともしないという人も居るのだから、山櫻も人間を鬼と思ふだらう。かやうに櫻が言ふか言はぬかは問題ではない。そんなことは植物学か何かである。櫻が言つても言はなくても差支ない。一茶のかやうに山櫻が法を説いておると見る心持が宗教なのであります。  親鸞聖人の心持はもつと進んだのであらうと思ふ「歎異鈔」の終りに「如来の御恩をば沙汰なくして我も人もよしあしとのみ申しあへり」と、仏の恩に就ていはないで、誰も彼もよいとか悪るいとかだけを見てゐる。このよしあしを後にして総て如来の御恩と思ふ心持の中に、本当の宗教があるのであります。  第十五講 道  法の真実  「涅槃経」の中に「道を燈火とし、道を案とし、自からこれによりて他によること勿れ」といふ釈尊の言葉があります。名譽によらず、地位によらず、財産によらず、権力によらず、知識によらず、総て小我のはからひをやめて、道によらなくてはならぬといふ意味でありませう。  その道とは如何なる意味のものであるか、釈尊が迦葉に説かれた言葉に「道の性や相は生減することはない、故に捉へることは出来ない。又色像もない故に計ることは出来ない。しかし実際にははたらきのあるものである。恰度心は見ることが出来ないけれども、存在して居ることは事実であるのと同じである」と言はれて居ります。  又、釈尊が竹林精舎に居られた時、多くの弟子に道に就て説かれ「道は形を有して居ない、これを知ることは無益で利益はない。されば志と行ひとを守るがよい。例へば鏡を磨くやうに、垢を取つてしまへば明かになつて、形を見ることが出来る。それで怒を断ち空を守つて居れば即ち道のまことは見える。愛欲を抱いて居つては道を得ることは出来ない。愛欲が心にまつはりて濁つて居れば道を得ることは出来ない。道とは心から生れるものである。故に心が清ければ道は自から得られる」と言はれた。  その他、道に就ていろいろ話をされて居られるのを集めて考へると、釈尊の道と言はれるのは、釈尊自身の四諦の真理、即ち苦しみの相を知ること、その苦しみの原因を知ること、その苦しみを除くこと、又それをするのには八正道を履まねばならぬこと、この四つの真理を指して居られるやうに思はれます。而してその道は色も形もなく、それを計ることもどうすることも出来ない。しかしそのはたらきはあるのだから、即ち確かに存在して居るのであるから、それを拠所として進まねばならぬ。その道を燈火として進み、その道を家として住んで居なければならぬと説いて居られるやうであります。  このことは前にも八正道の所で述べましたが、要するに釈尊の四諦の理を道と言つても、結局は法の真実に動かされるのであります。八正道を履んで涅槃の境に行くのも、その八正道を考へつめれば法の真実に動かされるのであります。だから釈尊自身も大法によつて成仏するといはれるのであります。  法即真如  然らば法に就て釈尊が如何に言つて居られるかを考へねばならぬのであります。仏教の書物では法はいろいろの意味に使はれて居ります。一切の事物を指す場合、即ち諸法は心を本とする、或は諸法無我の如きもあります。又法則或は法律といふ意味にも使つております。しかし今私が言ふのは、八正道も結局法の真実といふことに帰するのであるが、その法とは如何といふのであります。これに就ては釈尊はいろんなところでいろいろに言つて居られます。阿難に対し「汝自ら己れの燈火となり、自ら己れの家となり、他の家に拠つてはならぬ。法を燈火とし法を家とし、自からこれに帰して他のものに帰依してはならぬ」と言はれた。これは前の道を家とし道を燈火とし、他のものによつてはならぬといふのと同じ言ひ方であります。つまり先に道と言はれたのも、法と言はれるのも、結局同じことであります。釈尊が迦葉に「法を念ずるとは如何なることであるか如来の法は妙なるものの中でも最も上等なものである。この法は心の見るところであつて、肉眼の見るところではない、生じたものでもなく得たものでもない。止まらず滅びず、始なく終なく、無為であり無物であります。警へを以て説くことも出来ぬ、舍なきもののためには舎となり、頼りなきもののためには頼りとなり、心暗きもののためには光となり、覚りの岸に至らざるものを覚りの岸に至らしめ、香りなきもののために何物にも礙へられぬ香りを与へる、さうして転ずることも出来ず、長くもなく短くもない、長く諸々の樂しみを離れて而も樂しく、一切の里を離れて而も清浄無相で、よく一切の煩悩を断ち、生死の焔を滅し、常に変ることなく、無量の衆生の畢竟の住処となつて、一切諸仏の遊居し給ふところである。菩薩がかやうに法を念ずるを念法といふのである。」と精しく法のことを説かれてありますが、これは「法華経」にある「法は不可思議にして思慮分別のよく領解するところにあらず」の言葉に帰著する。法とは不可思議で、我々の認識を全く離れたものであるといふ意味であります。そこでかかる場合、かかる意味に考へれば、法とは真如であります。我々が考へることもいふこともどうすることも出来ないといふ意味であります。  子思と老子  しかしこれは知識のはたらきで考へるのでありますから、他の人の考へたことを調べてみる必要があります。子思の「中庸」に「天の命ずる、これを性といふ、性に從ふ、これを道といふ」とありて、又別のところに「誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり、誠は努めずして当り、思はずして得。」この意味を考へて見るに、支那の人が天といふのは、哲学的には天地の理法であり、宗教的には宇宙の主宰者であります。天の命が性だとは、天地の法則は人の本性だといふ意味であります。天地自然の法則が人の本性であつて、それは先天的に自然に備つて居るものだ、その性に從つて行ふことが道だ、つまり天地自然の法則があつて、それが人に現れて人の本性になつて居るのだから、その本性に従つて行きさへすれば道がある、だから誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり、その説は努めずしてその道になり、思はずしてそれを得るのだ、説明してあるところを見ると、「中庸」でいふ道とは誠であります。そしてその誠は人に附与された天地の法則であります。それは我々の認識を超越したものであります。  「老子」に左のやうな語があります。  「有物混成、先天地生、寂兮寥兮、独立而不改、周行而不殆、可以為天下母、吾不知其名、字之曰道」  天地がまだ出来ない前に物があつて、それが独立して居る、それが天地の母で一切のものの始めである。自分はその名を知らぬから道と名づける「字」とは仮りに名づけたといふ意味でありませう。即ち色もなければ形もない、ただ寂寥たるもので、それに似たものも何もないから全く独立したものであり、ひとつの妙理であります。その妙理は何時でもあるものであるから、「物あり混成す」と書いてあります。この老子の考へからすれば、道とは虚無であります。子思の前に出た孔子は、所謂仁義禮智信等を実際的に説いて居る。老子はかかる知識学的な哲学的な考へで人間の拵へた仁義禮智信とかの嘘偽りのものを取つてしまつて、無為自然に帰らねば誠の道に出ることは出来ないと説いたのであります。この虚無も仏教の空と同様、何もないといふ意味ではない、一切のはからひを離れて認識の世界を出た時に道は出て来るといふのであります。この老子の哲学が出て来たので、子思が「誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり」といふ説を立てたのでありませう。これに就てはいろんな議論があります。  誠  釈尊が道或は法といはれ、子思がまことといひ、老子が虚無というものも、畢竟我々の智慧のはたらきの中に、我々の智慧では考へることの出来ないものを引張り出して名をつけたひとつの概念であることは明かでありませう。その概念の奥にはたらいて居るのは、我々の言葉にも考へにも上らぬのであります。それを哲学の方からいへば、いろいろ考へが違ひ、それを説明することも異つて居るのであります。しかし宗教の考へとすれば同じであります。人間の智慧のはたらきをやめた時に起きて来るのが法、誠、道などと名前のついて居るもののはたらきに直接觸れる感じであります。その感じは、いふまでもなく喜びの感情であります。即ち仏の慈悲といふ感じが出て来るのであります。仏教はその慈悲を説くのであります。故に仏教の心持からいへば、法とはまことであるのが至当でありませう。誠とは仏教の言葉で、真如、或は一如、或は法性、或は如来相、或は法身、等いろいろありますが、今は先づ誠といふ言葉を使つて置きます。その誠は言葉として使ふことは出来ますが、その奥にあるものはどうすることも出来ませぬ。親鸞聖人が「唯信鈔文意」の中に「法性法身と申すは、色もなく形もましまさず、しからば心も及ばず言葉も絶えたり、との一如より形を現して云々」と書いて居られるのであります。  この智慧では証明出来ないが、心持としてそれに觸れることの出来るものが我々の心の中に現れた時には、それは概念ではないのであります。それは実際我々の心の中に動いて居る。その動いて居るものが法であり道でありませう。  如来  故にこれ等を智慧のはたらきで考へた時には、どうしても哲学を超えることが出来ないから、それは実に冷やかなものであります。ところが、智慧のはたらきを離れて、直接に何物かに觸れた時には暖かい心持が起ります。而してそれは法のはたらきであることが明かに感ぜられます。そこで、法が我々の方に来てはたらくと考へた時、これに所謂如来といふ名をつける、即ち如より来生したと考へることが出来る、それが我々の仏であります。親鸞聖人のいはれる方便法身の仏であります。その方便法身の仏は南無阿弥陀仏であります。  信心  一体精神のはたらきとは、我々が外界に適応するために反応することをいふのであります。だから今、外に何物かが見えて居るといふのは、光線が目の中に入り網膜に像を結び、そのはたらきが脳に行つて腦で像を拵へたものを又元のところに出して、そこで何物かを見て居ることであります。聞くことでも何でも皆同様であります。  從つて心のはたらきの方からいへば、外界に何物もなかつたならば、我々には何物もないでありませう。又反対に、我々の心のはたらきがあればこそ外界に物があるのであります。若し我々の心のはたらきがなかつたら、外界には何物もありませぬ。仏教で説くのも、総てこの世界は心が造るのでありますから、三界はただひとつの心であります。  ところが知識の方から言へば、極く客観的に考へた場合、外に物があるから自分の心がそれに反応し、我々の心が出て来るのであります。從つてこの方面からいへば、我々は考へるのではなく、考へさせられるのであります。どうしても考へなければならぬやうな外境があつて、それに順応して行くところに我々の考へが起きて来るのであります。ところがそこに何時でも善悪の値打の判断をして、それに適応して行かうとする小我のはからひがある。その小我のはからひで善いとか悪るいとかを明かに区別して、善いものを取つて悪るいものを捨てる功利的の考へが強く我々に起る。従つて喜ぶやうなことがあつて、本当に喜んで居るのかどうかわからぬ、即ち真の喜びでない、悲しむといつても真実に悲しんで居るのではありますまい。時々都合のよいやうに喜び、都合のよいやうに悲しんで居るに過ぎないのであります。かかる功利的の小我を離れた時、一切が喜びになるのは当然であります。これが仏教でいふ信心であります。信心とは、誠が我々に表現したのだと言はねばなりませぬ。お経に、仏の心が我々の心の中に現れたと書いてあるのは、如何にもよい説明であると思ひます。  大経和讃  この意味は、親鸞聖人が「大無量壽経」の大意を和讃に作られた「大経和讃」二十二首の中で明かに説明してあると思ひます。  「至心信樂欲生と 十方諸有をすすめてぞ  不思議の誓願あらはして 真実報土の因とする  至心発願欲生と十方衆生を方便し  衆善の仮門ひらきてぞ 現其人前と願じける  至心回向欲生と 十方衆生を方便し  名號の真門ひらきてぞ 不果遂者と願じける」  「大無量壽経」に依れば、法蔵菩薩が願を起され、修行にかかられたその願か四十八ある。これはその中の十八、十九、二十の三つの願に就て書いてあります。一番初めのが十八の願、次が十九の願、その次が二十の願の説明であります。  第十八願  最初の「和讃」の至心信樂欲生の欲生とは、我が国に生れんと欲することであります。十方諸有の諸有とは、迷ひの業即ち衆生であります。全体の意味は、至心、信樂、欲生の三信を作つて、それを我々に与へ、これによつて衆生を助けやうといふ不思議の願を起され、その不思議の願によつて、我々衆生を真実の報土に生れしめやうとするといふのであります。これが第十八願であります。普通の考へ方なら、至心信樂欲生とは、我々が至心即ち誠の心を起し、仏の慈悲を信樂し、喜んで仏の国に生れんと欲すといふ意味でありませう。又さういふ文章であると思ひます。けれど親鸞聖人は宗教的にこれを味つて居られるから、至心とは仏の心であるといはれるのであります。何となれば、我々の心には至心はない、即ちまことの心がない、若し誠の心があればそれは仏の心が誠なのだ、その仏の心を我々が貰ふといふのであります。信樂とは、我々が信じ樂ふのではなく、仏が我々を信じ樂はしむるといふのであります。だから仏の慈悲であります。欲生とは、浄土に生れやうと欲することでありますが、我々は浄土に生れやうとは欲しない故、浄土に生れることを欲するやうに如来の力がはたらくといふのであります。即ち如来の智慧であります。従つて親鸞聖人の考へられる至心信樂欲生とは、結局誠であります。この誠に触れた時、我々の心持は小我のはからひから離れる、この小我のはからひから離れることは、一心に帰命することであります。この一心に帰命するものが、真実の報土に生れるといふのであります。親鸞聖人はこれが本当であり、これが「大無量壽経」の意味であり、仏教であるといはれるのであります。このことは「教行信証」に断つてあります。私共もさうだと思ふのであります。而して、かかる誠は我々の力ではないから他力といふ、それを歴史の上からいへば、法蔵菩薩が我々を助けやうとしてこの風を起し、その願が成就してさういふ力が出たといふのでありますから、本願の力でありませう。所謂強力不思議に助けられるのでありませう。  第十九願  その次の「和讃」は、心を誠にして修行しやうとする願を起し、さうして一生懸命に修行すれば、死ぬる時その人間の前に仏が現れてそのものを極樂に迎へ取つてやるといふ願を起されたという意味で、これは第十九の願であります。これは「至心発願歟生と十方衆生を方便し」と書いてありますが、前のは「至心信樂欲生と十方諸有をすすめてぞ」と書いてあります。第十八願は宗教であるから「すすめて」であるが、第十九願は宗教の心持でないから、ただ「方便」であります。衆善の仮門とは、一切の我々の善い行ひは仮りの門である、即ち浄土に行く仮りの門で、本当の門ではないといふ意味であります。  第二十願  次に第三番目の「和讃」は、衆生が念仏することによつてその心を誠にし、その功徳を仏に廻向し、彼の国に生れんと欲する、それを若し果し遂げなかつたなら自分も仏にならぬといふ意味で、これは第二十願であります。名號の真門とは、仏の力であれば本当だからであります。従つてこの真門とは、半分は自分の力、半分は仏の力であります。  三願転入  十八願の至心とは仏の心、十九願の至心とは人間の誠の心、二十願の至心とは人間の心を念仏により誠にすることであります。この三つは、親鸞聖人が宗教的に見て異つたものと考へられたので、「大無量壽経」に書いてある意味は多分三つとも同じでありませう。而して至心発願欲生と、至心廻向欲生とは、親鸞聖人の考へでは宗教でなく、宗教のはたらきを起すための方便であります。  我々の心のはたらきからいへば、至心発願欲生は道徳でありませう。至心廻向欲生はそれより一歩進んで念仏が出て居る。故に単純な道徳よりもずつと宗教の方に近いのでありますが、まだ宗教ではありませぬ。前者は自分の修行であり、後者は自分の念仏であります。念仏だけに宗教の意味を含んで居ると言へます。そこで先づ十九の願から二十の願に至り、更に進歩して最後に十八願の本当の宗教に進むのだと親鸞聖人は解釈をして居られます。これが有名な三願転入であります。從つてこれ等は別のものでなく、精神のはたらきからいへば順序であります。人間が宗教に入る初めは、道徳の考へ即ち善悪の判断から離れることは容易でない、その善悪の判断から離れ、概念のはからひを全くやめ、所謂自力のはからひをやめた時、まことが出て来る。それが至心であり信樂であり欲生である、と親鸞聖人は考へて居られるのであります。  我を仏の中に見出す  歴史的の沿革を見ると、我の中に仏を求める考は随分多数の人にあります。それは自分の心を大日如来だと言つて探して見たり、或は「是心是仏」といひ、「唯心の弥陀」等といふのであります。それと反対に、自分の心の外に仏を求める連中は、一生懸命に努力して仏に近づかう、一生懸命に功徳を積んで仏にならうとするもので、浄土教といはれて居るものは皆それであります。屡々繰返して述べたとほり、これ等はそれに徹底することは容易でない。自分の心の中に仏があれば我ではない。又自分の心の外に仏があればそれは役に立たない。これ等は、いづれも精進努力をするより仕方がない。結局道徳の範囲を出ることは容易でありますまい。何年経つて仏になれるか、自分の中に仏を求め得るか、自分の外にある仏になり得るか、問題でありませう。故に仏教で五十二段の階級を履んで菩薩になり、更に菩薩から仏になるのであります。一代で出来ないものは二代三代を生れ変つて来なければならぬと説くのであります。それでは宗教にはなりませぬ。本当の宗教は、智慧のはたらきをやめた時、誠が我々の心に表現して来ること、従つて我を仏の中に見出すのであります。故に他力といひます。前に挙げた「和讃」の言葉は、我を仏の中に見出して居る、即ち至心信樂欲生とは、我の誠の心を以て仏を信樂して、仏の国に生れやうとするのでありませうが、我であると見うけた時、我を仏の中に見出して居る、それが宗教であらうと思ひます。釈尊が法或は道を説かれた場合「それを燈火とし、それを家とし、それによつて行け」と言はれるのは、全くこの意味でありませう。故にこれは方便でなく「十方諸有をすすめてぞ」なのであります。仏教を宗教として見た時は、これが本当だと私は思ひます。  庄松の話  かかる宗教的な体驗をした人は随分たくさんあります。前にも挙げた妙好人の中の人は皆さうであります。その中の一例でありますが、讃岐に庄松といふ無学文盲の人がありました。もと真宗興正寺派の門徒でありました。初め身口意の三業によつて往生するとの信仰をもつて居りましたが、それは間違つて居るといはれ、真宗の本当の安心に入つた人であります。或坊さんが庄松に「三業の安心はどうか」と聞くと「三業どころか一業もありませぬ」と答へた。これは考へていることではありませぬ。又或時、興正寺派の本山へ行つて本堂の仏前で横に聴て居つた。すると一緒に連れ合つて參詣したお婆さんが「そんな行儀の悪るいことをしてはいかぬ」といふと庄松は「親の家に来て遠慮はいらぬ、そんなことを言うお前は継子だらう」と言つた。これも実に考へて言へることではありませぬ。かくて庄松は次第に名高くなつたから、無学文盲の門徒でありましたが或時興正寺派の法主が會はれることになりました。ところが庄松は讃岐の田舎から出て来て、穢い袋を携げたまま法主に會はとした。役人がそれではいかぬといふと庄松は「この袋を置けと言はれるなら置きませうが、しかし腹の中にある糞袋はどうしませう。勿体ないことだ」と言つた。なるほど手に持つた袋より腹の中の糞袋はもつと汚いでありませう。又或時隣村の市蔵といふ同行が「お前が死んだら立派な墓を建ててやる、安心して死ね」と言つた。すると圧松の言ふのが面白い「石の下には居ない」これは極樂に行くといふ意味でありませう。又或人が「お前は極樂に參ると安心して居るが、果して極樂に参れるか、大丈夫か」ときくと圧松は黙つて障子を開けて庭を見て居る、何のことだかわからぬ。すると「一枚も舌が落ちて居ないから仏は嘘を言はぬだらう」と言つた。仏が嘘を言はれたら、どこかに舌が抜けて落ちて居る筈だが、落ちて居ないから嘘を言はれないだらうといふので、ちよつと皮肉のやうですがそうではありませぬ。又或時瀧三郎といふ人が「疑ひもなく本願を信じ、念仏を称へて喜んで居るが、それでよいだらうか」ときいた。すると庄松は「或るところに女があつて、その女が息子を下関に本公にやつた。その女が或時親切をして給を持へて下関に送つた。息子は給は取つたが母の誠は取らなかつた。それでよいか」と言つた。弥陀の本願を疑はずに念仏を称へて居ればよいかなどときくからこんな答をしたのであります。或時説教師が来ていろいろ説教した時庄松は「ああいふ坊さんが一人として浄土を持つて居る人はないのだから、お浄土を拵へて居る仏さんの言つて居ることを信じた方がよい」と言つた。説教をきくと安心が崩れるといふ人があります。又或時、郡奉行が庄松の村の庄屋の家に泊られた。そのもてなしをするのに庄松が風呂焚の役に当つた。奉行が風呂に入つたので背をすりながら「お上の禄を貰つてよく肥つたものだなあ」と言つた。庄屋はひどく恐縮して「あれは村で馬鹿と言つて居りますので、まことに失禮なことを申してすみませぬ」と平謝りに謝つた。すると郡奉行わかつた人と見えて実に恥入つた。これは他にも例のあることでありますが、言葉は如何にも無作法で、他の人ならそのまますむ筈でないが、庄松であつたから、所謂誠が動いて居たから、これで済んだのであります。又或時お寺に行つてふざけて居た。すると他の人が「子供の真似をするものでない」と言ふと「お前等が地獄に落ちるからその真似をするのだ」と言つた。これなどはふざけたのでありませう。又同行が寄つて何か金が足らないといつて喧嘩をして居た。すると庄松が「そんな算用は後でもよい、その算用より仏様に御報謝を申す勘定を急げ」と言つた。とにかく全体を通じてこの圧松の言つたこと、行つたこと等に何ものか動いて居るやうに感じられるのであります。私はかく考へると、学問はなくても誠が動いて居る、これが本当の宗教だと思ふのでありす。  第十六講 親鸞聖人の宗教  無量壽経  釈尊の仏教が次第に拡がり、所謂釈迦教から遂に弥陀教にまで至つた筋道を大体述べてきましたが、その弥陀教につき、もう少し述べてみたいと思ひます。それには親鸞聖人の言葉を借りねばなりませぬ。親鸞聖人は、実の宗教は「大無量壽経」であるとはつきり言つて居られます。このお経も宗教として見た場合、教として見た場合、或は文学上から見た場合とで、それぞれ意味も内容も異る訳でありませうが、親鸞聖人は宗教の方面からこれを見られてさう言はれたのであります。  至心信樂欲生  「大無量壽経」の中で、第十八の願といはれて居る文章があります。  「設我得仏 十方衆生 至心信樂 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚云々」  これは「設へ我仏を得たらむに、十方の衆生、心を至し信樂して、我が国に生れむとおもはん、乃至十念せむ、若し生れずば、正覚を取らじ」で、この意味を文字どうりに解釈すれば「自分が仏になつたとすれば、十方の衆生即ち世の中の一切の人々が、心を誠にし仏を信じ喜んで、我が国即ち仏の国に生れむと欲し、念仏をすれば必ず我が国に生れることが出来る。若し生れなかつたならば、自分が仏にならない」といふ誓願を起し、それが成就してになられたのであります。だから我々一切の衆生は、至心信樂欲生して、仏の国に生れむとするものは必ず生れる、といふ簡単な文章であります。ところで問題は至心信樂欲生であります。これに就ては前講でも述べました。その文字どほりの意味なら、一生懸命に誠の心を以て、その誠の心を仏に向け、その功徳によつて仏の国に生れやうとする、それが結局生れる、といふのでありませう。  しかしこれはひとつの教であつてはならないと私は思ひます。それではひとつの話に過ぎないのであります。又理知の上からは、人間が自分の心を誠にし、偽りの心を去つて、一生懸命にまことに対して自分の精神を捧げたならその結果が悪るいわけはないから、結局それによつて仏の国に生れることが出来るわけでありませう。しかしこの話を少し真面目に考へ、誰が一体さういふことを言つたのか、「設へ我仏を得たらむに」の仏とは何ものか、その仏の国とはどこか、等と深く穿壁《せんぺき》をしてこの文章を理解したなら、それで承知出来るものではないと思ひます。従つて多くの人はさうであらうと信ずることが出来ない筈であります。これでは宗教の心持が現れて来ないのであります。  仏のはからひ  そこで親鸞聖人は今言つたやうには解釈されない。至心とはまことの心であるが、その誠の心は自分等のやうなものにはない。だからこれは畢竟仏の真実心でなければならぬ。又、信樂即ち信じて樂ふこと自分等には起きる心でない。若しかかる心があるなら、それは如来の慈悲でなくてはならぬ。又、欲生我国即ち仏の間に生れやうとする心が我々にある筈はない。若しその心があるなら、それは如来の智慧を貰はねば自分等の智慧ではとても出来ない。故に、如来の真実、如来の慈悲、如来の智慧が我々に現れて、それが至心信樂欲生にならなければ我々の問題にならぬ。従つてこの三信は即ち真実であり、異質が我々の心に現れて我々の心が真実になるものだといろいろの書物に説明されて居ります。かやうに自分の心持は全く非真実であります。その真実を離れた心持が、真実に接したときに始めて起きる心持が宗教であります。真実は我々に解らない。しかしその解らない真実のために自分の非真実が解る。故にこの自分の非真実を眺めた時に、真実に有難いことを感じる。これを仏智不思議といふのであります。  親鸞聖人が浄信房にやられた手紙に  「往生はなにごともなにごとも凡夫のはからひならず。如来の御ちかひにまかせまいらせたふればこそ他力にては候らへ。様々にはからひあふてれ候らん、おかしく侯。如来の誓願を信ずる心のさだまるとまふすは、摂取不捨の利益にあづかるゆへに、不退の位にさだまると御こころえさふらふべし。真実信心のさだまると申すも、金剛の信心のさだまるとまふすも、摂取不捨のゆへにまふすなり。」  今まで述べた所の説明であります。「それは摂取不捨の故に申す」と書いてあります。これは全く自分を中心として現れて来る意識には出て来ない感情でなければなりません。それが如来の誓願であり、或は誓願不思議であるといはねばなりませぬ。  中江藤樹先生の道歌に    何事も自からなる世の中に迷ふて造る利害憂樂  これは、何事も自からの法則の中に出来て居るのに、自分の心の迷ひから利害や憂樂などを分けるといふ意味で、同様なことをいつたものであります。又、  「他力とまふすことは、義なきを義とすとまふすなり。義とまふすことは、行者のをのをののはからふことを義とは申すなり。如来の誓願は不可思議にましますゆへに、仏と仏との御はからひなり。凡夫のはからひにあらず。」  と親鸞聖人は書いて居られます。頻りに仏といふ言葉を使ひ、或るところでは不思議不思議と言つて居られますが、結局親鸞聖人の言はれる仏とは、全く不可思議のものでなければならぬ筈であります。他の宗旨のやうに、我々がその仏の存在を認めて、その仏に向つて誠の心を捧げて行くといふ考へとは、全く違ふことをよく諒解しなければなりませぬ。往生は我々凡夫のはからひではなく、仏と仏とのはからいであります。だから「大無量壽経」の第十八願の文章も全く仏のはからひであり、この他力によつて我々が摂取不捨の利念に与らしめられ、往生するのだと解釈されたのであらうと思ひます。  よしあしのはからひ  今言つた自分を中心に現れる意識とは、心理学上の言葉を使つて言つたので、これを平易な言葉で言へば、よしあしのはからひであります。このよしあしのはからひが強くはたらいて居れば、何でも彼でも自分のよしあしの定規に篏めてはからはねばならないから、自分の非真実を徹底して知ることが出来ませぬ。「自分だつて悪るいことは悪るいだらう。しかし人並に悪るいのだ。自分だけ一人悪るいのではない」と世間の人はよく言いますが、これは自分が真実でないことを徹底して考へて居ないのであります。悪るいところもあるが真実のところもあると考へてゐたのでは、そこに真実は現れない、席は光があつて出て来るのであります。自分の影を見て、それは光のために起きたのだとわかる如く、自分の非真実を見れば真実は明かにわかるわけであります。然るに、他の人にも自分と同樣影があることばかりを見て、それがどうして出来たかを考へない時には、光を考へて居ない。これでは宗教にはならぬのであります。  多くの人はかういふことをするのはよい、かういふことをするのは悪るい、とよしあしはよく知つて居る、そしてよい方を取つて悪るい方を捨てるといふのであります。これは至心信樂欲生の文章どほりに解したものであります。しかし親鸞聖人は「よしあしの二つ総じてもて存知せざるなり」即ちよいことも悪るいこともわからぬ。何故なら仏のよいと思召すことを知つて居つたら、それはよいと言つてよいけれども、我々はたとへよいことをしても悪るいことをしても、みな業、因縁のなすわざであるからと説明されて居ります。どんなことをして、自分の値打をそこに見て居られないところに、全く自分の非真実を徹底して考へて居られるのでありませう。影は光明のはたらきと言つた方がよいのであります。光があつて影があるので、影が出来て光が別にあるのではない、かかる立場から親鸞聖人は「大無量壽経」が真実の宗教だと言はれたのであります。この第十八願を宗教的に見て、即ち具体的には自分を内省して考へた時に、非真実の心持が強く浮ぶのであります。そこに現れたものが光明であります。それが摂取不捨の利益に与らしめられたといふのであります。そこに親鸞聖人の宗教が成り立つのであります。  教は宗教に非ず  從つて親鸞聖人の言はれることには教といふものは少しもない。教とは人間の智慧のはたらきによつて考へを進めてゆくことであります。かかる智慧をすつかり取つてしまつたところに教のあるわけはないのであります。親鸞聖人のお弟子に信樂房といふものがありました。此か間違つたことがあつたために破門をせられた。すると他の弟子が「あの信樂房におやりになつたお経の中には、御自身の名前を書いておやりになつたものがありますが、信樂房は破門されたのであるから粗末にするに違ひない故、お取返しにならなければいけませぬ」と言つたところ、親鸞聖人は「本尊聖教をとりかへすこと、はなはだしかるべからざることなり。そのゆへは、親鸞は弟子一人ももたず、なにごともをしへて弟子といふべきてや。みな如来の御弟子なれば、みなともに同行なり。念仏往生の信心をうることは、釈迦弥陀二尊の御方便として発起すとみたれば、またく親鸞がさづけたるにあらず」と言はれた。これを見ても教といふのは少しもない。教などは宗教にあるわけはないのであります。釈尊も同様に考へて居られます。釈尊に「自分は正しい道を履んでゆくことを、ただ人に伝へるだけで、昔から誰がどう言つた、かう言つたとかに就て言ふのではない」といふ意味を繰返しく言つて居られます。  これは「歎異抄」にあるものでありますが、或時、関東の同行が遙る遙る京都の親鸞聖人の所へ来て「念仏すれば往生が出来ると教を聞いて居つたのに、念仏するものは無間地獄へ落ちるといふ人がありますが、果して本当でありませうか」ときいた。若しそれを教と考へて居る人であつたら、そんなことはないと答へるに決つて居る、ところが親鸞聖人は「念仏して地獄に落ちるかどうか知らない。自分にたとへ落ちても差支ない。自分が信じて居ることはこのとほりだ、この上は念仏をしやうともすまいとも、銘々の御勝手だ」と答へられた。教として宗教を説く人なら、弟子に向つて、お前方の考へどほりにしたらよいと言はれるわけはないでありませう。だから親鸞聖人の考へて居られる宗教は、教でないことは明かであります。  宿善開発  親鸞聖人は、自分の心の中に動いてある宗教性を出してゆくことを宗教と考へて居られるのであります。そしてこれを宿善と言つて居られる。人間には宗教性があるから、その宗教性を出してくれば宗教になるのであつて、外から注ぎ込んでは、即ち教へては決して宗教になるわけはないのであります。我々が仏の道を聞いて信ずるのは全く宿善があるためだ、所謂宿善開発である。その宿善を喜ばなければいけないと言つて居られるのであります。  信樂房が門下を離れた時にも親鸞聖人は「私に自專すべからず、如来の教法は総じて流通物なればなり」、即ち宗教性とは、私が持つて居る宗教性を他の人にやるといふやうなものでない、如何なる人と雖も宗教性は持つて居る。それは親鸞が授けたものではなく、釈迦弥陀の方便によつて開発せられるのであるから、自分の勝手にすべきものでないと言はれました。  同じく「歎異鈔」に、唯円房が「仏の教を聞いても踊り立つ程に喜びの心が起らぬ。有難い教を聞いて極樂に往生することが知られたら、踊り上るほどに喜ぶべき筈であるのに何ともない。如何でありませうか」と聞いた時、これも教を考へて居る人なら、それはお前が考へが足らぬ。お前の信じ方が足らぬと言ふに決つて居ります。けれども親鸞聖人は「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房同じ心にてありけり」お前もさう思つて居るか自分もさう思つて居ると答へられた。これも同樣の意味であります。  相談的  動もすれば、宗教を教としてそこに教義を立て、その教義を守らなくてはいかぬとか何とか言ふものが多いのであります。しかし釈尊は頭からそれを破壊され、盲人の例を挙げ「そんな教義教義と昔の書物に書いてあるものがよいといふのは盲人が手を引いて居るやうなものである。ただ手と手と繋いで居るだけで、誰と手を繋いで居るかわからないではないか。自分等はそんなことを言ふのではない。今生きて居るものが正しい道を履んで行くことを言ふのだ」とお弟子に言つて居られます。親鸞聖人の考へそのとほりであります。唯円房の質問に対しても、斯様に不安であればこそ真実がはたらくのではないか、煩悩があればこそ仏がはたらくのではないか、と言はれる。如何にも相談づくであります。人にものを教へて行かうとする態度はないのであります。これが本当の宗教の心持でありませう。聖人の「述懐和讃」の中に  「よしあしの文字をもしらぬひとはみな   まことのところなりけるを   善悪の字しりがほに   おほそらごとのかたちなり」  よしあしの文字をも知らぬものは皆、誠の心を現して居るのに、よしあしの字を知り顔に、いろんなことをやつて居るものは、おほそらごとの形である。  「是非しらぬ邪正をわかぬこの身なり   小慈小悲もなけれども   名利に人師をこのむなり」  よしあしも知らず、正しい正しくないと見分けのつかぬ自分だけれども、名利名誉心が強いから、人に物を教へやうといふ心持が出て仕方がないと懺悔して居られるのであります。  真実の道  斯く考へて来ますと、自分が悪るいと考へても尚ほそこに自分を立てて、その自分をよくして行かうとする心持を現した釈迦教と、自分は真実でないと全く自分を打ち壊して、そこに現れて来る弥陀教とは、心のはたらきに於て大変なちがいがあると思うのであります。而して私は親鸞聖人の考へられた如く、弥陀教が真実に我々の進んで行くべき道だと思ふのであります。  第十七講 宗教の表現  表現の形式  我々人間の精神のはたらきが始つた当時は、物を見ること、判断すること、自分の意志を定めること、等の精神のはたらきが外に出た場合、芸術とか哲学とか科学とか或は倫理道徳等になつたので、かかる外に現れたものと、内にはたらいている精神とが総て一緒でありました。故に哲学道徳も芸術も分れて居らず、皆それが一緒に結びついて現れて居つたのであります。それが次第に分れて科学、芸術、哲学、倫理、宗教等と名をつけなくてはならぬ様になつたのであります。故に此等は、元来一とつであつたものが分れたのだから同じものである筈であり、又分れて居るといつても同じやうな心のはたらきである筈である。従つて此等は互に関係して居ることは明かであります。  私はその関係の中、主に科学と宗教との方面について説明したのであります。そのためには宗教の本質を詳しく説明せねばその筋道がはつきりわからないと思つて、今まで引続いて宗教の本質について説明して来たのであります。尚ほ引続いてその説明をしやうと思ひますが、それは簡単に云へるものでありませぬ。いろいろの方面からいろいろに説明する必要があるので、時には前述べた所と重なることもあるがそれは巳むを得ぬことであります。宗教の本質をはつきり明瞭に掴まなければ、宗教が各々の心の中に出て来ても間違つた方向へ出て来ます。そんな事のない様にするには知識のはたらきを要するのであります。  前から何回も云つたことですが、宗教そのものは言葉で説明出来ない。今私の説明するのはその宗教が人々の心に現れた時、如何やうに表現されて居るかに就てであります。この表現の仕方を見ることが先づ第一に大切であります  自然的宗教  宗教と最も密接な関係を持つて居るのは道徳であります。他のものも無論関係は持つて居るが、就中、最も親密に関係して居るのは倫理の思想であります。道徳と離れて、宗教が突然起きて来ては居ないのであります。現代の宗教は道徳を根本として現れて来たものであります。故に、先づ道徳の方からこれを見て行く必要があります。  この道徳との関係から見ると宗教は三段に分れて居ます。第一段は、道徳のない世界に現れて居る宗教であります。道徳のない世界とは、人類の極めて幼稚な時代で、まだ人間の心が十分に出て居ない時代であります。個人なら三四才位までの頃であります。この時代は唯必要のために食物を摂り、必要のために動き、必要のためにいろんなことをするので、それは全く盲目的な、本能的衝動であつて、これに依つて生活が行はれて居たのであります。  かかる原始的な人間でも、まだ知らないことに関しては危険を感じ、それを怖れます。又、自分で迚も及ばないと感ずる力に対しても怖れを抱きます。而してその怖れから遁れやうとすれば、矢張り衝動的に自分より大きな力を感じ、その力に縋つて行かうとする心が起きて来ます。これが後の宗教と同じはたらきであります。然しこれは魔術と犠牲との二つを出て居ないのであります。これが即ち第一段の宗教であります。道徳の意識のまだ発達して居ない時の宗教ですから、道徳のない宗教といつてもよいでせう。これが現在の文化程度であるべき筈の人間に起きて来た時は、自然的宗教と名づけるのであります。  道徳的宗教  所が次第に人間の心が発達して、道徳意識が現れ、良心によつて行ひを正し、生活を正して行くやうになると自分の行動に対し責任を感じます。隨つて所謂義務の概念が起きる。さうなると何か悪るいことがあれば、そのことに関し自分が責任を感ずる、然し、責任は感じるがその責任は遁れたい。この責任を遁れるため、その事柄を外の方に出せば遁れ得るから、内部に求むべきものを外に求めやうとする心がはたらく。そこで何か悪るいことになると、それは神或は仏の意志だ、或は何か厄病が流行ると、これは神の仕業だとして、自分の不摂生で自分が病気に罹つたといふ責任を、或は感じても、それを外に転嫁しやうとする考へが強いのであります。悪るい時は神が責める、よい時は神が褒めると考へて、何でも彼でも自分のしたことの責任を神や仏に譲つてしまへば、自分は安全であります。そこで自然の法則に甘んじて居たのが其から離れ、自由な世界を造り出すことが出来る。即ち少し進んだ動物の状態から理想を持つて居る人間の状態に進むことが出来たのであります。故にここに出て来る宗教は明かに道徳的宗教であります。これが第二段の宗教であります。然し道徳は元来自律でなければ役に立たぬ筈ですが、ここでは外の方に出て居るから他律であります。他に規範を置いてそれを守ることを考へて居る。随つて道徳的宗教は、外に出て居る神或は仏を信じ、全く自分から離れたものを信頼して行かうとする心持であります。  精神的宗教  上述のやうなものを普通に学者も自然的宗教、道徳的宗教と名づけて居ますが、私は此の名は適当でないと思ふ。何となれば、此等は、宗教に進んで行く前の階段であります。私は宗教と名のつく限りは、道徳から次第に進んでその道徳を超越した本当の宗教、即ち第三段目の精神的宗教だけだと思うのであります。仏教は確かに精神的宗教であります。然し道徳から離れたと云つても、道徳とは関係がないといふのではなく、道徳が本になつて、それから出張したのであります。  刹那生滅  斯樣に考へると、宗教の本質に就て云ふ場合は、全く自分の心が問題であります。今の言葉でいへば、主観的の宗教意識が問題であります。それ以外に何も問題にするものはない。この自分の心の問題を調べるにいろんな方法があります。人類学の考へに依れば、極く幼稚な原始人でも、既に今云つた如き心のはたらきを持つて居る。従つて人類が出来ると共に宗教があつたに違ひないのです。然しこれは話が少し遠方になります。又別の考へ方からすれば、自分の心とは現在「今」しかないのであります。だから、現在今我々が持つて居る自分の心を自分自ら見ると同時に、自分の心で人の心を見て行く、この二つの見方で考へて行くのであります。  現在の我々の心を自ら見て行くのは所謂心理学的考へ方であります。然し心理学とは、出来上つた心のはたらきを考へて行くものであります。出来上つたものは現象であります。だから心理学とは、感情とか、想像とか等が如何に出るかなどと、その現象を見て行くのです。而して此等の現像は既に過ぎ去つたものであります。これまで存在したものであります。宗教は同じ心のはたらきを見て、心理学のやうに既に出来上つたものを見るのでなく今現にはたらいて居るものを見るのであります。隨つて、今私の述べんとするのは、宗教心理学ではありません。私のいふ宗教を心理的に見るとは、現在我々の心が今はたらいて居る、そのものを見ることであります。仏教で斯樣に説きます。  前述の如く我々の心は「今」しかない。今一分先のことは、既に過ぎ去つたことです。「今」といへば、それはもう過ぎ去つたものです。先のことはいはれないし、いつたことは過去であつて、その瞬間を我々は持つて居るだけであります。過去は過ぎ去つたこと、未来はまだ及ばぬことで、我々の身体でも、心でも、皆その刹那刹那に生滅するのです。現在、そこにあるのは、刹那刹那にはたらいて居る心だけです。腹が立つといつても、腹が立つ心以外に何もあるべき筈はない、腹が減るといつても、腹が減ることを感ずる以外に何も感じて居ない、その利那刹那に生滅するものを、記憶で集めて過去のことを覚え、又未来のことを想像して、それを私といつて居るので、それは全く仮りの相である。自分の宗教意識を見るといふ場合は、何時でも自分の心に現れて来るはたらきを見る以外何も見ることは出来ない。神でも仏でも何でも、皆刹那刹那に生滅する心のはたらきの上に現れた以外は何も掴むことは出来ない。そこで宗教の本質を考へるといつて、全く自分の心の有様を見るより他仕方がないのであります。  制度的宗教と人格的宗教  アメリカのゼームスは、宗教とは、或感情と一定の客観思考であると云つて居ます。客観思考とは自分の考へを客観に出したことで、例へば普通よく使つて居る「私が」といふ場合、それは「私」といふものを心の中に客観に出して居るのである。だから本当の私とは大分離れて、私といふものが心の中にあるのです。私がよいとか悪るいとかといふその私は、客観に考へて居る私であります。  今、ゼームスのいふ客観思考とは、普通の言葉でいへば、神であり、仏であります。これを自分の心の中に出し、それに対し拝むとか、或は随つて行く態度と感情とを一緒にしたものが宗教だといふのであります。かかる考へ方からゼームスは、宗教には制度的宗教と人格的個人的宗教との二つがあるといふ。制度的宗教とは宗教生活が次第に歴史的になり、さうして客観的になつて、そこに信仰論が出来、その信仰論を人から人に伝へて次第に進歩して行くもので、人間の文化の現象、即ち制度に依て成立して居る宗教であります。人格的個人的宗教とは、全く主観的なもので、宗教的人間の精神内部の生活そのものであります。  形式の善し悪し  然し宗教は制度を持つて居ても、それは宗教の形式であつて、この形式は人間が人間の智慧に相当して造つたのであり、宗教そのものとは親密な関係はないと思ひます。形式によつて宗教が高いとか低いとかは決していヘません。又宗教が形式を幾ら変へても差支ないと思ふ。又事実歴史を見ても、宗教の形式は幾つて居ることが明かであります。昔の基督教と今日の基督教とは明かに変つて居る。昔は三位一体の説でなかつた、それが三位一体の説をつぐやうになつた、仏教でも印度に行はれて居る仏教と、支那に行はれて居る仏教と、日本に行はれれて居る仏教とは明かに違つて居ります。又これから後も違ふでありませう。然し宗教の本質は形式によつて左右されるべきものでない、表現の方法が違つて居るだけであります。ただその表現の仕方が、この表現を造る人の心のはたらきによく随つて居たら、それを聞く人にわかり易いから、それによつて宗教の本質を出すのに大変都合がよい故、形式のよい悪るいは論じなければならぬと思ひます。  道が違つて居ても、行き著く先は山の上で、かかる形式のよしあしはどうでもよいと云ふ人も昔からありますが、同じ所にゆくに汽車に乗つても行ける、電車に乗つて行ける、歩いて行ける場合にどれを採るかは同じことではない、どれに依つても、行けることは確かに行けませうが、行く人になれば大問題であります。何百里の道を、汽車があるのに殊更に歩くとなると大変です。故に形式は宗教の本質ではないが、その形式によつて動く我々には重大な問題であります。しかし繰返して云ふ如く、これが宗教でないことは明かであります。  予想  では宗教の本質とは如何なるものか。多くの人の考へや、又多くの書物に依れば、我々の智慧には限りがあり、わからぬことが多いから、わからぬことは信仰しなければならぬ。即ち不可知を信仰するとあります。人間の智慧には限りがあることは勿論である。例へば、明日どんなことがあるかわからぬ。そこで、明日を信仰しなければならぬ。しかし此場合は、今までの経驗で明日のあること丈けは判る、又大体どんなことがあるかも判る。しかし又意外のことが起きるかも知れないけれど、それは信ずるより外ないといふの程度でせう。宗教がこんなものなら役に立たない。それは一とつの予想に過ぎない、従つて当てが外れるかも知れないのであります。宗教はもつと確りしたものでなければならぬ。確りしたと云ふのは、当てが外れても何も苦痛を感じないものでなければならぬ、当てが外れて落膽するやうなものでは役に立たないのであります。  不思議  次に不思議だから信ずる、仏智不思議を信ずるといふ人もあります。これも言葉には間違ひなからうが、それを信ずる人の心持を考へて見ると、不思議だからといふのは既に思議して居るのであります。即ち人間が仏を思議して居る、不思議でなくて、思議して居るのである。前にも例に出しましたが、例へば我々の経驗では五と二を合せれば七だが、宗教は不思議の世界だから、五と二と合して八になるかも知れない、それが不思議だ、それを信ずるのが宗教だといへば我々は信じられない。時計を見て人間と信じると云ふのと同様である。かかる無理なことを説くのが宗教なら、宗教は矢張り我々には役に立たぬのであります。  一体不思議とは、わからぬことであり、思議することの出来ないことでありませう。五とは如何なることであるか、何であるか、誰が始めた言葉か、何故ものを教へるに五つといふのか、恵心僧都が若い時分、禅宗の坊さんと話合つた時、「一つ二つ三つ四つと皆つがつくのに、十になつてつがつかないのは何故か」ときかれ、「それは五つの時につを二ついつて居るから十の時に略したのだ。」といつたという話がありますが、それ位の胡麻化しなら誰でも出来ます。然し一体五とは如何なる意味であるか、それは誰にも解らない。それと二を合せて七になるとは又解らない。かかる現在の事実を考へた時、私といひ、五と二と合せて七になるといふことは誰も説明は出来ないが、又誰も疑はない、それ位不思議なことはない、その不思議を宗教と考へる時に、我々は始めて助られるのであります。宗教というものは、現在の事実を見た時に、その時に起きて来る精神のはたらきであります。予想するのではなく、空想するのでもない、故に宗教とは、全く現実の自分の相を見た時に起きて来る所謂不思議であります。  一蓮院秀存師が、香樹院講師が病気で死なれる時に行かれて「何事も考へずにただ一生懸命に念仏を申して居ればよろしいので御座いますか」ときかれた時「不思議を信じて念仏するより他はない。」といふ意味を詳しく説明せられた、そこで秀存師が「ただ不思議を信じて念仏するより他はないか」と念を押してきいた。すると香樹院講師が「不思議といへば今まで生きて居るのが不思議だ」といつて後はいはれなかつたのであります。秀存師のきかれた心持は、不思議とは仏のことを考へられたのでありませう。すると香樹院講師が、不思議といへば我我は今まで生き長らへたのが不思議だといはれる。我々は自分が拵へた米を食ふわけではない、自分が拵へた空気を吸ふわけではない、自分が飲むために水を拵へたのではない、皆そこに水あり、空気あり、多くの食物もあつて、その中にどうして出て来たかわからぬが偶然に出て来たのでもない。何か出るべき動機があつて出て来たのでせうが、我々には何等わからぬ。さうして難儀をし苦しんで、結局死なねばならぬ、何のために生れ出て来たかわからぬ。これ位不思議なことはない、その不思議を考へた時に、そこに宗教の心持が起きて来るでありませう。即ち自分の意識を離れて、自分を中心に考へて出る得手勝手の感情を除いて起きて来る感情が、宗教に違ひないと私はいつも云ふのであります。  勝手な喜び  先のゼームス、或はドイツのシュライエルマツヘル等有名な学者の宗教といはれるのは、或最高の真理に向つて信頼して行く心持、或は感情であります。或最高の真理とは神か仏ですが、それに縋つて行く心持を宗教といふのであります。だが私はさうは考へない。我々の心の中に感情があるが、その感情は自分を保つて行くはたらきですから、自分を保つに都合のよい時は心持がよく、自分を保つて行くに都合の悪るい時には不快であります。神や仏に信頼して行く感情がかかるものなら、結局自分に都合のよい時に信頼する感情であります。所謂苦しい時の神頼み式の感情であります。若し自分の役に立たない神様なら排斥する、神様に願をかけ願が叶はなければこの神様はいかぬ、利益がないといふ。仏は慈悲といふが、自分が徐り苦痛の時には仏も無慈悲だといふ、自分の有難くない仏さんなら何でもない、これでは宗教でも何でもない、自分の勝手に喜び、勝手に笑つて居るのは宗家でも何でもない。仏を考へ神を考へて、所謂客観的思考をやればよいといふことになりますが、私はこんな意味では宗教が起きるものではないと思ふ。故にゼームスなどの説明に、精神的宗教の説明には不十分だと思ふのであります。  喜ばざるを得ぬ喜び  精神的宗教とは、かかる得手勝手な、自分を中心に現れて来る感情を離れて出て来る感情であるから、それは如何なる場合でも結びつく感情であり、如何なる場合でも自由な感情であります。自分の心に束縛されない感情であります。  親鸞聖人も明かにそれを説明しておられると私は思ひます。自己の値打のないことを始終説いて居られる、即煩悩具足、罪悪深重であります。他の人はこの自分は煩悩具足、罪悪深重であるから、それを取らなければならぬ、かかるものは仮りの我だから、それを取つて本当の我を出すか、若しくは精進して立派な我にしなければ仏になれないと説くのであります。然し親鸞聖人は自分のよいも悪るいもわからぬ「煩悩具足火宅無常の世界、皆もてたわごとそらごと、世の中のこと凡て業であると見ておられる。而して「親鸞敢へて珍らしき法を拡めるにあらず、何を教へて弟子といふべきか、等と云はれ、結局自己意識を否定して居られるのであります。かくの如く自己意識を否定した時、その自己意識を中心にした感情が消えて居るのであります。そこに起つて来る感情が宗教感情であります。この宗教感情は何等我に支配を受けない自由の感情であるから、如何なる場合でも喜びの心持が起きるのであります。淨土院崇の信者を俗に喜び手といひ、難しい言葉では妙好人といつて居る、これは喜ばうと思つて喜ぶのではなく、喜ばざるを得ぬ心持であります。  前から屡々例を引いた妙好人伝には、泥棒が入つて喜んだ清九郎、自分の額に傷がついて喜んだ喜助等、一寸考へると馬鹿らしいのでありますが、然しかかる場合にも、喜びの心が起きるところに宗教のはたらきが存するのであります。そんな馬鹿があるかといふ人には、宗教の心持は少しもないのであります。ただその人の智慧で人を批判して居るだけであります。これは宗教の裁判であります。  生きた仏  然し、これは又わからぬから信ずるより他仕方がないといつて、無理やりに信ずるのではないのであります。人間の智慧でわからぬことを想像し、ないことを造り出して喜ぶのでもなく、喜びの心持を客観に出した時、それが私のためには仏であります。私を救ふ仏であると感じるのであります。この救ふ仏だという感情が起きた時、それは人格を持つて居る。即ち人間の考へに人格がつくのであります。これが報身仏であり、南無阿弥陀仏であります。これは人間の精神のはたらきがどうしてもさうなるのですから、決して不思議ではないのであります。  普通、人間が親しみの情を出した時は、どんな事柄にも人格をつけるものです。例へばお蔭様とは人に世話になつた時の恩恵、即ちお蔭を人間的にして様をつけたのでせう。御苦労様も同様です。斯様なはたらきが宗教的に出た場合の阿弥陀如来とは、生きた仏であり、人格のついた仏であります。又、かかる仏があるかないかは問題でなく、この宗教感情の起つた人には、あらざるを得ないのであります。精神的に実在して居るものであります。だからそれを禮拝するのは仏が向ふにあつて、それを拝むのとは意味が違ふのであります。自分の心から客観に出したのと、客観に出したものを、自分の心に入れやうとするのとは違ひます。  私一人のため  親鸞聖人が主観的のことを始終説いて居られるのは、これを証明するのに苦心されたのだと思ひます。教義を立てない。「さらに珍らしき法を弘めるのでない」し、弟子もない、ただ阿弥陀仏を信じるだけだといはれたのは、ゼームスのいふ主観的宗教を明かに出して居られたのだと思ふ。宗教はそれでなければ真に救はれないと思ひます。だから私を救ふ仏は私の心に現れる仏でなければならぬ、方々に親があつても、私の親でなければ私を可愛がつて呉れないのであります。同様に私の南無阿弥陀仏でなければ私の宗教にはならない。「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずるにひとへに親鸞一人がためなりけり」、私一人のために苦労されたと感じてこそ宗教の感情なのであります。  行くべき道  仏教は明かにこれを説いたのであります。而してこれを我々にはつきりわかるやうに説明せられたのが親鸞聖人であると思ひます。他の人の表現も、無論同様宗教の本質を説かれたのに決つて居る。しかし、その現し方は我々にはむつかし過ぎる。これを言へれば、親鸞聖人の云はれるのは、汽車に乗つて行く如く極めて容易ですが、他の人のは歩いて行けといはれるやうな心持がします。汽車でゆけば間違ひなく著く、歩いてゆけば、ゆけるにはゆけるだらうが、骨が折れ、又道を間違ふかも知れない。だからどの道を選ぶかは宗教生活をする我々には大きな問題であり、そこに表現の仕方を選び取らねばならぬのであります。即ち我々には、我々の行くべき道があるのだと思ひます。この意味で私は親鸞聖人の心持の後を追ふて、宗教の本質に到著したいと思うのであります。  第十八講 苦界厭離  樂しみと苦しみ  釈尊は人生を苦しみと見、その苦しみの因りて起るところを究め、その苦しみから遁れる道を説かれました。而してその苦しみの原因は我執である。即ち無明と煩悩、言い換へれば渇愛が主であると考へられた。これを自然科学的に生物学的に考へれば、外界に刺戟があつてそれに対し内に反応が起きるのであります。この精神の中に現れて来る反応が快であれば樂しみ、不快であれば苦しむ、だから生物学的に考へれば苦しみ樂しみも全く同様に反応であります。  だから釈尊のやうに人世は苦しみの世界であると考へた場合、樂しみも矢張り新しい苦しみに過ぎないのであります。この考へ方は釈尊の直接いはれたのとは違ふが事実であります。  外界の改造  そこでこの苦しみから免れる方法には二通ほりを考へることが出来ます。一とつは外界の刺戟を一とつづつ取つてしまひさへすればよい。ドイツのオストワルド教授は、仏教で説くのも自然科学で考へるのも、苦しみの説明は大体同じであるが、それを除く場合は自然科学の方は外界の事柄を一とつづつ消して行く方法を考へると云つています。例へば雷を聞いて怖い心持が起る、それは雷の性質がはつきりわからぬからである。怖さの起る元である、雷の性質を自然科学の研究によつて理解すれば、怖さが滅ずるのであります。だから自然科学の研究により、次第に事実が明かになれば我々の迷いが減ずるといふのであります。又その通ほりに違ひないと思ひます。然し我々の知識には限りがあり、自然科学が如何に発達して、それによつて刺戟を全くなくするわけには行かず、外界を全く改造するわけには行かないのであります。  心の反応  そこで内の方の原因をどうかしなければならぬといふ第二の方法が考へられるのであります。外の刺戟が同じであつても、内に現れる反応には苦しい差がある場合が極めて多い。これは重大な問題であると思います。  三浦梅園が書かれたものの中に、  「昔、或人の家に塀が損じてをつた、その家の子供が、かく塀の損じて候、盗人こそ入るべけれといひけるに、暫くして隣りの人来りてその子のいひし如く、塀の損じ候、盗人こそ入るべけれといひしが、果してその夜盗人に遭ひけり。その親、我子をば智慧ありてよく察したりと思い、隣りの人をばこの人かくこそいひし、若しや盗人の手引をしたるものにあらずやと凝つた。」  同じことをいつても自分の子供に関してはよいところに気がついた、智慧があるといふ反応が起き、隣りの人に対しては泥棒の手引をしたのではあるまいかといふ反応を起すのであります。又奥田頼杖の「心学道の話」に  「現在ここで私が、此手の大指と食指とを合し、此やうに丸い輪をして皆様にお目にかけ、只世の中は是じや是じやといふと、失禮ながら皆様が、ムム銭の事じやのと思ひなさるにちがいないが、こちらに錢といひはせぬぞへ。ここにはつい指が斯う丸うなつたのじや。それに錢とはどうして思ふなれば、そりや平常御前方の腹の中に、何をいふも金銀の事じや、金銀さへあればと、いふものを持合してござるゆゑ、それがふつと飛び出るのじや。其証拠は欲気のない小さい子供に、斯うして見せては、錢とは思はぬ。そりや大かた餅の事か、饅頭の事かと外、思いはせね。  又耳に聞く事でも其通りじや。正月の元日に、夜明、鳥の声を聞いて、女中なぞはよくいふものじや。お萬さん、あれお開き、元朝の明鳥は声も長閑に、勇しいものじやござりませぬかというが、是も元朝じやとて、鳥が別段に勇しう啼くでもないが、此方の心が長閑なゆゑ、長閑に聞えるのじや。其証拠は秋の日の夕暮頃に、女中などが世話しがつてもう日が暮れるさうな、燈の用意もせねばならず、座敷も掃いておかずばなるまい。それ干棚の干物よ、それ夕飯のこしらへよと、何か気のもめる時分に、かあかあの声を聞くと、ええ小頬のにくい鳥めが、世話しない鳴やうをしをると、あの声がせわしう聞える。又其内に大切な病人でもあつて、一家親類が寄り集り、医者の相談でも仕をる所、土蔵の庇へ烏が来て、かあかあと鳴いてみると、ああ烏なきがわるうござる、どうもあれでは困つたものじやといふけれど、其隣家には、児が産れてやれやれ嬉しや、初孫をまうけた、しかも丈夫な男の子じやと、家内中が目出たがつてゐる時、其かあかあの声をきくと、あれあれお萬さん歡烏が啼きますわへといふ。鴉の声はいつも変らぬかあかあじやが、此方の心の持ちやうで、長閑に聞えたり、せわしう聞えたり、目出たう聞えたり、悲しう聞えたり、さまざまに聞える。一切唯心造といふて、善悪邪正も、禍福吉凶も、実の処は向ふにあるではない、皆此方の心の変化じや。  又人のよくいふ事じやが、金銀といふものはおそろしいものじや。何町の何兵衞は、金銀に命をとられたの、いや酒といふものは怖いものじや。喧嘩口論も、怪我あやまちも、大かた酒から発るといひますが、昔から、金蔵が人を切つたの、千兩箱が首縊つたのと、いふた事も聞かぬが、酒樽が酔狂したの、酒徳利がすつぱ抜きしたのといつた事もない。あれ等はみな、無心なのゆゑ、何にも科はないけれど、有がうへにもまだ欲しいといふ欲心や、呑んだうへにもまだ呑みたい、といふ意地きたない根性が身をほろぼす敵となるのじや。又貧乏人は千兩富に通をぬかして掛けてはとられ、買ふてはとられ、尻の仕舞は鍋釜までとられて仕まふて、ああ富といふものは悪るいものじや、富に身代たたきあげたと云々」  と心の有様を滑稽交りに書いてあるが、どう考へて外の事柄は同じでも、内に現れる心の反応が違つておる限り、ただ外を変へただけで苦しみから遁れることは出来るものでないといひます。  心の改造  そこで第二の方法としては、主観的に各々が苦しみを感ずることを少くして、仮令外の原因があつても自分の特別な精神のはたらきによつて苦しみの心持が起らない様にすることです。宗教としては第一の方法よりこの方法の方がよい方法であらうと思ひます。釈尊の説かれたのはこの方面でして、自分の心を改造し、どんな場合でも苦しみの起らないやうにし、若しくは苦しみの心持を他の心持に自ら変へる力を養つて行くのであります。  ところでこの反応を起す心の中の問題ですが、それは我の問題であります。故に釈尊の宗教では我をひどく問題にするのであります。このことは前に屡々述べました。諸法無我といひ、十二因縁を説き、五蘊を説き、四諦の真理を説きして、色々の方面から無我の説明をして居られるのであります。これ等に就ても概略前に説明しました。然しこれ等は説明が哲学的で難しい理屈を挿んでをりますから、それを理解し、我及び我所から離れ、苦しみから遠ざかることは却々困難で、一朝一夕で出来るものでありません。昔からこの方面に進むものを自力の夢へを奉ずるものといひ、華厳宗、天台宗、真言宗等をそれに含ましてみます。  然しかやうな難しい理論を明かにしてからでなければ、苦しみから遁れられないかと云へば、強ちさうでないことも明かであります。こんな難しい学説を研究しなくとも、こんな難しいことに携はらなくても、我を改造して行く道は明かに存在しておるのであります。何となれば此等は哲学的な考へから起きた理窟でありますが、出来上つたところから言へば、又我々の前に現れた方から言へば同様に苦しみから離れる結果が出るやうになつて居るのであります。これに就て概略説明をして置きたいのであります。  仏の心  自力の教では、我及び我所の本になる精神のはたらきを、全く打ち壊すことに非常な努力を要するが、然しこの努力はまことに貴い努力であるに拘らず、それに依つて解決をつけることが出来ないのであります。かかる自分の心の真実の有様を知ることが出来たなら、同時に我々はそれに徹底することがとても出来ず、又それは我々には何の役にも立たないことも知られます。この時は既に我々は我々の心から実際に離れてゐるのであります。即ちこの心から離れてゐるというのは、自分の心では如何とも出来ない、その自分の心の有様を知つていることであります。この時に我々の心の中に現れて来るのは、人間の心でないはたらきであります。人間の心とは人間の考へであります。従つて人間が人間の考へを離れた時に、心の中に現れて来るものは人間の考へでなく、人間の考へを離れたものでなければなりません。それは全く不思議であります。その不思議は人間の心ではわからぬですから、それを宗教の意味からまことといふのであります。普通使つてゐる誠とは嘘に対しての言葉ですから、本当の誠ではないのであります。嘘が変れば誠も変るのであります。本当の誠は変るものではありません。  宗教上のまことは不思議であります。不思義に仏と名をつけるならば、まことは仏であり、それを心として誠の心と言ふならば、まことは仏の心であります、このまことに接した時、我々の心持に一種の感情が起きる、それが南無阿弥陀仏であります。  冷暖自知  南無阿弥陀仏に就ては前にも概略の説明をしましたが、ここでもう一度繰返し説明いたします。外に何ものかあつてそれに触つた時、冷たいと感じる。この冷たい感じを起すところの外にある何ものかは、雪にしても、或は氷にしても、或は鐵にしても、我々の日に見得る限りは認めることも出来ませう。又我々の智慧を尽して熱を分析し、雪を分析し、氷を分析して、その性質を明かにすることも出来る。然しそれ等が何故に冷たい感じを起すかは人間の智慧では説明出来ない。即ち不思議である。  仏教では昔から冷暖自知と言つて居ります。冷たいものに觸れれば冷たい、熱いものに觸れれば熱いと自ら知ることは出来るが、何故かの理由は結局不可思議のはたらきに帰著しなければならぬ。その不可思議のはたらきに觸れた時、起きて来るのも矢張り不可思議でなければならぬ。これが即ちまことである。雪は雪のまことを以て冷たく、氷は氷のまことを以て冷たいのであります。だから人間の知識を離れてまことに觸れた時に、我々の心持に又まことが現れて来る。それを南無阿弥陀仏と名付けるのであります。  勿論南無阿弥陀仏とは人間の言葉であります。然しこの言葉に依つてその言葉の中に含まれているまことを我我が知ることの出来る場合は、それは仏教といふ一とつの形式であります。だから南無阿弥陀仏といふ言葉を用ひてその中に含まれてゐる誠がわかる人は、明かに仏教を奉じておる人であります。かかる心持になつた時は、五蘊の理がわからなくとも、又十二因縁の理がわからなくとも、その他難しい理屈が一切わからなくても、それがわかつたと同様、我を離れ我所を離れて、苦しみの世界から遁れることが出来るのであります。これを他力の教へと言ひます。  自力と他力  かうして出来上つた他力の教へをいろんな仕方で説明出来ませうが、就中親鸞聖人の説明はその書かれた手紙に依つて知ることが出来ます。  「自力とまふすことは、行者のをのをのの縁にしたがひて、余の仏號を称念し、余の善根を修行して、わが身をたのみ、わがはからひのこころをもて、身口意のみだれどころをつくろひ、めでたふしなして浄土へ往生せんとおもふを自力とまふすなり。」これは自力の説明であります。  「また他力とまふすことは、弥陀如来の御ちかひのなかに、選擇摂取したまへる第十八の念仏往生の本願を信樂するを他力とまふすなり。」 これは第十六講で述べた至心、信樂、欲生の説明であります。  「如来の御ちかひなれば、他力には義なきを義とすと、聖人のおほせごとにてありき。義といふことは、はからふことばなり。行者のはからひは自力なれば義といふなり。他力は本願を信樂して、往生必定なるゆへに、さらに義なしとなり。しかればわが身のわるければ、いかでか如来むかへたまはんとおもふべからず。凡夫はもとより煩悩具足したるゆへに、ゆるきものとおもふべし。またわがこころのよければ、往生すべしとおもふべからず。自力の御はからひにては、真実の報土へむまるべからざるなり。行者のをのをの自力のみにては、異質の報士へ生ずべからざるなり。行者のをのをの自力のはからひにては、懈慢辺地の往生、胎生疑城の浄土までぞ、往生せらるることにてあるべきとぞ、うけたまはりたりし。第十八の本願成就のゆへに、阿弥陀如来とならせたまひて、不可思議の利益きはまりましまさぬ御かたちを、天親菩薩は尽十方無碍光如来とあらはしたまへり。このゆへによきあしき人をきらはず、煩悩のこころをえらばずへだてまして、往生はかならずするなりとしるべしとなり。」  普通の説き方で今まで私が述べたところを説明されておるのであります。  義なきを義とす。  我々がいろんなことを考へる、或は浄土を考へ、或は極樂を考へ、或は地獄を考へ、或は未来を考へ、苦しみを考へ、世間のことを考へる、一切の考へは皆自分を中心に考へて行く心持でありますから、その心持では仮令どんなことを考へても、どんなよいことを考へても、自分を中心に考へるその考へから離れることは出来ない。仮令どんな正しいと思ふことを考へても、それは自分に都合のよいやうに考へるのが人間の心のはたらきでありますから、それでは苦しみから離れることは出来ない。浄土に往生すると書いてあるから、どこか彼方に仏の国があつて、そこに行つて生れるのだと地理学的に考へる人もありませう。勿論それでも悪るいことはないでせう。が、然しこの本当の意味は自分の苦しみがなくなることであります。苦しみを造る心のはたらきをなくすれば、苦しみの出来る訳はない。これが涅槃の境に行くこと、即ち浄土に往生することであります。換言すれば人間の心で造つてゐる世界から、仏の心で造られてゐる世界、即ち仏の国に行くことであります。人間の世界に苦しみがあるのだから、結局苦しみから離れることを仏の世界といふに過ぎないのであります。  かやうに考へると、他力の教へは全く「義なきを義とする」のであります。即ちわけのないことがわけがあるのであります。昔の人の譬に、箸を五人に分け、其の中四人が自分の名前を書いた、すると後の一人は名前は書かなくともその人の箸はわかるとありますが、「義なきを義とす」は名前を書かなくともわかるのと同様の意味でせう。  又かやうに考へなくても、「義なきを義とす」とは、人間のはからひをやめることである。親鸞聖人の宗教では、それは自分のはからひを離れることであります。そこで自力の心を捨てるには、実際如何にすればよいかが問題になります。「成実論」の中に「若し人我を見ざれば即ち苦しみを見る、若し如実に我を見る時は又苦しみを見ず」とあります。苦しみを見まいとして我を見ないのでは安樂の世界に行くことは出来ない。若し如実に我を見れば苦しみは無いわけであります。故に之を換言すれば自力のはからひは捨てやうにも捨てられるものでないと考へた時、自力のはからひは捨てられておるのであります。親鸞聖人の言はれるやうに「何れの行も及び難き身なれば迚も地獄は一定住処ぞかし」と考へた時、そこに苦しみから離れる道は開けてあるのであります。これは不思議の光に助けられたと言はなければならぬ。而して心のはたらきは事実さうなつて来るのであります。故に他力の教へは「義なきを義とする」のであります。  妙好人  自分がよいから往生するとか、自分が悪るいから往生するとか考へるのでなく、悪るいもよいも一切関係なく、苦しみから離れることが出来る。それが仏の本願だと言はれた時、宗教の言葉を使へば、「無明煩悩を具して安養浄土に往生すれば、即ち無上仏果に至ると釈迦如来は説き給へり」と言つてもよいでありませう。この心の境に至るのは、全く仏の心が自分の心に現れるからだと感ずる人の心持は宗教的であります。従つて外にある事柄が如何やうにあらうとも、普通なら苦しみを起す様な事柄であつても、それをその宗教的な心の中に出した時には心持のよい感じが起きて来るのであります。これが所謂妙好人であります。  「この人は摂取してすてたまはざれば、金剛心を得たるひととまふすなり。このひとを上々人とも、妙人とも、妙好人とも、最勝人とも、希有人ともまふすなり」であります。勿論この場合でも自分の心が仏さんになつたのではないから、腹の立つこともあり、悲しいこともある。其等が止んだわけではない。しかし自分の心のはからひを除くことは出来る故、如何なる場合でもそれ故に心持のよい感情を起すのであります。親鸞聖人の教へはこれであります。五蘊のことも説かず、十二因縁も云はず、唯自分の力の足りないこと、又それを悟り、それを捨ててしまうこと、そのはからひをやめることを徹頭徹尾説いてあります。それこそ我々の如き者が苦しみから離れることの出来る道だと思ひます。唯実際に於てこの自力の心を捨て、このはからひさへ止めれば、仏の不思議といふものは味はれます。そこに宗教といふものが強い力を出すものでありませう。ただ単純に不思議といつたところで宗教の力を出すものでない。さういふ時に強い我々を導く力となるわけはない。自分の勝手の時に不思議といふのではない。さういふことを離れて、不思議の力に動かされるという感じが強く出るのであります。そこで親鸞聖人の教へは即ち私の申す真実の宗教といふものに入るその順序としては、どうしても自分の責任を自分で始末するやうな心持がそこに動かなければ、この道に入ることは容易でないと思はれるのであります。自分勝手のとき不思議と言つたり、自分の責任を人に譲つたりしたりすれば、親鸞聖人の心持から離れます。動もすれば自分の心から離れ、外から自分の心を眺め、自分の心が悪るいといふ心持を起すことがありますが、これでは宗教の心持は起きるものではありませぬ。これは我々の最も注意すべきことであります。自分を外に出して、さうして自分の心を眺めてみる、客観化した自分を眺めてみたのでは、私といふのもただ話に過ぎないのであります。自分で具体的に存在しておる、その自分の心の中に入つて見る時に、煩悩具足罪悪深重といふ以外には他に仕方がない、悪るいというそのことに徹底したならば、それが即ちまことでありませう。まことをまことと知つたらそれがまことであります。悪るいを悪るいと知つたらまことでありませう。その道に出た時に所謂仏の本願といふことが言はれる、不思議に助けられるといふことも言はれる、仏の御恩の広大といふことも言はれる、お経に書いてあるあの言葉が皆自分のために生きて来ることでありませう。  一切が助けられる  この心持を親鸞聖人はかう書いてをられる。「この信心をうることは釈迦弥陀十方諸仏の方便よりたまはりたるとしるべし。」  釈迦弥陀十方諸仏の方便とは、自分の周囲にある一切のものが深く我々にかく考へさすといふ意味です。だから自分の周囲のものに皆仏の心が出て自分等をさういふ心境に導くのであります。だから「しかれば諸仏の御教へをそしることなし」と、諸仏の教へを誇ることはない「他の善根を行する人を謗ることなし」他の善根を修める人をも謗ることはない、それはいかぬ、こんなことを信じてはいかぬ等と他の教を奉じてゐる人を謗らない。「この念仏する人を憎みそしる人をも、悔みそしることあるべからず」、念仏する人を憎み謗る人の悪口を言つてもいけない。「あはれみをなし、かなしむところをもつべしと聖人はおふせごとありし」、まことの道に入る近い道があるのに、それを知らないで他の道に迷つて居る人に対し慎みの心を現しそれを悲しむ心を起すのが当然であります。ここに私のいふ真実の教へが存するのであります。それ故に他の宗教を信ずる人を謗る必要はない、念仏する人を謗つてはいけないのであります。偉い人も偉くない人も、悪るい人も善い人も、一切が仏の光明に包まれて行く宗教であります。さういふことを謗るわけはない、例へば、憐みの心、それは他に簡単な道があるのに、汽車があるのに汽車にも乗らずにテクテク歩いて行く人を見て憐みの心を起す、汽車でも行ける、歩いても行ける、けれども歩いて行けば日にちもかかるし、費用もかかる、行くべき簡単な道があるのに歩いて行く、それを見て憐みの心を起すのが当り前でありませう。行く行かぬ、さういふことを論ずるのではないのであります。「仏恩のふかきことは懈慢辺地に往生し、疑城胎宮に往生するだにも」と、斯様に、仏の教へを奉じない人でも、助けてやらうと仏の力ははたらいて居るのだと親鸞聖人は言つて居られます。  宗教の味ひ  今までずつと述べて来た如く、宗教とは、何れの道から入つても、先づ内観が始りであります。その内観から次第に進んで道徳の心が起き、その道徳が更に進んで、そこに本当の宗教が起きて来るので、かくして宗教の境に行けば自分の智慧のはたらきも持たねば、自分のはからひも持たず、ただ誠に接した味ひが何時でも心の中に湧いて来るものだと思ふのであります。それが何故湧いて来るかはわからなくても、誠に接すれば必ず起る心持であると感ずることが出来る人こそ、真に宗教を味つてゐる人であると私は思ふのであります。  道徳と宗教  本篇は、昭和八年九月より翌年七月まで、東京婦人精神文化研究會に於いて、「倫理と宗教」と題して講話せられたるものの筆録に、先生自ら多少の修正を加へられたるものである。亦本篇の題號は、生前先生が本篇を再版に附すべく意図せられて、はじめの一、二頁に加筆せられた原稿が、先生御他界後御自宅から発見せられ、それに親ら「道徳と宗教」と改題せられてあつたので、すなはちそれによつたのである。  序言  「道徳と宗教」につきて数回に渉りてお話致すのでありますが、しかし、決してむつかしいことを説くのではありませぬ。宗教という心のはたらきをよく理解するために必要であることをお話致さうと思ふのであります。私は常に申すことでありますが、宗教の問題は自分の心で深く考へなければ、話を聞いても左ほど役にたたぬものであります。そこで今、私の申すことをお聞とりになつて、さうしてそれがわかつたと、かう考へられましても、それは宗教の上からは、何等意味のないものであります。私の申すことについて、何か御自身の考へが出て来なければ御自身のものとはならぬのであります。御自身のものとならなければ宗教としてのはたらきは少いのであります。それが学問の話であればわかればよいのであります。又それを覚えて居ればいつでも役にたつことでありませう。ところが、これから申しあげる宗教の心の問題は、全くそれとは違ふのであります。私の申す事柄によりて、何とか御自身のお考へが出るかどうかといふことが問題であります。かういふことを先づ御承知の上にて、これから私のお話いたすことをお聞き下さるやうにお願いたして置くのであります。  与へられたる生命  我々人間は申すまでもなく、身体と、さうして精神とを有して居るのであります。勿論身体と精神とは全く別別のものではありませぬが、説明の都合で一つに別けて申すのであります。その身体は、それを物として見たる場合には、自然の一部でありますから、犬や猫などの身体と同じものであります。これを分析して見れば、人間の体の中にある成分はみな動物の身体の中にあるのであります。しかし、その精神のはたらきを見ますと、大や猫などとは違つたはたらきをもつて居るといふことが明かであります。人間でも子供の時でありますと、犬や猫と同じやうに、ただ現在に生きて居るのであります。明日のことは少しも心配にはならない。明日食ふ米があるかないかも考へるには及ばぬ。ただ、その日の天気がよくて遊ぶのに都合がよければよいのであります。財寶も名誉も何もいらぬのであります。ただ現在樂しく生きて行けばよいのでありますから、生活を予定して食ふに困ぬやうに将来の計画を立てるやうなことはせずにすむのであります。しかし将来といつても、それは現在の生活の一部でありまして、これまでの過去から現在を経て将来に長くつづいて居るのであります。かやうに我々が与へられたる身体と精神とを以て長くつづきて生活するのが我々の生命であります。それは全く与へられたのであります。直接には父母から与へられたものでありますが、もとより父母のみから与へられたものではありませぬ。仏教では因縁が和合して物が出来ると説くのでありますが、我々に興へられたる生命もまたそれは多数の因と縁との和合によるものであります。さういふ因縁の一切を仮りに天と名づけるならば、我々の生命は天から与へられたものと申すべきであります。決して我々自身につくり上げたものでないといふことを深く考へねばなりませぬ。  生命の保存  さうして、我々が自身の人格をつくり上げて一人前の働きをして行くのは、全くこの生命のためであります。しかもそれは与へられたものでありますから、一たびこれを失へば再びこれを得ることは出来ませぬ。それ故にその生命をどこまでも大切に保存するといふことは我々人間の自然の義務の一とつであります。我々人間の義務としてどうしても、与へられたる生命といふものをどこまでも保つて行かねばならぬのであります。我々が自身の人格を完成して立派な人間になるといふことは社會のために我々が尽さねばならぬことであります。我々人間は社會をつくりて生存して居るのでありますから、その社會をつくる我々の人格といふものを立派にしなくてはならぬのであります。それは第一にその生命を大切に保存して行くことが人間の自然の義務の一とつであります。  生命の尊重  もとより、我々の生命は自分に与へられたるものでありますけれども、しかしながら、それは社會のためのものでありまして、自分一人のものではないのであります。若し我々が自分の生命を保存しないときには社會はなくなるのであるから、社會の一人として生活してゆく我々は、どこまでもその生命を大切に保存せねばならぬのであります。それ故に、我々人間は身体を十分に大切にして衛生を重んじてその生命を立派に且つ健全にどこまでも保存せねばならぬ自然の義務を有するのであります。時としてもつと大切なる場合にはそれを犠牲に供さねばならぬこともありますが、これは小さい我を殺して大なる我を生かすためであります。今頃世間で流行する自殺は固よりこの例ではありませぬ。自分の生命を断つといふことは、自分の生命を大切にせねばならぬ義務を考へぬのであります。自分の生命といふものは自分一人のものであるといふ間違つた考へに本づくものであります。前にも申したやうに、我々の生命は社會のものでありますから、自分のものとして自分の自由にすべきものではありませぬ。貧乏にせまつて食ふことが出来ない、悪るいことをしたと後悔をする、一切を清算するために自殺するといふのでありますけれども、それがただ死によりて清算することの出来るものではありませぬ。死ぬることによりて人間の義務を怠るといふ大なる罪を加ふるものであります。貧乏に苦しめられなやまされて、貴い生命をなくするといふのは、困難に堪へることの出来ない意志薄弱のものであります。生き一愧をさらすよりは死んだ方がよいと考へるのは、悪るいことはその儘にして置いて、ただ自分を逃避せしめやうとするのであります。とても駄目だから死ぬる方がよいといふものもありますが、駄目と考へたなら駄目でないやうに努力するのが人間の義務でありませう。兎も角、生命は尊重すべきものでありまして、自からそれを絶つといふことは、どの方面から考へまして大きなる間違であります。我々はどこまでも我々の生命を大切にして、さうしてそれを立派なものに仕上げなくてはならぬ義務を有するものであります。  倫理の心  我々の生命は与へられたるものでありまして、全然それを我々の自由にすることは出来ませぬけれども、勿論或程度までは自由になるのであります。それ故に我々は人間の義務として、その生命を尊重し、努力して立派なる人格をつくるやうにつとめなければならぬのであります。さうして、さういふことを目的として進むためには倫理と申す心のはたらきが必要であります。前に申したやうに、我々は自分の生命を尊重して人格を立派につくり上げる義務を有する者でありますが、その義務をつくすために我々の精神は正しい道を進んで行かねばならぬのであります。そこで我々の精神が事にふれ時に応じてどうとかせねばならぬときにあらはれるものが倫理のはたらきでありまして、それによりて我々の行為が指導せられるのであります。それ故に倫理といふものは我我の心の奥の方から出て来て、常に我々の心を導くのであります。何か事柄が起つてそれをどうにかしなければならぬといふときに、そこにあらはれて来るものであります。決して外からの指図や訓戒に応じて、これを実行するといふやうな意味の行為ではないのであります。我々の心の中から自ら涌いて出て、その心のはたらきによりて我々の行為が正しい方へと導かれて行く、それが倫理の心のはたらきであります。  道徳と規範  道徳と申すのは、かやうに倫理の心のはたらきによりて行はれる行為であります。我々人間の精神のはたらきによりて、倫理の心のあらはれる法則を考へ、その法則に従ふて行為を正して行くことも出来ないことではありませぬ。現に我々はそれを行ふて居るのでありまして、その法則をば規範として、それを守るべきことをつとめて居るのであります。しかしながら、それは人間の行為はかういふ風にせねばならぬといふことを前にきめて、その通ほりにしやうといふのでありますから、その心のはたらきといふものは全く機械的に努力するのであります。人間の道と申すものは理論的に立ててそれに從ふて行為を正しくせなければならぬといふのでありますから、それ故に機械的に努力しなければならぬのであります。さうして結局、理論と実際とが違つて来ることが多いのであります。道徳の規範と申すものはたとへば忠とか孝とかといふやうなものであります。人に対しては深切を尽さねばならぬ、社會のためには奉仕を致さねばならぬ、虚言をしてはならぬといふやうなことであります。規範といふものが前にありまして、我々はそれを実行しなければならぬのでありますから、それを実行するやうに努力を要するのであります。ところで実際、道徳の規範といふものと、我々が努力してやるところの行為といふものは違ふことが多いのであります。それを違はないやうにするといふことは、まことに困難であります。たとへば親に孝行をしなくてはならぬといふ規範はよく承知して居つても、孝行といふことはなかなか出来ないものであります。昔の孝行の人の話の中に、夏の日に蚊帳がなくて親が蚊にかまれるのを助けるために、酒をかつて来て自分の身体にぬつて蚊にかませたといふ話もありますが、それよりか酒を買取金で紙でなりとも蚊帳を造つた方が賢いやうに思はれます。しかしその心持から見れば、自分の身を殺して親を助けるのでありますから、それが孝行といはれることでありませう。兎も角も、道徳と申しましても倫理の心のはたらきに本づくものでありますから、我々の心が時と場合に応じて、自から、倫理の心のはたらきをあらはすものでなくてはなりませぬ。外の人がああしろ、かうしろ、といふのを聞いてそれを行ふといふことでは心と行とが一致せぬことが多いのであります。それ故に場合に応じて、自分の心の中に起きて来て、自分の心を創造して行く、それによりて萬事決断をして行くということでなくてはなりませぬ。我々はその生活の中に於て常に前例のないことに遇ふのでありまして、どんなことが起きて来るかわかりませぬ。その前例のない場合にどういふふうにすればよいかといふやうに心をむけてゆくことは、全く倫理と申すはたらきによるのであります。  倫理と宗教  しからば、どうしてさういふ倫理の心のはたらきが起きて来るかと申すと、それは全く我々の心の中に価値をつける心が起きて来るからであります。萬事に価値をつけて、善いものをとり、悪るいものをすて、自分の周囲の一切のものをつくつて行く心のはたらきが我々人間に元来備はつて居るのでありまして、それは外から心の内に這入るのではありませぬ。倫理の心のはたらきはかやうにして起るのであります。更にもう一層深く考へますと、かやうな倫理の心のはたらきを起す理由が無くてはならぬ筈であります。さうして、さういふやうに善いとか悪るいとかきめて行く心の奥に何か大なる力がなくてはならぬやうに考へられます。しかもそれは我々の自己意識の上にあらはれる心のはたらきを離れたものでありませう。宗教の心のはたらきはそれから始つてくるのであります。宗教といふものも倫理と同じやに我々の人格を完成するものでありますが、しかし、倫理とは違つた心のはたらきであります。そのことにつきてはこれからくはしくお話致すのでありますが、ここにざつとその差別の点を申せば、倫理といふものは我々の自己意識の上にあらはれるのでありまして、我々の念すべきことに、善いとか悪るいとかの価値をつけて、善いものを取り、悪るいものを捨てるやうにするのでありますが、これに反して、宗教の心のはたらきは全く自己意識を離れたもので、従つて善いとか悪るいとかの価値の判断をせずして、自からにしてあらはれるものであります。かやうに倫理と宗教とはそのはたらきが似たものでありまして、しかもそれが大いに相異して居るのであります。これからそのことにつきてくはしくお話致しませう。  恩  倫理といふことにつきまして、大体の説明は此位に致して置きまして、これから、一とつ一とつの事項につきて説明致しませう。その第一につくべきものは恩であります。恩といふのは我国の言葉にてはメグミであります。メグミといふのはメグムといふことでありまして、木が芽を生ずる、閉ざすことを指しているのであります。すべての樹木が天地のお陰によりて段々と成長して芽を生ずるやうに、我々が一切のものの助けによりて自分の生命を保存することが出来ることを知つたとき、その一切のものの助けをばメグミと感ずるのであります。しかし普通に恩といふものは非常に狭い意味で、自分のためにとて他の人が尽力して呉れることを指すのであります。他の人から愛せられて助けられることを恩といふのであります。支那の「菜根譚」と申す書物の中に次のやうなことが書いてあります。  「恩を施すものは、内に己を見ず、外に人を見ざれば、即ち斗粟も萬錦の恵に当るべし、物を利するものは、己の施を計りて人の報を責む、百鑑と雖も一文の功を成し難し」 なるほど真に恩を施すといふことは自分と他人とを区別した考へでは駄目であります。恩を施して置けば彼は必ずそれに酬いるであらうと考へてすることは、百鑑の金と雖も一文の価値もないものであります。又次のやうなことも書いてあります。  「怨は徳によりて彰はる、故に人をして我を徳とせしむるは、徳怨の二つながら忘るるに如かず、仇は恩によりて立つ、故に人をして恩を知らしむるは恩仇の?に涙ぶるに如かず」  仇敵の心はもと恩によりて起るものである。人を愛すると、その反対に憎しみがおきる。それ故に恩を知らしめるよりはむしろ愛憎のない方がよいとかういふのであります。かういふ意味でいふところの恩は昔から人の口にするところのものでありまして、自分のために誰かが善くしてくれたことを恩をうけるといひ、また自分が人のために善くするときは、恩を人にきせるといふのであります。何れも自分といふものを強く考へて、その自分のためにせられた他の人の行為を恩とするのであります。かういふ意味の恩は実に意味のせまいものであります。今申すところの恩はもつともつと意味の深いものでありまして、前に一寸申したやうに、自分の生命といふものが他のものによりて助けられた場合に、それを感じて恩とするのであります。勿論他の人が自分のために善くして呉れた場合なども恩には相違ないのでありますが、しかしながら、真に我々が恩といふものは自分の生命を保つために、それを助けて呉れるものの一切でなければなりません。ここに功利的を離れたる恩といふものが存するのであります。  仁  儒学の方に仁と申す説がありますが、貝原益軒の「大和俗訓」といふ書物の中に、仁につきて次のやうに説明してあります。  「天地は人の大父母なり、父母の気は即ち天地の気なり、人は天地の気より生まる、又生れて後は天地の養を受けて身を立つ、故に天地の恵は広大にして窮まりなし、何を以てか其恩をむくいんや、天地の御心に従ひて背かざる、これ天地に仕へ奉りて孝を尽し、その恩の萬一を報ずる道なり、天地の御心に從ふとは何ぞや、人たるものは天地の萬物を生み養ひたまふその御心をうけて心となす、是れ仁なり、仁とはあはれみの心なり、仁を失はざるは天地の心に從ふなり。仁を行ふの道如何、天地はその生めるところの人をあつく愛し、次に鳥獣以下の萬物を愛したまふ、その心に從ひて、人倫を厚く愛し、次に鳥獣以下の萬物を愛してそこなはざる、即ちこれなり、仁を行ふは天に仕へ奉りてその大恩の萬一をむくふ道なり」  まことに、我々がかうして生きて居るのは全く天地一切のものに助けられて居るためであります。与へられた身体と精神とは、その本は天地から生み出されたものと考へてよいことであります。我々を生み出した天地一切のものは我々を養つて成長させて居るのであります。かやうにして我々がその生命を保ちて居るそのことが、天地一切のものの恩でありませう。それを一方から言へば仁であり、又愛でもあるのであります。  愛  今お話致した仁とか愛とかといふものが、実際に最も力強く出て居るのは、親と子との間であります。「仏説孝子経」と申す書物の中に、  「親の子を生ずるや懷抱する十月、身重病を為す、生るるの日に臨みて母危く父怖る、其情言い難し、巳に生るるの後は燥けるに移し退りに臥す、精誠の至り、血化して乳となる、摩拭し、深浴し、衣食し、教詔し、師友に開始し、君長に奉貢す、子の顔和悦すれば親も亦欣像す、子設し惨成すれば親の心憔枯す、門を出づれば愛念し、入れば則ち之を心懐に有す、陽々としてその不善せむことを懼る」  かやうに親が子を愛し、子が親に依ることは、親が考へ出したのでもなければ、又子が考へ出したことでもありませぬ。天地一切の大きなる力が親と子との間にはたらくものであるとせねばなりませぬ。この大きなる力を仁とか愛とか或は恩と名づけるのであります。固よりこれは仁とか愛とか恩とかといふ名前が無い前から巳に存在するものでありまして、我々人間が造り出したものではありません。もともと子は親の身体から別れて来たものでありますから、一体同心でありまして、子のよろこびは同時に親のよろこびであります。子の悲しみは親にも悲しみであります。子のための怨みは親にも及怨みであります。子が失望すれば親も失望し、子がよろこべば親またよろこぶといふやうに、親の心と子の心とが同じやうになるのは自然であります。親子と言つても、それが仮に親と名づけられ子と名づけられる場合ではさういふ心はあらはれないのであります。さうして、かやうな愛は同じ親でも母と子との間に最も強くあらはれることは犬や猫などにありて明かに認められることでありまして、これを母性愛と名づけられるのであります。  自然の法則  生きた物の様子を見ますと、子どもといふものは、小さい時には一人で歩くことが出来ませぬ。考へることが出来ませぬ。どうしても大きな親の保護を受けねば生きて行くことが出来ないのであります。そこで小さい子は親に対して保護を要求するのであります。無論要求せねばならぬと考へて親に保護を要求するのではありませんが、自然の法則として子は親に対して保護を要求して居るのであります。それに対してあらはるるところの親の心がすなはち愛であります。それ故に、子供がだんだんと成長して自分ですべてのことが出来るやうになれば、親に保護を要求することが少くなりますから、従つて親の愛情はうすくなるのであります。小さい我子の病気などは親も自分の病のやうに強く心配するのでありますが、大きくなつた子の病気は左ほど心配にはならぬものであります。かういふ心のあらはれるのは、自然の法則としてもと一とつのものから別れて二つになつたのでありますから、それを包容しなければならぬためであります。これを大きく考へれば、宇宙はもと一から多があらはれたものでありますから、どうしても多くをばまとめて一とせねばならぬがためであります。むかしの心学の書物にはかういふことがよく説いてあります。  「惣体、世界はもと一体のものへよく萬殊と別れて用をなすでござります、又萬殊と別れてあるものゆへ、一体といふ事を知らにやならぬのじや、それをたとへていふて見ると、てうど、この身体のやうものじや、この身体ト元は一体のものなれど、頭は上にありて貴いもの、足は下に附く賤しいもの手にも自から左右のかはりがあつたり、身にも、腹じやの、脊じやの肩じやの、腰じやのといふ、それぞれの差別があるようなものじや、是を人倫の事にたとへていふて見ると、頭は自から上にあつて置いものゆへ、これまづ主人や親や夫や兄やのやうなの、又手足は自から下につくいやしいものゆへ、これは家来や子や女房や弟のやうなものじや、それで今日の五倫の交もでうど、このからだのはたらくとほりになけらねばならぬ、どなたもこの身体のはたらくことにヨウマア気をつけてごらうじ、何時でもこの手足を遣ふにはこの頭からさきへ動いて教へると、それから手足がそれへつれて次第にはたらくものじや、まづ朝起きるにでも頭が先によつと起き上ると、それから手足がおいおいについて起きるし、また夜寝るにでも頭がさきへふなりふなり仕出して、寝ようとなると、それから手足がたすけてつづいて自身達も銘々に寝るが、この寝た間も手は頭の大切なことは忘れはせぬと見へておりおり頭を見舞にゆき、撥たり、摩でたり、さすつたり、さまざまに介抱する、これが誠に孝子の親に仕ふる仕方といふものじや」  これは奥田頼杖といふ人の「心学道の話」に出て居るものでありますが、理窟はまさにその通ほりであります。我々人間の身体はもと一とつの卵から出来たもので、それが今のやうな身体の各部に別れたのでありますから、どうしてもそれをまとめて行かなければ生命を保つことが出来ませぬ。頭から足の先まで、身体のそれぞれの部分が、それぞれ与へられたる仕事をして居る。それがまとまりて身体の全部をまとめて居るのであります。かやうにまとめられて居ることを各々の部分が知つたとき、それがすなはち仁であり、愛であり、恩であるのであります。もと一体のものであるから、いかなるものをもこれを包容しなければならぬ、一切を摂取して捨てないといふところに、それを知る心がすなはち恩を感ずるのであります。  父母の恩  仏致の説では恩を四つにわけてこれを四恩として居るのであります。その第一は父母の恩であります。「本生心地観経」の中に、  「父母の恩、経に云く、父に慈恩あり、母に悲恩あり、蓋し父母長養の恩、広大にして比なし、若し男女ありて恩に背きて順ぜざれば、死して即ち地獄餓鬼畜生に堕つ、若し男女ありて父母に孝養し、承順して違うことなければ、常に諸天のために護念せられ、福樂尽くることなし、たとひよく一日三時自身の肉を割きて以て父母を養ふとも、尚ほ未だ一日の恩を報ずること能はざるなり」  と説明してあります。慈というのは人に樂しみを与ふることであります。悲といふのは人の苦しみを抜くことであります。父と母にはこの慈と悲との恩があるといふのでありますが、これは前に申したやうな狭い意味の恩の説明であります。固より父母がその子に対する慈悲は広大のものでありますが、それを、狭い意味の普通の恩と考へるときは、父母にも慈悲がないと思はれることもありませう。又時として父母の養育に預からないやうな場合もありますから、父母の恩は無いと考へらるることもあるでありませう。しかしながら、もつと深く考へて見ますと、我々が自分として最も貴重に感ずるところの生命は直接父母から与へられたものであります。我々はこの生命を保存するがために、社會の一員たることを得るのであります。自分にとつてこの貴重なる生命をば直接に父母から与へられたのでありますから、我々が今、生命を有して居るといふことがすなはち父母の恩であります。我々はこの父母の恩に報ゆるためには、与へられたる自己の生命をどこまでも尊重して、これを完全に成育せしめることを期すべきであります。  衆生の恩  四恩の第二のものは衆生の恩でありますが、「本生心地観経」には次のやうに説明してあります。  「衆生恩、経に曰く、即ち無始よりこのかた、一切の衆生、五道に輪転して、多生の中に於て、互に父母となる、互に父母たるを以ての故に、一切の男子はすなはち是れ慈父なり、一切の女人は即ち是れ悲母なり、この因縁を以て諸の衆生の類も亦大恩あり、なほ現在父母等の差別なきが如きなり」  衆生の恩といふのは、本来、一切生物の恩といふ意味でありますが、もつとその意味を広く見て、一切萬物の恩と考へることが至当であります。我々がかうして現に生きて居るのは、決して自分一人で生きて居るのではありませぬ。先づ自分が生きるためには、他の人も生きねばなりませぬ。世の中は多くの人々や多くの事物のために出来て居るのでありますから、その中から自分一人のみを離すことは出来ません。自分のためによいことは、又他の人のためにもよいことであります。一切のものが世の中に存在して居ればこそ、自分もその中に生命をつないで居ることが出来るのであります。さういふ風に考へるときに、一切萬物は皆自分を生かして呉れるために存在するものと考へられるのであります。宗教の心の上から見れば、我々は長い長い生活の間に、或は父となつたり、或は母となつたりしたのでありますから、それを広めて申せば、世の中の男子は皆父であり、世の中の女子は皆母であると考へることが出来ませう。  行基菩薩の歌と伝へられるものに、   やまどりのほろほろと鳴く声きけば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ  といふ有名な歌がありますが、まさにこの心持を詠まれたものでありませう。むかしある妙好人がある時女中が猫をひどく叱つたのを見て、「この猫も前の世の自分だつたかもしれぬのに、さう惨酷にするものではない」と申したといふことでありますが、此等はよく衆生の恩を辨へたものであります。  国家の恩  四恩の第三は国王の恩であります。これは今の人々の言葉になほしますると、国家の恩とすべきものでありませう。国家は人間の文化によりて造られたものでありまして、若し国家がなければ我々はその生命を安全に保つことは出来ぬでありませう。国家が治まつて、政治や法律や教育やその他文明の設備がなければ、我々の生命は覚束ないものであります。  「国王恩。経に云く、国王福徳最勝、人間に生ずと雖も、自在を得るが故に、その因界に於て、山河大地尽く国王に属し、一人の福徳、一切衆生の福に勝過す、又正法を以て世を治め、能く衆生をして悉皆安樂ならしむ、云々」  国家がありて正法を以て世を治めることが出来るために、我々はその国家の中にありて自己の生命を保つことを得るのでありますから、その恩はまことに広大であります。  「妙好人伝」に載せられたる人々の中に九兵衛といふ人がありました。この人がある時二、三人の友達と道をあるいて居つたときに、犬が喧嘩をしてかみ合つて居るのを見て、「さてもさてもありがたいことじや」と申しました。そこで友達が、「犬の喧嘩がどうして有難いのか」と尋ねますと、九兵衛の申しますには、「犬にはお殿様がないから、強いものが弱いものをいぢめるが、我々人間にはお殿様があつて、正しいことは正しいと言ひ張ることが出来るのは、まことにありがたいことじや」と答へたといふことであります。まことにこの九兵衛の如きは国家の恩をよく考へて居つたのでありませう。  また加賀の与市といふ妙好人が、ある時友達と牢屋の前を通つたとき、「かやうに悪るいものを集めて誠しめらるることは、まことに私一人への御意見のためであらう」と牢屋の前にひざまづいて、涙を流してお上の恩のありがたさを謝したといふことであります。  三寶の恩  四恩の第四は三寶の恩であります。「本生心地観経」に次のやうに説明してあります。   「三寶恩、三寶は即ち仏法僧なり、尊むべくべし。これを名づけて寶となす、経に云く、三寶衆生を利樂して休息あることなし、功徳寶山魏々として比なし、福徳甚だ深く、猶ほ大海の如し、智慧礙ふことなく、虚空に等し、一切の衆生、煩悩業障によりて苦海に沈淪し、生死窮まりなし、三寶世に出で、大船師となり、よく愛流を載せて彼岸に超昇す、故に恩報ひ難きなり」  仏というのは一切の仏陀であります、法といふのは仏陀が説くところの教法であります、僧といふのはその教法に遵ふて修業するものであります。これは固より普通の説明でありますが、広い意味にて考へれば、三寶といふのは、我々の周囲に存するところの真実を指していふべきであります。その真実が我々をして我々の生命を保たしめるものであると感知するとき、それを三寶の恩とすべきでありませう。  かやうに示されたる四恩の説は固より理窟であります。恩といふものの道理を理論的に説明したのであります。さうして、この道理が自から我々の心にあらはれて来たときに、すなはちそれが恩と感ぜられるのであります。しかしながら、そこに自己意識が強くあらはれて何事も自分勝手に考へるときでありますと、恩といふのは前にも申したやうに、他の人が自分のためにして呉れることをありがたく感ずる心持でありますから、たとへば父母の恩でも父母が可愛がつて呉れなければその恩はないやうに考へられます。すべてがさうでありまして、功利的に考へられたる恩はその意味の甚だ狭いものであります。普通に道徳と言はれるのはこの自己意識を本としてあらはれるのでありますから、恩といふことも功利的に考へられるのが常であります。無論、他の人が自分のために善くしてれたことは恩として感謝せねばならぬものでありますが、自己意識を離れて、自分の生命が与へられたものであるといふこと、さうして、それが不思議にも保存せられて居るといふこと、しかも一切のものが自分を生かすがために存在して居るものであるといふことなどを考へますと、自分がこの世界にありて常に受けて居るところの恩はそれよりも更に広大無辺のものであるといはねばなりませぬ。  恩の意義  通常我々が恩と申すことは、前にも言つたやうに、狭い意味でありまして、言はば小恩とすべきものでありませう。広い意味で恩と申すときには、それは我々が生きて行くために一切のものが我々に与へてくれる力を感じて起る心持でなくてはならぬのであります。しかるに、さういふことはおろそかになつていて、ただ他人が自分のためにしてくれるものを恩と申して、ほんとうに恩とせねばならぬことは恩とせぬのが常であります。キリスト教などでは、「我々人間は罪の子である、それに対して神の愛があらはれる、それを恩といふ。我々人間は何にも役に立つことはしない、神の思召に叶ふことはしない、その人間に無代償でたまはるのが恩である」と申すやうであります。それが果してどういふ意味であるか、深くは知りませんが、さういふ文面の上にあらはれたる恩はさう大きなものではありません。自分に都合のよいときは神の恵と申されますが、都合のわるいことまで神の恵であると感謝することは出来ません。我々の心持は何処までも自分勝手のものでありまして、都合のよいときは自分のやうな愚かなもの、罪の深いものにも拘らず神がいのちをたまはるといふことは難有いと申しても、さうでない場合も多いのであります。仏教ではキリスト教のやうな神は説かぬのでありまして、一切の衆生が悉く仏性を有するといふ考への教でありますから、神が恵むといふやうな考へのおこるわけはありませぬ。そこで仏教では恩といふことをわけまして、父母の恩、衆生の恩、国王の恩、三寶の恩として、これを四恩と申すことは前に申した通ほりであります。父母はこの私をこの世に出して下された直接の方でありますから、その恩は重大であります。次に我々は大勢の人と一緒に生きて居りますから、衆生の恩も重大であります。国がなくては我々はかうして生きられぬのであります。我々のやうなまことでないものが生きて行くには、まことのあるものがまもつて下さらねば、その助けを得なければ命をつづけることが出来ませぬから、三寶の恩も重大であります。かういふ風にして、父母、衆生、国王、三寶の四恩を考へて見ますると、勿論自分のためにしてくれられたものと考へることは出来るのでありますが、しかしながらさういふことは、自分の命を保つて育ててくれる力でありまして、それが自分にわかつたときに始めて恩と感ぜらるるものであります。ところが我々の生活は、自分にわかることは極く僅かでありまして、わからぬままに暮して居るのであります。さうして、わからぬところに恩がはたらいて居るのであります。自分のためにしてくれたと思ふのは極めてわづかでありまして、その他に、自分には自分のためと知らないで受けて居るものは実に澤山にあるのであります。今申した四恩は正にこの類に属するものであります。  不思議  我々がこの世界にこの体をもつてあらはれて来て、ともかく生きて行く、まことに不思議と申さねばなりませぬ。静かに考へて見ますと、我々の命は与へられたものであります。決して自分で作つたものではありませぬ。客観的にいふならば、世界の一切のものと共に、この世界をまとめて行くために我々はこの世界にあらはれたのであります。それ故に、私の命は決して私一人のものではありません。私のものでありながら、それはまた世間全体のものであります。そこでその命をつなぐために周囲のものもはたらいて居るのであります。たとへば空気や水や飲食物や汽車や電車や雨や風など、さういふことは時とすると、自分に都合のわるいやうでありますけれども、それは皆我々の命をつづけるために必要のものであります。一蓮院秀信師が香樹院講師の死なれる少し前にその病床を見舞はれたとき、香樹院師が一蓮院師に対して言はれた言葉に「誰にもたづねずにただ念仏申されよ」とありました。そこで一蓮院師が「さやうならば、ただ不思議にお任せして念仏申せばよろしうございますか」と申されると、香樹院師は「不思議と言へば今まで生き長らへたが不思議じやほどに」と申されたといふことであります。まことに我々は不思議な命をもつて不思議に長らへて居るのであります。決して自分一人の力にて生きて居るのではありません。我々が生きるためには空気がなくてはならぬのであります。水もなくてはならぬのであります。日光もなくてはならぬのであります。自分の著るもの、食べるの、住む家、いづれも皆私一人の命をたもつために世の中にあらはれて居ると考へねばなりませぬ。勿論他のものも、又他の人も、故らに私をたすけやうとして居るのではありませぬ。著物を作る人は、著物を作つてそれで自分が生活をしやうとして居るのであります。しかしながら我々はそのお陰にて著物を著ることが出来るのであります。呉服屋は自分の職業を一生懸命にして居るのでありますが、しかし、著る方から申せば、それは自分のために作つて貰つたと思はねばならぬのであります。かやうな次第でありますから、私が生きて居るといふそのことが不思議であると知られるとき、その不思議をば恩と感ぜざるを得ないのであります。雨が時々降る、それによりて一切のものが潤ふことは不思議であります。その不思議には意味があるに相異ありませぬ。もし雨が降らねば飲む水が無くなりて困るのであります。しかし、それが我々の都合のわるいときであればわるい雨が降ると申すのであります。雨のふるといふことはたしかに我々を生かして行くところの一とつのはたらきでありませう。かういふ不思議のはたらきをよく考へて見ますると、私は全くその不思議によりて、命を保つて居ることが明かに感ぜられるのであります。  報恩  世の中の有様を考へてみますると、森羅萬象、まことに種々様々でありますが、その奥に何か大なる力がはたらいて居るやうに思はれるのであります。一例を挙げて申せば、春になれば木が芽を出し、秋が来ればその葉が落ちるのであります。水は高いから低いところへと自から流れるのであります。煙は目から高く空中に昇るのであります。これ等の事柄を見ると、どうして此等の現象の奥に何か大なる力があつてはたらいて居るやうに考へられます。仏教ではそれを真如と申すのでありますが、真如はまことであります。我々人間の虚妄を離れたものであります。世間萬端の事物は皆このことの力によりてあらはれるものであると考へられるので、人間もそれによりて成長するのでありませう。親と子との間の愛情もこのまことのあらはれであります。研究して子供を可愛がるのでもなく、思慮分別して親が子を愛するのでもないのであります。そこにはまことが流れて居るのであると考へるのが一番たしかでありませう。この事実が我々の心の中に感じられたときに、それがすなはち恩と知られるのであります。我々は小さい恩のときにはよくお禮を言ふのでありますが、大きな恩のときには何とも言はぬのが常であります。それ故に我々が難有いといふから恩である、難有いと言はぬから恩でないとは決して申されぬのであります。今からざつと四十年前に東京に大きな地震がありましたが、そのとき、ある所に、或家の嫁さんが大変姑に孝行であるといふ評判でありました。あるとき、ある人がその嫁さんに向つてその心持をききますと、「姑は大変よい人でありますから、ほんとうのお母さんと思つて仕へて居ります」と答へました。そこでその人が、なるほど、さういふ心持でこそ、嫁さんが真の娘さんのやうに思はれるほど姑と嫁との仲が善いのであらうと大いに感心しました。そこで今度はその姑のほんとうの娘さんに向つて、「よそから来た嫁さんが深切なお母さんだといふお母さんをあたたはどう思はれるか」と聞きますと、「何ともない」と答へました。それから間もなく、地震がありました。親孝行のお嫁さんはお母さんと一緒に縫物をして居つたのでありますが、「ほんとうのお母さんのやうに思つて居ります」と言つた嫁さんは、自身が大切であるから一人で飛び出しました。「何とも思はぬ」といつた娘さんはその時、外で張物をして居たのに、「お母さんあぶない」といつて家の中に飛び込んでお母さんを助け出したのであります。これは親と子との間に流れて居るところのまことが自からあらはれたのであります。かういうことは勿論、人間の考へですることではないのであります。どうしても世の中にはまことと言はねばならぬ大きな力があつて、はたらいて居るものと考へねばならぬのであります。その力がはたらいて居ることに気がつけば、どうしてそれは難有いと感ぜねばならぬのであります。そこに報恩の心持がおきるのであります。与へられた肉体と、与へられた精神と、与へられた境遇とを以て、我々はこの世に生きて居るのであります。私共は何を好んで貧乏な境遇に生れたのではありませぬ。生れてみたら貧乏の境遇であつたのであります。ただ肉体と精神とのみでなく、著物も食物も住家も皆、与へられたものでありまして、それによつて命を繋いで居るのであります。それ故に、我々としてはその命を何処までも大切に保ち、それを立派に仕上げて命ぜられた義務を十分に尽すのが真正の意味の報恩でありませう。「論語」の中にも「身体髪膚これを父母にうく、あへて毀傷せざるは孝のはじめなり」とありまして、このからだは兩親から与へられたものでありますから、大切にして傷つけぬやうにしなければならぬ、それが孝の始であると説かれたのであります。むかし、大和の喜助が自身の兩足を父母と見て、滅多に夜行をせぬ。若し夜行するときには提灯を持つて父母に怪我をさせぬやうにすると言つたといふことは、正しく報恩の意味を十分に理解したものと申すべきであります。  感謝  明和の頃、ありがたやの吉兵衛といふ人が、頭を戸に打ちつけてありがたいといふ、何がありがたいかと聞くと、頭は打つたが腫れただけで、まだ命があつたからありがたいと申したといふことであります。文化年中にありがたやの与市兵衛といふ人が、人に遇ふと常にありがたいといふ、何がありがたいかといふと、「あなたも私もかういふ風に無事で対面をすることの出来るのはまことにありがたい」と答へたとのことであります。大和清九郎が盗人にあつてありがたいと言つたのは、如来の御慈悲で盗まれる方の役にまはされたからありがたい言つたのであると伝へられて居ります。言ふまでもなく、我々の心は機縁さへあれば、如何なることでも仕兼まじきものであります、それを如来のお慈悲でぬすまれる方の役にまはして貰つた恩を感じたのでありませう。「自分もひとのものをとつたことがある、又今から後もとりかねない、しかし作ら自分がひとのものをとつたら同行からはねられる、友達はなくなるしまことに不幸である。幸にしてぬすまれる方にまはしていただいたのはまことに難有いことである」と言つたといふことであります。かういふ清九郎の心持は正しく倫理を飛び超えて宗教の心持になつて居るのであります。倫理の場合には我があるので、ちやんと我があつて、それが自分のために都合のよいことを難有いと思ふのであります。ところが宗教の場合にはその我がないのであります。我を離れて自づからそこに出て来る心持が難有いといふ感じであります。区別はただ我と無我とでありますが、それが大問題であります。おれがおれがの心持は到底我々の心からはとれないのであります。そのおれががなくなるとそこに宗教の心があらはれるのであります。さうしておれがおれががあつて、そこでもつてやる行は倫理でありましても、それはいつまでも徹底しないのであります。多くの人々の説く道徳はこれでありまして、真の感謝の心はあらはれて来ないのであります。  恩愛  恩愛と申す言薬がありますが、これは仏教の方ではオンナイとよみまして、おもに家族のものに執著してゐる場合をいふのであります。或は親子であるとか、夫婦であるとかいふやうに肉親のものに執著してゆくこころを申すのであります。それが恩とまちがへられることがあるのであります。仏教のお経の中に「三界の中に流転し恩愛断つこと能はず、恩をすて無為に入る、それが真実に恩を報ずるものである」といふ意味の言葉がありますが、我々人間は三界に流転して恩愛を断つことが出来ない、恩を棄てて無為に入るのが真の恩を知るものであるといはれる、この恩といふのは恩愛を指しているのでありまして、これが普通には恩といふことと一緒になつて居るのであります。そこで我々が恩といふ場合は、他の人が何か自分のためにしてくれたことを考へる場合で、「御恩は忘れませぬ」といふその心持は畢竟、我々の貪る心持を滿足せしむるものに外ならぬのであります。我々の貪欲の心が滿足せしめられた場合それを恩といひ、自分に都合のよい、利益のあることをして呉れたと思ふときはそれを恩といふのでありますから、それはしばしば申すやうに小さい恩に外ならぬものであります。恩愛といふ場合には殊にこの貧欲の私情が強くあらはれるのであります。  摂取不捨  我々はどうしても皆と世の中の一切のものと、一緒に生きて行かねばならぬのであります。我々はもともと大きなものからわかれて出来たのでありますから、他のものと一緒にまとめられねば都合がわるいのであります。大きなものは、小さいものを摂取しなくてはならぬのでありまして、実際小なるものは大なるものに摂取されつつあるのであります。我々は、自分一人で何でも蚊でもやつて居るやうな高慢な心になつて居りますけれども、事実自分が単独でやつて居ることは一とつもないのでありまして、実際皆やらされて居るのであります。我々が何事かをすると申しましても、しかしながら、それはさうせねばならぬやうな具合になつたためにさうするのであります。それはどうしても、大きな力が我々を摂取するのであると考へねばならぬことで、それを仏教では仏として、この大なる力を表現して居るのであります。さうしてその仏のはたらいた場合、それを仏の本願と申すのであります。親鸞聖人の宗教に於きましては、特にそのはたらいた場合を我々と直接の関係として示されるのであります。一切衆生をたすけやうとする大きな力、それが仏の本願であります。一切のものを自分の中に取込まうとする力のはたらきであります。たとへば親がその子供に向つて親の名をよべと念願する、そこに親の本願があるのであります。小さい力が大きな力に摂取せられるのが自然でありまして、さういふ大なる力は我々の心の中にもあらはれるのであります。それを我々は、人を憐れむ心といひ、又同情する心とも申して居るのでありまして、要するにそれは全く一切のものを取込まうとする心であります。かやうに、我々は常に大きなものに摂取せられつつあるのであります。從つて我々も亦さういふ他の一切のものを摂取せねばならぬのであります。しかるにそれを忘れて一切のものを排斥するから問題が起るのであります。善いものも悪るいものも一切その大きなものに摂取せられつつあるのでありますから、そこで摂取せられる方からいへばそれは慈悲であると言はねばならぬのであります。たとへば家庭に悪るい子供が出来た場合に、親はそれを摂取しやうとして心配するので あります。さういふことはまことの心のはたらきで自然にあらはれるものであります。それ故に悪るいものは善いものよりも摂取することに多くの力を要するのであります。親が子供を愛する情はどの子供もおなじことであ りますけれども、悪るい子供にはどうしても余計にその力が加はるべき筈であります。我々が煩悩具足罪悪深重であるがために、それを摂取するために如来の力は強くはたらかねばなりませぬ。しかしながら我々としては、自分のわるいことはなるたけ少くして親の苦労を少くせねばならぬのであります。  愛せむとする心  釈尊が小さい時・ある春の日に、父の浄飯王が百姓の祭をせられたのを見に行かれた。釈尊と申してもまだその頃は悉達多太子でありますが、澤山の女中に守されて行つたのであります。お伴をして行つた女中は、春の野でありますから、景色のよいのに有頂天になつて悉達多太子の守を忘れて浮かれて居つたのであります。その間に悉達多太子は何心なく前の品を見られると、百姓のすいた鍋の間から小さい虫が出て来た、さうすると何かそれを見つけて鳥が飛んで来てそれを咬べていつたのであります。悉達多太子はそれを見られて強いものが弱いものをいぢめる生物の世の中の浅ましい相を感じられたということであります。これは勿論作りばなしでありませう。しかしながら釈尊が小さいときから極めて鋭敏であつたことがうかがはれるのであります。我々は自分が生きるためには生きたものを殺さねばならぬのであります。我々が食べるところの魚にしましても、米にしましても、大根にしましても皆生きて居るのであります。蚊や蚤もやはり生物でありますが、我々が生きるためにはこれを殺さねばならぬのであります。まことに自分が生きるためには他の生き物に対して無惨なことをするのであります。自分の命の大切である心持は魚もおなじことでありませう。命が大切だというあの心持は生きたものは皆おなじでありませう。然らば我々は同情してそれを食はずに居ればよいのでありますが、それでは自分の方が死なねばならぬのでありまして、そこに大きな矛盾があるのであります。自分が生きるためには、どうしても他の生きたものを殺さねばならぬのであります。かういふことのために人間の世界にも闘争がおきるのでありまして、弱いものが負かされて強いものが勝つのであります。人間が生きて行くためには、どの位血を流すかも知れぬのであります。この相を見れば誰にしましても苦しみはあるのであります。しかしながら、退いてよく考へてみますと、かやうな場合に我々が苦しみを感ずる心といふものは、その根本は一切を取り込まうとする心であります。すなはち一切を愛せんとする心であります。それは勿論人間が作つたのではないのでありまして、おのづからに涌いて出るのであります。それを儒教では前にも申したやうに仁と愛といふのであります。それ故によく考へてみますると、一応矛盾のやうではありますけれども、殺すものも殺されるものも大なる力の中に摂取されるのでありまして、そのために我々は生きて行くのであります。それが愛せんとする心でありまして、それは天地の大なる心であります。かやうにして宇宙一切のものの中にまことの心ははたらいて居るのであります。さうして一切の矛盾のままにそれは大なる力に摂収されるのであります。我々にはさういふ愛する心はあるのでありますけれども、その愛する心も、我があるときには外の方に出るのであります。人にものを遣る、果して深切かといふと、世話しておいて又世話にならうとか、助けておけば損はないといふやう不得手勝手な心持が多いのであります。愛する心ではありましても、我があると外にむくのであります。宗教と申します場合には何時でもその我がなくなるのでありまして、愛せんとする心が内に入るのであります。我の中に他の人を取り込むのであります。ほんとうの愛はとり込まれた人から申しますと都合のわるいこともあるのであります。たとへば子供が菓子を要求しましたときにおなかをこはすことを思つてやらぬ、それは摂取する力であります。その子供には菓子の貰へぬことは苦痛でありませう。しかしながら、この苦痛そのものが摂取されるのであります。それ故に、我々はどんなことでも忍從してゆくべきでありませう。言葉を換へて言へば、我々が生活して行く上に出遇ふところの一切の事柄につきて、それぞれその価値をよく認めて、すべてのものが自分のためにどういふ意味を持つて居るものであるかといふことを考ふべきであります。  慈悲  前に申しました通り、儒教の方で「仁」といふことは、人間全体を結合する愛の力を指して言ふのでありますから、ここに言ふ所の「愛せむとする力」の表現せるのに外ならぬのであります。支那の古い書物の「孔子家語」に「仁は人を愛するより大なるはなし」とありまして、儒教に於きましては、「仁」は萬善の元にして、その徳は極めて多いが、しかも人をめぐものが大善の道であるとするのであります。此の如く、一切のものを摂取して捨てない力はすなはち「愛せむとする力」でありまして、それを受けたのが「恩」と感ずるわけであります。この意味にて「仁」とか「愛」とかと申すものは仏教で「慈悲」と申すものと同じものであります。「涅経」等の書物によりて見ますると、「慈」は苦しみを拔く、「悲」は樂しみを与へることであります。書物によりましてはそれが反対の意味に説いてあるのもありますが、結局は同じことであります。人の苦しんで居る、その苦しみを拔きて、樂しみを与へるのを「慈悲」と申すのであります。「慈」は愛するの心でありまして、「悲」は憐れみいたむ心であります。さうして、仏教で「慈悲」と申します場合には、言ふまでもなく、物質的な助けよりももつと深いものでありまして、迷つて居るのを助けてほんとうの悟りを開かしめやうとするのが、真実の慈悲と申されるのであります。  慈善  今の世の中に「慈善」といふ言葉が言はれて居りますが、これは人になさけをかけてやるとか、人を憐みて物質的に救つてやるとかといふやうなことであります。たとへば貧乏人に金をやるとか、著物がないものに著物をやるとか、食物がないから食物をやるとか、さういふ類のことであります。かやうな人の不幸を悲しむ心は同情の心から湧き出るものでありまして、倫理上重要の利他心であります。同情と申しますのは、人の不幸なる心情に対して、それと同じやうな性質の感情をあらはすことであります。憐憫というのはこれに異なりて、人の感情と同一にあらはすのではないが、しかもその人の状況に対して好意を感ずるのであります。何れにして他の人の不幸を悲しむ心は同じでありまして、これは倫理の上に重要なる意味を有するものであります。倫理学ではこの心が人間にあるために人間に道徳があらはれると申して居るのであります。さうして、世に「慈善」と言はるるものはこの心を本として現はれるところの行為でありまして、これは全く倫理的のものに外ならぬのであります。  妄執の情  しかしながら、この「慈善」はよく考へてみますると、「我」があつておこるものでありますから、それはことに立派なものでありましても、深く考へてみますると、それは妄執を免るることの出来ないものであります。人の不幸を悲しみ、その幸福を喜ぶといふことはまことに結構ではありますけれども、それが妄執をとどむる因縁となることが多いのであります。禅宗の高僧の夢窓国師の「夢中問答」の中に、次のやうなことが書いてあります。  「昔、西行、江口といふ宿にてやどりをかりけるに主の君許さず、西行一首の哥をすさめり、世の中をいとふまでこそかたからめかりのやどりをおしむ君かな。家主これを聞きて、世をいとふ人としきけばかりの宿に心とむなと思ふばかりぞと詠じけり、つねざまになさけといへることは皆妄執をとどむる因縁なり」  人になさけをかけると申しまして、それは自分に都合のよいことを予期してするのでありますから、まことに夢窓国師が言はれるやうに皆これ妄執をとどむる因縁であります。  「されば人のなさけもなく、世の人の意に叶はぬことは出離生死の助けとなるべし」  かやうに夢窓国師が言はれるやうに、情もなく、世の人の意に叶はないことが生死を出離する助けとなるであらうと、かう考へることが宗教的でありませう。夢窓国師は又次のやうに説いて居られるのであります。  「昔、洛陽に外典の才学抜群の人ありき。其子の小童を膝もとにおきて文をならはしむ、我身の出仕するときは此小童の一身坐するやうなる構をして縄にて樂につりあげて文をあづけてよましめけり、その継母なりける人、この小童をあはれみて、父の他行しけるあとにはいだき下して暫時あそばしめて、父の帰り来るべき時節には本の如く坐せしむ、波の小童の心に父のいましめはうらめしく、継母のなさけのうれしき事限なし、成長の後日来の稽古によりて遂に家業を続けて辨官にめしつかはる其時幼少の時の心にはひきかへて、うらめしかりし父の誠は恩となり、うれしかりし継母の情は寃《あだ》となれりと語りける事を伝へ聞きし云々」  夢窓国師は右の話を挙げて、真実の慈悲は必ずしもその人に喜ばるるものでないことを示し、それからすべて凡夫の願ふことは輪廻の基であるから、その願をみつるを聖賢の慈悲とはいふことが出来ぬと説いて居られるのであります。まことにさうでありまして、我々のつとめて為すところの「慈善」は、右のやうな次第でいつでも妄執を離れることは困難であります。  四無量心  仏教では四無量心といふことが大切のものとして説かれて居ります。無量心とははかることの出来ない大なる心であります。  「四無量心は慈悲喜捨なり。通じて無量と名づくるは、菩薩利他の心広大なり、縁する所の衆生既に無量にして、能縁の心亦無量なるを謂ふなり。」  四無量心の第一は慈無量心、第二に悲無量心、第三は喜無量心、第四は捨無量心であります。その大体の意味を説明すれば次の通ほりであります。  第一の慈無量心と申すのは、その説明に  「慈を愛念と名づく。即ち与樂の心なり。謂く、菩薩一切衆生を愛念し、常に樂事を求め、彼の求むるに隨ひて之を饒益す。故に慈無量心と名づく。」  とありまして、愛念即ち樂しみを与へる心であります。一切衆生を愛念して、衆生の願ふことを与へやうといふのが慈無量心であります。  第二に慈無量心といふのは、あはれみいたむ心であります。  「悲を愍傷と名づく。即ち拔苦の心なり、謂く菩薩一切の衆生の種々の苦を受くるを愍念し、常に悲心を懐き、蚤救済抜、それをして得脱せしむ。故に悲無量心と名づく。」  第三は喜無量心であります。その意味は  「謂く、菩薩他の衆生が苦を離れ業を得るを慶し、其心悦予欣慶すること無量なり。故に喜無量心と名づく。」  第四は捨無量心であります。  「謂く、菩薩は所縁の衆生に於て、憎愛の心なし。之を名づけて捨となす。復た一切の衆生を念じ、同じく無憎無愛無瞋無恨怨無悩を得る。故に捨無量心と名づく。」  この四つの無量心は仏道を修むるために重要のものとされるのでありまして、釈尊も、これを修めなければならぬと申して居られるのであります。  三種縁慈  それから又、仏教では慈悲を三つにわけて説くのでありますが、それは三種縁慈と言はれるものであります。  「縁は即ち縁繋、慈は即ち愛念、蓋し言ふ、菩薩、常に大慈の心を以て一切の衆生を縁念し、それをして皆、安穩快樂を得せしむ。故に縁然と名づくるなり。」  三種縁慈の第一は有情縁慈であります。その意味は  「有情縁慈は亦、衆生縁慈と名づく。謂く、菩薩、平等智を以て、一切衆生を観ること猶は赤子の如く、大慈心を運して弘く之を濟ふ、それをして皆安樂を得せしむ。これを有情縁慈と名づく。」  これは親しきものに対して起す慈悲、又一切の衆生をば親しきものと同樣に見て起す慈悲であります。これは五蘊を縁とするもので、衆生の各個の姿を眼前に見て起す慈悲であります。それから第二の法縁慈といふのは  「謂く、菩薩、平等智を以て、一切の法を観る。皆、因縁和合よりして自性なし。自性なしと雖も能く大慈心を運して弘く之を済ふ。それをして皆、安樂を得せしむ。是を法縁慈と名づく。」  聖者が一異の相を滅して後に、衆生はこれ五蘊の仮の和合によりて生ぜるもので実体は無いものであるといふことを知りて起すところの慈悲であります。諸法の空なることを知らずして妄に欲念を起す衆生をあはれみて、意に随ひ樂を得せしむるをいふのであります。これは我法二空の理を体得せるものの起す慈悲であります。それから最後は無縁慈であります。  「謂く、菩薩、平等智を以て、心に一切衆生を挙縁することなく、しかも一切衆生に於て自然獲益するが故に輔行す。この慈悲を運し、法界に偏覆す。故に能く任運に苦を抜き、自然に樂を与ふ。これを無縁慈」名づく。 」  心想を滅して分別の考へをなすことなく、おのづからあらはれてくる慈悲であります。これは如来を縁とするものでありまして、諸法実相の理を知つた仏のみがおこす慈悲であります。はじめの体や法などの縁がなくておこすところの慈悲であります。この三つの中で、衆生縁慈は小慈であります。法縁慈は中慈、無縁慈は大慈であります。  平等大悲  諸仏の心は有為・無為に任せず、過去・現在・未来に依止せず、諸縁は不実なりと知るが故に心に所縁なく、従つてその心は平等の大慈悲であります。善不善に於て等しく慈悲を以て心行平等なること虚空の如し、丁度雨の降るやうなのであります。雨は何等の縁なくして降るのでありますが、それは花は紅、柳は翆《みどり》とこれを受けるのであります。又たとへば日が出て普ねく萬物を照すと同じやうであります。我々が人をあはれむといひましても、それは必ず目的があるのであります。縁があるのであります。ところが仏の慈悲は善も不善も問はず一切を平等にあはれみたまふのであります。日が萬物をてらすのと同様に仏の光明は、恭敬するものも、恭敬せざるものもすべてこれをあはれみたまふのであります。それ故に「観無量壽経」の中に、仏身を観るものは仏心を見る。仏心とは大慈悲これなり」とありまして、仏教で慈悲と申すのは、我々が普通に倫理の心として見るところの同情や憐憫以上にすすんだものであります。それは仏の不思議の智慧に伴なふてあらはれるところのものであるとするのであります。「世の中に憎しと思ふものぞなき罪あるものぞなほ不憫なれ」とい道歌がありますが、これは仏の大悲の心持をあらはしたものでありませう。大行寺信曉師の書かれた「山海里」と申す書物の中に、次のやうに書いてあります。  「我ともがら即ち其罪人なり、たとひ無間地獄の底に沈みたるときも弥陀大慈悲の外はあらじ、天地の外に足はふむとも仏恩をかうむらざらんや、しかるに飛ぶを射おとし、走るを逐ひつめ、穴にかくれたるを引き出し、巣にそだつを取りおろし、胎したるを生き乍らさきひらき、卵に宿る精霊を煮ころすのたぐひ、仏とは背中合せにて、大悲心をいたむるにあらずや」  まことに仏の大慈大悲はかやうに罪人をもその内に摂取しやうとする「愛せむとする力」でありますから、我々としては深くその恩を感ぜざるを得ないことであります。  聖道の慈悲  親鸞聖人の申された言葉が「歎異鈔」の中に載せてあるのを見ると、聖人は慈悲を聖道と浄土との二種に別けて居られたのであります。その言葉に  「慈悲に聖道浄土のかはりめあり。聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむなり」  とあります。これに拠りますと、聖道の慈悲といふのは一切の衆上をあはれみ、かなしみ、はぐくむことであると説いてあるのであります。ものをあはれむといふ意味は一切の衆生に樂しみを与へる心すなはち「慈」であります。樂しみと申すのは心の安樂をいふのでありまして、結局、たましひの安住を得せしめることをいふのであります。覚如上人の歌に「あはれみをものに施す心より外に仏の心やはある」とある心持であります。その次にはものを悲しむといふのは、衆生が苦しんでゐるのをあはれみ、衆生の悲しみを自分の悲しみとしてその苦しみを抜いてやることを申すのであります。それ故にこれは悲無量心であります。そこで衆生が樂しみを得るのを見て心底からよろこびの心をおこすことは、菩薩以上のものが一切の衆生に対しておこす心であります。我々人間の心持では、人の苦しみに同情することはさうむづかしいことではないにしても、他の人の喜びを見て衷心から共に喜ぶといふことはまことに困難であります。たとへば人が零落して苦しんで居るのを見て、それをあはれと思ひて助けてやらうと思ふ心は多くの人におこり易いのでありますが、知つた人が大変金もうけをしたとか、出世したとか、立派な著物を著て居るとかといふやうな場合には、衷心からそれをよろぶといふことは容易でないのであります。それから衆生を縁として或は憎いとか或は可愛いとかといふ心を捨てて、平等の慈悲に住するということは更に一層困難であります。しかし、それを能くして始めて人をはぐくむといふことが出来るのであります。はぐくむというのは人の精神を養み育てることでありますから、一切平等の慈悲の心がそとに出なければ駄目であります。前に申したやうに、世間で「慈善」と申しますと、貧しいものに著物や食物を与へるとか、或は金を与へることをいふのであります。さういう物質的に人を助けるのは、小惑でありまして、更に進みて精神を助け育てねばならぬのであります。普通の場合、倫理的の慈悲から宗教の慈悲にまで進みて、衆生の心をはぐくみてそれをして涅槃のさとりを開かしめるのが、すべての人をあはれみはぐくむ所以であります。これを聖道の慈悲と申すのであります。  難行  しかれども、聖道の慈悲は、親鸞聖人がその次に、「しかれどもおもふがごとくたすけとぐること、きはめてありがたし」と、言つて居られるやうに、さらいふ慈悲は極めてとげがたいのであります。古人の言葉に「身を殺して仁を為す」といふ言葉もありますが、自分を顧みず、他の人のために尽すといふことはまことに貴く美しいことであります。しかしながら実際これを行ふことは極めて困難であります。むかし平安朝のはじめ山に仁輝と申す僧侶がありましたが、この人は今申す意味の慈悲の心の強い人でありまして、蚊や蚤や虱などの食ふに任せて決してこれを殺さぬ、生きたものに対して深く慈悲の心をおこした人でありました。かういふ類の人は外に澤山あるのであります。それから少し後に春朝という法師がありましたが、この人は妙音声の持主で、慈悲深い人でありました。当時京都の監獄は東西に二つあつたのでありますが、その監獄を見まして、囚徒が苦しんで居ることを聴いて深く歎きまして、どうか罪人の苦しみを抜いて仏道の因を植ゑたいといふ念願をおこしまして、故意にある宮家の銀器一個を盗み、又わざと人の目につくところで賭博をやつてつかまへられて監獄に入りました。さうしてその美しい声で「法華経」を読誦したので、囚人が涙を流し合掌してよろこんだといふことであります。このやうにして春朝法師は七度を監獄に入つたといふことであります。これなどはまことに「身を殺して仁を為す」といふべきものでありませう。しかしまことに難行と言はねばならぬことであります。  慈悲を感ずる  我々も、人をあはれむといふことや、愛するといふことが、一通ほり出来ないことはありませぬけれども、それも、自分を立ててのはなしであります。自分を捨てて他人を救ふなどといふ心は容易に起らぬのであります。又慈悲をうける方から申しますれば、他の人が自分のためによくしてくれたといふことは感ずることが出来ても、必ずしもそれを喜ばないのであります。何か善いものを貰つた場合にありがたく思ふのは、それは自分のために都合がよいからであります。自分が自分の心に就てこれは悪るいということを知つたにしましても、他の人がこれを言つて呉れることは不快なものであります。自分のした行や自分の言つたことに就ては、自分より外で見たり聞いたりして居る人によしあしがよくわかるのでありますが、さてその人から彼此と言はれては気に入らぬのが我々の心の常であります。直言して呉れる人の心はまことに深切でありますが、その深切を深切と感ずることは容易でありません。支那の「史記」と申す書物の中に、貌言は花なり、至言は実なり、苦言は薬なり、甘言は病なり」とあります。言葉に飾りのあるのは言葉の花であり、つきつめて飾りもなく、誠を言ふは草木の実のるが如し、苦言は薬にして当座に耳にさからへども、後のために善きことである、甘き言葉は甘い食物の如く病を生ずるもので後のために善くないのであります。かういふ理窟は誰でも知つて居ることであります。しかしながらこれを実際に行ふことは決して容易でありませぬ。  諫言を聴く  むかし支那の堯は、諫めを欲するために液を置いて、我れ悪事をしたときにはその鼓を打つべし、意を得て直すべしと言つたといふことであります。舜は誹謗の木を立てこれを打ちて我が非を直すことをつとめ、殷の湯王は諫臣(過を司るもの)を置き、周の武王は?(ふりつつみ)を置きて諫言をなさしめたということであります。まことに結構な心がけであります。蓮如上人の言行を録したる「御一代記明書」と申す書物の中に、  「順誓申されしと、云々。常には、わが前にてはいはずして、かげに後言《うしろごと》いふとて、腹立することなり。われはさやうには存ぜず候。わが前にて、申にくくばかげにてなりとも、わがうしろ事を申されよ、聞て心中をなをすべきよし申され候。」  多くの人々は、自分の前では何も言はないで、かげで悪口を言ふといつて腹を立てるが、自分はさうは思はない、自分の前で言いにくかつたら、かげでなりとも言つて貰へば、それを聴いて自分の心をなほすぞと申されたといふのであります。まことに結構な心掛であります。ただしかういふやうに諫言を聴くといふ心は、悲しいかな、我々には起ることがないのであります。  我かしこ  悪口といひましても、何も形もないことをいうのではありませぬ。他の人の言つたことや行つたことを正直に批判して申せば、それは必ず悪口と言はれるのであります。あまりえらくもない人を利巧だと申せば虚偽でありまして悪口にはなりませぬ。しかしえらくないことを正直にえらくないと言へば悪口を言つたと言はれるのであります。何にしても人間といふものは我かしこといふ心を持つて居るのでありますから、正直に馬鹿と言はれては不快であります。露骨に言はれては困る、露骨に言ふて人の怒を買うことはつまらぬと何れも自分勝手のことのみを考へて居るのであります。香樹院師の言葉に、「皆人が我が身に尤をつけて地獄へ行く」とあるのはまことに至言であります。  身のひいき  盤珪禅師の「法語」の中に、一人の僧が生れつき短気であるから、それの直る法をお示しを願ひたいと申したのに対して  「そなたの短気といふは、六根の縁に対して、向ふのものに取りあひて、身のひいき故に、我おもわくを立たがつて、時々に我でかすことぢやわひの、身のひいきせず、向ふに取りあわず、我おもわく立てぬに、どこに短気が出くるものぞ、出来はしませぬわひの、すれば身のひいき故に、我手にまよふことじやわひの、是に限らず、一切の迷ひは皆身のひいき故に迷いますわひの、身のひいきせぬ迷ひは出来はしませぬわひの、云々」  と説いて居られるのでありますが、いかにも、さうであると思ふのであります。お互に、かういふ風の心を持つて居る人間でありますから、この心を以て人の心をはぐくむといふことは容易のことではありませぬ。聖道の慈悲といふものは人をあはれみ、かなしみ、はぐくむのでありますが、人をして腹を立てさせてまでその心をそだてて遣ることは致しませぬ。あたらぬ神に祟なし、要らざることを言ふて機嫌を損することは自分のために善くないからと身のひいきが先に立ちて、眼の前に人の悪を見ながらそれを看過するのが人々の心の常であります。  浄土の慈悲  これを要するに、聖道の慈悲は菩提心に生きぬくことによりて始めて出来るものでありませう。菩薩の心によりて実現せらるべきものでありませう。我々のやうな凡夫にありては、ただそれを理想として念願することの出来るもので「行は困難であるものとせねばなりませぬ。それ故に、我々は自身の心のありさまを顧みて、聖道の慈悲をさしおきて浮上の慈悲に生きねばならぬと、親鸞聖人は説かれるのであります。  「また浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもて、おもふがごとく、衆生を利益するをいふべきなり。今生に、いかにいとをし、不便とおもふとも、存知のごとく、たすけがたければ、この慈悲始終なし。しかれば、念仏まふすのみぞ、すゑとなりたる大慈悲心にてさふらうべきと云々。」  まことに自分の心の相をかへりみて、深く考へますると、我々の心の有様にては慈悲の心も、末とほらぬものであります。この世の凡夫風情にては、いかほど、いとしい、可哀相であると、情をかけて、かやうな慈悲の心は決して徹底するものではありませぬ。あはれむことも却つて妄執をとどむる因縁であると夢窓国師の申されたやうに、どうしても真実の慈悲を行ふことは出来ぬことであります。それ故に、我々は人をして、早く浄土に參りて、末とほる大慈悲の仏の心を頂くやうにせしむることが、真実の意味の慈悲であると親鸞聖人は説かれるのであります。  菩薩の行  親鸞聖人はかやうに、慈悲を聖道の慈悲と浄土の慈悲との二つにわけて、その聖道の慈悲は、ものをあはれみ、悲しみ、はぐくむことであると説明して居られるのであります。ものをあはれむと申しましても、かなしむと申しましても、我々の凡情では十分にその意味が徹底するやうにこれを行うことは出来ません。はぐくむことはもう一層むつかしいことであります。自分の心すらこれを養ひ育ててゆくことは困難であります。まして人の心をはぐくむといふことは容易でありませぬ。貧乏してあるものに金を遣つたり、苦しんでゐるものに同情することは出来ないことはないにしても、しかしながら身を殺して仁を為すといふやうなことは到底我々には不可能と考へねばならぬのであります。思ふやうに人をはぐくむことは出来ないことであります。又あはれむといふことも、悲しむといふことも、思ふやうには出来にくいことであると申されるのであります。さういふ意味の聖道の慈悲といふものは、菩提心をもつて生きて居るところの菩薩でなければ出来ることでないと言はねばなりませぬ。すべての人々の苦を拔き樂を与へ、その心持をば安樂な状態にしてやるといふことは、結局、その人の心に落著きを与へて遣ることでありますが、それは全く菩薩の行であります。苦を拔き樂を与へるといいましても、それは単に肉体の苦痛を除き安樂にしてやるといふ意味ではありませぬ。衆生の悲しみを自分の悲しみとしてその苦悩を除くのであります。「人の悲しみを悲しむことは凡夫と雖もこれを能くす、その喜びを喜ぶことは天使にあらざれば能はず」とありまして、本当に人の喜びを自分の喜びとして共に生きて行くことは我々には実に困難であるといふよりも不可能であります。もう一歩進んで、人々を縁として起るところの愛憎の念を一切捨てて平等に住することは、更に一層不可能のことであります。かやうな次第でありますから、聖道の慈悲を行うことの出来るものは菩薩でなければならぬのであります。菩薩と申すのは印度の言葉の菩提薩?の略でありまして、菩提心をおこして修行して仏になるものをいふのであります。さうして、その菩提心とはどういふものであるかといひますと、「上は正覚の智慧を求め、下は衆生を教化せんとする心」であります。かういふ菩提心に生きて居る菩薩のみが、実に能く聖道の慈悲をなし得るものであると言はるべきであります。  四弘誓願  更に菩提心の内容はいかなるものであるかと申すと、それは四弘誓願と言はれて居るのを見れば明瞭であります。弘誓願とは広大なる誓願といふ意味でありまして「弘は広なり。誓は制なり。菩薩広く誓願を発し、その心を制して、志求滿足するを謂ふ。」と註釈がしてあります。その第一の願は衆生無辺誓願度であります。  (一)衆生無辺誓願度「此れ苦諦の境に依りて誓道を発するなり、衆生無量皆生死を被むりて苦悩するを観て誓願を発してこれを度せむとす。」  衆生といふのははてしなく無数にこの世の中に居るものでありますが、これを済度しやうと誓願するのであります。一切の衆生を濟度するという意味は、畢竟するに、一切のものを自分の心の中に摂取しやうという心持でありますが、さうすれば一切の衆生の中にはわるいものが澤山居る筈でありますから、そのわるいものを一切消さねばならぬのであります。それ故に、一切の衆生を濟度しやうと誓願するには、多くの人々の罪を消すことをつとめねばならぬのであります。ところが、我々は人の罪を消すどころではなく、なるだけ多く人のわるいことを見つけるやうにとつとめて居るのであります。とても一切の人の罪を消してこれを摂取することは我々には容易でないのであります。  第二は煩悩無数誓願断であります。  (二)煩悩無数誓願断「此れ集諦の境に依りて誓を発するなり。菩薩煩悩惑業無量無辺三界に流転するを諦審し衆生をして悉くこれを断除せしめむとす。」  言ふまでもなく、我々の心のはたらきはいろいろにかはるもので所謂意馬心猿であります。さうしてそれは常に我々自身を苦しめるのであります。それ故にこれを煩悩といふのでありますが、その数限りない煩悩を断ずるといふことが菩薩の誓願の第二であります。これは固より我々には容易の業でないのであります。  第三は法門無量誓願知であります。  (三)法門無量誓願知「道諦の境に依りて誓を発するなり。菩薩一切の道法無窮無尽を諦審し、自から知り、又一切衆生をして証知せしめむとす。」  菩薩が道を修むるために知らねばならぬ法門は無量であります。自分でもこれを学び又人々をしてこれを知らしめることを誓願するのであります。  第四は仏道無上誓願成であります。  (四)仏道無上誓願成「此れ滅諦の境に依りて誓を発するなり。菩薩菩提の果の最勝なるを諦審し、自から成就し、又一切の衆生をして咸く皆成就せしめむとす。」  菩提の結果が最も勝れて居ることを明かにして、その無上の仏道を成就することを誓願するのであります。この四弘誓願の中、第一のものは他を利するの誓願でありまして、他の三つのものは自分を利すると共に他をも利するための誓願であります。その自利の誓願といふものも、それは他のものを利し、それを済度しやうとする誓願を成就せしめるためのものであります。かくの如く、自利利他の弘誓願の心に燃えて、勇猛に精進して仏果を得るのが菩薩であります。この菩薩にして始めて聖道の慈悲を徹底して行ふことが出来るのであります。  報恩の道  古い御経の中に、この類の慈悲の大行をしたといふ話が澤山に載つて居ります。大抵その筋道は同じことであります。その一とつの例として「大方便仏報恩経」に報恩の道として挙げられたものをお話致しませう。昔、無異如来といふ仏がこの世に出られたときに、一人の婆羅門子が居りました。この婆羅門子は、智慧がすぐれて五戒を堅固に保ち、その心が清浄でありました。あるとき、五百人ほどの人々と一緒に旅行をして日が暮れたのである家に泊りました。するとその処に五百人の賊が居て、かねて目をつけて人々を窺つて居つた。その賊の親方は誠の中の一人にいひつけて先発して様子を探らせて、その夜掠奪をしやうとした。ところがその賊の中に婆羅門子と知りあひのものが居て、そつと一人で尋ねて来てその賊将の計画を知らして呉れました。そこで婆羅門子は驚きと悲しみとで何ともいふことが出来ないほどでありました。しかし考へました。「若しこのことを五百人のものに話せば賊難は免れる。しかしながら自分にそれを教へてくれたその人は殺されるであらう。さうすると殺した者は皆地獄に墮ちねばならぬ。若し黙つて居れば賊は必ず五百人のものを殺すにきまつて居る、さうすると賊は地獄に堕ちて、無量の苦しみを受けねばならぬ。それもかはいさうだ。他に致し方がない、自身を捨てて衆生を救つてやらう、自分一人が地獄に堕ちることはなんでもないことであると考へて、刀を振つてその一人の賊を切り殺しました。それを見た人々は平常から智慧あり、徳の高い純善の婆羅門子がどうして人を殺したのかと驚きました。そこで婆羅門子が言ふのに、「ああ、わるいことをするのではなかつた。私は皆の人を救はうと思つて、ついわるいことをした」と申しました。五百人の人々は自分等の命を助けるために婆羅門子がその身を捨てたことを聞きて悲しみと喜びとこもごも至りて地に泣き伏して、禮を述べました「凡そ天下に命ほど大切な者のはない、しかるに今あなたは我々のために惜しき命を捨てて助けて下さつた。その重き御恩にはどうして報いませう、ただこれに報ずるの道は菩提の心を起すより外はない」と言つて、五百人の人々は仏道に精進しました。あとに殘つた一人の婆羅門子を囲みて「何故君は人殺しをしたか」と賊は尋ねました。婆羅門子はそれに答へて「このやうな人悪をしてならぬことは私も知つて居る、今は多くの人々を救ふために巳むを得ないのである。君達の身命を救はむがためにこの一人を殺したのである」といひました。賊は尚ほ「我々の仲間を殺して置いてそれが我々のためだというのは何故か」と尋ねました。さうすると、婆羅門子は「私は君達の此処に居ることを知つて居つたが誰にも言はなかつた。若し私が一言いへば君達の身命は巳にないものであつた」と申しました。それを聞いた賊は更生の恩を謝し、この御恩に報ゆるには如何してよいかを教へて下さいと言つた。それに対して婆羅門子は「一切の悪心を捨てて無上菩提を求めなさい、これが真の報恩の道である」と言つたといふことであります。  善御  ある時、五百人の商賣が相談して海に行つて寶を集めて金本うけをしやうということになつた。いよいよ船が海の中へ出たところが、その船に一人の悪徒が乗つて居た。この者は大変狂暴な男で、船に乗つて居る五百人のものを殺して寶を奪はうと計画してみたのである。平生から蛇蝎のやうに恐れられて居た男であつたので、五百人は非常に驚き恐れてものを言ふことすら出来なかつた。その中に善御といふ極めて慈悲深い人が居つた。鬼暴な悪徒が見付かつたので一同は振ひ上つて居る中で、うたた寝をして居た。ところがその夢の中に海の神があらはれていふには、この船に乗つて居る五百人の仲間の他に一人の悪るものが居て、そのものは一同を殺して寶を奪はうと計画して居る、お前、何とか善い方法を考へて、この悪人に殺生の罪を犯すことの出来ぬやうにしてやれ、又一方には五百人のものの命を助けてやれとあつた。目が醒めた善御はいろいろと考へたところ、どうも善い考へが出ない、致方がないから凶暴の男の命を此方から断つことにしやうか、しかしそれでは五百人のものが地獄に堕ちねばならぬ、私一人が地獄に堕つることは巳むを得ない、自分の手で狂暴の男を殺さうと、かう考へて悪るものを殺しました。これによりて狂暴の男も地獄に堕ちず、五百人の命も助かり、ただ自分一人が地獄におちるといふことになつたのであります。かういふ話はこの外にも澤山にありまして、大抵同じ筋道でありまして、身を殺して仁を成するのであります。此の如き聖道の慈悲はまことに貴むべきものでありまして、此の如き菩提心がありてこそ真実に聖者たることが出来るのであります。自から菩提心に生きて、さうして一切衆生の心に菩提心を呼び起さうとつとむることは、古来聖者のつとめられたることであります。しかし我々凡夫としては、此の如き菩提心に生きるといふことは不可能であるといはねばならぬのであります。  浄土の菩提心  此の如く、自己の内面を省みて、到底我々凡夫は、菩提心に生きて聖道の慈悲を施すことの出来ない心の相を見たときに、どうして我々の心は転換せざるを得ないのであります。そこで親鸞聖人は、聖道の菩提心より転じて浄土の菩提心を説いて居られるのであります。我々が若し我々の心は菩提心をおこして聖道の慈悲を行ふことの出来ないものであるといふことを徹底して考へるときに、我々の心はおのづから転換するのであります。さういふことをしなくてはならぬが、悲しい哉我々自分の心では到底出来ぬと徹底して考へたときには、自分の心のはたらきは全くなくなつたのであります。その時に我々の心の上に感ぜられる心をば、親鸞聖人は浄土の菩提心と言つて居られるのであります。それ故に親鸞聖人の考へから見れば、浄土の菩提心といふのは、仏の心が我我の心にあられたのを申すのであります。宇宙の中に一ぱいに真如がみちて居る、世の中の一切が真如から出て来たとかう考へられる。真如と申すのはまことといつて差支ないでありませう。この宇宙はまことにみちみちて居る、まことと申してもこのまことは平生我々がまことと言つて居るまこととは異ふのであります。平生我々がまことと申して居るのは偽りに対していふのでありますが、今いふことはさういふ人間の考へを全く無くしたことをいふのであります。宇宙はさういふまことにみちみちて居る、つまり宇宙はまことである、さうしてその中に我々が居りまして、皆自分の心で自分をつくつて居るのであります。けれども、そのもとを考へればまことであります。そのまことを自分で暗くして居るから、我々にはまことはないのであります。それ故に、我々が造つて居るところのものをやめれば、すぐにまことがあらはれるのであります。これを菩提心として言へば、世の中は菩提心がみちみちて居る。我々はその中に居りながら、菩提心を持たぬのは我々が勝手に菩提心を持たぬのであります。自分で造つた煩悩によりて菩提心を退けて居るのであります。それ故に、煩悩そのものに目をつけてそれが自分の造つたものであると気がつけば、我々は煩悩を持ちながら菩提心の中に生きて居るといふことが知られることでありませう。ここにその菩提心を自分の心の上に感ずることが出来るのであります。  他力  親鸞聖人は天親菩薩の「和讃」の中に次のやうに述べて居られるのであります。  「尽十方の無碍光仏 一心に帰命するをこそ  天親論主のみことには 願作仏心とのべたまへ  願作仏の心はこれ 衆生のこころなり  度衆生の心はこれ 利他真実の信心なり  信心はすなはち一心なり 一心すなはち金剛心  金剛心は菩提心 この心すなはち他力なり」  親鸞聖人は、天親菩薩が一心に帰命するのがすなはち願作仏心であると説かれたのを引いて、仏になることを願ふ心は衆生を済度しやうとする心である。衆生を済度しやうとする心は他を利せむとする真実の信心である。この信心がすなはち菩提心で、それは全く他力であるといはれるのであります。仏にならうとする心は現に我々が今、持つて居るのであります。現在にあるところのものであります。しかしながら、衆生を済度しやうとする心はこれを未来に待たねばならぬものでありませう。すなはち将来に有るべき心であります。その未来に対して浄土といふ名をつけて居られるのであります。そこで親鸞聖人は「浄土の慈悲といふは、ただ念仏して、急ぎ仏になりて大慈大悲の心もて思ふが如くに衆生を利益するをいふ」とかう明瞭に言つて居られるのであります。  勇猛精進  しかしながら単にこれを倫理的に考へる人に取りては、今日我々が現にこの世界に生きて居つて、一生懸命に努力して菩薩の行をすることは、貴いことであるとせられて居るのでありまして、出来ないまでも、これをつとめて一つでも二つでも成し遂げて段々と進んで行くことが大切なことであると、かういふ風に考へて居る人が多いのであります。しかるに、さういふ心を捨てて、浄土に往つて仏になつて人を救はうといふやうなことはまことに迂遠至極であるとかう考へられるでありませう。さういふ考へから致しますと、仏になりて衆生を利益するなどといふことは、畢竟、体裁よく現在から離れて夢のやうなことを説いて居ると言はれるかもしれせぬ。しかしながら、深く考へてみますと、さういふやうに道徳的に勇猛精進することが却つて迂遠でありまして、直ちにその目的を達することは容易でありませぬ。浄土の慈悲と申しても、決して夢のやうなことを説くのではありませぬ。聖道の慈悲は固より我々がおこさなくてはならぬ心でありますけれども、自分の心の弱いことをしりますと、その慈悲は思うが如くに我々には出来ないことでありませう。共存共樂と申して人々は相互に利害を分つて、共に作し共に栄えてゆかねばならぬといふ位の道理は誰でも知つて居ることでありませう。しかしながら実際はお互に自分のために都合のよいことだけ考へて、他はどうでもよいとしてある人の多い世の中でありますから、共存共栄はただ口に唱へるだけであります。出来ないまでも勇猛精進すれば善いと申しましても、それは親鸞聖人が申されるやうに「思ふが如くたすけとぐること極めてありがたし」であります。聖道の慈悲を施すべく勇猛精進することが善くないと言うのではありません。又それが出来ないと捨鉢になるのではありませぬ。それに対して偏に自分の力の弱いことを痛歎していそぎ仏にならねばならぬと考へねばなりませぬ。ここに倫理の心は一転して宗教の心に移るのであります。法然上人が専修念仏の夢を説かれたとき、菩提心を要せず、ただ仏の名を称へることによりて浄土に往生する、と言はれたのでありますが、それでも法然上人は菩提心は無用であると考へられたのではありませぬ。仏に成るには菩提心が必要だから、どうかして菩提心をおこさねばと努力して、さうして我々には菩提心が起らぬことがわかつたから、我々は菩提心を起すことを要せぬと言はれたのであります。それにこれは四十年の経驗によつて得られたる結果でありますが、しかしながら、それを聞くものは、法然上人のやうなえらい方が要らぬと言はれるからとて、始めからそれはいらぬといふのは大なる相異であります。法然上人が駄目だと言はれるからまして自分は駄目だといつて、勇猛精進をはじめから排斥することは法然上人や親鸞聖人の考へと相異したものでありませう。昔からえらい人々が聖道の慈悲を説いて居られるのを見ると、それは例へば、川の中に人が流れて苦しんで居るのを川の上の側から見て、早く岸の上へ上れと言ふのとおなじことで、流れて居る人には何の役にも立たぬことであります。努力して早く岸に上れと説かれることはまことに勇猛精進の必要を示されて居るのでありますが、川を流れて居る人のために、縁の遠いものであります。その意によつてその人は救はれることはないことでありませ。体驗することの出来ぬ空文によりて進むで行かうとすることは、要するに常に外面の賢普精進であります。  急ぎ仏になる  親鸞聖人が「念仏していそぎ仏になる」といはれる意味は、仏の心に絶対に信順してゆくことでありませう。他の言葉で申せば、如来の大慈大悲の心にいよいよ深く帰入することを申すのでありませう。現実の世界の上に強く無碍の光明を放つてはたらいて居られる仏の心に、自分が関係をつけてゆくことと申して差支ないのでありませう。又もつと実際的に申せば、我々は如来の心の中で生活をして居るものであることをよく知ることであると申すべきでありませう。我々は固より夢中で生活して居るのでありますが、よく考へてみると、自分の周囲には仏の心が満ちて居るやうであります。その仏の心の中に我々が生活して居るといふことがわかれば、それは念仏していそぎ仏になるという心持になるのでありませう。菩提心をおこして精進努力して仏の果を得るといふことは尊き仏の教でありますけれども、さういふことは自分の心の相を見ることの出来るものに取りては、ただ教のみであります。たとへて申せば、川の中に流れるものと同じやうに川の中に流れて、陸の上に助けて呉れるものがあると指し示すのが親鸞聖人の他力の道であります。上らうにも上られぬ自分を眺めて、陸の上に自分を助けてくれるのがあるのを見て、それに信順するといふ心持であります。「いそぎ念仏して仏になりて」といはれるのは正に岸の上にて流れるものを助けやうとする人の呼び声に応じたものであります。言葉をかへて、これを平易に申しますと、「我々は現に仏の心の中に生活してあるものであるといふことを知る」のが肝要でありまして、親鸞聖人が「念仏まうさんと思い立つ心の起るとき、摂取不捨の利益にあづけしめたまふ」と申される心も、正にこの点に存するものであらうと思はれるのであります。  一切を包容す  かやうにして、我々が仏の心の中に生活して居るものであることを知るとき、自分の周囲の一切の人や、一切の事柄が、皆私を生かすためにはたらいて居ると感ぜられるのであります。さうしてそこにあらはるるものは一切を包容する宗教の暖かき心であります。「慈悲」とか「仁」とか「愛」とかと申すことにつきては巳にいろいろ説明しましたやうに、それは我々を生かすためにはたらいてゐる力を指すのでありますから、若し、自分の周囲にあるものが仏の心でないと考へるときには、慈悲と申したところで、それは自分の勝手なことを考へるに過ぎぬのでありませう。人を助けるということでも、夢窓国師の言はれるやうに執著の因縁となることでありませう。かはいがるやうな風をしても自分に都合のいいことを考へるだけであります。ほんとうにかはいがることが出来ぬから、人の世話をしても世話甲斐がないなどといふやうなことをいはねばならぬのであります。自分の周囲は一切まことである、自分は仏の心の中で生活してゐる、自分の周囲の一切は自分を生かすためのものであると、さう考へることが出来ますと、世の中は実に恩恵の深いものとなりませう。病気をして苦しい、さういふ時に、仏の心の中で生きて居る自分に取りては、その病気にも意味がなくてはならぬと思はれるのであります。それは病気によりて養生することの大切に気をつけさせられるのでありませう。家族に病人がある。まことにこまる、それは自分勝手の心でありまして、家族の病人にもそれぞれ何等かの意味があることでありませう。さう考へることが宗教の心によりて始めてあらはれることであります。かういふ次第でありますから、念仏していそぎ仏になつてといふことは、今日の我々に取りて実に直接のものであります。聖道の慈悲こそこれに反して我々に取りては迂遠のものでありませう。  忠恕  仁とか愛とか慈悲とかと申す心に次ぎてお話いたすべきものは忠恕であります。忠というのは人に対して己の心を尽すのでありまして、恕といふのは己の心を推して人に及ぼすのであります。「論語」に子貢が孔子に向つて「一言にして身を終るまで行ふべきものありや」と尋ねたとき、孔子は「それ怨か、己の欲せざる所人に施すこと勿れ」と答へて居られるのであります。自分にいやなことは、人にもいやなことでありませうから、それをおしはかつて、自分の好まないことはこれを人に施してはいけないといふのであります。諺にも「我が身をつめつて人の痛さを知れ」といふことがあります。兎に角、自分に都合のよいことはひとの難儀もかまはないで自分の思ふことをやつてゆかうといふのが人間の常でありますから、恕といふことはなかなか行はれ難いことであります。自分の体さへ思ふやうにならないのでありますから、他の人が思ふやうにならぬのは無論のことでありますが、その人が思ふやうにならないと癇癪をおこすのであります。喧嘩をするのであります。さうして穏かならぬ世界をつくるのであります。もし互に己をおして人に及ぼすといふことであれば、向ふの身になつてよくよく考へて穏かに事はすむのでありませうが、さうすることをしない人が世の中に多いのであります。そこで騒がしいことになるのであります。  我身の吟味  我身を吟味して見れば、すまぬことばかり多くして、他の人を咎むる段か、閉口して居らねばならぬのでありますが、我々はそれをしないで、人を吟味するのであります。さうして手前のすまぬことを色々に弁解し、無理無体に道理をつけ、これほどのことは有り勝ちのことである。世間にはもつとひどいことをする人があると、勝手のよいことを考へ、人の事といふと、あれはいかぬ、これは不埒ぢやと、だまつては居られぬのであります。若し自分の不調法をゆるす心で、人の不調法をゆるし、人の悪事を咎むる心で自分の身を咎めると、よいのでありますが、さういかぬのが、人間の心の有様であります。ほんとうに自分を吟味することに致しますと、いそがしくて到底人の吟味をする暇はないのでありますが、我々はやはり彼此と人のわるいことを数へ上げることのみをつとめることが多いのであります。祖心尼の法語に「世界の人のわるいことを自分の苦しみにする」といふ言葉がありますが、いかにもさうでありませう。でありますから、孔子の言はれるやうに、我々が身の終るまで一生涯のつとめとしなければならぬことは、一言にして言へば怨であります。  前に申したやうに、仁とか、愛とか、又は慈悲とかといふものは、本当の意味から申せば、自からにして我々の心の上にあらはれて来るはたらきであります。ところが、ここに忠恕と言はるるものは、我々が努力して、人に対して真実の心を尽し、己れの心を推してこれを人に施すのでありますから、「己の欲せざるところはこれを人に施すこと勿れ」と言はれるのであります。さういふやうにつとめて行はねばならぬと命令せられるのであります。すなはち道徳の教に外ならぬものであります。宗教の心から見れば仁愛慈悲も、皆自からにしてそこにあらはれてくる筈のもので、親鸞聖人の言はれる浄土の慈悲であります。  空心尼  昔、京都の北野の髄念寺といふ寺に空心といふ尼さむが居りました。あるとき病気になつてだんだん容態がわるくなりました。その時看病をして居た若い尼さんに、「生薑《しようが》を下さい」と頼みました。さうするとその若い尼さんが生薑の皮を取らずにそのまま持つて来た。病気の尼さんは、それを見てにつこり笑つて、「橋の下橋の下」と独り言をいつて食べたといふことであります。これは昔の人のいましめに、人の看病をするといふことは菩薩に供養するやうな心持ですべきものである。又病人といふものは橋の下に居る乞食のつもりでなければならぬといふことがあつたのを空心尼が思ひ出して、心にかなはぬことも怒りうらむることはないとて「橋の下橋の下」と言つたのであります。若い尼さんは年が若くて経驗もない、思ひやりもないので、決して悪る気ではないのでありませうが、病人の気に入らぬことをしたのでありませう。年はゆかず、病人につかはれることはいやであらうと我身を推して見れば、格別咎むることはない筈であります。しかし、心のひがみたものはこの不自由なる病人にむごいことをすると腹を立てるのが常であります。この空心尼のやうに己を推して人に及ぼすことが出来ればまことに結構のことであります。  短を以て短を攻む  支那の明の萬暦の頃に出来た「菜根譚」と申す書物にはいろいろの教訓の言葉が挙げてありますが、その内に次のやうな言葉があります。  「人の短処は曲《ツブ》さに弥縫をなすことを要す。もし暴《アラ》はしてこれを揚ぐれば、これ短を以て短を攻むるなり。人の頑ある的は、善く化誨をなすことを要す。もし忿りてこれを疾《ニク》まば、これ頑を以て頑を濟すなり」(原漢文)  この言葉の意味は自分の長所は他人に自慢したがる、他人の短所は誹謗したいやうに思ふのが多くの人の常の心持であるが、これはよろしくない。人の短に対しては、丁度書物の綻びを縫ふやうな心持でこれを繕ふてやらねばならぬ。さうでなく、人の短慮を露はにさらけ出せば仕方がない。それは自分の短所をもつて他人の短所を責むるのであつて、甚だよろしくないことである。又他人がかたくなな心持で他人に対して反抗するやうなことをする時は、よくそれを教へてやらねばならぬ。もし腹を立てて頑固なことをする人を憎むときは、その頑固に対して自分の頑固をあらはし、自分の頑固で人の頑固をつくり上げるものであると説かれるのであります。  心の外  かくの如きはすべて道徳の教であります。「己の欲せざる所人に施すこと勿れ」と言はれるのも、我々が守らねばならぬ規範でありまして、それは我々の心の外にあるものであります。なるほど、してはならぬとわかつて居りましても、しかしそれを我々が行ふ場合になりますと、我々は実際その通ほりにすることは困難であります。そこで、我々に取りて問題となるのは「勿れ」といふことであります。我々は「勿れ」といふ教に対して、その通ほりに行ふことが出来ぬのであります。他人の短所は少しのことでも、これを針小棒大に言ひたいし、自分の悪るいところはいかに大きくてもこれをかくしてしまはふとするのであります。かういふやうに「我」の得手勝手の心が強いのでありますから「勿れ」といはれても、さうゆかないことが常であります。そこで我々はどうしても、倫理から宗教へと移らねばならぬのであります。倫理から宗教へと我々の心が転換しなければならぬのであります。  無我  宗教の世界と道徳の世界との相違は、前に申したやうに、「我」といふものがあるとないとの差異であります。我は愚かなるのであると知り、又我は悪るいものであるといふことをさとりて、その思惑から免かれて悪でないやうに、自分の心をすすめて行かうとする、その心持は倫理であります。かやうな心の起つたとき、その悪るいことをやめて自分をよくすることの出来ぬ自身をみつめたとき、「我」といふもののはたらきが無くなつたとき、そこにあらはれるのが宗教であります。宗教と道徳と二つのものが別々にあるのではないのでありまして、つまり道徳がその方向を転換して宗教になると申してもよいことであります。さうでなければ宗教は我々の生活の上には役に立たぬのであります。道徳と宗教とを別々に分けて、道徳から宗教へと移転するといふやうな意味ではありませぬ。我々にはいつも「我」といふものがあるのでありまして、それを宗教の言葉で自力の計らひと申すのでありますが、その自力のはからひがなくなるときの心が宗教であります。  我心に任せぬこと  蓮如上人の言葉が「御一代記聞書」に出て居りますが、それは次の通ほりであります。  「仏法には無我と仰られ候。われと思ふことは、いささかあるまじきことなり。われはおろしと思ふ人なし。これ聖人の御罰なりと御詞候。他力の御すすめにて候。ゆめゆめわれといふことは、あるまじく候。無我と云ふこと、前住上人も度々仰られ候」  これは我といふものの計らいをやめなければならぬことを示されたのであります。仏教では我といふものをやかましくいひまして、唯識の方でも、我見、我慢、我愛などといふことを説いてあります。「大乗起信論」などで申すのは哲学的に我のことを考へたときのことでありまして、我々の無明のはたらきによりて我といふ迷いの相が作られるのであると申すのであります。今ここに申すのはさういふ深い意味の我ではないのであります。かういふことは我に就ての説明、我につきての思考でありまして、実際にあらはれて居るところの我の相を見ることが宗教の上に重要なることであります。宗教で我といふのは、蓮如上人の「仏法は無我にて候云々」と言はれるやうに我のはからひを無くすることで、外の言葉にて申せば「我が心にまかせぬこと」それでよいのであります。それを無我といふのであります。「わが心にだまされるな」と言はれる。それを無我といふのであります。むつかしい理屈で我といふものを分析して説くのではないのであります。ただ「我と思ふこといささかもあるまじく、であります。さういふ意味に於て我がなくなつたとき、そこに宗教の心があらはれるのであります。  我慢  香樹院講師が申されたことに、このことをよく説明したものがあります。  「己が和らがぬ心より、言に顕はるるものは荒くなり、言が荒くなれば我が威勢を見せむとて慮外なることをも言ふものなり、夫を聞く人いかやうに言はれても心和げて堪忍すればよけれども、各々我情あるが故に、ただ言はせてはそれより是非の争が出来る、その争が起ると只向ふの道理を非におとし、我が無理を道理に言ひ立て負けぬやうにするが我が智慧なり、己が器量なりと思ひて、終には国法の難題にも及ぶやうになる、これみな我わるしといふ心なきより我慢が本となりて起るなり」  香樹院講師の言はれるやうに、我わるしといふ心がないから、我慢が本となりて是非の争が起るのであります。若しその我慢が無くなりて我というかたまつたものが消えて仕舞ひますと、すなはち我といふものの値打がなくなるのであります。それをその心にまかせぬことといふべきであります。さうすると我々は一切のものを自分の心にとり込むことが出来るのであります。一切を包容して捨てないやうになることが出来るのであります。かやうにして、そこに出て来る心持は自らにして忠恕であります。自からにしてすることが、人に対して己の真を尽すのであり、又己の欲せざることは人に施さぬやうになるのであります。それが宗教の心のはたらきであります。道徳ではどうしてもつとめねばなりません。つとめるのが固より当然でありますが、自分にはそれがつとめられないと真実に自分の相のわかつたときに、そこに宗教の心のはたらきがあらはれるのであります。人間はどうしても自分の心を自分でつとめてよくしてゆかねばなりませぬ。人間らしい生活をしなくてはなりませぬ。道徳は人間に大切のものであります。しかしながらその道徳といふものは実行されてはじめて値打のあるものであります。ただつとめなければならぬといふことを知つたのみでは実際に道徳の行為はあらはれないのであります。多くの人々が宗教をもとめながらしかも道徳から離れて居ないのは、かういふ我の心持が強くはたらいて居るからであります。それ故に、つとめて道徳の規範を守らうと心がけて、しかもつとめられぬといふ自分の浅間しい相がわかつたとき、我が心にまかせぬといふ無我のありさまとなりて始めて宗教の心持がおきるのであります。宗教の心がひらけたときに、その為すことは自からにして忠恕であります。我慢を離れて穏かな心からして人のために己の真を尽し、又己を推して人に及ぼすと言ふやうな心が湧いて出るのであります。それによりて我我の心持が導かれるのであります。これを要するに、道徳はそれを使つて我々の心を導かうとするのでありますが、宗教はそれに動かされて知らず知らずに導かれてゆくのであります。他力とか仏の本願とか申さるる意味は全くここにあるのであります。  餅屋市五郎  むかし、播州の赤穂郡相生浦に餅屋の市五郎といふ専修念仏の行者が居りました。この人の伝記が「妙好人伝」に出て居るのでありますが、それによりて見ますると、この市五郎の女房は極めて邪見の人で評判の善くない人でありました。それを市五郎は非常に不憫に思つて、美食が他から到来したときには一番先きに女房にやる、仕事でも力を要することや骨の折れることは大抵自分が手代りして女房に骨を折らさぬやうにつとめました。ある人が市五郎に向つて、どういふわけでお前はさういふことをするかとたづねましたところが、市五郎のいふには、彼に後生の一大事を度々すすめ誘ふけれども、無宿善のものと見えて、自分のいふことを少しも聞かぬ、それが不便であるからせめてこの世でなりとも樂をさせてやりたいと思つて、さういふやうにするのであるといふ意味のことを申しました。流石邪見の女房も、夫の深切に感心してそれから御法義をよろこぶやうになり、後には夫婦諸共に御法義をよろこんで死んだということであります。この話には我々をして大いに考へさせるものがあります。まことに人の心をおしはかるといふことは容易ならぬことであります。又自分の心をおして人の心の方にもつてゆくことも容易なことでありませぬ。前にも申したやうに恕といふのは己をおして人に及ぼすことでありますが、体もちがひ心もちがふ人々が世の中に生きて居るのでありますから、自分もかうであるから、人もかうであらうと、自分をおして人に及ぼすことが正しく出来ることはないのであります。市五郎の心持のやうに全く我のはからいを捨てて、我慢のない態度で女房に接したる心は、まさに恕の意味を十分にあらはしてゐるのであります。自分の相を明かに見て居る市五郎にはその女房の良くない仕打が咎められまして、ただあはれと思はれるのであります。それも普通に申す慈悲をたれる意味ではなく、ほんとうに自分をおして人に及ぼして居るのであります。  卯右衛門  播州の太田村の卵右衛門といふ人も亦専修念仏の行者でありました。ある年の夏、田の草をとつて自分の家に帰つて土足のまま縁に腰かけて晝飯をたべて居りました、そのとき女房の前垂れをうつかり自分のお尻の下にしいて座つたのであります。女房がその前垂を探し廻つて、卵右衛門の尻の下にあるのを見て、怒つてその前垂を拔き取り、それでもつて卵右衛門の頭を打つた、非常に勇敢な女房だつたのでありませう。卯右衛門はそれに対して何の不足もいはぬ。どうするかといふと、御内仏に燈明をあげて「女房にすら前垂で頭を打たれるやうな私を如来樣なればこそ可愛がつて下される」と感涙にむせんで念仏を申したといふのであります。それを見て、女房ひどく感激してそれから共々に念仏を申すやうになつたと伝へられて居るのであります。腹を立てて人に向つたよりもつよい力を人に与へて居るのであります。倫理の力より宗教の力の方がずつと強いものであるといふことを思はずには居られませぬ。又あるとき、馬方にだまされて雪の夜をその軒下に深更まで御恩を喜び、更に馬方を恨みに思はなかつたといふ話があります。ここに宗教の心にて恕するという意味がよくあらはれて居るのであります。普通ならば恕するといふ場合でも、まづ馬方の心持を考へ、彼れは自分をだました、しかし腹を立ててはならぬ、腹を立てれば自分もわるくなるからと考へてその罪を恕するのであります。この卵右衞門の場合は、ただ自分の浅ましい相を考へて、御恩を喜むで居るのであります。それ故に、馬方の罪などは考へて居ない、その罪を恕するといふことでなく却つて自分の罪に泣く心を以て、馬方の恩に感じて居るのであります。さうしてその外にあらはれたる形は馬方の罪を恕するのであります。  卯右衛門が又、その嫁に怪我をさせられた話があります。その時卯右衛門は少しも怒らないで、「あのやうな心得違ひのものを貰うたは其力の不仕合せ、己れが宿業の作すところなれば何事も業感と諦らめよ」といひて、すべては約束事として居るのであります。それ故に、すこしも嫁の罪を咎むることはしないのであります。業といふ言葉は、仏教ではしきりに使ふのでありますが、それは自分の罪をそれに譲らうとする場合に使つて居るのが常であります。宿業と申しますのも、運命と申すものと略ぼ同樣の意味に使はれて、それはもと自分で作つたものにしたところが、自分から離れて別に業といふものがありて、それに從はねばならぬやうに考へられて居るのが常であります。釈尊のいはれた業の意味をほんとうに解釈すればそれは全く無我に帰著するのであります。釈尊の業といはれるのは、自分の身と口と意との三つのはたらきがどこまで我を続けてゆくことを指すのでありますから、自分のことは自分にその責任を負はねばならぬことを示すものであります。現在の我は過去の我の業を相続して居るのであります。業といふ考へはそれ故に我々が自分の心の浅間しい相を見つめたときに起る考へであります。卵右衛門がいつた前世の約束ごととか、業感とかといふのは、ちよつと考へると、どうも業だから仕方がないと、業に責任を負はして自分はそれから免かれうとするやうに聞えるのであります。しかしながら卵右衛門のは決してさうではなく、強く自身の責任を感じた状態であります。それはその挙動でよくわかるのであります。何事も業感とあきらめよと言ひなだめて、卯右衛門は御内仏へ燈明をあげて、血をふきながら、「さてもさても地獄一定の愚痴のおやぢめが浅間敷心より嫁を叱りしゆへ、嫁が腹を立てました。これ全く私があしき故なり、お許し下され」といひて、称名したのであります。卵右衛門はかやうにして自己の業感を思ひ、仏に向ひてその罪を謝して居るところは全く我のはからひをやめて居るのであります。その相は誰人にもわかるところの無我の状態であります。自分のやうな地獄一定のものが嫁に腹を立てさせたと、自分がわるかつたことを懺悔して嫁の罪は少しも心にかけぬのであります。宗教の心持でいふ恕はこれでありませう。道徳の心持によりて自分のいやなことは他人にもいやであらうとおしはかることは、無論我々のつとめるべきでありますが、それをつとめるのはつとめて努力することを要するのであります。しかしながらそれは間際、我々の心を以ては徹底しないことはすぐわかるのでありますから、どうしても道徳の世界から宗教の世界に移らねばならぬのであります。わが心にまかせず、我がはからひを止めて、一切のものを包容して行く心になればどんな場合にもその行は忠恕であります。  他律道徳  かやうに、人をあはれむとか、いつくしむとか、はぐくむとか、或は人に対して誠をつくすとか、思ひやりをするとかしなくてはならぬといふことは倫理的の規範であります。規範とは標準であります。さうせねばならぬ筈であり、又さうすべきものとせられるものであります。しかし、我々はさうせねばならぬ、さうすべきものであるといふことはよく知つて居ても、それが自分を滿足せしむることでなければその通ほりには実行しないのであります。その規範にそむくことが多いのであります。そこで罪悪といふ概念が出てくるのであります。せねばならぬことをしない、してわるいことをする。倫理の規範にそむくことが多い。それを倫理的に罪悪とするのであります。この罪悪を抽象して、すべての人々が罪悪と考へて居ることをまとめて、これを一とつの規則として社會を維持して行く上にすべての人々をしてこれを遵守せしめやうとするのが他律の道徳であります。法律といふものは全くこの他律道徳に本づくものでありまして、国家の力を以てそれを実行しやうとして法律が出てくるのであります。それ故に道徳も法律も結局おなじことであります。  罪悪  そこで罪悪といふことが問題となるのであります。それを深く考へなくてはならぬのであります。元来我々人間の精神のはたらきを考へて見ると、我々は何か物事を希望して、それが自分の目的通ほりになつた場合にはよかつたといひ、目的通ほりにならなかつたときにはわるかつたといふのであります。たとへば菓子が食ひたいと思ふ、人の物を盗まうと思ふ、目的がかなふたときにはそれを善いとする。若しさうでないときは悪るいとするのであります。我々人間の心といふのは、さういふ風に、いつでも自分を満足せしむるやうにつとめて居るのであります。自分に都合の善いことを主とするのであります。ところで自分を滿足さすといふのは、言ふまでもなく我慢の自分を中心にしてあらはれるものでありますから、それはいつでも得手勝手のものであります。赤ん坊が自分のほしいものは何でも彼でも、眼の前にあるものを取る、たべたいときにはたべる、投げたいものは投げる、割きたければ割く、睡たいときは眠る、とかういふ風に、ただ自分の目的の通ほりにする。それによりて自己満足が出来れば喜ぶ、さうでないときは腹を立てるのであります。しかるに、赤ん坊がたとひ他の人のものを取つてもこれを泥棒とはいはぬのであります。ものを投げて叱られ、無邪気であるとしてそれを咎めぬのであります。これはそのすることそのことには善悪の価値がないからであります。ところが赤坊が段々と成長して、自分と他人との区別が出来るやうになり、それが相互に集團して生活をする場合に至りますと、銘々の勝手の行為はすなはちその社會生活を妨ぐるものでありますから、自分としても自分勝手のことのみをせぬことが結局自分のためであるといふやうなことに気がついて、無暗に自己滿足を望むことはせぬやうになるのであります。赤坊は固より何もわらぬのでありますから、倫理的の規範を犯しても、それを何とも思ふものではありませぬ。他からもそれを罪悪とはせぬのであります。しかし、年齢が長じて、他律道徳を知り、法律を携へてから後に、さういふことをすればそれが乱暴とか窃盗かとして問題になるのであります。さうしてさういふ罪悪の行為をする人を指して悪人といふのであります。  善と悪  しかしながら、我々人間の社會といふものは複雑のものでありまして、今申した、善いとか、悪るいとかといふことも、考へれば考へるほど解決の困難なる問題であります。たとへば学問をするのは、真実を探るのでありまして、探究したる真理は実行することをつとめねばならぬのであります。しかしながら、社會には一定の秩序がありましてそれで公安を保つのでありますから、いかに真理に一致するからといつても、何でも蚊でもすぐにこれを実行して、秩序をやぶり公安を害しても差支がないとはせられませぬ。実際にはどの程度まで真理に忠実であるべきか、どの程度まで社會の秩序を保つべきか、それを解決せねばなりません。財産にしてもさうであります。自分が所有する財産だからといつて、それを自分勝手に使用して善いものであるか、若し自由勝手に使用するものとすれば富者はますます富み、貧者はますます貧で、社會の安寧は害せられるのであります。そこでどの国にでもそれが全然自由に出来ないやうな制度があります。たとへば財産を澤山持つてある人から税金をよけいに取る、貧しきものには税金を減ずるといふやうにするのであります。これは明かに国家が財産の自由に干渉するのであります。その他、何事でも皆かういふ風であります。それ故に複雑な事柄になりますとどう解決してよいかわからぬことがあるのであります。  倫理的批判  そこで我々人間の世の中にては理想と実際との二つにつきてよく考へねばなりませぬ。又自己のためと一般のためとにつきてもよく考へねばならぬのであります。さうして実際と理想と、自分のためと社會のためといふことにつきて深く考へて、一定の標準をもうけてこれを行ふことにせねばならぬのでありますから、どうしても、倫理的に批判を必要とすることになるのであります。世の中には固より親に孝行をして居るものもありますが、しかし孝行せぬものもあります。博愛慈善の行をする人もありますが、それに反した行をする人もあります。正しいことをいふ人もありますが、常に正しくないことを言ふ人もあります。そこで親には孝行せねばならぬ、人には慈悲を施さねばならぬ、うそを言つてはならぬといふやうな規範を立ててこれを遵守せしめるやうにせねばなりませぬ。人々は自分の希望に任せて自分の滿足を得るやうにとつとめるものでありますから、それを放置すると社會の秩序安寧が害せられることは明かであります。社會は人々が集つて居るところでありますから、人々の目的は皆一とつにはたらいてゐなくてはならぬのであります。そこでその全体の目的のためには自分一個に都合のわるいこともありませうけれども、さういふところを抑へつけて全体のためにするのが、人々のためであり、又結局は自分のためであります。  善悪の価値  かやうにして、我々は倫理的の規範を立てることにつきて、我々の言ふことや行ふことに、一々倫理上の価値をつけねばならぬことになつて来るのであります。倫理上の価値といふのはそれが善いか悪るいかといふことを定めるのであります。かういふことは言つて善いとか、悪るいとか、又属して善いとか悪るいとかといふやうに、一々それを定めて行くのであります。かやうに、善悪の二つに別けて、一々物事にその価値をつけて行くにしましても、我々の元来の精神のはたらきでは、前に申したやうに、自分の満足の得られることは善い、これに反して自分の滿足の得られないことは悪るいと、かう定めるのでありまして、これは道徳ではないのであります。それではいかぬからその価値をつけるのに倫理上からするのであります。すなはち、社會全体から見てさういふことが善いか、悪るいかを決めるのであります。生れつき持つて居る我々の心のはたらきで、都合のよいことは善い、都合の悪るいことは悪るいと、決めるのではありませぬ。さうしてさういふ標準を前に置いて、それに背くときは罪悪であるとせられるのであります。固より道徳の世界でいふところの罪悪であります。  五悪  「大無量壽経」に五悪が挙げてあります。このお経に釈尊が阿難といふ者に向つて説かれたことを主として書かれたものでありますが、その大要は心が?劣《るいれつ》で修行して仏になることの出来ないものは、さういふ力の弱いものを助けるために法蔵菩薩が修行して、その修行が成就して阿弥陀仏となつて現に淨土で説法して居られるから、それにしたがつて念仏して阿弥陀仏の国に往生するがよいといふ意味を説かれて居るのであります。それから、阿難に向つての説法がすむだ後に、弥勒菩薩に向いて説かれたのでありますが、それには我々人間の世の中の浅間しい状態を述しく説いてありますが、次に五悪といふことが説かれてあるのであります。阿難といふ釈尊の從弟で、始終釈尊に随從して居りまして、説教を一番多くきいた人と言はれるのであります。その阿難に向いて、阿弥陀仏の本願に従つて仏の国に往生するがよいと説かれた、それがすんで後に、人間の浅間しい生活の状態を説き、又次で人間の罪悪のことが挙げてあるのであります。これによりて宗教は内省からおきるといふことがよく示されて居るといふことが知られるのであります。その五悪といふのは大体次の通ほりであります。  一の悪  「仏のたまはく、其の一の悪といふは、諸天人民蠕動の類、衆悪をなさんと欲す。みな然らざるはなし。強きものは弱きを伏し、転た相尅賊し、殘害殺戮して迭に相呑曝す。善を修することを知らず。悪逆無道にして、後に、殃罰を受く云々」  諸天から人間虫けらに至るまですべて生きて居るものは皆悪るいことをする。強いものは弱いものをいぢめる。お互に喧嘩し、お互に傷つけあうて、お互にのみ合ふ。さうしてよいことをすることを知らない。悪逆無道である。生きたものはすべて仁慈の心に背くといふことを説かれたのであります。我々人間は天理に逆き、人道に違ふのでありますから悪逆であります。無道であります。天地は萬物を育てる、然るに我々人間は、牛や馬や大根を殺し、他を害するのでありますから、たしかに悪逆であります。これはすべて、我々が仁慈の心に背いて居ることを示されたのであります。  二の悪  「仏のたまはく、其二の悪といふは、世間の、人民、父子、兄弟、室家、夫婦、都べて義理なくして法度に順ぜず。奢妊驕縦にして各意を快くせんと欲ひ、心に任せて自から恣ままに、かはるがはる相歎惑す。心口おのおの異にして言念実なし。侫詔不忠にして言葉を巧にして?ひ媚び、賢を嫉み善を謗りて、怨枉に陥し入る云々。臣は其の君を欺き、子は其の父を欺く。兄弟、夫婦、中外の知識かはるがはる相欺?す。各貪欲瞋恚愚癡を懷き、自から己を厚くせんと思ひ、多く有んことを欲貪す。尊卑上下こころともに同じく然り。家を破り身を亡ぼして前後を顧ず、親属内外これに坐して滅ぶ。或時は室家、知識、郷党、市里の愚民野人、うたた共に事に從ひ、更相に利害して忿をなし怨を結ぶ。富有にして慳惜し、肯て施与せず。寶を愛して重きを貪りて、心労し身苦しむ云々」  世間の人々は、親子、兄弟、夫婦、すべて、義理がなくて法の定めに從はない。理でないことを理として何かものを求めて、法律の規定にしたがはない。若し理を知り法をまもるなら、寸毫のものとても人の物を取りてはいけないはづである。ところが我々は、利欲を專として、法律や道徳の規範に反きて何とも思はぬ。人品の禮節を失ふて平気で居るのであります。奢はおどることであります。おごるといふのは貪ぼる心を抑へられぬことであります。欲しいと思ふ貪欲の心をたしなまれぬのが奢であります。婬といふのは金を欲しがる、それを手にすることを喜ぶ心であります。我々が心のままにとりたてて、自分の心のままに逸樂を窮むることを婬といふのであります。自分の身を奢りて、人は兎もあれ、自分のために財を用ひたがるのであります。親の死んだ後で兄弟がかたみを争ふ、驕る心があるために過分の金を欲しがり、若し貪り得れば心一杯におごりてそれを快しと滿足するのであります。しかるにおごるに追つく金はありませぬから、勢ひ自から非理に物を貪るやうになるのであります。そこで進むでは人を惑はし、退いては巳を欺き、互に相欺き合ひ、心に欲ありといへども口には足れりといひ、心と口とが各異であります。心には邪悪を懐きて口に正善言を語る。内には?曲を念じて外には広直を談ずるといふやうに内外訓告し、誠実といふものはありませぬ。口は是にして心は非なり。この奸侫の心を以て君に仕ふれば不忠であり、親に事ふれば不幸であり、友に交はりては不信であります。我が意にはわだかまりがあるので、口にては善く言ひなし、外へ知れぬやうにして居るのを侫といふのであります。その内心をかくし、外面は他の意に從ふて居るやうにするを詔といふのであります。かやうにして行ふことに誠のないものを不忠といふのであります。諛は面從のかたち、媚は親順のかたちとありまして、人の前にて其人の気に入ることのみを言ふて、後の災となることを構はず、ただ当座が善いやうに取りなして言ひて、人を悦ばせるのであります。父子兄弟夫婦一家の中にありて、互にそれぞれの義理を忘れて我身勝手の欲心を起し、互に偽を構へて、貪瞋痴の三毒のために自からを厚ふすることのみを欲するのであります。食心が盛にあらはるれば、親疎を論ぜず、仁義を顧みず、他の財物を取りて自身を潤ほさんと欲するのであります。此の如く、同志が互に利を貪りてそれがために瞋恚を起し、遂に怨を結び合ふて身をも心をも苦しましむるに至るのであります。ある時は多くの人々が集りて共に不義を働き、互に自分の利を得て人に害を与へむと欲するがために怨を結ばざるを得ぬのであります。財寶を積みてもおしみて人に与へず、貧心が深いために心身を勞することが多い。心が愚にして善を見ては謗り、悪を為さむと欲して妄に非法のことをする、さうして、常に盗心を懷き、勞せずして他人の利益をば我物にしやうと望むのであります。これが二の悪と言はれるのであります。  三の悪  「仏のたまはく、其の三の悪といふは、世間の人民あひ因りて生じて共に天地の間に居る。処年壽命よく幾何なることなし。上に賢明、長者、尊貴、豪富あり。下に貧窮、断賤、愚劣、愚夫あり。中に不善の人ありて、常に邪悪を懷けり。但姪伏を念ひて煩胸に滿ち、愛欲交乱して坐起安からず云々」  三の悪といふのは、人間には尊い、卑しい、富める、貧しいなどあるが、それは皆因縁があつて一とつの世界に住んで居るのであるから、お互ひにより合ふて、たすけて利害を共にしてすすまねばならぬ。階級に從うてその間に禮儀といふものがなくてはいかぬ。ところがその概念がなく、邪淫を思ひ、煩ひが胸の中に満ちて愛欲が交々あらはれ、坐つても寝ても心が平らかでないのであります。樂しみを極めやうとするから、無禮極まることをしなくてはならぬ。それを三の悪と申すのであります。  四の悪  「仏のたまはく、その四の悪とは、世間の人民善を修せんと念はず。うたたあひ教令して共に衆悪をなす。兩舌、悪口、妄言、綺語、讒賊闘乱し、善人を憎嫉し、賢明を敗壊す。傍に於て快喜して、二親に孝せず、師長を軽慢し、朋友に信なくして誠実を得難し。尊貴なれば自大にして巳道ありと謂ひ、横まに威勢を行じて人を侵易す。自から知ること能はず。悪を為して恥ることなし。自から強健なるを以て人の散難を欲へり云々」  その四の悪は、世間の人民は善を修することを思はず、善いことをすることを心にかけて居ないのであります。それ故にお互ひに悪るいことをし合ふのであります。兩舌といふのは離間語でありまして、人と人との間を離す言葉であります。この話を以て彼に向いて説き、彼の謗を以て此に向ひて説き、兩謗相伝へて闘乱せしめると説明してありますが、彼此を闘はして人と人とを離間することを言ふのを指すのであります。悪口とは些悪語といひまして、人を愛しない言葉を使ふことであります。從つて人のことを悪るくいふのであります。順調のときは兎も角も、逆境の場合には瞋恚の心を起し、さうしてそのいふことが荒くなり、他のことを悪るく言ひ、さうして人の心を傷けるのであります。妄言といふのは虚証語でありまして、いふことが事実でないのであります。相手を憎む場合には、あることをないといひ、ないことをあるといふのであります。それから自分を衒はうとするときは知らないことをも知つたといふのであります。何かの危険状態から離れやうとする場合にはいろいろの虚構をやるのであります。綺語といふのは雑穢語であります。一切の染心が起すところの言葉であります。丁度錦のやうにかざりたる言葉を言ふのでありますが、それは真に違ひ、義に背き、時を失ふて自他共に利益はないのであります。さうして善い人を憎み、賢明の人を喜ばぬのであります。親の傍に於て自分だけ喜んで居て親に孝行をしない。師長たる人を馬鹿にする。朋友に信がなく、何れ皆、ことを得難い。傲慢不遜であつて自分のすることは道に叶つて居ると思ひ、傍若無人の振舞をするのであります。自分の無理を押し通して道ならぬ我儘をして人を軽しめ侮るのであります。所謂横車を押すのであります。さうして自分が善悪邪正の道理を知ることが出来ないのでありますから、わるいことをしながら恥づることがない。自分の勢にほこつて無理なことを押し通して人を閉口させやうといふのであります。  五の悪  「仏のたまはく、其の五の悪といふは、世間の人民徒倚懈惰にして、肯て善を作し身を治め業を修せず、家室、眷属、飢寒困苦す。父母教誨すれば目を瞋らし讐を怒らして、言令和ならずして、違戻反逆すること譬へば怨家のごとし。子なきには如かず。取与節なくして衆と共に思へ厭ふ。恩に負き、義に違して報償の心あることなし。貧窮困乏にして復得ること能はず。幸較縦奪して放恚に遊散す。数店に得るに串ひて用て自から賑給す。酒に耽り美を嗜なみ飲食度なし。心を肆にし蕩逸して魯扈牴突たり。人の情を識らず、強ひて抑制せんことを欲ふ。人の善あるを見ては、憎嫉して之を悪む。義なく体なく顧難るところなく、自から用て職当して諫曉すべからず、六親眷属の所資の有無、憂念すること能はず。父母の恩を惟はず、師友の義を有せず、心に常に悪を念ひ、口に常に悪を言ひ、身に常に悪を行じて會て、一善もなし云々」  ぶらぶらとなまけて家業を怠り、善い行をせず、身を治めず、業を修めず、若し父母が教誨すれば、目をいからし、言葉を荒くして反抗するのであります。親と子とは仇敵の如くに不和であります。事事に節度がなく、過ぎたるか、及ばぬかで、中庸を得ることがありませぬ。人から恩をうけて何とも思はぬ、恩をかへさうともしない。借りたものをも返さうとしない。人情を知らぬ。人が迷惑しやうが、しまいが、それにはかまはず、自分の思ふ通ほりやつて行かうとするのであります。心は常に悪を念じ、口には常に悪を言ひ、身はつねに悪を行つて、曾て一とつの善いこともないとかういふのであります。  五常と五戒  かやうに五の悪が数へてあるのは、仏教に五戒として示されて居るものに相当するのであると説かれてあります。五戒といふのは、殺生戒、倫盜戒、邪淫戒、妄語戒、飲酒戒の五つでありまして、さういふ戒を守らねばならぬとしてあるのであります。この五悪はそれに背きたるものであると説かれて居るのであります。又、儒教の方では、五常と申して仁・義・禮・智・信の五つの道が説かれて居りますが、この五悪は五常の道に背くのであると言はれるのであります。さういふやうに、五悪を五常や五戒に配当しないでも、我々人間の心のはたらきを倫理上の規範にて照して善悪の価値をつけると、どうしてもここに挙げられたやうに悪とせねばならぬのであります。今お話したのは「大無量壽経」に説いてあるところの一部分を抜いたものでありますが、大抵この位で我我人間の心の悪いといふことは知られるのであります。これは今から二千五百年余も前の話でありますが、二千五百年後の今日の我々の心も悪るいことはこれと同じであります。五の悪の内に挙げてあることが二千五百年の長い間に少しは善くなつたものがあつてもよい筈でありますが、実際、すこしもかはつては居らぬのであります。二千五百年の長い年月の間に、我々の祖先から今日まで道徳の教は十分に学むだのであります。又出来るだけ言行を善くしやうとつとめたことはたしかでありますが、しかしながら、この五の悪の中に説かれたる心の悪が一とつとして消えて居ないところを見ると、この悪は人間の自性にして、到底我々の力にてはこれを如何ともすることの出来ぬものであるとせねばなりませぬ。煩悩具足の泥凡夫とはいかにも善く名づけられたるものであります。かやうに、自分の相を内観して、その醜悪なる有樣に目がさめたときに、どうしても、それは罪悪であると考へねばならぬのでありますが、しかしそれは、道徳の心の上から申すことであります。罪悪といいましても倫理的の罪悪であります。しからば、宗教上の罪悪といふものはどうであるか、それにつきて深く考へを進めねばなりませぬ。  舊約全書  倫理的に罪悪と考へられることにつきては、大略上章に述べた通ほりでありますが、しかし、このことにつきては更に深く考へねばならぬことであります。「舊約全書」の創世紀のところに、人間の始祖のアダムとエバとが犯したる罪悪のことが記載してあります。それに拠りますと、神が創造せられたるアダムとエバとは、始めエデンの東の方なる園で、自然の儘なる平和の生活をして居つたのでありますが、さがしき蛇に教へられてエバは神から禁じられて居つた果実を食ひました。さうしてそれをその夫のアダムに勤めて食はしめました。ここに於て、二人の眼が開けて見ると、自分等が裸体の儘であることに気がつき、それを恥ぢて神の前にその身をかくしました。そこで兩人が禁制せられて居つた果実を食つたことを神から看破せられて、神の怒に觸れ、アダムとエバとはその罪悪のために平和の園から遂はれるに至つた。これが人間の堕落の原因でありまして、これによりて我々人間の世界が苦悩に満つるやうになつたのであるといふことであります。これによりて見ますと、我々の先祖が神の命令を犯した刑罰として今日我々が斯様な罪悪を持つて居るやうになつたのであるといふのであります。このことにつきては固より神学者の間にはいろいろ細かい議論もありませうが、しかしながら、要するに神の命令に從はなかつたことが罪悪の原因となつたのであります。さうして、その罪の報いとして今日我々が苦しみを持つということに帰著するのであります。  智慧と罪悪  この考へによりますと、我々が智慧のなかつたときはまことに平和で罪悪もなかつたが、智慧をつくり今日のやうな状況になつたと考へられるのであります。我々人間が智慧を得たといふことが、その心の悪るくなつた原因であると、かう考へられるのであります。なるほど、智慧の少いものには悪るいことをするものは少いのであります。犬や猫にしましてもこれを人間にくらぶれば大して悪るいことはしない。人間の中でも赤坊は大して悪るいことをしない。子供も大してわるいことをしない。言ふまでなく、人間の智慧がだんだん進んで、周囲の状況や自分の位置などがかかつたために、遂に今日の文化が出来上つたのでありますが、さうしてそれがために前に説いたやうな罪悪がそれに伴つてあらはれて来たのであるとせねばなりませぬ。人間の智慧がひらけるに伴うて人間の罪悪も増して来たと考へらるべきでありませう。かういふ考へは、我邦で徳川時代の中頃から盛に行はれた心学でも説いたのであります。奥田頼杖の「心学道の話」に、  「兎角我慢は人が悪む故に、本来無東西のものに、東西南北の四方が出来て迷ひといふものを建立したもの。それ故、生れた赤子には此方が東、此方が西ということも何もない。それ故誰も悪むものがない。世界と一とつもので、たつた一とつの心。それが年を取るに從ふてわる智慧といふものが出来て、おれが智慧、おれがからだ、おれが働く、おれがする、おれがおれがといふものを組立て、りつぱなおれといふ城廓を構へ、四方に大敵を受けて夜討朝がけ、少しもあくる間のないくるしみ、云々」  なるほどこれにも一応の理屈があると言はなくてはならぬのであります。仏教の書物の中にも、人間の智慧は自分のわるいことをかくすためにはたらくといふことがあります。実際、我々の智慧は或はさういふやうにはたらくと言つてもよいでありませう。我々人間が、智慧を得たために神から離れ、自分に從はむとする傲慢のために罪悪があらはれた。神に対して従順でなく、神と縁を絶ち、神の意志に背きて生活するに至つたために罪悪を生ずるに至つたと説かれることは一応尤なことであります。我々人間は智慧を得たけれどそれは固より神の智慧の如くに立派なものではありませぬ。巳に神を離れたのでありますから、神のやうに神聖の心を持つことは出来ませぬ。  罪悪の華  我々人間が、古い昔の野蛍の時代から幾千年の永い世代を経て今日の文化を築き上げるまでに至つたのは、智慧のはたらきの大なるものに依りたのであります。しかしながら、その文化の進歩の跡を深く省察しますと、文化の進みたることが罪悪の大となつた所以であると考へねばなりません。今日の文化の生活が華かであることは言ふまでもありませぬが、しかしながら、その文化は太古蒙味の人の知らぬやうな利器を造つて、これを用ひて互に相闘つて居るのであります。近頃の人までが思ひもつかなかつたやうな飛行機などを製してこれを殺人の用に供へて居るのであります。人々の生活は安逸を貪り、淫蕩に耽ることのみをつとめて居るのであります。昔ならば一日何里かを徒歩して僅かに百里の道をも十日もかかりて旅行して居つたのでありますが、今は汽車の寝臺に寝ながら一日もかからぬ内に百里の遠方に行くのであります。昔は粗衣粗食に甘んじて一生懸命に仕事をしたのでありますが、今は田舎の百姓も自輛車にて田や野へと出かけるのであります。神を離れて、人間の智慧によりて咲かされた文化の華はまことに美しいものでありますが、しかし、それは安逸であり、淫蕩であり、贅澤であり、闘争であり、畢竟するに罪悪の華が咲いたのであります。かやうに考へれば、我々人間が智慧を得るに従てますます罪悪を多くするといふことは、まことにさうであると言はねばならぬことでありませう。  良心の呵責  何と言つても今日、我々は相当の智慧を持つて居るのであります。それ故に、何人と雖も、良心の呵責を感ぜざるものはない筈であります。かやうに自分の良心の呵責によりて、罪悪の大なることが感ぜられるとき、それは神の命令に背きたるためであるからと言つて、神に対して謝罪してその許を受けることをすればその良心の呵責が巳むといふことは、我々には考へられぬことであります。自分の心にあらはれたる良心の呵責が、自分の心と同じからざる神の心によりてこれを消し去られるといふことは出来ないことでありませう。たとへて申せば、自分の心に自分が痛いと感ずるとき、他の人の心によりてその痛みが巳むことは決してないことであります。かるに、若し、自分の罪を神に謝して神がこれを許さるるといふならば、その神は極めて偏愛の心であります。しかるに、若し、自分の責任を痛感せずして、ただ自分の罪悪を免れやうとして神の意志に從はむとするものを許すというならば、その神はただ自分の意志に從ふものを偏愛するものであります。神から罰せられたのを恐れて、神に謝罪してその罪悪を免れやうとするのはどこまでも他律的のもので、自分の心の内を観て居るものではありませぬ。それは、これを道徳としても、さら価値のあるものではありませぬ。  法律と刑罰  かやうに考へるとき、人と神との関係は、国家と人民との関係と同じやうでありますから、それは外面的の法律の形式であります。神の法律を破つたためにそれに相当して神の刑罰を受けねばならぬとせられるのであります。それ故に、この場合、罪悪と言はるるものは神の刑罰を受くべき状態に外ならぬものでありまして、その状態はすなはち神の法律に背きたることであります。神の法律に背きたる結果として当然刑罰を受けねばならぬことは、丁度国家の法律に背きたる人民が相当の刑罰に返せられることと同様であります。若し、内面的に自分の心の中を観るならば、罪悪といふものは外方から個人的に非難すべきものであります。そのことは巳に前に申したのでありますが、全体我々人間が自分で事物の価値をつけるときには必ず自分の満足することを標準とするのであります。自分の心に叶ふことがよいのであります。さうしてさうでないことは悪るいのであります。さういふやうに自分勝手に善悪の判断をするのでありますから、さういふ人々が一緒に生活しますと、勝手なことをして始末がつかぬのであります。そこで、我々人間は理想と現実との関係を考へ、個人と他の多くの人々との関係を考まして、人間として社會的に生活してゆく上に多くの人々に都合のよいといふことを標準として善悪を定めてこれを倫理の規範として居るのであります。さうして、それは自律的に行はるることを貴ぶのでありますが、他律的に強制することの必要から、それが法律となりてあらはれるのであります。  心と罪  仏教の誕が「涅槃経」にでて居るのを見ますと、次のやうであります。  「心は軽躁動転して捉へ難く、調へ難し、馳騁奔逸すること大悪象の如し、念々迅速なること彼の電光の如し、躁擾にして住せざることなほ弥猿の如し、乃ち是れ一切諸悪の根本なり」  我々の心といふものは、実際うつり変りのはげしいので、これをとどめることが出来ない。意馬心猿と申して、念々馳せまはること丁度馬や猿の如く、又いなづまのやうに早く変るものである。それがために一切諸悪の根本となると説かれるのであります。又「八大人覚経」には次のやうに  「心は是れ悪の源なり、形は罪の数なり」  と書いてあります。これに拠ると、我々の心はもろもろの悪の源をなすものでありまして、身体はその罪の集つて居るものであると言はれるのであります。「法句経」の中にも  「一切の罪は非真理を説くの口及び未来世を非拒するの心より生ず」  と説いてあります。未来世を非拒するといふのは、三世因果の道理を排斥して信ぜざることであります。実の如く真如を知ることが出来ずして非真理を説くのであります。「大乗起信論」に「実の如くに真如法の一なることを知らざるが故に起るところの不覚の心」であります。これがすなはち不覚であります。すなはち無明であります。無明とは真実の智恵のないことであります。それ故に仏教の書物に説いてあるところに拠りて見ますると、罪悪はすなはち我々の心であります。それは、神の命令に從はぬわけでもなければ、禁制の果物の実を盗んで食ふためでもなく、自からの心の無明からおきるのであります。無明とは真理を真理と知らぬことをいふのであります。これを「舊約全書」の創世紀に書いてあることとくらべて見ると、仏教の説とは大変な相違であります。仏教の説では自分の心のはたらきの全体が罪悪であります。倫理の上から、自分の心の状態を見て、これを罪悪と名づけるのでありますから、煩悩と同じであります。煩悩といふ場合には、我々の心が我々を昏乱せしめるから、それは我々を通ほし悩ますのであります。この意味からして我々の心は煩悩と言はれるのであります。又それが我々の自由を束縛することから申せば緊縛とも名づけられるのであります。又、さういふやうに我々の心自らを結んでしまひますから結と申すのであります。その他にもいろいろの名称もありますが、どれも皆、我々の心を指していふのであります。今、結といふ言葉で記載してあることをお話致しませう。結には九つの種類が挙げてあるのであります。  結  「阿毘達磨集論」によりて見ますと  「結は即ち繋縛の義。謂く一切の衆生、この妄惑に因りて諸業を造作し、而して、衆苦のために三界に流転して出離すること能はず。故に結といふなり。」  結は繋縛の義と説明してあります。一切の衆生が迷の心によりていろいろの業を造り、澤山の苦しみに悩み、三界を流転してそれから出離することが出来ないのであります。三界といふのは欲界・色界・無色界でありまして我々凡夫が住んで居る世界のことであります。いつまでもその三界を流転して、出で離れることが出来ないといふのであります。その心の状態をば倫理的に考へて罪悪とするのであります。その結を九つに別けた第一は愛結であります。  愛結  「阿毘達磨集論」には次のやうに説明してあります。  「謂く、諸の衆生、貪愛のための故に、広く不善を行ふ。是に因りて遂に未来生死の苦を招き、三界に流転して出離すること能はず。是を愛結と名づく」  我々凡夫には貪り愛する心持が盛であるために、種々なわるいことをするといふのであります。不善といふのは前に申した五悪のことであります。我々の心は常に貪愛のために結ばれて、盛に善くないことをするのであります。有るものには愛著してこれを無くしないやうにとつとめ、無いものはこれを得やうとして他のものを押しのける。かういふ悪をなすために未来生死の苦しみを受けて永久に三界を流転してそれから出で離れることが出来ぬのであります。  恚結  第二の結は恚結であります。  「謂く、諸の衆生、瞋恚のための故に、広く不善を行ふ。是に因りて遂に未来生死の苦を招き、三界に流転して出離すること能はず。是を恚結と名づく。」  一切の違情の境に対して我々は常に腹を立てるのであります。違情といふのは自分の気に入らぬことで、その場合には我々はいつでも腹を立てるのであります。それにいろいろのものがありますが、要するに自是他非の心がその本となりて自分のすることであれば何でも善いが、他の人のすることは一も二もなく悪るいとして腹を立てるのであります。  慢結  第三は慢結であります。  「謂く、諸の衆生、慢、過慢、優過慢、我慢、増長慢、下劣慢、邪慢のための故に、広く不善を行ふ。此に因りて、遂に未来生死の苦を招き、三界に流転して出離すること能はず。是を慢結と名づく」  慢というのは、同類相傲るといひまして同じやうなものがお互ひに自分のことを自慢するのであります。過慢といふのは甲乙相似て居つて優劣はないのに自分がまさつて居るとするのであります。慢過慢といふのは、元来他の人が勝つて居るのに、強ひて自分が他に勝つて居るとするのであります。我慢といふのは、己を恃へて人を凌くのであります。搨キ慢というのは未得の法をば自分が巳に得たと威張るのであります。下劣優といふのは自己が本来能のないのを敢て自から誇りとするのであります。よく人の言ふ「私のやうなつまらぬものか」と卑下すること、そのことが高慢であります。いやに謙遜するやうであるが、それは鼻の先で謙遜して居るだけで腹の中ではそれを自慢として居るのであります。邪慢といふのは、邪見をつのつて、それに執著して人を凌ぐ傲慢の心であります。  無明結  第四は無明結であります。  「謂く、諸の衆生、無明のための故に覆はれ、苦法集法に於て解了すること能はず。広く不善を行ふ。此に因りて、遂に未来生死の苦を招き、三界に流転して、出離すること能はず。是を無明結と名づく。」  人間の世間は一切が皆苦しみである。ちよつと樂しいやうなことがあつても結局は皆苦しみである。かやうに一切のことは皆苦しみの法であるといふことがわからぬ。又それは三界有為の法を積集して惑業をつくるのであるが、それがわからぬ。そこで苦しみは外から入つて来るもののやうに考へる。それがために未来生死の苦を受くるのであります。  見結  第五は見結であります。見といふのは思考のことであります。  「謂く、諸の衆生、身見、辺見、邪見に於て妄に執著を起し、広く不善を行ふ。此に因りて、遂に生死の苦を招き、三界に流転して出離すること能はず。是を見結と名づく。」  身見といふのは、我々の身体につきて考へて、我々の身体は元来五つの蘊が集つて出来てゐるもので、何もこれを造つた主宰者はないのに、その主宰者があるやうに執著してこれを「我」と考へることを身見といふのであります。色・受・想・行・識の五蘊が集つて居る間は、生命があるのでありますが、この五蘊が散ればあとに何も殘らぬのであります。それが集るのも散るのも皆因縁の結果でありまして、別にこれを主宰するものはないのであります。辺見といふのは、かたよつた考へでありまして、「我」といふものが、身体のなくなつた後になほあるか、人間が死んだらぱつと消えて影も形もなくなるのであるか、丁度燈が消えるやうなものであるか、それを断ずると考へるのも、断ぜずして常に存ずると考へるのも、皆辺見であると言はれるのであります。又邪見といふのは、仏教で説くところの因果の法則を無視して用ひぬ考へであります。もう一とつは、元来、世の中のものは、我々によりてあらはれたので、本当には有無を離れたものでありますが、それを有ると執著し、或は無いと執著するのが邪見であります。さうして此等の間違つた考へを見結と申すのであります。  取結  第六は取結であります。  「取は即ち取著なり。謂く、諸々の衆生、見取、戒取に於て、妄計執著し、広く不善を行ふ。是に因りて遂に未来生死の苦を招き、三界に流転して出離すること能はず。是を取結と名づく。」  取といふのは人の考へを取りてそれに執著することであります。戒取見といふのは、戒律を保つことを人が説くのを探りてそれに執著するのであります。何れにしても間違つた説を固守し、それにつきていろいろの妄計をすることを取結と名づくるのであります。  疑結  第七は疑結であります。  「謂く、諸の衆生、仏法僧に於て妄に疑惑を生じ、正行を執せず、広く不善を行ふ。是に因りて遂に未来生死の苦を招き、三界に流転して出離すること能はず。是を疑結と名づく。」  仏と法と僧といふのは、これを極めて平易に説明しますると、真如を宇宙の真理として、その真如が人間の心にあらはれるものを仏といふのであります。その仏が人間に対して示すものが法であります。さうしてその最も人間に近いものが僧であります。しかし、それが我々にはよくわからぬために疑の心が起り、正しき行をすることが出来ぬので迷妄の世界をつくるのであります。  嫉結  第八は嫉結であります。  「謂く、諸の衆生、利養に耽著し、他の榮富を見て心に嫉妬を起し、広く不善を行ふ。是に因りて遂に未来生死の苦を招き、三界に流転して出離すること能はず。是を嫉結と名づく。」  嫉と慳とは同じく利養に耽る心でありますが、他の人の榮えたり、金持になつたりするのを見て快く感じないで、羨み、憎むのが嫉結といはるるのであります。  慳結  第九は慳結であります。  「謂く、諸の衆生、利益に歎著し、資生の具に於てその心悋惜して捨施すること能はず、広く不善を行ふ。此に因りて遂に未来生死の苦を招き、三界に流転して出離すること能はず。是を慳結と名づく。」  慳といふのは惜んで人にものを遺らないことであります。又有るものをなくすまいといふ心であります。それによりていろいろの罪悪があらはれるのであります。  かういふやうに、結は九つに別けてあるのでありますが、煩悩の方ならば多くて百八つ、少いのが六、それから二十といふやうに、煩悩もいろいろに別けて説いてあるのでありますが、それをずつと簡単に厭搾したのが、貪瞋痴の三毒であります。  三道  別に三道といふものが挙げてありますが、それは苦道・煩悩道・業道の三道でありまして、煩悩から業が起り、業から苦が起り、苦から又煩悩が起り、煩悩から業が起るといふやうに順次に通達するものとしてこれを三道といふのであります。  苦道 生死の苦。三界六道の衆生。生れて復た死し、死してまた生る。故に苦道と名づく。  煩惱道 昏煩の法。心神悩乱す。即ち見思等の惑なり。この煩悩、因をなすによりて生死の果を感ず。故に煩悩道と名づく。  業道 業は即ち身口意所作善悪業行なり。この諸業因を為すによりて生死の果を感ず、故に業道と名づく。  煩悩といふのは、自分の心を悩ますところのもので、見と思と業の惑ひでありまして、それが人間の生死の苦しみをつくる。さうするとその煩悩によりて身と口と意との業が出来る。それによりて生死の苦を受ける。かういふやうに三道が相通じて居るといふことで、煩悩とか、結とか、繋縛とかといふ我々人間の心の状態を簡単に説明したものであります。さうして、それがすなはも罪悪の説明に外ならぬのであります。  心の相  かやうに、仏教で罪悪と申すのは基督教で罪悪といふのとは相異して、我々の心の相を指してこれを罪悪とするのであります。煩悩といふも、緊縛といふも、結といふも、皆同じことでありまして、倫理的に自分の心を内省してそれを罪悪とするのでありますから、罪悪生死の凡夫とも言はれるのであります。法律上で罪といふやうな意味でなしに、極めて広い意味で、我々の心の相が、全体に罪悪と考へられるのであります。普通に人々が考へるやうに自分が何か悪るいことをした、罪を犯したといふ意味ではなく、我々の心の全体が悪るいとするのであります。罪悪生死の凡夫といふ言葉は正しくこの意味をあらはして居るものであります。我々が時として罪を犯すといふやうなことではなく、私の全体が罪悪生死の凡夫であるといふ意味であります。今、そのことに就て少し委しく説明いたしませう。  本心  昔の心学の書物の中にはかういふことを書いたものがいろいろあるのでありますが、「心の行衛」と申す書物の中に次のやうなことが書いてあります。  「和論語に人の身の内に主人あるときは諸の病なし。主人なきときは六根の眷族、思ひ思ひに反逆を企て、その大将弱き方より軍破れて身肉やすからざるものなり。三千界の事を辨へ知るとも、此界を知らざる人は人にあらずと、誠なるかな、本心の主なきときは人欲競ひ起りて眼は色に執著してむほんし、耳は声に聞きほれてむほんし、鼻は芬々たる香にむほんし、舌は骨梁の味に謀反し、身は觸るるになづみ謀反し、意は恣にせんとむほんして、其全体を亡ぼすに至る。何ほど博学多才たりといへども、是を征すること能はずして性理にくらきは人にあらずとなり。」  まことにさうでありませう。本心のあるじのないときには、目は色に見とれ、耳は声にききほれ、鼻は香ひに、舌は味に、身は触るるものになづんで、心はほしいままにせんと謀反して、我々の心は罪悪のかたまりとなるのであります。なにほど博学多才でもこれを制することは出来ないために、その本心があらはれぬのであります。本心は一に明徳と申して、老若男女、何人にもそなはつて居るものでありますが、平生それがあらはれぬのは我我の私案がそれをかくすがためであります。  私案  私案は慮智とも申して、いろいろのことを慮るやうになつて居る心のはたらきであります。さうしてこの慮智を離れたるところに本心は常に存して居りまして、我々の意志の上に立ちて一切を照すものであるといふのであります。たとへば何か悪るいことをたくらんで居るとしましても、どんな悪人でもそれはよからぬことだといふ考へがおのづから起るのであります。何にても為すべきことを為さずに居るときは何となくすまぬ気がするものであります。人の悪る口を言つて居るところにその本人が来ると何となく気味がわるい、何となくきまりがわるい、その人は固よりそれを知らぬけれども、自分の本心がこれを咎めるからであります。その人をほめてあるときに丁度その人が入つて来て、今あなたの悪る口をいつて居たといつてもその人はさう腹をたてず、笑つて居るものであります。これは我々の慮智がいろいろと分別するところに、本心すなはち明徳が常にこれを照して居るからであると説明するのであります。  明徳  しからばその明徳といふものはどういふものであるか、それを説明せねばならぬのであります。それをわかり易く、たとへて言へば、我々が平生、いろいろのことを考へたり、思ふたり、行つたりする心の主人公であるとするのであります。我々は寒い時に寒いと知る。それは慮智であります。腹の減つたときに減つたと知る。それは慮智であります。その慮智によりて知ることの前に本心の明徳がはたらきをあらはし、それによりて慮智があらはれるのであります。それ故に慮智は我々によくわかるけれども、その慮智を離れたる本心すなはち明徳は我我によくはわからぬものであります。しかし慮智は雇人のやうなもので、主人たる本心に使はれて居るものであると説明するのであります。前に申した「心の行衛」の内に、次のやうに書いてあります。  「我身の用事ことかけに雇人をして、その使ふべき雇人に使はれて、生涯気ばり通し、さても気の毒なものじや、その雇人といふは家蔵金銀此世に居る間しばらくの雇人、衣類道具もこの世逗留中の雇人、その外、飯も酒も菜も肴も雇人、又女中などは櫛笄紅粉おしろいまで殘らず雇人、この雇人に上下があつて少しでよい雇人がしとなつて、櫛笄に三十兩五十兩も雇人してひけらかしにあるく女中もままあり、云云、実に雇人の金銀のために跡しきの争を起し、後の煩となり、町内の厄介になるもあり、又雇人の金を苦にやんで命を縮むる人もあり、云云、其上に家臓もこの雇人が自由にして果ては、内損吐血までさせてくださる深切な雇人、また飯の雇人もいつも三ばいなら三ばい雇ふて置けばよいに、七八杯も雇ふ故、食傷し脚を損ひ留飲じやの黄疸じやのと雇人に煩はして貰ふ、大抵の世話じやない、云云」  まことに、我々は我々の心に使はれて、いたづらに心を悩ましめるものでありますが、さういふ心の相を考へれば、どうしてもこれを罪悪であると言はねばならぬのであります。  性善心悪  かやうにして、我々の慮智はまことに悪でありますが、しかし、それは雇はれて使はれて居るもので、それを雇ふところの本心は善なるものであります。大島有隣といふ人の著はした「心学手引草」の内に  「心は善、身は悪、善悪合して人なり、心は主君、身は臣下、才智芸能身より生じて自性をくらます  つくづくと思へばかなしいつまでか身につかはるる心なりけり  日夜に起る雑念、悪念、我儘、気随、己れが己れを責め、寸の間も安心ならず、この悪念如何とも防ぐ方便なく、仏是を憐み玉ひ   極重悪人無他方便 利剣即是弥陀名號  一念の念仏に一念の悪を消し十念の念仏に十悪を消し悪心ここに消え、善心生ずるが故に往生といふ、往生とは死することにあらずと善導大師示されたり、悪念は水の如く、善念は水の如く、水と水と、もと一とつ、仏と鬼と、邪正一如、善悪不二」  我々の身より生ずるところの心すなはち慮智は悪にして、それを離れたる本心すなはち自性は善であるとするのであります。まことに我々の心は雑念とか、悪念とかと申すべきものでありまして、その根本をなすところの感覚のはたらきが、賊となりて、我々をおびやかすのであります。それを倫理的に考へれば我々の心の相は全く罪悪であるとせねばならぬのであります。すでに前に申したやうに我々の心のはたらきはわづらはしい、そのために心が結ばれる、そのために自由が束縛される、結局罪悪生死の凡夫といふのは私全体が罪悪であるといふに外ならぬのであります。  滅罪  ところで、我々はこの罪悪を如何にすべきかといふことが直接の問題となるのでありますが、そのことに就て仏教の書物にはいろいろ書いてあります。我邦にて平安朝時代に盛に行はれました「金光明最勝王経」と申すお経の中には、このことにつきて次のやうなことが書いてあります。  「若し犯罪ありて清浄求めむと欲せば心に愧恥を懐き、未来に於て必ず悪報あることを信じて大恐怖を生じ、是の如く懺すべし」  すなはち悪の深いことがわかつたならばよろしく懺悔すべし。さうして罪滅ぼすやうにつとむべしといふことに就て委しく書いてあるのであります。 「金光明最勝王経」に曰く  四の業障あり、減除し難し、何をか四となす  一は菩薩律義に於て極事の悪を犯す  二は大乗経に於て心に誹謗を生ず  三は自善根に於て増長すること能はず  四は三有に貧著して出離の心なし  これに対して四種あり、業障を対治す  一は十方世界一切の如来に於て至心に親近して一切の悪を説く  二は一切衆生の為に諸仏の深妙の法を説くを勸請す  三は一切衆生のあらゆる功徳を随喜す  四はあらゆる一切の功徳善根を悉皆、阿緑多羅三貌三菩提に廻向す  その説明はまことに細かでありますが、これを要するに、身を謹しみ、心を調へて、その罪悪を滅すべしといふに外ならぬことであります。我々の心に智慧のはたらきが起りて禁制の果実を貪り食つたために得たる罪であれば、神の禁令を犯したることを神に謝すべきでありませうが、我々が我々の心の相をよく見て倫理的にそれを罪悪とするのでありますから、どうしても、その心の相を改善することをつとめなければならぬのであります。しかしながら、それは倫理的のものでありまして、仏教の言葉にていふ諸行でありますから、実際にそれを貫徹せしむることは困難なることであります。  念仏滅罪  「蓮如上人御一代記聞書」の中に、  「人の身には、眼耳鼻舌身意の六賊ありて、善心を奪う。これは諸行のことなり。」  とありますが、これは心学で説くところと同じであります。なるほど我々の身体には感覚のはたらきをする器官がありまして、それによりて我々の心があらはれる、その心が罪悪であるとするのでありますから、眼・耳・鼻舌・身・意の六賊を征伐せねばならぬのであります。しかしながらそれは諸行のことである、聖道のことであるかういつて居られるのであります。それから次に  「念仏はしからず。仏智の心をうるゆへに、貪瞋癡の煩悩をば、仏の方より利那にけしたまふなり。故に貪瞋煩悩中、能生清浄願往生心といへり。正信偈には、譬如日光覆雲霧、雲霧之下明尤闇といへり。」  と書いてあります。蓮如上人の説明では六つの賊が我々の心を奪ふから、その我々の善心を奪ふ六賊を征伐するために、諸々の行をすすめてゆくのは聖道の教である。浄土の教では我々が仏の心を得るが故に、貪瞋痴は仏の方から消される、それ故に貪瞋痴の煩悩の中から往生を願ふ清浄の心が生れる「正信偈」に日光が雲や霧におほはれてゐるが日光の明は常に同じであると、かう説いてあるのであると言はれるのであります。これは蓮如上人以来ひろく、その宗門で説かれたところでありますから、多くの人々は、念仏滅罪といふことを知つたのであります。今日も多数の人々はさう考へて居るのでありませう。我々自身の力によりてはその罪悪を如何ともすることが出来ない。そこで仏の慈悲の力にすがりてその罪をけして貰うといふのでありますが、しかし、さういふことは深く考へて見なければならぬことであります。  滅罪の利益  法然上人でも親鸞聖人でもその説の根本にされたものは主に、「大無量壽経」「観無量壽経」、「阿弥陀経」の三経でありますが、その「観無量壽経」の中に、滅罪の法につきて、次のやうに書いてあります。  「仏、阿難および韋提希に告げたまはく、下品下生とは、或は衆生ありて不善の業を作りて五逆十悪諸の不善を具す。此くのごとき愚人、悪業をもつての故に、応に悪道に堕し、多劫を経歴して苦を受くること窮りなからむ。此くのごときの愚人、命をはるときに臨みて、善知識の種々に安慰して、ために妙法を説き教へて仏を念ぜしむるに遇はむ。此の人苦に逼られて仏を念ずるに違あらず。善友告げて言く。汝若し念ずること能はずんば応に無量壽仏と称ふべし。是くのごとく至心に声をして絶えざらしめて、十念を具足して南無阿弥陀仏と称へしむ。仏名を称ふるが故に、念念の中に於て八十億劫の生死の罪を除く。命終のとき金蓮華猶ほ日輪の如くして其の人の前に住まるを見たてまつる。一念の頃の如きに即ち極樂世界に往生することを得、蓮華の中において十二大劫を滿ちて蓮華方に開く。観世音、大勢至、大悲の菩声を以て、其れが為めに広く諸法実相、除滅罪の法を説く。聞きをはりて歓喜し、時に応じて即ち菩提の心を発す。是れを下品下生の者と名く。」  下品下生といふのは浄土に往生する機の下の下でありますから、世の中の人々の多くを指すのであります。我々人間は長い年代を経ていろいろの苦をうけて居る、それが妙法、即ち仏の本願によりてすくはれる、といふのであります。念ずるといふのは仏を憶念することでありまして、仏の慈悲とか仏の相とかを考へることであります。もしそれが出来なければ無量壽仏の名を称へは、さうすると生死の罪が除かれて命終ると蓮の花を見て極樂に往生するとかういふのであります。そこでこの文章をそのままに聞きますと、平生悪るいことをして善い行をしない輩が、どうすることも出来ず、仕方がないから仏の名を称へる、南無阿弥陀仏を申す、それによりて億劫の罪が消えて極樂に往生するといふことになりますが、さうすると我々の罪は、念仏を申すことによつて除かれるわけであります。そこで他に往生の方便がないので、如何ともすることの出来ないものが、念仏といふものを自分の罪を滅す道具に使ふのであります。しかしながら、それは極めて得手勝手の甚しいものであります。もと倫理的に考へて自分の心を罪悪と見たものが、かやうな方法でその罪を除かうとするのは正に非倫理的であります。功利的なる「我」のはたらきが中心であるために、無論宗教の心のはたらきではありませぬ。それ故に、念仏に滅罪の利益があるといふことはよく吟味せねばならぬことであります。  報謝の念仏  親鸞聖人の考へがさうではなかつたことは明らかであります。親鸞聖人がその弟子に与へられたる手紙などを見ましても、そのことは明かに知られるのでありますが、「歎異鈔」の第十四節にもそのことが説明してあります。  「一念に八十億劫の重罪を滅すと信ずべしといふこと。この條は十悪五逆の罪人、日ごろ念仏を申さずして、命終のとき、はじめて善知識のおしへにて一念申せば、八十億劫の罪を滅し、十念申せば十八十億劫の重罪を滅して、往生すといへり。これは十悪五逆の軽重をしらせんがために、一念十念といへるが滅罪の利益なり。」  いへりと書いてあるのは「観無量壽経」にさういへりといふことでありませう。これは念仏が罪を滅す利益を持つて居ると言つたのでありますが、それを真つ正面から「観無量壽経」と言はれなかつたのは、その頃の事情で「観無量壽経」に遠慮したのでありませう。さうしてその次に、重要なる意見が書いてあります。それは  「未だ我等が信ずるところに及ばず。」  といふことであります。念仏に滅罪の利益ありと考ふるのは我等の信ずるところに及ばないといふのであります。よくよく考へて見ますと「観無量壽経」に書いてある下品下生のもので仏を憶念することも出来ないものはただ称名念仏するばかりであります。さういふ心持は、しかしながら、如来のまことの心に動かされて居るのでありまして、念々のうちに八十億劫の罪が消えるか消えぬかといふことは問題にはならぬほどにせつぱつまつたものであります。この文章は複雑でありますから、はつきりとその真意を解することが六ヶ敷いことでありませう。「歎異鈔」には更にそれを説明して次のやうに書いてあります。  「そのゆへは弥陀の光明にてらされまいらするゆへに、一念発起するとき、金剛の信心をたまはりぬれば、すでに定聚のくらゐにおさめしめたまひて、命終すればもろもろの煩悩悪障を転じて、無生忍をさとらしめたまふなり。この悲願ましまさずば、かかるあさましき罪人いかでか生死を解脱すべきとおもひて、一生のあひだ申すところの念仏は、みなことごとく如来大悲の恩を報じ、徳を謝すと思ふべきなり。云々。」  罪を消して貰ふのか貰はないのかといふことは、せつぱつまつた場合には、重要な問題ではありませぬ。重要なことは、一念発起といふことであります。一念発起するとき如来から信心をたまはりてそれによりて煩悩悪業が転じて無生忍を得るのであります。そこで一念発起といふことが更に問題になりますが、一念発起といふのは、これを我々の心のはたらきとして考へてみると、我々が我々の周囲にあるいろいろの事柄によりで反省せしめられる、そのことを一念発起と申すのであります。元来、我々は自分の周囲に動かされて居るものでありますが、平生はそれを考へないのであります。しかるにいろいろの縁にふれて、それを考ふる心が起きるので、それが一念発起であります。それを仏教の言葉にて申せば如来の智慧を得たのであります。如来の智慧によりて自分の心が如来の光明に照らされたのであります。それ故に一念発起のときに我々は如来の真実の心をたまはるのであります。それが往生と言はれるのであります。それから後に申す念仏はその如来の恩徳を謝するためでありまして、決してそれによりて滅罪の利益を得やうとするのではありませぬ。  罪業消滅  しかしながら、念念に八十億劫の罪を滅すとありますから、罪を滅さるることは当然のことであると考へられます。それ故に、それは必ず問題となることであります。それにつきて、「蓮如上人御一代記聞書」に、  「順誓まふしあげられ候。一念発起のところにて、つみみな消滅して、正定聚不退のくらゐにさだまると、御文にあそばされたり。しかるに、つみはいのちのあるあひだ、つみもあるべしと、おほせさふらふ御文と、別にきこえまふしさふらふやと、まふしあげさふらふとき、仰に、一念のところにて、つみみなきえてとあるは、一念の信力にて、往生さだまるときは、つみはさはりともならず、さればなき分なり。いのちの娑婆にあらんかぎりは、つみはつきざるなり。順誓は、はやさとりて、つみはなきかや。聖教には、一念のところにてつみきえてとあるなりと仰られ候。罪のありなしの沙汰をせんよりは、信心をとりたるか、とらざるかの沙汰を、いくたびもいくたびも、よしつみきえて御たすけあらんと、つみ消えずして御たすけあるべしとも、弥陀の御はからひなり、我としてはからふべからず。ただ信心肝要なりと、くれぐれもおほせられさふらふたり。」  とあります。あるときお弟子の順誓が蓮如上人に向ひて「御文には一発起のところで罪はみな消えて正定聚のくらゐにさだまるとあるのに、お説教では、罪といふものは命のある間は消えないと仰せられますが、それはどちらが本当でございませうか」といふやうな意味のことをたづねました。その時蓮如上人の仰せに「一念の信力で往生が定まるとは、罪は障りとならぬといふことで娑婆に生きてゐる間、罪といふものは消えるものでない。お前はもはやさとり切つて罪はなくなつたのであるか。罪が消えて助かるか罪が消えずして助かるかといふことは、仏のおはからひであるから我々としてはからふべきことではない」と言はれたのであります。かやうに、念仏することによりて罪業が消滅すると考へるのは、その根本に於て罪悪といふものを我々の行の一とつであると思ふ間違があるからであります。仏教で罪悪といふのは前にくはしく申したやうに我々の心の全体の相であります。外の言葉でいへば煩悩であります。その煩悩は我々の心の体を指すのでありますから、煩悩のある間、罪業の消える筈はありませぬ。さうして煩悩が伐々の生活の実際でありまして、生活のつづく間、その煩悩が無くなる訳はありませぬ。ただこの煩悩がそのままに転じて涅槃となるのでありまして、それは全く如来の本願によるものであると説かれるのであります。決して煩悩が無くなりて涅槃となるのではありませぬ。一念発起して自分の心が如来の光明に照らされるときに、煩悩が煩悩たるの価値を失ふて涅槃のさとりが開けるのであります。それ故に、罪が消えてたすかるか罪が消えずしてたすかるかは、我々のはからふべきことではないと言はるる蓮如上人の言葉が、正しく感謝に富みたる宗教の心持をあらはして居るのであります。  善悪を知らぬ  かやうに、仏教の意味にて罪悪と申すのは、「舊約全書」に説いてあるが如くに、神の命令に背いたためにその罰として人間が受けたものではなく、全く無明のために人間が自分でこれを造つたものであります。畢竟するに、自分の心を責めてこれを罪悪とするのでありますから、言ふまでもなく倫理上の考へであります。法律を犯したと同様に、刑罰を受けねばならぬといふ意味の罪悪ではなく、自分で自分の心の有様をながめて、いかにそれが悪るいものであると知りてそれを罪悪といふのでありますから、煩悩というのと同じであります。緊縛といひますのも、又前にお話申したやうに、結といひますのも皆同じことであります。我々の心の有樣はまことに擾乱して煩はしいのでありますから、これを煩悩と申すのでありますが、一方から考へればそれは我々を束縛するのでありますから、緊縛とか結とかと申すのであります。さうして、それを倫理の上から考へて善悪の価値をつけると、必ず醜悪のものでありますから、これを罪悪深重と申すのであります。そこで問題となるのは善悪といふことでありますが、それにつきて親鸞聖人は次のやうに言つて居られるのであります。  「よしあしの文字をも知らぬひとはみな、まことのこころなりけるを、善悪の字しりがほは、おほそらごとのかたちなり、是非知らず、邪正もわからぬこの身なり、小慈小悲もなけれども、名利に人師をこのむなり」  これは、親鸞聖人が、自分で作られました和讃の最後の所に書いて居られる文句でありますが、言ふまでもなく親鸞聖人が和讃をお作りになつた後でつくづくと自分のことを省みて懺悔をして居られる言葉であります。善いとか、悪るいとかという文字を知らぬ交盲の人は、素朴で、かざりがなく、まことの心をあらはして居るのであるが、なまなか文字を知つて居るがために、それにとらへられて生地をそのままにあらはさず、善いとか悪るいとかといふことを知つたやうな顔をして、大きな嘘をついて居るのである。いろはの文字さへも分らぬやうなものには素朴の人が多く、その心はまことであるが、自分のやうに、すこしばかり学問したものは、善いとか、悪かいとかといふことを知つた顔をして嘘をつくのである、まことに恥しいことであると深く反省して居られるのであります。  慚愧の言葉  それから親鸞聖人は、自分は何が是であるか、何が非であるかといふことを知らぬ、何が正しきか、何が邪であるかを別つこと出来ぬ身である。それから、慈悲といへば、人をあはれみ、いつくしみ、はぐくむことをいふのであるが、その慈悲の小さいものですら、これを行ふことが出来ぬ自分である、しかるに名利の心が強いために、人の師となりて、人を導かうとするために、かやうに和讃を作つたかと思へば、慚愧の至であると申されるのであります。今自分は澤山の文字をならべて是非を知つて居るやうに和讃を作つた。正と邪とを別つことが出来るやうな顔をして和讃を作つた。これは名利の心の強いためであると慚愧の心をあらはして居られるのであります。まことに親鸞聖人は釈尊の教によりて弥陀の本願を信ずることの出来た喜びの心に堪へられずして、和讃を作られたのであります。名利の心が強くして、人を導くことを趣旨とせられたものでは無いのでありませうが、しかも親鸞聖人はかやうに慚愧の心を深くして居られるのであります。敬虔の態度と感歎せざるを得ないことであると申すべきでありませう。  真の善悪  親鸞聖人のお言葉が「歎異鈔」に記されて居るのを見ますと、親鸞聖人は善悪の二つはすべてわからぬといふことを申されたとあります。その言葉の前後の文句を一処に抄出しますると、次の通ほりであります。  「聖人の常の仰せには弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずればひとへに親鸞一人がためなりけり。さればそくばくの業を持ちける身にてありけるを、たすけんと思召したちける本願のかたじけなさよと御述懐さふらひしことをいままた案ずるに、善導の自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、嚥功よりこのかたつねにしづみつねに流転して出離の終あることなき身と知れと言ふ金言に少しもたがはせおはしませず、さればかたじけなく名称が御身に引きかけて、われらが身の罪悪のふかき程をも知らず、如来の御恩のたかきことを知らずして迷へるをおもひ知らせんがためにてさふらひけり。ことに如来の御恩と言ふ事をば沙汰なくしてやれるひともよしあしといふことのみまうしあへり。聖人のおほせには善悪のふたつ総じてもて存知せざるなり、そのゆへは如来の御こころによしと思召すほどにしりとほしたらばこそよきをしりたるにてもあらめ、如来のあしとおぼしめすほどにしりとほしたらばこそあしきをしりたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫火宅無常の世界はよろづのことみなもてそらごとたはごとまことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはしますとこそおほせはさふらひしか、云云」  この言葉をちよつと見ますと、親鸞聖人は善悪の二つは全く知らぬと言つて居られるやうであります。しかしながら、その前の方の文句を見ますると、そくばくの業を持ちける身といふことが、言葉の中にありまして、業の善し悪しということはよく知つて居られることは勿論であります。それ故に、親鸞聖人が、善し悪しの二つ総じてもて存知せざるなりと申されたのも、世間の人が普通に善し悪しと言つて居るやうな善し悪しを知らぬと申されたのではありません。普通の意味にて言ふところの善し悪しはよく知つて居られるのでありまして、倫理上の善し悪しを否定せられたのではありませぬ。我々は常に倫理上の意味にて善し悪しと口にするけれども、しかし、その本当の意味はわからぬと申されたのであります。それは、その次に説明してある文句を見ればよくわかることであります。内省の最も深いお言葉でありますから、さふ簡単に考ふべきことではありませぬ。  「そのゆへは、如来の御心によしと思召すほどに知りとほしたらばこそよきを知りたるにてあらめ、如来のあしと思召すほどに知りとほしたらばこそあしきを知りたるにてもあらめと云々」  とあるにて、よくわかるのであります。真の善悪は、如来でなくてはわからぬ、我々は全くそれを知ることが出来ぬと申されるのであります。  塞翁馬  実際に、我々が善いと思ふてしたことによくないことがあります。わるいと思ふたことが却つて善いといふやうなこともありまして、何が何だか、全くわからぬことが世の中の常であります。諺に人間萬事塞翁馬といふことがありますが、これはむかし支那の塞翁に一人の翁がありまして、その家の馬士が、北の方の胡国にいつて一日に千里もあるく駿馬を連れて来た。それは善かつたが、翁の息子がうれしがりてその馬に乗りましたところ、落ちて片輪となりました。善いことが悪るいことになつたのであります。それから後に、戦争が起りまして胡の国界の塞城の人は軍夫に取られて命を失ふたのが多かつたのに、息子は片輪であつたがために軍夫に取られず命を全うすることが出来たのであります。これは悪るいことが善くなつたのでありませう。人間萬事みなこの塞翁が馬の通ほりであるといふのであります。それから、むかしは寺塔を建立することは功徳が広大であるとして、志と金とが相応にあるのは寺院を建立したのでありますが、ある一人の僧が、寺院を建立して賞賛して貰はふと考へてある高僧に話したところが、その寺院の建立のために幾千萬の小虫を殺したかと言はれたので自慢の鼻が折れたといふ話があります。寺院を建立するといふことは仏法を傅ふるための利益が広大でありますから、功徳は少くないことでありませう。しかしながら、寺院を建立するがために土地の工事を施してそれがために幾千萬の小虫の命を絶つことは決して功徳ではないでありませう。されば一方で善いことをしたと考へて、それが他方では悪るいことであることが多いのであります。いかにも、人間萬事塞翁が馬であると申すべきことでありませう。  功利的  我々が普通に善いとか、悪るいとかといふことは、前にも繰返してお話致したやうに、倫理的にそのことの価値を善いとか、悪るいとかに定めて、悪るいことを廃して、善いことを修めねばならぬといふのであります。そこで、かういふ考へからして、善悪の価値判断に本づき、一定の規範が立てられて居るのが今日の他律道徳であります。どうせねばならぬ、どうしてはならぬといふ箇條をいくつもならべて、それを厳に守ることを勧めるのであります。しかし、この他律道徳は時代によりても相異し、又場所によりても変化するものでありまして、決していつも同じやうにきまつたものではありませぬ。野蛮人の中には人を殺してその頭脳を集めることを善いこととして居るものもあります。又むかしは親の仇を打つことなどは善いこととなつて居つたのでありますが、今ではさういふことは悪るいことになつて居るのであります。それ故に、善いことがいつでも善いのではなく、又悪るいことがいつでもわるいのではありませぬ。通常の場合、人を殺すのは善くないことでありますが、戦争にて人を殺すことは悪るいこととはせられませぬ。自分の国家のために反抗するものを殺すのでありますから、その国家からいへば善いことでありませう。しかしながら、殺された方の国家にもそれ相当の言い分があるでありませう。それが他の国家の人のために殺されたとすれば、それは必ず悪るいことでありませう。かやうに深く考へて見ますと、我々が倫理の上にて善悪の価値をつけるといふことも、結局、自分等の都合の善いやうにといふことを主旨するもので、厳密に申せば功利的を離れることはないといはねばなりませぬ。他律道徳はさうであるにしても倫理には自律のものがある。我々の心の奥には常に善に対する欲求があり、悪に対する憎悪がある。所謂良心といふものがあるから、それに從へば善と悪とは定まるのであるといふ人もありませう。しかしながら、深く考へて見ますと、それは迷妄の心を捨て去りた後にあらはれるべきものでありまして、常に我々の心の内にある自律といふものも、畢竟するに自己保存のためにあらはるるものでありますから、それは功利的ならざるを得ないものであります。一応は善いとか、悪るいとかと、その価値をきめることは出来まして、深く考へて見れば真実にそれが善いことであるか、悪るいことであるかといふことはわからぬことが多いのであります。  反省生活  言ふまでもなく、我々が生活するこの世間は倫理的の善悪といふものが行はれて居るのであります。これを離れては生活することが出来ぬのであります。固より自律の心があらはれるにしても、なほその心のはたらきを強くするがために他律の規範を立てて、人も我もお互にこれを守ることをつとめねばならぬことであります。国家に法律といふものが設けられて居るのもこの道徳の実行を十分にするための方便のものに外ならぬのであります。かやうに、倫理の心のあらはれることによりて自分の心の有様をよく、ながめて、いかにも、それが道徳の規範に背くことが著しいのを認めて、ここに罪悪深重とか、罪悪生死の凡夫とかといふやうな悲痛なる慚愧の言葉が出て来るのであります。親鸞聖人のお言葉を前に引きました内に  「聖人の常の仰せには、弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり、さればそくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんと思し召したちける本願のかたじけなさよと御述懐さふらひしことを云々」  とありまして、巳に業といふことが考へられて居る以上、その悪業をかなしみて居られることは明かであります。その悪業をば十分に反省せられたるによりて、かかる浅間数ものをお助けにあづかる本願のありがたきことを感謝せざるを得ないのであります。法蔵菩薩が此の如き罪業深重のものをたすけむと、極めて長い間、思惟して立てられたる本願は、思へば、親鸞一人がためであつたと、親鸞聖人が述懐せられたといふことは、いかにもその反省生活が徹底したことを示すものであります。  善悪の思考  此の如き反省生活は固より倫理上の思考に本づくものであります。我々の心と、それからあらはれて来るところの行とを理の上から思考して、これを自から責めるところに反省の実が挙るのであります。さうして、反省がますます深くなりて、自己の煩悩具足・罪悪深重の意味が十分に徹底するに至りて、此の如き善し悪しの考へは全く凡夫の妄見に過ぎぬといふことが認知せられるのであります。たびたび繰返して申すやうに、善し悪しといふことは我々が倫理上から、価値をつけていふのでありますから、いづれにしてもそれは我々凡夫の転倒したる考へに外ならぬものであります。まことに「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもて、そらごと、たはごと、まことあることなき」ものでありますから、我々の思考するところは、皆ことごとく、迷妄のものであると申さねばなりませぬ。善し悪しといふことも、全く我々の思考に外ならぬものでありますから、此の如くに、煩悩具足・火宅無常の意味に徹底して見れば、倫理上の価値の判断も要するに凡夫の妄見に過ぎぬものであります。それ故に「そくばくの業をもちける身にてありけるを助けむと思し召したちける本願をかたじけない」と仰いで信ずるまでに自分の相を徹底的に内観したる場合には「善し悪しの二つ総じて存知せざるなり」であります。善悪の思考は何等の意味もないものとなるのであります。それをば罪が消えると申すのであります。それ故に罪が消えるといひましても、単に、有る罪を無くするといふやうな意味でなく、我々が罪悪と思考して居ることは往生のためには何の関係もないというほどのものであります。「歎異鈔」の第一章に  「弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばず、ただ信心を要とすとしるべし、そのゆへは罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけむがための願にてまします、しかれば、本願を信ぜむには他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なき故に、悪をおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆへにと、云云」  とあるのは、全くこの意味を明かにしたものでありませう。我々凡夫の妄見にて、善しといふも、又悪しといふも、如来の光明に照らされて見れば、全く差別のないものでありませう。  自然法嗣  かやうに考へて来ますると、善し悪しの考へは全く倫理の上のものであり、宗教の上では善し悪しの思考が無くなるのであります。さうして善し悪しの思考が無くなるといふのは、その思考に囚はれないことを指すのであります。親鸞聖人の法語に「自然法爾事」と題するものがありまして、その内に  「自然といふは、自はおのづからといふ、行者のはからひにあらず、然といふはしからしむるといふことばなり、しからしむといふは行者のはからひにあらず、如来のちかひにてあるがゆへに法爾といふ、法爾といふはこの如来の御ちかひなるがゆへに、しからしむるを法爾といふなり、法爾はこの御ちかひなりけるゆへに、おます、行者のはからひのなきをもて、この法の徳のゆへにしからしむといふなり、すべて、ひとのはじめてはからはざるなり、このゆへに義なきを義とすとしるべしとなり、自然といふはもとよりしからしむるといふことばなり、弥陀仏の御ちかひのもとより行者のはからひにあらずして南無阿弥陀仏とたのませたまひてむかへんとはからはせたまひたるによりて行者のよからむとも、あしからむと、おもはれを自然とはまふすぞときてさふらふ」  とありますが、全く善悪の思考に囚はれず「善からむとも、悪しからむとも思はず」すべての思考のはたらきをやめて、ぢつと、自分の心の相を見つめるとき、それがすなはち弥陀の本願を信ずる心でありますから、自然法爾に如来の御たすけにあづかるぞと申されるのであります。前にも巳に申したやうにこれは決して世の中の道徳を無視するものではありませぬ。善悪の価値の判断を否定するものでもありませぬ。我々凡夫の迷妄の心からして、善し悪しのはからひをすることを排斥するのであります。善し悪しの心に囚はれて居るのを排斥するのであります。排斥するといひましても、善し悪しと倫理的に判断することがよくないから、さうするに及ばぬといふのではありませぬ。善し悪しの思考は凡夫の心のはからひに過ぎぬのものであるから、如来の御心に対しては何事の価値のないものであるといふことを知れと申すのであります。「行者の善からむとも、あしからむとおもはぬを自然といふ」と申さるる意味であります。  罪に泣く  かやうな次第でありますから、我々が深く自分の心を内観するとき、煩悩具足の相が明かに認められる、それが自責の心からして罪悪とせられるのであります。さうして、それは全く自分の無明のために起るものでありますから、自分としてはそれを如何ともすることの出来ぬものであります。我々としてはただその罪悪深重をするのみであります。ただその罪に泣くのみであります。これによりて、始め自分といふものの価値があつたために倫理の考へがあらはれ、自分の罪悪を明かに知つたのでありますが、罪悪を知つてしかもそれを如何ともすることが出来ずして罪に泣くのみの有様になりますと、自分といふものの価値は全く無くなり、「我」といふ小さい垣はくづれて、周囲にあまねく存するところの「まこと」が直ちに感ぜられるのであります。如来の光明といふのはこの「まこと」であります。この光明に照らされて見ると、我々が善し悪しをつける価値は意味のないものであります。  三途の業  永観律師の言葉に  「人一日一夜を経るに八億四千の念あり、念々に成ずる所皆是三途の業なり」  といふことがあります。まことに樂しみのあることも罪であります。貧しく悲しいことも罪であります。悪るいと思ふのも罪であります。妻をかなしみ、子をかなしむのも罪であります。形の善し悪しを思ふも罪であります。田を作ることも罪、竄を飼ふことも罪であります。我々の心のはたらきの一切は三途の業であります。それは前に申した通ほりに、我々の心のはたらきはすべてこれ煩悩といはねばならぬものでありますから、その煩悩が如何なる場合でも、自分に都合のよいといふことをもととして居りますから、それでそれを罪とするのであります。それ故に、「一日一夜を経るに八億四千の念あり、その念々に成ずる所皆是三途の業」であります。まことに、我々の思ふこと為すことは、皆地獄に堕つる種であります。それ故に仏教の意味の罪悪は、法律の意味に於て禁條を犯すのを指して罪であるといふのとは相異した心持であります。深く反省して自分の心の相を見たときには、自分の全体が罪であります。念々に成ずるところは、すべて三途の業であるといはねばなりませぬ。  慚愧の心  かやうに、煩悩の具足せることはすなはち罪業の深重なることであります。罪悪といふことは、煩悩があるといふことであります。しかしながら我々は自分が起す煩悩さへも身に思ひ知られぬ浅間敷ものであります。煩悩をば煩悩とも思はずにこれを起して居るのでありますから、煩悩は到底やむことのない身であります。煩悩が起らぬやうにせねばならぬと言はれても、それは到底、我々には出来ることでありませぬ。しかしながら、我々が少しく内省して見ますと、ある程度までは煩悩を煩悩とわからぬことはないのであります。罪悪と考へることも出来ないことではないのであります。それ故に、煩悩をば己が心に任せて起すことを慎しまねばならぬといふことにも、気がつかないことはないことはないのであります。気がつかなければそれまででありますが、それに気のついた以上、それが悪るいといふ心が起るのであります。これは慚愧の心であります。さうして、この場合に起るところのものは言ふまでもなく倫理の心であります。  罪福心  しかしながら、この場合に起るところの慚愧の心は、罪福を信じ自力にて廢悪修善の功を積まうとする心でありますから、たとひ熱涙を流して慚愧したにしても、その慚愧の心に自から廢悪修善の傲慢の心が起るのであります。それ故に、その慚愧は結局徹底しないのであります。たとへて申せば、暗闇の何も見えぬ所で、これは不浄であるといはれて不浄であると思うのと同じことであります。「一日一夜を経るに八億四千の念あり、念々に成ずる所皆是三途の業なり」と言はれるのをきいてなるほどさうかと思ふ。わからぬけれども人がさういふからさうと思つて居るのであります。  差別の現実  願つて考へますと、この世の生活には差別の現実が行はれて居るのであります。人々は悪るいことをやめて善いことをせねばならぬのであります。そこでどうしても善い人と悪るい人とがなければならぬ、そこに善と悪との闘争が行はれ、善人と悪人とが対立して居る。人々は害を避けて利に赴かうとする、そこで利と害とは互に争はなくてはならぬのであります。さうして我々はいつでも自分を利して他を害することを平気で居るのであります。その外、貧と富とが対立し、貴と賤とが対立し、そこに貧富貴賤の問題があらはれて来るのであります。此の如き現実の差別の世界にありて善も悪も一如、利も害も一如であるといふやうな平等思想を説いても、それは同じく闘争でありまして、領會せられることはないのであります。要するに、我々の煩悩は此の如き現実の差別の世界にありて、我々が此の如き差別の考へから離れることの出来ぬために起るものであります。  宗教的の慚愧  それ故に、我々は第一に煩悩を煩悩と知る智慧を得なければなりませぬ。しかしながら、さういふ智慧は固より我々の力によりて得らるべきものではありませぬ。我々の心はこれまで度々申したやうに、我々の心の真実の相をかくすやうにつとめるものでありまして、その真実の相をその儘に見るやうにはたらかぬのが常であります。又悪るいと思ふ心も自分の心であれば、それを直さうとする心も又自分の心でありますから、それではどんなに考へても、結局解決はつかぬのであります。それ故に、我々が我々の心をそのままに知る智慧があらはれるとすれば、それは我々の心を超越したものでなければなりませぬ。それを仏智と申すのであります。これによりて、自分の醜悪の相をそのままに見て、明るい所で醜いと知るその智慧であります。その智慧が得られなければ心のしづまることはないのであります。さうして、さういふ心の相をば宗教の意味で慚愧と申すのでありませう。普通にいふところの慚愧と異なりて、宗教の意味で申す慚愧は、悪るいことをそのまま悪るいと知ることであります。  述懷和讃  親鸞聖人が作られました「述懐和讃」と申すのは、聖人が自分の心持をそのまま書きあらはされたものでありますが、その始めの第一句から第六句までは慚愧のことが書いてあります。  「浄土真宗に帰すれども、真実の心はありがたし。虚不実のわが身にて、清浄の心もさらになし」  浄土真宗と申すのは仏教のことであります。自分は仏の教に帰依するが、しかし真実の心といふものはどうしてもない。虚仮不実の身であるから、清浄の心もさらにないとかう述懐して居られるのであります。それから  「外儀のすがたはひとごとに、賢善精進現ぜしむ  貪瞋邪偽おほきゆへ、?詐《かんさ》ももはしみにみてり  悪性さらにやめがたし、こころは蛇蝎のごとくなり  修善も雜毒なるゆへに、虚仮の業とぞなづけたる」  外の形は賢いやうな風をしているけれども、腹を立てたり、貪つたり、偽ることが多いから仕方がない、悪性は更にやめがたい、心は蛇のやうなものであるから、さういふ内の心をやめないでする行はすべて雑毒である。善といつてもまじりけのある善である。それ故に一切がうそいつはりであると、かう言はれるのであります。これはいふ迄なく、自分の心の罪悪の相をそのまま説明せられたものでありませう。その次に  「尤慚尤愧のこの身にて、まことのところはなけれども  弥陀の廻向の御名なれば、功徳は十方にみちたまふ」  とあります。これは上に挙げられた心の浅間しい相をまとめて無慚無愧と申されたのでありまして、早く言へば前の六句をまとめたものであります。  無慚無愧  無慚無愧といふことはどういふことであるかと申すと、内に自ら恥づる心のないのが無慚であります。人に向つて発露して恥づる心のないのが無愧であります。又、人に恥づる心のないのが無慚であり、天に恥づる心のないのが無愧であります。親鸞聖人はこの尤慚尤愧のところに「テンニハヅルココロナシヒトニハヅルココロナシ」と訓をつけて居られますが、これを要するに、自身の心の相をそのままにながめられた、それを無慚無愧とまとめて言つて居られるのであります。元来この和讃の文章は善導大師の「散善義」といふ書物にかいてある「貪瞋邪偽、?詐《かんさ》百端にして、悪性侵め難き事、蛇蝎に同じ」とあるところから導かれましたもので、それがすなはち尤慚尤愧の心の相に外ならぬのであります。  如来の廻向  かやうに、自分の浅間しい相をそのままに無慚無愧と言つて、自分としては自分の心を如何ともすることが出来ぬが、仏の御名は弥陀の方から廻向せられるものであるから自分のやうなものでもその慈悲には洩れぬと、かう言つて居られるのであります。  「小慈小悲もなき身にて、有情利益はおもふまじ  如来の願船いまさずば、苦海をいかでかわたるべき  蛇蝎?詐《じやかつかんさ》のこころにて、自力修善はかなふまじ  如来の廻向をたのまでは、尤慚尤愧にてはてぞせん」  小さい慈悲でもすることの出来ぬ自分のやうなものは、如来の本願の船がなかつたならば、どうしても苦海をわたることが出来ないと言はれるのであります。それ故に、如来の本願をたのみ、如来の廻向をたのむといふ人は慚愧の心のある人といふべきであります。それはすなはち我身の愚悪を深く信じて、真実に自分の価値を否定した心持であります。さうして仏の本願はかかるものをたすけられるのであると信ずる、それによりて無慚無愧のものながら平安の生活をなすことが出来ると言はれるのであります。それに反して、如来の廻向をたのまぬものは慚愧の心があらはれず、少しばかり善いことをすれば、その善心に誇りて無慚無愧でこの世を了つてしまふのであります。  履蔵  前に申した通ほりに、深く考へたならば、自分の心の悪るいといふことはある程度まで自分にもわかるのでありますが、しかしながら、自分の悪るいことに理窟をつけてこれを覆蔵して、己れが非に理窟をつけて、いひわけをして通らふとする。これは決して安心の状態ではありませぬ。罪をつくりながらこれを覆蔵するによりて罪はますます、増長するのであります。「大無量壽経」の中に、「世の中に二人の智者あり、その一人は本より罪を造らぬ、一人は罪を造るといへど懺悔する人なり」といふことがありますが、我々が罪を造る、それをそのまま見るところに慚愧の心があり、これを覆蔵するところに罪はますます、増長して、苦悩は却つていよいよ増長するものであります。  阿闍世王  阿闍世王が太子であつたとき、提婆の煽動の煽動にのつて、父の頻婆娑羅王を殺して王となり、又母の韋提希夫人を幽閉した。ところが後になつてひどくそのことを後悔して、到頭病気となつて仕舞ひました。それはあるとき阿闍世王の子供に腫物が出来た、その時阿闍世王はその子供の腫物の膿を吸つた、それを母の韋提希夫人が見て、「お前のお父さんお前が小さかつた時、やはりそのやうにして膿を吸はれた」と話されたので、阿闍世王はふと父親の慈悲に気がついてこれを殺したことを後悔したのであります。それで精神的にも身体的にも非常に苦しんだのであります。ここに所謂普通の慚愧の心が起つたのであります。さうして多くの大臣等は王の病床を見舞ふていろいろにこれを慰めたのであります。ある大臣は「法といふものに、出家の法と王法とある、出家の法から言へば小さい虫を殺しても罪であるが、王法から言へば王を殺しても罪とはならぬ」といひました。又ある大臣は「頻婆娑羅王は自分の業で殺されたのであるから殺した大王には罪はない。一体人間といふのは、この世の業によつて禍福をうけるものではなくて、前の世の業が今報つてゐるのである」といひました。又あるものは「親を殺して王位についたものは澤山にある、大王一人ではない。これは因縁であつて善悪はないといふ学者があるから、そこに行つてその法をよく聞きたまへ」といいました。それから又「殺すといふことはない筈である。我といふものがないならば殺害するといふことは決してない、命は風のやうなものである」といふものもあつたのであります。阿闍世王が自分の心の現実の相を見やうとしてみたところに、大臣等はそれをかくさうかくさうとしていろいろなことをいつたのであります。これは皆人のやることでありますけれど、それでは心のしづまるものではないのであります。阿闍世王は大臣等のいることによりて少しもその心を安んずることが出来なかつたのであります。これらは言ふまでもなく平等虚無の思想でありまして、仏教でもその哲学としてはさう説いて居るのであります。一切は空だと説くのであります。しかし今、大臣等はそれによりて自分のわるいといふことをかくさうとすることを勧めて居るのであります。結局、それは倫理の感情を麻痺ささうといふはたらきでありまして、宗教の心とは遙かに遠いのであります。それでは決して心の落著くものではありません。  耆婆大臣  最後に耆婆といふ大臣が、阿闍世王の病気を見舞ひ「大王は大罪を犯されました。しかしながら今や慚愧の心をおこして居られますことはよろこばしいことであります。如来はつねに申されます。二つのよい法で衆生はすくはれる、一とつは慚であり、一とつは愧である、今大王がこの慚愧の心をおこされるのを大変うれしく思ふ、何卒釈尊のところに行つて重い病をなほされたらよろしからう」と申した。その時空中に声ありてといふ風にお経には小説風に書いてありますが、これは阿闍世王の心がさうであつたのでありませう。まあともかく空中に声あつていふやう、  「王の罪は実に重い、地獄一定である。そこで速に世尊の御もとに行くやうに、世尊を除いて王を救ふ方はない」  かういふ声がしたのであります。阿闍世王はそこで驚いて「あなたは何ものか」とたづねた。するとそれに答へて「自分は御身の父、頻婆娑羅である。耆婆のすすめにしたがうて速に世尊の御もとに行くがよい」といふ声がした。阿闍世王はそれを聞いて大変感じたのであります。ところが釈尊が遙かにその樣を見られて、月愛三味に入られて、その光明にて、阿闍世王の身を照したまふたところが、その病が忽ちに癒えたといふのであります。三味というのは心を一心不乱にすることで、明々酷々たる月の光を一心不乱に愛するといふ意味で、平等なる大慈悲心の中に阿闍世王を取り込まれたのであります。ところが阿闍世王は「自分は釈尊のところに行きたいけれど、釈尊は私に逢はれるであらうか」といひました。耆婆が曰ふには「たとへば七人の子供があつて皆変りなく可愛いが、その中の一人が病めばとりわけその子にひかれるものである。如来も一切衆生を愛される中にも、罪あるものを殊に愛されまする」と答へたのであります。それから釈尊のもとに參つたのであります。そこで釈尊がいはれるには、  「御身は頻婆娑羅土を殺された。それはしかし罪はない。一体涅槃の本体といふものは、有とも無とも言はれない。はたらきの方からいへば有である。人を殺すといふことも本体からいへば有とも無とも言はれる。はたらきから有である。しかし慚愧の心に対しては非有である。慚愧の心のない人には非無である。その果報を愛する人から言へば有である」と言はれた。  これをきいて阿闍世王はひどく感じて忽ちその心を安んずることが出来たのであります。大慈大悲の光明に照されて見れば我々が罪といふことも皆虚無のものであります。この世の中はよろづのこと皆もてそらごと、たはごとでありますから、善といひ、悪といひ、共に大慈大悲の光明の前には執著すべきものではありませぬ。  宗教の心情  阿闍世王は釈尊の説明をきいて全く苦しみから離れて釈尊に申上げるには、  「伊蘭といふ毒樹の実から伊蘭の樹が生え、伊蘭の実から梅檀の樹の生えたことを見たことはありませぬ。然るに今私は初めて伊蘭の実から梅檀の樹の生じたのを見ました。伊蘭の実といふのは私の事であります。梅檀の樹といふのは私の心に生えた無根の信であります。私は今まで如来に事へたこともなく、法寶、僧寶を信じたこともございませんでした。もし私が如来にあはなかつたならば地獄におちて限りない苦しみをうけねばならぬのでありました。」と申すと、釈尊が言はれるには、  「御身のその功徳をもつて衆生の煩悩を破り、悪心を除きうることは私の見透していることである」  阿闇世王は申しあげた。  「もし私が衆生の悪心を破ることが出来るならば、私は無間地獄にあつて、限りない間、衆生のために大いなる苦しみをうけても苦しいと思ひませぬ」  所謂宗教の心がここにひらけて来たのであります。阿闍世王はその父を殺したることを後悔し、地獄に堕つることの恐怖に苦しむだのであります。それが釈尊の柔和なる光明に照されて見れば、その罪悪は如来の前には何等の障碍がないことを知り、その心が安らかになり、たとへ地獄に落ちても苦しくないとまで進展したのであります。  道徳の規範  前に申しましたやうに我々に取りて一番大切なるものは生命でありますが、その大切なる生命は与へられたるものであります。どこまでこれを大切に保存すると言ふことは、我々人間の自然の義務であると申さねばならぬことであります。それは生命といふものは我々に興へられたもので、それによりて社會が形造られて居るのでありますから、それは全く自分のものではありませぬ。社會と関係して居るものでありまして、どうしても自分一人のものとは考へられないからであります。それ故に我々は生命を尊重し、常に努力して立派な人格をつくつて社會を美麗にして行くことが大切なることであります。さうしてさういふことのために倫理の感情が起きて来るのであります。お互に助け合い、お互にいつくしみ合ふといふ心がめいめいの心の中から自から湧いて来るのであります。その倫理の心の現れた時にそれが我々の行ひの上に所謂道徳として出て来るのであります。かやうに、倫理の心が我々の心の奥に現はれて、それからそれが我々の行ひに出づる、その行ひに出づるといふ場合を考へて、それがいかやうにあらはれねばならぬかを考へて、それをまとめたものが規範と言はれるのであります。たとへば人に対しては深切でなければならぬ、親には孝行をしなければならぬといふやうな色々な規範といふものが作られて、人から人に伝へられるのであります。  価値の判断  さうして此の如き倫理の心が起きて来るのは、価値の判断をすることが根本でありまして、何か考へ何か行はうとするときに、我々は何時もそれが善いか悪るいかの値打をつけて、さうして善いと考へたことは行なひ、悪るいと考へたことをやめるやうにするのであります。ずつと前に、第一に恩のことを御話しましたが、恩ということはめぐみといひまして、草や木の芽がだんだんと延びて行くこと、それが自然のお蔭でだんだんと延びて行くとおなじやうに、我々も一切のものの助けに依つて我々の生命が延びて行くことを感じたときに、これを恩とするのであります。儒教ではこの心を仁といふのでありまして、この仁が人と人、又は物と人との間にあらはれるその場合には愛といふのであります。仏教では恩を四つに分けて父母の恩、衆生の恩、国王の恩、三寶の恩と申すのでありますが、ひつくるめますと、我々は一切のものの助けに依りて生命を保つて居るといふことが感ぜられることを指して言ふのであります。それをもつと具体的に言へば、仏教では慈悲といふので、慈悲とは物をあはれみ、かなしみ、はぐくむことであります。又忠恕といふことにつきて御話しましたが、忠とは人に対して自分の心を話すことであります。恕とは自分の心を推して人に及ぼすことをいふのであります。しかし、かういふ場合に、常に我々の心にあらはれるのはそれに善し悪しの価値をつけることでありまして、この価値の判断が出来なければ倫理の心もあらはれるものではありませぬ。  良心の呵責  価値の判断をする心がありまして、倫理の心があらはれましたとき、さて、規範として示されて居るところの道徳の法則を考へますと、それは実に六ヶ敷くして、それを徹底して行ふことは不可能であるといはねばなりませぬ。そこで考へれば考へるほど、自分のすることがよくないといふことが考へられるのでありまして、これを良心の呵責と言ふのであります。誰人でも自分の心をかへりみて悪るいとしたとき、それが善いとは決して思ひませぬ。けれども、そのやうな倫理の心が起きて来ることも、善いとか悪るいとかの判断をすることが本でありますから、倫理の心は起れば起るほど、我々の心を苦しめるものであります。倫理の心はますます我々を呵責するものであります。さうして、この良心の呵責が、我々をして進むで宗教の世界に入らしめるものであります。  内省の極致  巳に前にも申したやうに、我々が善いとか悪るいとかと判断することも、よく考へて見ると結局、親鸞聖人の言はれるやうに、よしあしは知らぬといふに帰著するのであります。なるほど世の中によしあしの判断をするに足るだけの標準はありますが、多くの場合、我々のよしあしは自分に都合のよいわるいを標準にして居るのであります。よしあしは道徳の規範として定まつて居るやうでありますが、実際に当るとその規範には迷はねばならぬことが多いのであります。一方にありては、親の命に背くなと言ふ規範があり、一方にありて他の人の物を盗むなといふ規範があるのに、親が人の物を盗めと命じた場合いかにすべきかと、その矛盾に当惑することでありませう。平重盛が「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず、重盛進退ここにきはまる」と嘆いたといふことがありますが、さういふ矛盾に当惑することは普通の人に多く見ることでありませう。内省を深くして、よくよく考へて見ると、我々が何時も考へて居るよしあしは要するにたわごとそらごとであると知らねばなりませぬ。「よしあしの二つ総じてもて存知せざるなり」と親鸞聖人が申されたのは内省の極致であります。世の中に善いとか悪るいとかといふことが無いと言ふのではありませぬ。善悪の価値判断を無視し、道徳を排斥するのではありませぬ。  自我意識  「善し悪しの二つ総じてもて存知せざるなり」と言はれた親鸞聖人の心持は、言ふまでもなく自分ということの意識が捨てられた状態であります。我々がおれがおれがといふ意識を十分に働かして居る間は、自分の方に都合のよいやうにその心を運ぶのが常であります。それ故にこの心で良心の呵責が感ぜられて、なるほど悪るかつたと考へることがありましても、どうかして自分の悪るかつたことを隠してゆかうとする心が強くあらはれるのでありますからそれは必ず苦悩であります。仏教でいふところの煩悩具足であります。宗教はその苦悩を離れる道を説くのでありますから、その苦悩を離れるためにはその根本をなすところの自我意識を捨てねばなりませぬ。  苦悩と宗教  それには自分の心の有様をそのまま見ることが必要であります。現実の相を正直に見た場合はこれを罪悪といはねばならぬのでありますが、さういふ意味の悪は我々としてどうすることも出来ないことは明かであります。言ふまでもなく、その心のはたらきは与へられたものであります。自分でつくるやうであり、又幾分か自分でつくることも出来るのでありますが、与へられたる心でありますから、それはどうすることも出来ませぬ。それ故に我々はその心の悪るいといふことを痛歎するより外はありませぬ。そこに我々の自我意識は否定せられるのであります。かやうにして、自我意識が否定せられたときに起る心を宗教と言ふのであります。倫理の心は自我の意識が明かで、自分が如何にも悪るいと感じて居て、それを善くしやうと努力するのでありますから、宗教の心とは大分かけ離れたものであります。自分を捨てないで、自分をそのままにして置いて、さうして自分が悪るかつたと考へれば考へるほど苦悩は増すものであります。自我の意識を捨てるといふことは、おれがおれがと我を強くせぬことをいふのであります。若しかやうに自我の意識を否定すれば、その苦悩は我々をして進むで宗教に向つてゆかしめるのであります。  悪を畏れず  「歎異鈔」の第一節に親鸞聖人の言はれたといふ次のやうな言葉が載せてあります。  「しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆへに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆへにと」  これは正しく宗教の心であります。悪るいことを避けて、善い方に進むと言ふことは人間の道でありまして、道徳の世界にて大切なることであります。仏教を修行するの道もこれを度外してはならぬのであります。しかしながら、我々はその心の拙いものであります。善いことを求むれば求むるほど、善いことが求められぬことを痛感せねばなりませぬ。悪るいことを止めんとすればするほど悪るいことのやめられぬことがよく分るのみであります。かやうに自分の現実の姿をながめるとき、我々はどうすることも出来ないのであります。かやうにして、どうすることも出来ないといふことを知るのは自我の意識の価値がなくなつたのであります。仏教の言葉で申せば真実の光明に觸れて我々の醜悪の心が値打を失つたのであります。俳人一茶の句に「山の月花盗人をてらしたまふ」と言ふ句がありますが、月は花を盗む人までも一樣に隈なく照すのであります。それ故に、如来の光明の前には悪も畏れずと親鸞聖人が申されたのは、全く宗教の心の開けたる世界であります。宗教の世界は道徳の世界をはなれたものであります。決して罪がないというのではありませぬ。罪悪の外には何もない自分を省みたとき、それがその儘に如来の光明に照されるのでありますから、善も欲しからず悪もおそれずと申される。これは親鸞聖人の宗教的の体驗であります。念仏に勝る善なき故に自分には他のよいといふこともほしくないのであります。親鸞聖人は念仏の外には何も求められなかつたのでありますから、親鸞聖人には仏を信ずることと本願とは全く同じことであります。信ずることは念仏を申さむと思ひ立つ心より外には何もないのであります。ただ自分の罪の深いことを眺めて悲しむ、その悲しみの声が念仏であつたのであります。それが仏の本願であると言はれるのであります。一切を摂取して捨てない仏の慈悲が念仏であるといはれるのであります。故に善もまたまたほしからず、悪もおそれずと言はれるのでありまして、道徳が必要でないと言はれるのではありませぬ。  仏智信受  「口伝鈔」の中にも、これと同じやうな親鸞聖人の言葉が載せてあります。それは次の通ほりであります。  「聖人親鸞おほせにのたまはく、某はまたまた善もほしからず、また悪をもをそれなし。善のほしからざるゆへは、弥陀の本願を信受するに、まされる善なきがゆへに。悪のをそれなきといふは、弥陀の本願をさまたぐる、悪なきがゆへに。しかるに世のひと、みなおもへらく、善根を具足せずんば、たとひ念仏すといふと、往生すべからずと。またたとひ念仏すといふとも、悪業深重ならば往生すべからずと。このおもひともにはなはだしかるべからず。もし悪業をこころにまかせてとどめ、善根をおもひのままにそなへて、生死を出離し浄土に往生すべくば、あながちに本願を信知せずとも、なにの不足かあらん。そのこといづれも、こころにまかせざるによりて、悪業をば、をそれながら、すなはちをこし、善根をばあらませども、うることあたはざる凡夫なり。かかるあさましき三毒具足の悪機として、われと出離にみちたえたる機を、摂取したまはんための五劫思惟の本願なるゆへに、ただあふぎて仏智を信受するにしかず」  かやうに説いてあるのを見ますと、我々が悪るいとか、善いとかと価値をつけて言つてみることは、仏の本願の前に於ては何の意味もないことであります。人間が善い悪るいと言つてゐることは仏の世界に於ては何にもならぬことであります。人間の一切の善悪が仏の光明に照されてみれば消えてしまうのであります。そこに道徳の心は全くないのであります。固より言ふことや、行ふことが道徳に背きてよいと言ふことではなく、かやうに宗教の心の開けた人は自我の意識を肯定しないから、善悪の判断が何の用をなさぬのであります。仏に対して、自分の悪るいところを助けて貰はうとか、極樂にやつて貰ふとかといふやうに、自我の意識を強くあらはす場合に、それは宗教の心をあらはすものではありませぬ。ただただ仰いで仏智不思議を信受すべきであります。さうして、ただ仰いで仏智を信受するといふことは、自我の意識を離れて始めて出来ることであります。  非道徳の譏  一寸考へると、かやうな親鸞聖人の言葉は道徳を非難するものであるとの譏を免れぬものでありませう。実際それは近頃まで隨分問題となつたこともあるのであります。  「親鸞は父母の孝養のためとて、一遍にても念仏まふしたること、いまださふらはず。そのゆへは、一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり。いづれも、この順次生に仏になつてたすけさふらふべきなり。わがちからにてはげむ善にてもさふらはばこそ、念仏を廻向して父母をたすけさふらはめ。ただ自力をすてていそぎ淨土のさとりを開きなば、六道四生の間いづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもてまづ有縁を度すべきなりと」  一寸、この言葉を聞きますと、父母に孝行することは要らぬといふやうに聞えることもありませう。しかし、この文章をよく読むで見れば決してさうでないことは分る筈であります。一寸見ますと、人倫の上で大切なる孝行を否定してあるやうでありますが、実際さういふ意味でないことは明かであります。「父母の孝養のためにとて念仏せぬ」とありますが、それは父母の冥福を祈るためにとて念仏を申さぬといふことであります。この時代は父母のために冥福を祈る目的で念仏を申したのでありますが、親鸞聖人は道徳と宗教との心のはたらきをはつきりと分けられて、念仏を道具にして父母をよくしやうといふことはしないと申されたのであります。それ故にその後に説明がしてあります。それはその次に理由を説明して「そのゆへは、一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり。いづれもいづれもこの順次生に仏になりてたすけさふらうべきなり。わがちからにてはげむ善にてもさふらはばこそ、念仏を廻向して父母をたすけさからはめ。ただ自力をすてていそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道四生のあひだいづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもてまづ有縁を度すべきなり」とあるのを見て、よくわかることであります。自分の力でやる念仏ならば、自分で助けることも出来ませう。自分の申す念仏は仏の本願が私の心の中にみちみちたのであります。我々は唯それを信受するのみでありまして、それを道具に使つて親の冥福を祈るべき筋のものではありませぬ。このやうな宗教の心が開けて見れば道徳は問題とすべきものではありませぬ。しかし、却つてそれは道徳の規範を実施することの出来る強い力をあらはするのであります。  懈慢の心  聞きやうに依つて、善い悪るいも要らぬ仏の本願は悪るいものを捨てぬ、ただ仏智不思議を信ずるのみと聞かされると、そこに自分の意識を前において、仏の慈悲といはれる言葉は直ぐ自分といふものを乗せやうとするのでありますから、かかる浅間しき凡夫をおたすけ下さるはまことにありがたいと来るのであります。これは言葉は同じでもその心が違ふのであります。そこで、悪るいことを改めやうとせず、放埒の生活をする。もつと極端になれば、善いも悪るいも人間の作つたもので真実のものではないから、我々は思ふままに生活したらよいではないかといふ。さうなれば道徳の制縛からはなれて極めて自由な境界になりませう。しかしながらこれは全く倫理の心を麻痺せしむるのでありまして、ただ仏のお慈悲をありがたいと酔つてしまふのであります。自分で自分の心を滿足させて居るのであります。  宿業の感  かくの如く、宗教の心にありては自我の意識が全く否定せられて居るのであります。親鸞聖人にあつては、自我の意識が否定せられて我と思ふことはなかつたのであります。さうして、それは深く自分の心を省みてこれを如何ともすべからざることがよく感知せられたのでありました。王陽明が「山中の城は平らげ易いが、心の中の賊は平らげ難い」と言つたことはまことに尤であります。我々は自分の心に使はれて居りまして、自分の心を使ふことは容易ではありませぬ。かやうに、平らげることの六ヶ敷い、抑へることの容易でない心のために、それがちよいちよい言葉に出たり、行ひに出て来るのでありますから、我々は毎日罪を重ねるのであります。さうしてそれはどうすることも出来ないものであります。善いことをせんとすれど出来ず、悪るいことをすまいとすれど、悪るいことをすることがますます分るのであります。親鸞聖人は  「兎毛、羊毛のさきにゐるちりばかりも、つくるつみの宿業にあらずといふことなしとしるべし」  と言はれるのであります。考へて見ますれば、如何ともすることが出来ない我々の心でありますから、一切のことが宿業であると自覚されたのでありませう。宿業といふことは、長い間に、自分の言つたこと、したこと、思つたことを集めたものをいふのでありまして、この宿業に依つて悪るいことも善いことも起るのであるから、自分としては如何ともすることの出来ないことを嘆かれたのでありませう。一寸考へると、多くの人の言ふ運命とか宿命とかといふのに似て居りますが、さうではありませぬ。元来我々の心は或るところまでは自由であります。物を食べやうと思へば食べ、寝やうと思へば寝られるのでありますが、しかし、すべてが自由ではありませぬ。考へれば自由にならぬ方が多いのであります。外部のものはすべて自由にはなりませぬ。心の中でありましても、あるところまでは自由でありますが、よく考へますとこの方も自由でない方が多いのであります。それはすべて因縁に依るのでありますからつづめて言へば宿業に依ると申さねばなりませぬ。長い間の自分の言行の結果を受けてゐるのでありますから、よいわるいもみな自分の宿業であると感ずるのは徹底した内省であります。  言ふまでもなく、それは無明煩悩に依るのであります。全く無明煩悩に依つて今日のやうに起してゐる悪るい事は勿論、善いと言ふこともよく洗つてみると恥しいことのみでありまして、所謂雑毒に外ならぬものであります。そこを考へますと、  「兎毛、羊毛のさきにゐるちりばかりも、つくるつみの宿業にあらずといふことなしとしるべし」  と言はれるのは誠に徹底した内省であります。これを心の外に置いて話をして居るのではないのですから、宿命といふこととは全く相違するものであります。人間の一切のすることを、過去の宿業に任せてそのままに流れて行けばよいといふやうな諦めではなく、深く自分の心に鞭をあてて自分の心を進めて行かねばならぬとするのであります。それ故に親鸞聖人はその後に  「さるべき業縁のもよほせば如何なることをすべし」  と言つて居られるのであります。考へてみますと、今こそ、かうして居るが、機縁があればどんなことをするか分らぬ危険のものであります。宿業といふことは自分の悪の相を内省したためでありますから、仕方がないと自暴自棄になるのとは全く違つたものであります。自分の意識を前に置いて考へていふこころの宿業は、都合の好いことを考へてさういふのでありますから、自分に都合の悪るいときにのみ宿業を擔き出すのが人の常であります。自分が世の中に生活して居る。それはあたへられた身と心とで生活しているのでありますから、意識に上つた部分は分りませうが、しかし意識に上らぬ時にしたことはわかりません。さうして、自分は何とも思つてゐなくとも、それが周囲の人に迷惑をあたへておることも多くあるのであります。それを因縁和合して起ることでありますから、簡単に言へば、外からさせられることが多いのであります。自分の心がよいからしたのではありませぬ。悪るい事をするのもさうであると感ずることは全く自我の意識を否定したときであります。さるべき業縁の催せば如何なることも仕兼まじきものであります。これを要するに、倫理と宗教との心の相異は自我意識を中心にするか、それから離れるかの二つであります。普段の生活では倫理の道を踏まねばなりませぬ。しかしそのために起きた苦しみはどうするか、それは宗教に依らねばなりませぬ。宗教は結果から言へば仏の慈悲を仰ぐのでありますが、根本から言へば自我の意識をなくすることによるのであります。仏法が無我であると言はれるのは全くこの意味に外ならぬのであります。これは親鸞聖人の  「さればよきことも、あしきことも業報にさしまかせて、ひとへに本願をたのみまひらすればこそ他力にてはさふらへ」  と申されることが宗教の神髄でありませう。  本巻に収録した科学と宗教、道徳と宗教、いづれも先生の思索生活に於いて常に深い関心事であつたもので、世間のこれに関する考へ方を是正することの必要について、口癖のやうに平素これを言はれてゐたところである。本書は特にそれぞれの標題を自ら選んで、晩年に講義せられたもの。その「科学と宗教」は講演の速記を没後桐原が整理して、私に小見出しをつけたものである。整理にあたつては、能ふ限り先師の語感と文脈とに倣つてこれを遺すやうにつとめた。又、書中、円点を打つたのは、先師が常にこれに特別な意味をもたせて好んで使用せられた語句にのみ限つた。又「道徳と宗教」は先師生前自ら加筆修正して上梓せられたものによる。(監修者桐原保見記) 昭和十七年二月十五日印刷(全五巻金拾五円一册分賣価金参円参拾錢) 昭和十七年二月二十日発行 東京市?町区内幸町一丁目二番地東拓ビルヂング四階編輯者策 中山文化研究発行者市代表者永井千 東京市小石川区高田豐川町三七番地印刷者長宗 東京市小石川区高田豐川町三七番地印刷所厚徳 社造秋所 東京市幾町区内幸町一丁目二番地 東拓ビルヂング四階」発行所 中山文化研究所 振替口座東京一七一三九四番東京市神田区淡路町二丁目九番地-配給元日本出版配